土砂生産場に隣接した山地流域における土砂の生産・流出状況を把握することは、砂防計画を立案する上で重要な課題である。河川工学の分野では、近年、数値計算によって流砂量や河床変動を追跡する手法が次第に用いられるようになってきた。 河床変動計算の総合的なシステムを図-1に示す。それぞれ楕円に囲まれた部分はシステムの部品を示す。一つの部品に関しては様々な選択肢がある。各部品についてそれぞれ研究が発展し、現在では河床変動はある程度の精度で予測が可能となっている。しかし、各部品の組み合わせ方がシステムに及ぼす影響については、十分検討されていない。 図-1 河床変動計算システム また、従来の河床変動計算に関する研究は、多くの場合、表-1に示すのように下流の緩勾配区間を想定したものであり、砂防工学の対象とするで上流の急勾配区間では、水深・流速などの水理条件が著しく異なる。したがって、平地河川での河床変動計算システムを山地河川に適用するに際しては、その適用性の検討が必要だと考えられる。 表-1 平地河川と山地河川の比較 検討の際には、図-1に示すように、各部品の検討と同時に、システム全体、つまり、部品の組み合わせによって生じる計算結果の差異の検討も必要である。さらに、山地では大規模な土砂の流入があり、この点も考慮することが必要である。そこで、本研究では、まず、急勾配山地河川での土砂移動現象を再現、解明することを第一の目的とした。そのため、具体的な流域における事例を通して河床変動計算システムに関する総合的な検討を行い、その結果をふまえて、既存の部品を用いた山地流域における河床変動計算システムの妥当性及び現場への適用性を確認することとした。 現在の日本では、山地流域に数多くの砂防構造物が入っており、河道条件が単純で河床変動システムの検討に適当な対象流域はなかなか見付けにくい。そこで、本研究では、台湾東部にある寿豊渓を選定した。この流域には砂防構造物が少なく、また、極端に降雨が強くて大規模な土砂供給、移動現象が頻繁に起こっている。したがって、この流域を対象とすることにより、通常使用されている流砂量式やモデルの、極端な供給条件を持つ山地流域での適用性について検討することができる。 以上のような本研究の概説と目的に関する説明を第一章に述べた。そして、本論文の第二章では、対象流域の概要、降雨・流出及び土砂移動特性に関して説明した。 第三章では、まず、図-1を念頭に置き、河床変動計算モデルの部品となる流砂機構に関する項目を総括し、シミュレーション手法で流砂現象が表現できるような工夫を論じた。その中で、特に流砂量式(掃流砂量式、浮遊砂量式)の検討を行った。従来用いられてきたいくつかの流砂量式について、同じ、勾配、水理量、粒径範囲等の計算条件で、各流砂量式による計算結果の差異を検証した。その結果、それぞれ緩、急勾配を対象として提案された各流砂量式により適用する領域(勾配、水理量、材料となる砂礫の粒径など)の異なる原因を明確し、流砂量式を選別する際の判断材料を提示した。また、その差異の原因を明らかにした。 次に、第四章では、従来の河床変動計算モデルに関する支配方程式を検討し、山地河川を対象とした新たな計算モデルを提案した。計算上の問題がまだ残っているが、提案されたモデルでは、質量保存則にしたがって量的な観点から正確に水と土砂の連続式を表わすことができた。また、支配方程式に関する数値解析法及び初期、境界条件の設定、さらに供給条件の求め方についても論じた。供給条件の設定については、必要なデータが欠如している場合が多いため、山地河川は平地河川の場合より複雑である。本研究では、上流の供給流量をKinematic Wave法を用いた流出解析法により求め、供給土砂の量を横断面測量データより推測した。 第五章では、第三章、四章の結果を用いて、本論文の中心テーマである河床変動計算システムの総合的な検討を行い、計算結果に大きな影響を与える要素を抽出した。その結果、 ・濃度の低い各個運搬では、本研究で用いたいくつかの基礎式と差分手法との組み合わせによって洗掘、堆積の計算の結果について、大きな差異が生じないことが分かった。 ・掃流砂量式及び浮遊砂量式の選定による流出土砂量の計算結果の差異を検討した。同一掃流砂量式について差分手法を変えて計算した結果、各計算結果に有意な差がみられなかった。これに対し、掃流砂量式を変えて計算した結果には10倍程度の違いが生じた。また、浮遊砂量と合わせて全流量にする場合には、流砂量式の選び及び組み合わせにより30倍の差異が生じた。よって、急勾配河川の土砂流出計算においては差分法や基礎式よりも流砂量式の選定を慎重に行うべきである。 ・大出水の山地流域を対象とした場合には、水の供給条件について、適切な供給時間に合わせて、総量について単純なハイドログラフの波形(例えば、平均流量)、または流出解析手法によって求めたハイドログラフのどちらで与えようとも、今のモデルにおいては大きな差異が得られない。よって、大出水の場合、ハイドログラフの波形よりも水の総量が計算上に重要であると言える。 ・土砂の供給方式についていくつかのケースで計算を行った。その結果、供給された土砂材料の粒度分布を一定とした場合には、土砂量の供給方式に関わらず、(同じ流砂量式ならば)下流の同じ基準点でほぼ同じ流出土砂量が算出された。しかし、供給土砂の粒度を変えることによって流出土砂量が敏感に反応する。 ・寿豊渓では、実測された河床材料の粒度分布データ及び数値計算の結果により、当流域における河床変動や土砂収支は掃流砂のみを考慮したモデルでは表現しきれないことが分かった。 第六章では、第五章で把握された影響要素を参考にし、二つの降雨事例を通して対象流域における土砂流動・堆積現象について解析を行った。その結果、 ・観測データの足りない部分を様々な計算条件で検討した上、平衡流砂量式で組み立てた現段階のモデルでは、洗掘・堆積及び粒度分布の傾向はかなり計算結果に表現されている。極端に強い降雨で、大規模な土砂移動のある山地河川に本研究で用いられた河床変動計算システムは適切であり、観測データが断片しか存在しない山地流域においても、土砂移動現象の量と質を再現、予測することが可能であると考えられる。 ・大出水の場合では、ハイドログラフの波形よりも水の総量は計算上において重要であり、さらに、2事例を通して検討を行った結果、この量は降雨の対して応答の早い流出が終了したと思われた時点までの総量であることが分かった。 最後に第七章では、前章までの結果をふまえて、河床変動計算手法、対象流域で生起した河床変動現象の理解、砂防計画における河床変動計算の意味づけの三方向について総合的な考察を行った。その主な結論をまとめると次のようになる。 I)急勾配の山地流域を対象として河床変動計算を行う際には、目的別によって基礎式、差分法、供給条件の求め方を選択すべきである。寿豊渓のような山地河川では、河床変動モデルの基礎式について、簡単な流れの運動方程式(疑似定常流、等流)、差分法で安定する計算を行えば、砂防構造物などが入っており、河道に射流、常流の遷移が混在する場合を除いて、山地流域での解析には十分であると考えられる。したがって、あえて慣性項、速度水頭勾配項を流れの運動方程式に入れる必要はないと考えられる。 II)河床変動計算システムを現場へ適用した結果、急勾配の山地流域における大出水の場合では、次の三つの要因により計算結果が左右されることが分かった。一つは水の供給条件で、特に、流量ハイドログラフの逓減が直線に見なせるまでの総量である。もう一つは土砂の供給条件で、特に、供給材料の量及び粒度分布である。さらにもう一つは、適切な流砂量式を使用することである。ただし、流砂量式の選択について、まず、土砂材料の粒度分布範囲を考慮し、扱う流砂の形態と粒径モデルを決め、それに応じて適切な式を選択し、解析を行う必要がある。 III)本研究で取り上げた2事例の解析結果によれば、大出水により寿豊渓での土砂移動現象については、掃流状集合流動や土石流のような集合運搬現象が生起していないと考えられる。 IV)計算結果は河道の河床勾配急変点、拡幅部など流速の減少する地点で急速に土砂が堆積する現象をよく表現していた。数値解析によって土砂堆積によるトラブルスポットは確定できる。 V)大出水の起きる流域での掃流砂のみを対象とした河床変動計算では、河床材料における粒度変化を知る目的を除き、平均粒径モデルのような簡易条件で、基準点流砂量の推算や土砂流出量の調節を目的とする砂防施設の機能評価などにおける計算も有用であると考えられる。ただし、平均粒径モデルで計算した結果は混合粒径モデルに比して流出土砂量が多くなり、砂防計画の安全基準値を過剰に高く設定してしまう場合もあるため、上流からの土砂の止め過ぎに注意を要する。 VI)砂防計画の立案に用い、土砂移動現象を再現、解明及び予測するため、寿豊渓のような山地流域で観測を行う際に最低限として、経時雨量、流量及び大出水前後の河床位変化、河床砂礫、また、崩壊源の粒度分布の計測が不可欠である。さらに、今後予測精度の向上を図るため、流出土砂濃度の観測、河床表層の土砂材料における粒度調査方法などを合わせてデータベースを蓄積し、河道網モデルで解析を行うべきである。 |