学位論文要旨



No 113796
著者(漢字) 清水,建司
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ケンジ
標題(和) 深海性底生魚類の摂食行動 : 食物探索を通してみた深海環境への適応戦略
標題(洋) Foraging behavior of deep-sea demersal fishes : adaptation strategy for the deep-sea environment through food acquisition
報告番号 113796
報告番号 甲13796
学位授与日 1998.07.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3468号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,秀
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 助教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 松浦,啓一
 京都大学 教授 白山,義久
内容要旨

 深海性底生魚類は移動性が大きく食物段階も高いため、深海の生態系を考える上で重要な分類群である。魚類の摂食行動について、探餌行動の解析を中心に研究をすすめ、新たな知見を得た。それらをもとに、深海性底生魚類の深海環境への適応戦略について、総合的な視点から考察した。

〔底層流と魚類の反応〕

 一般に魚は正の走流性を示すことが知られており、深海魚でも正の走流性や化学刺激との関連が示されている。また、深海魚は食物摂取において選択幅が広い"generalizer"といわれている。映像解析は、自然な生態を理解する有効な手段である。修士論文において間接にではあるが、正の走流性と、主に負の走流性を示す種を見いだした。本研究では、まずこの走流性と餌の関係について考察した。

 従来の吊下型カメラを利用した映像解析の手法に加えて、餌付と餌なしの海底係留型カメラを2台同時に設置したり、海底に残された活動の痕跡(生痕)の解釈を利用することによって、解析の精度を向上させた。

 正の走流性を示した種については、これまで情報が限られていた海底直上における流れのダイナミックな変化を観測し、それと映像記録との照合によって、走流性の関係を直接に確認した。餌付海底係留カメラの映像では、イバラヒゲCoryphaenoides acrolepis等8種が有意に餌へ誘引されることを確認し、遠隔化学刺激を利用した探餌行動を行っていることを示した。蝟集効果は設置初期に高まりをみせており、刺激強度と蝟集効果の関係も示唆された。また、底層流の流向・流速と魚の出現頻度に相関がなかったため、個体は均一に分散していることが示唆された。密度推定および蝟集面積の推定も試みた。

 負の走流性を示した種Alepocephalus sp.については、餌付カメラへの誘引が確認されなかった。しかし、吊下型カメラで撮影した海底写真によって直接的な摂食場面の把握を行うと、主に海底上の摂食痕から判定して底質中の餌を探餌し、選択的に摂食していると考えられた。

〔胃内容物と食性〕

 遠隔刺激を利用した広範囲の探餌行動をする種と、近接した底質中の内在生物の摂食行動を行う種では、主たる食物対象が異なるであろう。これは胃内容物の確認を行うことで、関係がより明確になる。胃内容物による食性の推定は、これまで解剖による内容物の直接的な確認によって行われてきた。しかし、深海性魚類は空胃率が高く、従来の手法では由来を推定することが困難な場合が多い。そこで今回EDX(エネルギー分散型X線分析装置)を用いた元素分析によって、食物の由来を推定する方法を開発し、これを併用して胃内容物を推定した。目視観察では、正の走流性・負の走流性いずれを有する種も空胃率が高かった。このことはデトリタスなど低栄養価の餌を常時利用するのではなく、落下した餌あるいは捕食に依存していることを示唆する。正の走流性を示すクズアナゴNettastoma parviceps等の胃内から、ヒオドシエビ類Acanthephyra(十脚甲殻類)を確認したが、それ以外では内容物の由来を特定できたものはなかった。

 EDX分析については、特徴的な餌生物と底質を参照用試料として事前に分析し、それらの元素組成を用いて計算した類似度から、各試料をクラスタリングした。その結果から各参照用試料のクラスターを特徴づける元素群を指標元素として抽出し、以後の分析に利用することで、明確な結果を導き出す手法を開発した。

 EDXを利用した深海性底生魚類の消化管内容物の分析結果では、コンニャクイワシの1種Alepocephalus sp.とヒモダラCoryphaenoides longifilisの目視で由来を推定できなかった消化管内容物から、底質に由来する指標元素が検出され、底質由来の餌を摂食していることがわかった。その他の目視で由来が判定できなかった消化管内容物を用いて、2種から多毛類や端脚類に近いものを、3種から魚や長尾類の筋肉に近い消化管内容物を検出し、それらの多くは底質由来の成分を全く含んでいなかった。これらの種が遊泳性の生物の捕食または落下する大型の生物を餌としていたことを示す。また、口器・感覚器官などの形態観察から推定される食性についても、EDXの分析結果とよく整合していた。

〔餌との遭遇のシミュレーションと遊泳形態〕

 多くの種で落下性の餌を利用すること、空胃率が高いことをこれまでに示した。また、深海性の甲殻類で流れに直角方向に遊泳することを確認している(Shimizu,1995)。この意味について、コンピュータによる遊泳シミュレーションとビデオ映像の解析を行い、遊泳方法の面から検討した。

 サーキュレーションパッチ法の近似式を利用した拡散シュミレーションのコンピュータプログラムを作成し、海底係留カメラおよびトロールによって得られたデータをもとに流れ場を作成して、遊泳方向(流軸に対して平行、直角、45度)・速度(流速の-2〜+2倍)を変化させながら、餌との遭遇確率を計算した。

 対水速度がある場合は、流れに直角方向に遊泳することで餌に最も早く遭遇する。実際の観察結果である上流方向に定向する場合は、上流方向へ積極的に前進すると非常に不利で、定向だけして押し流されても、下流側へ積極的に遊泳しても、餌への到達時間は横断方向への流速と同じ早さの遊泳に対して、3倍以上の時間を要するという結果となった。この理論値と観察結果との違いを検証するために、有索無人潜水作業艇Dolphin 3Kのビデオ映像を解析した。画面上で確認できる多くの大型底生魚は、主として上流側を向いて緩やかにヒレを動かすか静止しており、対水速度を持たないか、やや負の速度(後退)を示した。従って、映像で見られた底生魚の走向性は、流れの上流側に遊泳するのではなく、定向だけして流されているか、上流側への遊泳は圧倒的に不利であるため、下流側へ緩やかに後退しているものと考えられる。これまで示されてきた上流への走流性は上流側を向いて流されることで維持されている、"定向性"であると言える。横方向への遊泳を行う場合に比べ、餌との遭遇確率が低くなっても、"積極的に遊泳しない=遊泳エネルギーを消費しない"ことの方が、かれらにとってより重要な選択肢となっているものと思われる。

〔食物探索を通してみた深海環境への適応戦略〕

 主に底質内の餌を利用する種は、空胃の度合いが高く、底質を直接の栄養源としているのではない。探餌についても広範囲に底質内を探索するのではなく、底質中から内在生物を見つけだし、それを食べていることが底質に残された摂食痕からよみとれる。これらの種は近接化学刺激を利用していることが伺われる。底質以外の場所を主な摂食場所とする種では、被捕食者あるいは落下物に依存しており、化学刺激に敏感であることが餌付海底係留カメラへの蝟集から理解できる。後者の種でも空胃率が高いため、落下物への依存度が高いことが推測される。従って、餌を効率的に察知して素早く摂食し、エネルギーの消費を抑制しながら、次の餌を探索する生活型である。化学刺激を待ち受けながら上流方向に走向して押し流されて、餌の刺激を感知した場合に、積極的に遊泳して接近することで、最も効率的な探餌・摂餌行動となる。押し流されながら餌を探知する場合は、餌の上流側に近いところで化学刺激のプリュームに遭遇することになり、餌に到達するのも容易である。積極的に遊泳して近づく場合は、下流側から接近することになるので、化学刺激を感知してから流れを遡って遊泳する時間が相対的に長くなり、エネルギーの消費も多くなる。シミュレーションでは、魚がある速度で遊泳する場合、流れに対して直角方向に泳ぐことで、流される場合と比較しても、遭遇確率が大きく高まる。このことは実際に見られる、上流側を向いて流されることが、決して餌との遭遇確率からいって有利ではないことを示す。しかし、それ以上に遊泳に必要なコストが大きいこと、そしてシミュレーション結果に見られたように遭遇時間には大きなばらつきがあることなどから、遊泳を行い餌探索にエネルギーを消費する場合のリスクが大きいことと関係するものと思われる。

 深海底層遊泳性の魚類の外部形態には、遊泳に利用される体の後部が扁平で細長く、尾鰭が小型化し、遊泳のための筋肉が少ない"ペナント型"の体型への収斂現象がある。これは深海域への適応であることが示唆される。これらの収斂がみられる魚類についてのビデオ映像や写真から観察された運動形態や、得られた標本の体型測定の結果は、anguilliform型の遊泳区分に分類される。この遊泳型は低速であるが持続的な運動に適し、エネルギーを多く消費しないと考えられている。

 以上に述べたように、今回の研究で深海魚に見られた探餌行動は、体の外部形態の収斂現象に見られるような、低速遊泳・低消費型の運動形態を獲得したことと共に発達してきたものと言える。深海域という一般に餌の極端に少ない環境下で、待ち受け型・低消費型の生活型を選択した結果の表れである。積極的に底生生物を摂食する種については、"ペナント型"の特徴が弱い。形態的に浅海域のものと大きな変化が見られない甲殻類で、トゲヒラタエビGlyphocrangon hastacaudaについては、着底時は上流側に定向するが、遊泳時には流れを直角に横断していることを観察している(Shimizu,1995)。

 深海性の魚類は、一般的には餌が少なく、エピソディックに餌が供給されるような環境に、形態的にも生態的にもうまく適応し、通常の代謝エネルギーを圧えるための工夫と、餌を効率的に探し、そしてそれを効率的に摂取する戦略を有している。

審査要旨

 深海性底生魚類は、希にしか餌が供給されない環境に、形態的にも生態的にもうまく適応し、エネルギー消費を圧えつつ餌を効率的に探し摂取する戦略を有しているとされてきた。本論文は深海性底生魚類の底層流への反応、胃内容物と外部形態、遊泳の観察と餌との遭遇シミュレーション等の解析を通して上記の仮説の実証を図ったものである。

 第1章では海底写真映像から魚の走流性、探餌行動の実態を解析した。吊下型カメラ、海底係留型カメラのデータに加えて、併設した流速計から海底直上における流れを観測し両者を照合した。餌付海底係留カメラの映像では、正の走流性を示すイバラヒゲ等8種が有意に餌に誘引され、遠隔化学刺激を利用した探餌行動を行っていることを示した。負の走流性を示したコンニャクイワシの1種は、餌付カメラへの誘引は確認されないものの、吊下型カメラで撮影した海底写真によって直接的な摂食場面の確認を行うとともに、海底上の摂食痕から判定して底質中の餌を探餌し、選択的に摂食していることを確認した。

 第2章では、解剖によって直接的に確認されてきた従来の胃内容物調査法の適用が困難な深海性魚類に対し、EDX(エネルギー分散型X線分析装置)を用いた元素分析で食物の由来を推定する方法を着想した。代表的な餌生物と底質を参照用試料として事前に分析し、これと共に各魚類の胃内容物試料をクラスタリングする方法を開発した。コンニャクイワシの1種とヒモダラの消化管内容物から底質に由来する指標元素が検出され、底質由来の餌を摂食していることが実証された。他の2種から多毛類や端脚類に近いものを、3種からは魚や長尾類の筋肉に近い消化管内容物を検出し、これらの種が遊泳性の生物の捕食または落下する大型の生物を餌としていたことを示した。また、口器・感覚器官などの形態観察から推定される食性についても考察した。

 第3章では、餌との遭遇のコンピュータシミュレーションと遊泳形態を扱い、第1章・第2章の調査結果との対比を行っている。サーキュラーパッチ法の近似式を利用した拡散シミュレーションのコンピュータプログラムを作成し、海底係留カメラおよびトロールによって得られたデータをもとに流れ場を作成して、遊泳方向・速度を変化させながら、餌との遭遇時間を計算した。対水速度がある場合は、流れを横断する遊泳が最も効率的であると理論的に推論されたが、実際の観察結果である上流に定向する場合は、前進・後進ともに、餌への到達時間は横断方向への流速と同じ早さの遊泳に対して、3倍以上の時間を要するという結果となった。この理論値と観察結果との違いを検証するために、潜水作業艇のビデオ映像を解析した。多くの大型底生魚は、主として上流側を向き、対水速度を持たないか、やや負の速度(後退)を示した。これまで示されてきた上流への走流性は上流側を向いて流されることで維持されている定向性であると結論された。つまり、横方向への遊泳を行う場合に比べ、餌との遭遇確率が低くなっても、積極的に遊泳しない=遊泳エネルギーを消費しないことの方が、より重要な選択肢となっていることを、シミュレーション結果に見られた遭遇時間に大きなばらつきがあることを根拠に結論している。

 以上の研究から、深海底生性魚類の多くは走流性を示すが、上流側を向いて流されることで維持されている定向性であるとの重要な指摘がなされた。さらに、シミュレーション結果との齟齬を生態学的に解釈することから、探餌行動が外部形態の低速遊泳・低消費型の運動形態に収斂したことと平行して、深海域という一般に餌の極端に少ない環境下で、待ち受け型・低消費型の生活型を選択した結果の表れであることを浮彫にすることに成功している。

 深海を対象とした困難な作業にもかかわらず、十分な解析結果を集積し、第2・第3章においては独創的手法を導入しつつ、生態学的に総合することで初期の目標を達成できたものと判定する。なお、本論文第2章は、太田 秀・白山義久との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 ゆえに、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク