本研究は、従来懸案であったラット消化管セロトニン(5-HT)の代謝回転速度に関して、酵素の生体投与という新たなアプローチを用いて詳細な解析を進めたものであり、下記の結果を得ている。 1.5-HT前駆体トリプトファン(Trp)を迅速特異的に分解する酵素(TSO)を極大量ラットに腹腔内投与すると、血中及び消化管組織Trpの急速減少を介した5-HT合成阻害の結果、胃から直腸にかけての消化管全域で5-HTの急速除去(t1/2=3-4h)が達成された。またその際の5-HTの減少応答には領域差が明白に認められ、減少勾配成分の多様性、即ち代謝回転速度の異なる複数プールが各局所に様々な割合で配分されている可能性が示唆された。特に十二指腸上部に顕著な急速減少過程から示される5-HTの回転速度は、先行するTSO投与実験で得られた脳の5-HT回転速度(t1/2=2h)[中丸ら、準備中]に匹敵し、消化管5-HT代謝回転速度に関する既成概念(t1/2=17h)の再考を強く促した。 2.消化管における5-HT出納を血漿5-HTの動静脈差により評価し、5-HTプールの高速回転性との関連性を追及した。麻酔保定条件下で頸動脈又は門脈から連続経時採血と血漿抽出(ヘパリン及びEDTA存在下)を行うと、血漿5-HT値は安定して静脈優勢(+15nM)となり、この濃度差と腸間膜血流量及び組織重量とを乗じて得られる単位時間当たりの放出量計算から、5-HT高速回転仮説の大要が支持された。 3.消化管組織での5-HT代謝産物の動態について詳細に調べた。中枢神経系における5-HTの主要代謝産物5-ヒドロキシインドール酢酸(5-HIAA)は、消化管全域で対5-HT濃度比が高々1-3%程度の微量物質で、且つTSO投与時の減少応答の欠如から、代謝的にも極めて不活性な5-HT系プールであることが判明した。また酸加水分解や酵素的加水分解の各処理で、グルクロン酸や硫酸等の5-HT系既知抱合体産物は一切検出されなかったが、組織ホモジネート(pH4.5)の37℃インキュベーションで内在-グルクロニダーゼ活性に非依存的な5-HTの経時上昇応答(最大で初期値の約40%)を見出だし、新規抱合体系5-HT代謝産物[群](5-HTX)の存在が示唆された。この新規物質候補となる5-HTXは、5-HIAAとは対照的に、5-HTの約4割にも及ぶ総量がTSO投与後8hで完全に消失することから、消化管組織5-HTの主要代謝産物としての資格を十分に有するものと考えられた。 4.5-HT関連物質の消化管管腔側への放出機構についてもin vivo定量評価を試みたが、単位時間当たりの放出量は5-HT、5-HIAA共に組織5-HT含量の1-2%と乏しく、よって5-HT高速回転との関連性は僅かなものと見做された。 以上、本研究の主たる意義は、循環血中の5-HT前駆体Trpの迅速特異的除去法の適用により、従来暗黙の認知である"不活性な"消化管5-HT回転を脳に匹敵する"高速代謝回転プール"と位置付け、またその回転の過半が血中への5-HT放出と対応することを動静脈差の実験などから示唆したことである。これは放出された5-HTの代謝や役割に関する新命題追及の原点を与え、更に、5-HT回転やプールの複数性及び領域差は、今後、5-HT系組織細胞化学との対応により、消化管各局所における5-HT系の分別機能の解明にも繋がる有力な手掛かりとなる研究成果であり、従って学位の授与に値するものと考えられる。 |