学位論文要旨



No 113800
著者(漢字) 李,慶華
著者(英字)
著者(カナ) リ,チンファ
標題(和) 透明性ポリイミドとその前駆体の合成、分光および熱物性
標題(洋) Preparation,Spectroscopy,and Thermal Properties of Transparent Polyimides and Their Precursors
報告番号 113800
報告番号 甲13800
学位授与日 1998.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4222号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨

 ポリイミド(PI)は優れた耐熱性、機械的強度をもち、低誘電率であるので、宇宙航空、エレクトロニクス分野で幅広く使われてきた。近年、ポリイミドを光通信、液晶ディスプレイに用いる研究が進められ、ポリイミドの透明性が要求されている。通常の芳香族ポリイミドは分子間或いは分子内で電荷移動(CT)を形成しているため、濃黄色に着色している。芳香族ポリイミドを光通信に応用する試みはあるが、ポリイミドの吸収が大きすぎて、光の損失が大きく、実用には至っていない。ポリイミドのこの着色性を抑制するには、ポリイミドの分子間或いは分子内で形成しているCTを弱めることが必要であり、かさ高いフッ素化化合物の導入による分子間相互作用の抑制が一つの方法である。また、堀江研ではこれまでドナー性の弱い脂環式ジアミンを使ったポリイミドの研究が進められてきた。本研究は、フッ素化酸無水物或いは脂環式酸無水物と脂環式ジアミンを組み合わせて、種々の新しい透明性ポリイミドを合成し、吸収及び蛍光スペクトル測定から、新しい透明性ポリイミドの基底状態或いは励起状態の電子構造、フィルムの凝集構造についての知見を得て、ポリイミドの透明性を決める要因を明らかにすることを目的としている。同時に、これらのポリイミドの熱物性も明らかにした。また、ポリイミドはその前駆体のポリアミド酸から、熱イミド化或いは化学イミド化して形成されるので、ポリアミド酸の性質はポリイミドに直接影響する。芳香族ポリイミドの電子構造はすでに研究されているが、ポリアミド酸或いはその他の前駆体の電子構造はほとんど研究されていない状態である。本研究ではさらに、3種類の芳香族酸無水物と2種類の芳香族又は脂環式ジアミンを組み合わせて合成した6種類のポリアミド酸とそれらのポリアミド酸塩について、溶液中、フィルム中での吸収スペクトルを測定し、モデル化合物との比較から、それらの電子状態について、化学構造、極性などの効果を明らかにする。

 まず、ポリアミド酸(PAA)とそれらのポリアミド酸塩(PAS)の溶媒中、フィルム中の吸収スペクトルの比較を行った。ポリアミド酸PAA(PMDA/PDA)、PAA(PMDA/DCHM)、PAA(BPDA/PDA)、PAA(BPDA/DCHM)、PAA(BTDA/PDA)、PAA(BTDA/DCHM)の合成は通常通りに行った。分子構造式は図1に示す。ポリアミド酸塩は官能基比で同等量のポリアミド酸とトリエタノールアミンを室温窒素下で、水中撹拌し、合成した。UVスペクトルはJasco V-570 UV/VIS/NIR分光計で測定した。フィルムの厚みはTalystep膜厚計で測定した。

 ポリアミド酸塩はH2Oに溶けるが、ポリアミド酸はH2Oに溶けないので、吸収スペクトル測定にはそれぞれH2OとDMFを使用した。PAS(PMDA/PDA)の水中の吸収スペクトルは262nmに吸収ピークが見られ、PAS(PMDA/DCHM)ではほとんど吸収が見られない。脂環式のジアミンDCHMはドナー性が弱く、CTが起こりにくいので、PAS(PMDA/PDA)の262nmの吸収は分子内CTによる吸収だと考えられる。BPDA、BTDA系では、芳香族ジアミンの時と脂環式ジアミンの時の両方とも280nmあたりに吸収があるので、PAS(BPDA/PDA)とPAS(BTDA/PDA)の吸収は酸無水物の吸収にCT吸収が重なっていると考えられる。

 フィルム中の吸収スペクトルについてはPAS(PMDA/DCHM)では溶液中の時と同じく吸収がほとんど見られない。PAS(PMDA/PDA)の250〜400nmにある吸収スペクトルは分子間のCTによるものと考えられる。ポリアミド酸塩の吸収はポリアミド酸より長波長側にシフトしており、溶液中での吸収スペクトルと逆である。特にPMDA/PDA系では一番シフトが大きい。CTの吸収は極性に依存する。極性が増大すると、吸収が赤方ヘシフトする。ポリアミド酸塩は正と負の電荷が形成しているため、フィルムの極性が増大し、吸収が長波長側にシフトしたものと考えられる。

 つぎに、透明性ポリイミドを合成し、その吸収、蛍光スペクトルと熱物性を調べた。フッ素化酸無水物、脂環式酸無水物或いは脂環式ジアミンを含むポリアミド酸PAA(6FDA/PDA)、PAA(6FDA/DCHM)、PAA(CBDA/DPM)、PAA(CBDA/6FdA)、PAA(CBDA/DCHM)は等モル量の酸無水物とジアミンをDMAc中窒素下で、24時間撹拌し、合成した。極限粘度数[]はそれぞれ0.45dl/g,0.46dl/g,0.64dl/g,0.53dl/g,0.47dl/gであった。ポリアミド酸の溶液をガラス板上にキャストし、真空下で5時間乾燥させてから、フィルムをガラス板からはがした。さらに、そのフィルムを真空下で24時間乾燥させたのち、160℃、200℃、240℃で各1時間加熱してイミド化した。合成した透明性ポリイミドの構造式を図2に示す。フィルムの吸収スペクトルは石英板上でスピンコートした薄いフィルムを用いて、Jasco V-570UV/VIS/NIR分光計で測定した。蛍光スペクトルはHitachi Model850蛍光分光光度計で測定した。ポリイミドの熱物性は宇宙研でDSC、TMA、TGにより測定した。

 これらの合成したポリイミドは非常に高い透明性を示している。PI(6FDA/PDA)とPI(6FDA/DCHM)フィルム(0.6m)両方の吸収スペクトルとも370nm以上に吸収は持たないことが分かった。6FDAは大きな置換基がもつため、分子間のパッキングが悪くなり、分子間のCTが通常の芳香族ポリイミドに比べて起こりにくくなる。PI(6FDA/PDA)は260nmに吸収の肩が見られ、一方、PI(6FDA/DCHM)は260〜300nmに吸収は僅かしかない。PI(6FDA/PDA)の260nmの吸収は分子内のCTによるものと考えられる。脂環式ジアミンDCHMのドナー性が弱いので、PI(6FDA/DCHM)では分子間と分子内のCT性が両方とも弱くなったことを示している。

 PI(6FDA/DCHM)の蛍光スペクトルには励起波長依存性が現れ、ピークは450nmから560nmまでシフトした。励起スペクトルのピークは373nmにあり、長波長側でモニターすると、スペクトルは広がって、形が崩れている。これはPI(6FDA/DCHM)フィルムの中にいろんなエネルギーレベルの基底状態錯体が形成していることに対応している。DCHMはドナー性が弱いけれども、全然ないわけではなく、6FDAとの間に弱いCT錯体が形成していると推定される。PI(6FDA/PDA)はPI(6FDA/DCHM)と同様に、励起波長依存性が見られ、基底状態でいろんなエネルギーレベルのCT錯体が形成していることによると考えられる。励起スペクトルを見ると、二つのピークがあり、ひとつは330nmにあり、分子内のCT状態からの励起によるものと考えられる。もうひとつは410nmから450nmまでシフトしており、分子間の基底状態CT錯体によるものと思われる。

 脂環式のシクロブタンテトラカルボン酸無水物(CBDA)を用いたポリイミドはさらに高い透明性を示した。PI(CBDA/DPM)とPI(CBDA/6FdA)の吸収スペクトルでは375nm以上で吸収が全くなくなり、PI(CBDA/DCHM)の方は300nmあたりから吸収がほとんどないことが分かった。これはCBDAの電子受容性が弱いため、分子間と分子内でCT状態がほとんどできなくなったためと考えられる。PI(CBDA/DPM)の吸収ピークは236nm、PI(CBDA/6FdA)の吸収ピークは235nmにあり、強度だけが違う。この235nmのピークはジアミン部分のベンゼン環の吸収と考えられる。PI(CBDA/DPM)、PI(CBDA/6FdA)では300nm〜375nmに吸収のすそ野が見られ、弱い基底状態錯体が形成していることを示している。PI(CBDA/DCHM)は酸無水物とジアミン両方とも脂環式であり、210nmのイミド環の吸収しか見られず、フィルムは極めて透明である。

 PI(CBDA/DCHM)の蛍光スペクトルのピークは424nmにあり、励起波長依存性も現れた。モデル化合物の蛍光スペクトルとの比較から2つのイミド環が分子間で逆平行に重なり合った基底状態錯体からの発光と推定され、励起波長依存性は、いろんな基底状態錯体つまり不均一なパッキング状態の存在によるものと思われる。280nmで励起すると、イミド環のモノマー発光のピークとともに、467nmにもう1つピークが現れた。励起スペクトルには324nm、370nmとのふたつのピークが見える。CBDAにはふたつの立体異性体があり、DCHMも立体異性体があるので、さまざまなパッキング構造の存在が考えられ、熱処理により変化する。PI(CBDA/DPM)とPI(CBDA/6FdA)の蛍光スペクトルにも励起波長依存性が見られた。PI(CBDA/DCHM)と同じく、不均一なパッキング状態の存在によるものと思われる。

 さらに、脂環式酸無水物2,3,5-テトラカルボキシシクロペンチル酢酸二無水物(TCAAH)とフッ素化ジアミン、脂環式ジアミン或いは芳香族ジアミンと組み合わせて、高い透明性を示すポリイミドを合成した。これらのポリイミドの吸収、蛍光スペクトルを測定し、これまで研究してきた透明性ポリイミドと比較をして、ポリイミドの透明性を決める要因のまとめを行う。

 以上をまとめると、本研究では透明性ポリイミドとその前駆体を合成し、それらの吸収、蛍光スペクトル及び熱物性を研究した。ポリイミドの前駆体PAS(PMDA/PDA)の吸収は分子内或いは分子間のCT形成によるものであり、PAS(BPDA/PDA)、PAS(BTDA/PDA)の吸収は酸無水物部分の吸収に分子内或いは分子間のCT吸収が重なったものと考えられる。ポリアミド酸塩の吸収は、フィルム状態ではイオン化による系の極性の増大のために、ポリアミド酸の吸収に比べて長波長側ヘシフトしている。フッ素化酸無水物、脂環式酸無水物或いは脂環式ジアミンをポリイミドの主鎖に導入することで、分子間或いは分子内のCT形成が弱められ、高い透明性のポリイミドが得られた。蛍光スペクトルには、励起波長依存性が観測され、これらのポリイミドが不均一なミクロ構造を持つことを示している。CBDA系ポリイミドのパッキング構造はmixed layer構造と推定されるが、CBDAとDCHMの両方とも立体異性体をもつので、その高次構造は芳香族ポリイミドと比べてより複雑である。脂環式酸無水物や脂環式ジアミンを使用した透明性ポリイミドは、脂肪族鎖を含むポリイミドではあっても、対応する芳香族ポリイミドに比べて、同程度の耐熱性が維持されていることが明らかとなった。

Figure1.The chemical structure of PAAs and PASsPAA:R=OH;PAS:R=O-+NH(C2H4OH)3Figure2.The chemical structure of transparent polyimides
審査要旨

 ポリイミドは優れた耐熱性、機械的強度、低誘電率性などを持っているため、宇宙航空、マイクロエレクトロニクス、液晶配向膜分野で幅広く使われている。最近、光通信、フォトニクス分野の開発がすすみ、優れた耐熱性を持つポリイミドをこの新しい分野に応用することが期待されている。しかし、従来の芳香族ポリイミドは分子間あるいは分子内で電荷移動を形成しているため、深い黄色に着色し、そのまま光通信やフォトニクス分野に応用することは難しく、透明なポリイミドを実現する研究が重要になってきている。一方、ポリイミドはその前駆体のポリアミド酸から熱イミド化あるいは化学イミド化により合成されるので、ポリアミド酸の性質はポリイミドに直接影響を与える。芳香族ポリイミドの電子構造は多く研究されているが、ポリアミド酸あるいはその他の前駆体の電子構造はこれまでほとんど研究されていなかった。

 本論文では、フッ素化化合物、脂環式ジアミン、脂環式酸無水物を組み合わせてポリイミドの主鎖に導入することで、これまでなかった優れた透明性を持つポリイミドの合成に成功し、また、それらの分子構造とポリイミドの透明性、フィルムのパッキング状態、及び熱物性との関連を明らかにしている。また、三種類の芳香族ポリアミド酸、三種類の脂環式ポリアミド酸とそれらの塩のUVスペクトルを測定し、化学構造、極性などの要因から、ポリアミド酸及びその塩の電子構造を明らかにしている。

 第1章は序文であり、ポリイミドの研究の歴史、電荷移動の理論、本論文の研究の背景と目的及び構成について述べている。

 第2章は三種類の芳香族ポリアミド酸、三種類の脂環式ポリアミド酸とそれらの塩の溶液中とフィルム中のUVスペクトルについて述べている。モデル化合物と比較をしながら、ピロメリット酸を含むポリアミド酸塩の吸収は分子内あるいは分子間の電荷移動によるもの、ビフェニルとベンゾフェノンを含むポリアミド酸塩の吸収は酸無水物部分の吸収と分子内あるいは分子間の電荷移動の吸収とが重なったものと述べている。フィルム中では、ポリアミド酸塩の吸収はポリアミド酸の吸収より赤方シフトしており、溶液中での結果と逆であった。電荷移動性吸収は極性に依存し、極性が増大すると、吸収が赤方ヘシフトする。ポリアミド酸塩では正と負の電荷が形成しているため、フィルムの極性が増大し、吸収が長波長側にシフトしたものと説明している。

 第3、4、5章では、ポリイミドの着色性を改善するための分子設計を行い、新しい透明性のポリイミドを合成し、ポリイミドの分子構造と、着色性の原因である電荷移動の形成、フィルムのパッキング状態、及び熱物性との関連について述べている。第3章ではフッ素化酸無水物(6FDA)、第4章では脂環式酸無水物(CBDA)、第5章では非対称性脂環式酸無水物(TCAAH)を使って、それぞれ脂環式ジアミン(DCHM)、フッ素化ジアミン(6FdA)、芳香族ジアミン(PDA,DPM)と組み合わせて、数種類の新しいポリイミドの合成に成功し、中でも、紫外吸収スペクトルから、吸収ピークが210nmにあり、310nmあるいは330nm以上では吸収がなくなる非常に透明な2種類のポリイミドフィルム[PI(CBDA/DCHM)とPI(TCAAH/DCHM)]を得ている。蛍光スペクトル測定から、ポリイミド分野で初めて蛍光ピークの連続的な励起波長依存性を発見し、透明性ポリイミドはいろんな基底状態コンプレクスが形成しており複雑なミクロ構造を持つことを明らかにした。熱物性測定より、酸無水物部分かジアミン部分のいずれかを脂環式に変えたポリイミドの熱物性は、普通の芳香族ポリイミドの熱物性に比べてほとんど低下していないが、酸無水物部分とジアミン部分が両方とも脂環式のポリイミドの場合には、熱物性が落ち、フィルムのパッキング状態が密ではなくなっていることを示した。ポリイミドの透明性が向上した理由は、嵩高い置換基、脂環式化合物、異性体構造などの導入によって、ポリイミドの官能基間の分子間および分子内の電子移動形成が抑制され、透明性の向上につながったためであることが、本論文によって実証されている。

 第6章は、本論文の結論と今後の展望について述べている。

 ポリイミドは耐熱性ポリマーとして、宇宙航空分野およびマイクロエレクトロニクス分野で重要な役割を担ってきている。この材料をさらに広範囲な分野に応用することは大切である。本論文では、フッ素化酸無水物、脂環式酸無水物、非対称性脂環式酸無水物、及び脂環式ジアミンを使って、極めて透明なポリイミドが合成されたことに大きな意義があり、その透明性の理由の究明は今後の透明性ポリイミドの分子設計、フォトニクス分野への応用と発展に寄与するものである。ポリイミドの前駆体としてのポリアミド酸塩の電子構造の究明もこれまでのポリイミドの電子状態の研究を前進させたものであり、その波及効果は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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