学位論文要旨



No 113802
著者(漢字) 宮本,浩行
著者(英字)
著者(カナ) ミヤモト,ヒロユキ
標題(和) 脳内セロトニン除去時の睡眠覚醒交替日周律動崩壊と脳内各局所神経活動の時間構造
標題(洋)
報告番号 113802
報告番号 甲13802
学位授与日 1998.07.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1366号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 David W.,Saffen
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 【背景と目的】

 中枢のセロトニン(5-HT)ニューロンは脳高次機能の統合や階調調節に重要な系で、その関連命題は睡眠/覚醒から行動、情動、記憶と学習、摂食から内分泌動態など生理機能やうつ病など多くの精神疾患に及ぶ。この5-HT系問題の原点は脳幹の少数細胞体から分岐により脳全域稠密に神経末端を分配する投射様式を持ち、この系の自発・状態依存性活動と膨大な局所固有の相互作用が交錯することにあり、脳各階層でシステム原理の解明が求められる当代、部分と全体を自身に持つ本系の枠組みは絶好の切り口を供する。本研究はこの観点から、脳活動全体基調の睡眠/覚醒相の交替現象と局所神経活動の動態を、両者が共有する"時間特性"の立場から改めて追及し動態の内在特性と領域・時間関連を得て、さらに5-HT系の汎脳的擾乱に対する応答を求め、新しい部分・全体問題の探索を行ったものである。

 この"時間"問題では、歴史的に日周律動(日周律動、サーカディアンリズム、概日リズム)と呼ばれ、約24時間周期で帰還する内在動態が、睡眠/覚醒交替など冒頭に挙げた殆どの機能動態に知られる。周期を規定する振動子として、視床下部の視交叉上核(SCN)が単離後も周期活動を保存する存在として確立し、SCN除去や孤立化で生理的リズムもSCN外部領域神経活動の反極性(ラット)日周律動も消失するという実験結果から、この階層の時間研究は殆どこの振動子自身の研究に集中した。しかし、1対のSCNから種々の概日リズムの脳広域発現の経路や機構、他の振動子や時間階層の探索では実験理論も未熟で、非SCN依存性概日リズムの存在と示唆もある。以上に関連する5-HT系の背景で先ず説明すべきは睡眠/覚醒との関係で、"脳内全領域の5-HT除去"が睡眠相消失・覚醒持続、極端な活動増大を誘発するというJouvetの実験が歴史的である。ここでは、5-HT生合成律速酵素阻害剤p-Chlorophenylalanine(PCPA)投与が適用された。これに基づく5-HTの睡眠物質仮説は修正・撤回を余儀なくされながら、脳内5-HT除去の実験的帰結は不眠と過動であるとの認識は現在も続き、この様式では未だ唯一の方法として、多くのPCPA実験が行われながら、5-HT系擾乱応答から本来の生理的意義を求めるに当たって、PCPAには遅効・低特異性・不可逆と深刻な問題が多く矛盾は積算された。

 しかし、受容体薬物・神経毒局所作用とその集積からこの全域投射系を演繹し尽くすことは無理で、全体と部分を跨ぐ5-HT系に相応しい適切な"氾脳的5-HT除去法"の開発は必須であった。この認識が当教室における新しい汎脳的5-HT系擾乱法の完成を促した。これは、Tryptophan(Trp)側鎖酸化酵素(TSO)の生体投与で5-HT前駆体Trp除去を介し脳内5-HT除去を達成するものである。

 この迅速、特異的、可逆的な5-HT除去では、PCPA投与実験と異なり、睡眠/覚醒の概日リズムは崩壊し、代って我々が「睡眠/覚醒相交替の原点」と仮定する分単位周期の相交替が圧倒的となり、ラットは非動化した。両相個々の実行機構に障害は無く、この段階で、"睡眠/覚醒の相交替を律する脳内時間システムの多階層性とその5-HT系による統御"に関する新命題が提唱された(高井ら、中丸ら)。

 以上を前提に、本研究では、内在時間動態と共に5-HT除去擾乱時の睡眠/覚醒や行動の動態・時間特性を体系的に追及し、代表的振動子SCNをはじめ脳内広域各局所の神経活性(Multi-Unit Activity:MUA)の動態構造と対応させ、時間構造と5-HT系の接点から脳の全体・部分に渉る新命題の探索、確立を求めた。

【実験方法】

 自由行動下のラットの前・後頭葉皮質脳波(EEG)/筋電図(EMG)/眼電図多重記録より、睡眠/覚醒状態を解析・定量化し、各領域脳波の周波数解析を行い、並行して動物行動の赤外線カメラ同定、行動計/EMGによる行動量を、長期連続観測した。以上の全体基調活性観測や解析に加え、SCNとその近傍及びSCNからの投射候補領域、更に、大脳皮質(FC)、視床、中隔・対角帯(MS/DB)等の前脳基底部(basal forebrain:BF)、視索前野(POA)、線条体(CPu)、海馬、扁桃体などの5-HT投射領域に加え脳幹網様体や5-HT系起始核の縫線核等など、広域局所のMUAを、テフロン被覆白金イリジウム双極電極より頭部に設置したvoltage-followerを介して導出し、window discriminatorでピークを弁別し、単位時間のスパイク数として記録した。TSOは、kg単位のPseudomonasより精製し、前夜及び実験中は水のみを与え絶食とし、生理食塩水、TSO(20単位/250g体重)、PCPA(300mg/kg)はいずれも腹腔内投与とした。

【結果】

 先ず、睡眠/覚醒の概日リズムの内部構造と時間特性を詳細に同定した。ラットでは1日100回以上睡眠/覚醒が相交替する。両相の出現総時間は1日単位でほぼ均等だが、時間軸に沿い、各相の密度・継続時間の異なる階調が出現した。この夜行性動物では、全日睡眠時間の70%が明期に偏り、その初期には高振幅徐波主体のデルタ睡眠が圧倒し、以後、数分周期の睡眠/覚醒相交替が繰返し、暗期移行後は覚醒継続時間と総時間が増加し、行動活性も上昇し、暗期終期の明期予兆的睡眠/覚醒交替を経て、24時間周期で帰還した。この一連の内在パターンはそれ自身としてまた5-HT擾乱応答の対照としても詳細に解析された。

 本研究における氾脳的5-HT除去では、TSO(20単位)投与後、数時間で脳内5-HT量は対照の10-15%の極小値に達し、以後20時間維持、36時間迄の中間値を経て、48-64時間には復元した。この経過に沿い、夜間行動量の低下(30%迄)と共に、睡眠/覚醒量昼夜差及びデルタ・レム(REM)睡眠は減弱あるいは消失し、1分単位周期の睡眠/覚醒交替が数十分のクラスターとして圧倒した。"不眠"は無く、1日単位の睡眠量は保持された。脳内5-HT量回復に沿い睡眠/覚醒各エピソード延長、行動量上昇を経て、睡眠/覚醒の日周律動が回復に向かった。また、5-HT除去極期の睡眠/覚醒相対応の脳波の詳細な分析でも異常は検出されず、感覚/運動障害も認めなかった。

 局所の内在神経活動のMUA観測において、SCNに既知の明期中期に活動ピークを持つガウス曲線型の日周律動に加え、新しく明暗転換時の遷移が著明に鋭い矩形型明期優性パターンが見出された。FC、MS/DB、POA等多数の領域でのSCN反極性夜間優勢日周律動に関しては、1日の時間軸に沿う動態パターンの領域固有な多様性が同定された。更に、覚醒(W)時に上昇、レム睡眠(REM)時も上昇、徐波睡眠(SWS)時には低下を示す覚醒状態特異的(状態依存性)なMUAの動態が観測され、視床、脳幹網様体で最も顕著、ついでFC、CPuなどの夜間優勢領域、BFが続き、SCN領域においては依存性が極小という領域特性が明らかとなった。特に、MS/DB、POA領域では、以上の広域遍在型の特性と反極である、睡眠エピソード時上昇型のMUA動態が見出だされた。ここで、睡眠/覚醒相交替の日周律動が徹底的に断片化した5-HT除去の極期において、SCNのMUA日周律動を調べた結果、SCNの振動子活性の完全維持が確立された。同様に、FC、CPu、扁桃体などその他、殆どの領域でも、領域依存の動態パターン修飾を伴いながら、暗期優性MUA日周律動は基本的に維持された。しかし、MS/DB領域では、MUA日周律動の著明な減弱ないし消失が確立し、同様な応答がBF領域、POAおよびsPVHZの一部に見出された。一方、5-HT系細胞体が集中する縫線核、MS/DBの主要投射部位の一つの海馬、SCN近傍など、内在日周律動性が不明確な領域群では、特別な5-HT除去応答は無かった。この5-HT除去擾乱時にも、上述の状態依存的MUA動態は、その著明な視床、脳幹網様体から脳全領域に渉り維持された。

 なお、PCPA単回投与後、5-HT除去が有意となる12-24時間に限り過渡的に、温和だが、TSOによる5-HT除去応答に似た行動沈静化と睡眠/覚醒相の昼夜均等化が観察された。

【討論】

 本研究は、脳内5-HT除去の実験的帰結が従来の暗黙認識である不眠・行動量増大でなく、睡眠/覚醒相交替の日周律動の崩壊と極短周期化そして行動鎮静化である事を確立し、5-HT系が睡眠/覚醒相交替など概日リズムの時間構造形成に重要な役割を果たすという我々の作業仮説を支持し強化した。PCPA投与でも上記応答が初期・過渡的に出現することも強調したい。

 5-HT除去による脳基調・行動日周律動の徹底崩壊に対応し、SCN既知の振動子も、SCNの矩形波型動態も共に維持、他の殆どの領域の日周律動も保存で、MS/DBSなど限定領域のみで解消された事は、改めて、日周律動発現とSCN活動とは一対一対応でなくSCN同等に枢要な未知の存在を示す。そして、SCN時間情報の伝達や発現に関するMS/DBや周辺局所には特異的な5-HT感受性が存在するか?、この領域での振動が日周律動発現を直接規定するか?、の新命題、更に、問題の多い領域除去実験が否定した独立な非SCN振動子や複数振動子による時間構造組織化と5-HT系に関する新規探索に対し大きな動機を与えた。SCNの光感受性と位相決定機構は主時計の位置を支えるが、SCN非依存性日周律動の存在は既知で、今回も、FCなどでは、5-HT系擾乱前後で、概括的な表現である"日周律動"は保存ながら、時間動態パターンには位相を含め差異が認められた。今後、これら時間命題の追及には更に本来の複雑度を求める必要がある。非SCN領域の擾乱で睡眠/覚醒日周律動を崩壊させた例の殆どは破壊実験で、POA領域の破壊、BFのコリン系破壊などの報告がある。

 なお、MUAパターンは、暗期の覚醒相増加を反映する状態依存性パルス成分の頻度と日周律動成分との和で構成される。この事は、動態パターン上一般に自明だが、後者の存在が5-HT除去で浮彫りになる例を認めた。また、状態依存の極性が反転し、睡眠相対応となるMS/DB領域でも日周律動の極性は他領域と変わらず、MUAには睡眠機構、覚醒機構と日周律動の時間機構それぞれが反映することが示され、上の判断を支持した。

審査要旨

 本研究は、サーカディアンリズム(日周律動)をはじめとした自由行動下のラットにおける睡眠/覚醒交替の時間特性および脳各領域の局所神経活動の時間特性を平行して追求し、その汎脳セロトニン(5-HT)除去に対する応答を調べたものである。本研究の特色は、トリプトファン側鎖酸化酵素(TSO)のラット生体投与による迅速、特異的5-HT除去法を適用したこと、睡眠/覚醒交替時間特性の内在動態と5-HT除去下の動態及び睡眠量、行動量などの詳細な解析と定量化を行ったこと、サーカディアン振動体、視交叉上核(SCN)をはじめ、脳全域にわたって詳細に局所神経活動の時間特性を探索したことの3点である。以下の結果が得られた。

 (1).古典的5-HT除去剤として汎用されてきたパラクロロフェニルアラニン(PCPA)による脳5-HT枯渇は不眠と活動量増大を誘発するという仮説が提唱され現在に至っているが、TSOによる5-HT除去の結果はこれと全く異なり、不眠は生じず基本的に1日の睡眠量は保存され、ラット行動量は減少(-70%)を示した。しかし、睡眠/覚醒交替のサーカディアンリズムは崩壊し、かわって分単位の睡眠/覚醒交替が昼夜にわたって圧倒的となった。このとき感覚、運動障害は観察されず、また脳波解析でも異常は見出されず、睡眠/覚醒の実行機能は保持されていることが示唆された。

 (2)1.の結果をふまえmultiunit activity(MUA)記録法を用いた脳内各領域の神経活動観測を行った。まず生物時計SCNでは明期中期に活動ピークを持つ既知の正弦波的な日周リズムに加え、新しく明暗転換時の遷移が著明に鋭い矩形型の明期優性パターンが見出された。一方、ほとんどの領域ではSCNとは反極性の暗期優勢のサーカディアンリズムが認められた。24時間周期活動に加え、睡眠/覚醒に関連した状態依存性MUA活動が認められた。この状態依存性は通常、覚醍/REM睡眠時に上昇、徐波睡眠(SWS)時に低下を示すもので、最も顕著な視床、脳幹網様体領域で、対照的にSCNではその程度は小さく、領域によってその依存性の程度が異なった。全脳各領域のMUA時間特性の体系的解析からMUAパターンは主として状態依存性パルス成分の頻度と日周律動成分から構成されることが示唆された。

 (3).睡眠覚醒相交替の日周律動が徹底的に断片化した5-HT除去が最も深く進行した時期においても、SCNの振動子活性を示すMUAの日周律動性は完全に維持された。同様、FC、線条体、扁桃体などその他ほとんどの領域においても、MUA動態の修飾を伴いながら、暗期優性MUA日周律動は基本的に維持された。しかし、MS/DB領域などのBF領域や視索前野(POA)では、MUA日周律動に著明な減弱ないし消失が見出された。この5-HT除去擾乱時にも、先述の状態依存的MUA動態は、それが著明な視床、脳幹網様体から脳全領域に渉って維持された。

 5-HT除去による睡眠/覚醒交替・行動日周律動の徹底的な崩壊に対し、既知のSCN振動子も維持、他の殆どの領域の日周律動も保存されたが、MS/DBなど限定領域のみで律動が解消された事は、改めて日周律動発現とSCN活動とは一対一対応でなくSCN同等に枢要な未知の存在が示唆され、そのひとつにMS/DB領域MUAサーカディアンリズムが重要な役割をもつことが示唆された。

 本研究は、脳内5-HT除去の実験的帰結が従来の暗黙認識である不眠・行動量増大でなく、睡眠/覚醒相交替の日周律動の崩壊と極短周期化、そして行動鎮静化である事を確立し、5-HT系が睡眠/覚醒相交替など概日リズムの時間構造形成に重要な役割を果たすという新しい作業仮説を支持し強化した。

 従来この階層の時間研究のほとんどはSCNに集中してきたが、本研究はさらにSCNから種々の概日リズムの脳広域発現の経路や機構、他の振動子や時間階層の探索に有力な手がかりを供し、非SCN振動子や複数振動子による時間構造組織化と5-HT系に関する新規探索に対し重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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