本研究は、サーカディアンリズム(日周律動)をはじめとした自由行動下のラットにおける睡眠/覚醒交替の時間特性および脳各領域の局所神経活動の時間特性を平行して追求し、その汎脳セロトニン(5-HT)除去に対する応答を調べたものである。本研究の特色は、トリプトファン側鎖酸化酵素(TSO)のラット生体投与による迅速、特異的5-HT除去法を適用したこと、睡眠/覚醒交替時間特性の内在動態と5-HT除去下の動態及び睡眠量、行動量などの詳細な解析と定量化を行ったこと、サーカディアン振動体、視交叉上核(SCN)をはじめ、脳全域にわたって詳細に局所神経活動の時間特性を探索したことの3点である。以下の結果が得られた。 (1).古典的5-HT除去剤として汎用されてきたパラクロロフェニルアラニン(PCPA)による脳5-HT枯渇は不眠と活動量増大を誘発するという仮説が提唱され現在に至っているが、TSOによる5-HT除去の結果はこれと全く異なり、不眠は生じず基本的に1日の睡眠量は保存され、ラット行動量は減少(-70%)を示した。しかし、睡眠/覚醒交替のサーカディアンリズムは崩壊し、かわって分単位の睡眠/覚醒交替が昼夜にわたって圧倒的となった。このとき感覚、運動障害は観察されず、また脳波解析でも異常は見出されず、睡眠/覚醒の実行機能は保持されていることが示唆された。 (2)1.の結果をふまえmultiunit activity(MUA)記録法を用いた脳内各領域の神経活動観測を行った。まず生物時計SCNでは明期中期に活動ピークを持つ既知の正弦波的な日周リズムに加え、新しく明暗転換時の遷移が著明に鋭い矩形型の明期優性パターンが見出された。一方、ほとんどの領域ではSCNとは反極性の暗期優勢のサーカディアンリズムが認められた。24時間周期活動に加え、睡眠/覚醒に関連した状態依存性MUA活動が認められた。この状態依存性は通常、覚醍/REM睡眠時に上昇、徐波睡眠(SWS)時に低下を示すもので、最も顕著な視床、脳幹網様体領域で、対照的にSCNではその程度は小さく、領域によってその依存性の程度が異なった。全脳各領域のMUA時間特性の体系的解析からMUAパターンは主として状態依存性パルス成分の頻度と日周律動成分から構成されることが示唆された。 (3).睡眠覚醒相交替の日周律動が徹底的に断片化した5-HT除去が最も深く進行した時期においても、SCNの振動子活性を示すMUAの日周律動性は完全に維持された。同様、FC、線条体、扁桃体などその他ほとんどの領域においても、MUA動態の修飾を伴いながら、暗期優性MUA日周律動は基本的に維持された。しかし、MS/DB領域などのBF領域や視索前野(POA)では、MUA日周律動に著明な減弱ないし消失が見出された。この5-HT除去擾乱時にも、先述の状態依存的MUA動態は、それが著明な視床、脳幹網様体から脳全領域に渉って維持された。 5-HT除去による睡眠/覚醒交替・行動日周律動の徹底的な崩壊に対し、既知のSCN振動子も維持、他の殆どの領域の日周律動も保存されたが、MS/DBなど限定領域のみで律動が解消された事は、改めて日周律動発現とSCN活動とは一対一対応でなくSCN同等に枢要な未知の存在が示唆され、そのひとつにMS/DB領域MUAサーカディアンリズムが重要な役割をもつことが示唆された。 本研究は、脳内5-HT除去の実験的帰結が従来の暗黙認識である不眠・行動量増大でなく、睡眠/覚醒相交替の日周律動の崩壊と極短周期化、そして行動鎮静化である事を確立し、5-HT系が睡眠/覚醒相交替など概日リズムの時間構造形成に重要な役割を果たすという新しい作業仮説を支持し強化した。 従来この階層の時間研究のほとんどはSCNに集中してきたが、本研究はさらにSCNから種々の概日リズムの脳広域発現の経路や機構、他の振動子や時間階層の探索に有力な手がかりを供し、非SCN振動子や複数振動子による時間構造組織化と5-HT系に関する新規探索に対し重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |