学位論文要旨



No 113789
著者(漢字) 伊藤,美樹子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ミキコ
標題(和) 「てんかんであること」への対処パターンが主観的ウェルビーイングに及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 113789
報告番号 甲13789
学位授与日 1998.06.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1364号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 助教授 橋本,修二
 東京大学 講師 福田,正人
 東京大学 講師 鈴木,一郎
 東京大学 講師 山本,則子
内容要旨 I緒言

 本研究の主題は、スティグマを伴う疾患として位置づけられてきた「てんかん」を取り上げ、「てんかんである」というラベルが患者の生活に及ぼす影響について論じることである。こうした影響については、これまでに「てんかんであること」に関連した心理学的な要因や「てんかんであること」への対処が検討されてきた。わが国において「てんかんであること」の影響は、主に就労や婚姻の実態など差別や偏見に関連した具体的事実が捉えられ、心理学的な影響に関する研究はほとんどなされてこなかった。そこで本研究では、患者が「てんかんであること」を知られている他者との関係において直接経験する「拒否・排除感」に着眼した。また「てんかんであること」への対処は、病気を匿したり、他者を教育するといった対処戦略や、それらと適応との関係が明らかにされてきた。しかしこれらは主に質的な方法によってなされてきたため、対処の分布や同じ条件下でどの対処が効果的かといった観点からは十分に検討されてこなかった。以上を踏まえ、本研究では「拒否・排除感」に対して対処パターンがもつ効果を検討することを目的とした。また対処効果の検討についてはLazarus & Folkman(1984)のストレス-対処モデルを参考にした。

II研究目的

 本研究で明らかにするのは次の4点である。

 1.「拒否・排除感」の特徴

 2.「てんかんであること」への対処パターンとその特徴

 3.「拒否・排除感」が主観的ウェルビーイングに及ぼす影響

 4.対処パターンの主効果と緩衝効果

III方法

 A.対象者と調査方法:対象者は首都圏で生活しているてんかん患者とし、『患者会』と『病院外来』において無記名の自記式質問紙を用いて調査を行った。配票は『患者会』では郵送法、『病院外来』では主治医からの手渡しによった。回収は郵送法によって行い、『患者会』から120票、『病院外来』から179票、計299票が回収された(回収率47.5%)。うち本人以外の回答(10名)と不完全な質問紙を返送してきた1名を除き、288名を分析対象とした(有効回答率45.8%)。

 B.調査項目:(1)主観的ウェルビーイング(以下SW)として人生満足度、生活支障感、(2)「拒否・排除感」、(3)「てんかんであること」への対処、(4)てんかんの医学的状態として発作症状重症度、発作頻度、発作間欠期の障害等、(5)社会的状況としてソーシャルサポート、家族関係等、(6)属性

 C.分析方法:(1)対処パターンの主効果の分析;SWを従属変数とし、独立変数に「拒否排除感」と対処パターンを配置した重回帰分析を行った。(2)対処パターンの緩衝効果の分析;上記(1)の重回帰モデルに対処パターンと「拒否・排除感」の交互作用項を追加投入した。なお有意水準は5%に設定した。

 D.対象者の属性と医学的状態:分析対象となった288名(うち男性145名)の平均年齢は37.0±11.6才であった。最終学歴は、男性では大学・大学院(39.3%)が、女性では短大・専門学校(33.6%)が最も多かった。発作頻度では月単位が最も多く(22.2%)、次いで年単位(15.6%)、週単位(14.9%)、日単位(7.3%)が続き、それ以外の者は1年以上発作が抑制されていた。

IV結果

 A.「拒否・排除感」の規定要因:「拒否・排除感」は、発作頻度の高い群、発作間欠期の障害の大きい群で有意に高く、発作症状重症度や罹病期間では有意差は見られなかった。また家族との「保護・干渉的」関係が高いほど、「共感・支持的」関係が低いほど「拒否・排除感」は有意に高かった。

 B.「てんかんであること」への対処パターンと規定要因:因子分析の結果、「自己肯定・教育」(mean4.48,range0-8)、「病気隠匿」(1.69,0-3)、「引きこもり」(0.80,0-3)の3つの対処パターンが得られた。各対処パターンの規定要因については、「自己肯定・教育」は、発作頻度の高い群で、情緒的サポートや情報的サポートのある群で、また家族との「共感・支持的」関係の高い群で有意に高かった。「病気隠匿」は情報的サポートのない群で有意に高かったが、それ以外の項目とは有意な関連は認められなかった。「引きこもり」は発作頻度の高い群や発作間欠期の障害の大きい群で、また無職者、情緒的サポートや情報的サポートのない群、家族との「共感・支持的」関係の低い群や「保護・干渉的」関係の高い群で有意に高かった。

 C.「拒否・排除感」と対処パターンとがSWに及ぼす影響:「拒否・排除感」は「人生満足度」に対しても「生活支障感」に対しても有意であり、「拒否・排除感」が高くなるほど「人生満足度」は低下し、「生活支障感」は強まることが示された。以下に各対処パターンごとに、SWに対する対処パターンの主効果と緩衝効果について述べる。

 「自己肯定・教育」の主効果は「人生満足度」を有意に高め、かつ「生活支障感」を有意に強めることが示された。また「自己肯定・教育」と「拒否・排除感」の交互作用は「人生満足度」と「生活支障感」に対して有意で、「自己肯定・教育」には緩衝効果が認められた。

 「病気隠匿」の主効果は「人生満足度」に対しては有意ではなかったが、「生活支障感」を有意に強めることが示された。また「病気隠匿」と「拒否・排除感」の交互作用はSWに対して有意ではなかった。

 「引きこもり」の主効果は「人生満足度」を有意に低下させ、かつ「生活支障感」を有意に強めることが示された。また「引きこもり」と「拒否・排除感」の交互作用は「生活支障感」に対しては有意でなかったが、「人生満足度」に対しては有意で、「引きこもり」によって「人生満足度」はさらに低下することが明らかになった。

V考察

 A.「拒否・排除感」の規定要因:「拒否・排除感」は、発作頻度や発作間欠期の障害で有意であったことから他者に「病気であること」が明らかになる持続的・慢性的な疾病の徴候によって高められると考えられた。また家族との関係が有意であったことから家族関係は患者自身の社会の見方や感じ方に影響を及ぼしていることが示唆された。

 B.「てんかんであること」への対処パターンの特徴:「自己肯定・教育」は、「拒否・排除感」がSWに与える影響を緩衝し、効果的な対処であることが明らかになった。ただし「自己肯定・教育」の主効果は「生活支障感」を強める方向に作用することが示されており、「自己肯定・教育」は「拒否・排除感」が「生活支障感」に与える影響を弱めるという点では効果があるものの、「自己肯定・教育」そのものは「生活支障感」を高めるという矛盾を含んでいることが示唆された。

 次に「病気隠匿」は、その分布状況から、先行研究と同様にてんかん患者に比較的よくみられる対処であることが示された。さらに「病気隠匿」の規定要因から、医学的状態や社会的状況に関してある条件をもった人に見られる対処ではなく、情緒的なサポートによっても低減されない対処であることが明らかになった。このことから「病気隠匿」はてんかん患者が生きていくためにある程度とらざるを得ない対処パターンであると考えられた。また「病気隠匿」の主効果が「生活支障感」を有意に強めているのは、「病気隠匿」によってありのままの自分を出せないために生活が制限されたり他者に援助的な対応が求められないためと考えられた。

 そして「引きこもり」は、発作頻度の多さや発作間欠期の障害が大きい群で有意に高く、医学的状態の悪い者に見られる対処であることが示された。さらに家族との「保護・干渉的」関係の高い群や「共感・支持的」関係の低い群で有意に高く、病気を理解していない家族からの制限や患者の家族に対する遠慮が、社会と関わりにくくさせるためと考えられた。また「引きこもり」は主効果が「人生満足度」と「生活支障感」を有意に低下させるだけでなく、緩衝効果によって「人生満足度」を一層低下させることが示された。そのため「引きこもり」パターンをとる者に対しては「自己肯定・教育」が図れるように、患者の家族に対して共感的な関係形成を働きかけることやソーシャルサポートを充実させることが必要と考えられた。

 C.本研究の限界と研究対象者の位置づけ:本研究の限界として、調査主体の名称を患者会にしたために身体的に重度な人が偏っている可能性が考えられる。ただし、本研究の分析対象者の発作の初発年齢の分布と性別有病率を疫学研究と比較したところ、著しい偏りはないと考えられた。

審査要旨

 本研究は、スティグマを伴いやすいてんかん患者の適応戦略としての対処とその効果を明らかにするために、成人てんかん患者に対して質問紙調査を実施し、統計学的手法を用いて分析したものであり、以下の結果を得ている。

 1.患者によって認知されるスティグマとして、「てんかんであること」を知られている他者から拒否や排除されたと感じる経験は、発作頻度や発作間欠期の障害が大きいほど、また家族との関係が保護・干渉的であるほど多くなることが示された。

 2.てんかん患者が病気をもって生活していく上でとる対処パターンとしては、因子分析の結果、「病気隠匿」、「引きこもり」、「自己肯定・教育」の3つが得られた。このうち「病気隠匿」は、てんかん患者において比較的よくみられる対処パターンであり、発作頻度や症状などの医学的状態やソーシャルサポートの有無とは有意な関連が認められず、社会的状況に関してある条件をもった人にみられる対処ではないことが示された。

 3.対処パターンのもつ効果は医学的状態や社会的状況ならびに属性の影響をコントロールした上で分析を行った。効果の指標には、主観的ウェルビーングとして「人生満足度」と「生活支障感」を用い、(1)主観的ウェルビーイングに対する対処パターンの主効果、ならびに(2)1.の「拒否・排除感」が主観的ウェルビーイングに及ぼす影響への緩衝効果を検討した。「拒否・排除感」が主観的ウェルビーイングに及ぼす影響としては、「拒否・排除感」は「人生満足度」を有意に低下させ、また生活支障感を有意に強めることが示され、さらにその影響力は発作頻度や症状よりも大きいことが明らかにされた。

 4.各々の対処パターンの効果について、「自己肯定・教育」は「拒否・排除感」が主観的ウェルビーイングに与える影響を緩衝することが示され、また「自己肯定・教育」の主効果自体が「人生満足度」を有意に高めることが示された。これに対し「引きこもり」は、主効果が「人生満足度」と「生活支障感」を有意に低下させるだけでなく、緩衝効果によって「人生満足度」を一層低下させることが示された。一方「病気隠匿」は、主効果が生活支障感を有意に強めることが示されたが、緩衝効果は認められなかった。

 以上のことから、てんかん患者がとる対処パターンとしては「自己肯定・教育」が最も効果的であることが示された。これに対し「引きこもり」は、主効果、緩衝効果においても主観的ウェルビーイングに対して否定的な影響しか示さなかった。したがって、「引きこもり」をとる者に対しては「自己肯定・教育」が図れるように積極的に支援することが重要であることが示された。その具体策としては、「引きこもり」をとる者においては発作だけでなく、発作間欠期の障害の影響を最小限に抑えるように働きかけていくこと、ならびに就労支援体制の充実とその制度化が必要であると述べた。さらに、「引きこもり」、「自己肯定・教育」、「拒否・排除感」と有意な関連の認められた家族との「保護・干渉的関係」や「共感・支持的関係」に注目し、患者が家族との関係をどう捉えているかを把握し、それに応じて家族に働きかけていくことが重要であると述べた。

 以上、本論文はわが国におけるてんかん患者がとる適応のための対処とそのその効果を明らかにした。てんかん患者の生活の質を脅かす要因として対人関係に着眼した点で独創的であり、患者の心理や行動の理解や支援のあり方に対して重要な貢献をなすと考えられ、博士の学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54666