学位論文要旨



No 113809
著者(漢字) 北城,圭一
著者(英字)
著者(カナ) キタジョウ,ケイイチ
標題(和) 乳幼児の相反性神経支配の発達過程
標題(洋)
報告番号 113809
報告番号 甲13809
学位授与日 1998.09.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第61号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 山本,義春
 東京大学 講師 榊原,洋一
内容要旨

 ヒトの発達過程は特異的であり興味深い。生後一年の運動機能の変化に注目すると、原始反射の消失、随意運動の獲得という現象が起きることから、生後一年間のヒトの乳幼児の運動制御にかかわる神経系にはかなりダイナミックな変化が起きていると考えられる。

 ところで脊髄反射学の成果の中でも運動に関して最も基本的な概念は、主動筋を活動させ拮抗筋を抑制するという相反性神経支配(reciprocal innervation)の概念であろう。これは、脊髄内で拮抗筋に相反性抑制(reciprocal inhibition)が加わることにより実現される。この比較的単純な脊髄内神経機構は、筋制御の観点から考えると、主動筋と拮抗筋の活動の関係をリンクするため、冗長性がある多数の筋群の活動の自由度を減少させるシステムの基本的な構成要素であるといえる。

 近年、乳幼児において、主動筋に伸張刺激を加えることにより発生する筋紡錘からの求心性インパルスが、主動筋の運動ニューロンを興奮させるのみではなく、拮抗筋の運動ニューロンをも興奮させ、通常成人では活動しない拮抗筋に、主動筋と同様に伸張反射様の活動が確認されることが報告された(Myklebust,et al.,1986(下肢);O’Sullivan,et al.,1991(上肢))。

 具体的には、腱叩打刺激により、下肢や上肢の筋の伸張反射を誘発したときに、拮抗筋でも反射による活動が筋電図の波形として観察されるとの報告である。Myklebustら(1986)はこの現象を相反性興奮(reciprocal excitation)と名付けた。相反性興奮の機序は、乳幼児では、成人にみられない主動筋Ia群線維から拮抗筋運動ニューロンへの相反性興奮結合経路が存在するためと推測されている(図1)。

図1 乳幼児でみられる相反性興奮にかかわる脊髄内神経機構筋に伸張刺激が加わると,筋紡錘が興奮しIa群求心性線維をインパルスが上行する.主動筋運動ニューロンは興奮し伸張反射が起きる.また,点線の相反性興奮結合経路を介して拮抗運動ニューロンにも興奮性入力が行き,その効果がIa抑制性介在ニューロンを介した経路からの抑制効果より大きく,閾値以上に達すると発火し,拮抗筋も活動する. :運動ニューロンIa:Ia群求心性線維Int:Ia抑制性介在ニューロン

 相反性神経支配は運動の制御に基本的な役割を果たす。特に足関節周りの筋の制御機構は、立位姿勢や歩行運動に深くかかわっていると考えられる。したがって、相反性神経支配の獲得と、立位姿勢や歩行運動の獲得の発達過程での関連が推測される。しかし、相反性興奮現象を調べた先行研究では立位姿勢、歩行運動の獲得と相反性興奮現象の変化との時期的な関連が不明である。また、さまざまな月齢の被検者を横断的に調査しており、縦断的な変化を調べていない。

 本研究ではヒト特有の二足歩行および立位姿勢の制御に関して重要な役割を果たしていると思われる足関節周りの筋の相反性神経支配の発達過程を明らかにし、立位姿勢や歩行運動の獲得過程との関連について検証する。具体的にはアキレス腱を叩打刺激したときのヒラメ筋(SOL)の伸張反射と前脛骨筋(TA)の相反性興奮を表面筋電図により測定解析し、発達にともなう変化を調べた。

 単シナプス潜時のSOLとTAの反射振幅を測定した。SOL,TAの振幅のxyプロットの回帰直線の傾きRES(Reciprocal Excitation Slope)を指標として、乳幼児の相反性興奮の縦断的変化を解析した。図2はその2例である。生後一年あまりの間にダイナミックな変化を示した。相反性興奮に関する指標RESは一相性または二相性のピークを示し、その月齢については個人差があり、全被検者のデータを加算平均しても特徴的な傾向はでてこない。しかし、個々のデータをみたときに、立位姿勢、歩行運動に関する行為の獲得前後にピークを示す被検者が多い。発育発達速度が被検者間で異なるのが、加算平均しても特徴的なパターンがでてこない理由として考えられるため、身長の発育速度での規格化、初めて一人歩きが観察された時期を一致させる規格化の二方法で時間軸のスケールを変換して加算平均した。、時間軸を規格化して加算平均すると、平均的に立位姿勢、歩行運動に関する行為の獲得前後にRESが高まっていることがわかった(図3)。

図2 TA-SOLプロットの回帰直線の傾きRESの縦断的変化2名の乳児の例上下のバーは傾きRESの95%信頼区間.水平な点線は成人の平均レベル.縦の矢印は,観察による各行為に獲得時期. つかまり立ち つたい歩き 一人立ち 一人歩き図3 身長発育速度で規格化した12名の被検者のRESの縦断的変化の移動平均後の加算平均結果(A)と一人歩きが観察された時期で規格化した12名の被検者のRESの縦断的変化の移動平均後の加算平均結果(B).各被検者のデータを0.25monthごとにリサンリングした後,7点の移動平均を行い,加算平均した.また,生後3ヶ月以内の新生児,乳児の横断的測定の結果を点で示す。縦の矢印は,観察による各動作の獲得時期の平均値.水平点線は成人の平均値レベル.下向きバーはS.E.M. つかまり立ち つたい歩き 一人立ち 一人歩き

 脊髄内神経機構にダイナミックな変化が起きていることが推測された。この変化は、Bernstein(1966)の提唱したフリージング、シナジーといわれる筋制御方式の変化を反映している可能性がある。すなわち、運動の獲得初期には拮抗筋を共収縮させ、その後、相反的活動を行うシナジーを形成するという仮説である。

 さらに、脊髄内神経機構のダイナミックな変化を、Thelen(1994)の提唱するダイナミック・システムズ・アプローチにおける、サブシステムの変化として捉えて論議した。サブシステムとしてのこれまで生得的であるとさえ思われてきた脊髄内神経機構がダイナミックに変化し、筋骨格系や他の身体のサブシステム、そして環境との相互作用により、ヒト特有の二足で歩くこと、立つことなどの行為が生み出される。そしてその相互作用、行為を行うこと自体によって脊髄内神経機構はさらにダイナミックな変化をする可能性を指摘した。

 古典的な神経生理学的手法である腱叩打刺激法を用いて脊髄内神経機構を観察することにより、発達過程において、神経系、そして神経系を含むシステムとしての身体がダイナミックに自己組織化する過程を初めて垣間みたことに本研究の意義はあるといえる。

ReferenceMyklebust,B.M.Gottlieb,G.L.and Agarwal,G.C.:Stretch reflexes of the normal infant.Developmental Medicine and Child Neurology,28:440-449,1986.O’Sullivan,M.C.Eyre,J.A.and Miller,S.:Radiation of phasic stretch reflex in biceps brachii to muscles of the arm in man and its restriction during development.Journal of Physiology,439:529-543,1991.Bernstein,N.;The co-ordination and regulation of movements.Pergamon Press,London,1966.Thelen,E.and Smith L.B.:A dynamic systems approach to the development of cognition and action.A Bradford Book,The MIT Press,London,1994.
審査要旨

 ヒトのからだの運動制御は、神経・筋の複雑な機構が円滑に機能して成り立っている。例えば、主働筋を活動させて拮抗筋を抑制するという相反性神経支配は、運動制御の基本概念のひとつであるが、それを成り立たせる神経・筋の機構は、従来は、生得的なものであるとされてきた。ところが近年、乳児・新生児の主働筋に伸張反射を誘発した時に、通常は抑制される拮抗筋においても反射的な筋活動が観察されることが報告され、この現象は相反性興奮と名づけられた。これは、相反性神経支配が生得的ではないことを示唆する。

 ところで、ヒトは他の動物に比べてきわめて未成熟な状態で出生し、その後の発達過程は特異的である。生後約1年の間に、原始反射の消失、随意運動の段階的獲得などの現象が起き、ついには直立二足歩行が可能なまでに運動機能は劇的に発達する。そして、それまでの発達過程に即して、神経・筋機構にも大きな変化が生じていることが推測されているが、縦断的研究はほとんどなされていない。

 本論文は、これらを背景に、ヒトのからだの運動制御の発達過程の中で、特に乳・幼児期における相反性興奮の変化及び直立二足歩行獲得に至る発達過程との関連を縦断的に追求することを目的にしている。

 具体的には、乳児のアキレス腱を叩打刺激したときのヒラメ筋の伸張反射と前脛骨筋の相反性興奮を表面筋電図法により測定解析し、発達にともなう変化を検討した。ヒラメ筋反射振幅を独立変数とし、前脛骨筋反射振幅を従属変数とした回帰直線の傾きと切片を求め、これを相反性興奮の指標として用いた。

 その結果、生後一年間に、乳幼児の相反性興奮の指標は大きく変化すること、その変化の様相には個人差が著しいが、独立歩行の観察時期を同一にするなどして時間的経過を規格化すると、直立姿勢保持及び歩行運動の獲得時期前後に相反性興奮が顕著に観察されることが明らかになった。

 つまり、相反性神経支配を成り立たせる神経・筋機構は、生得的なものではなく、乳児期の運動発達に伴って劇的に変化しつつ確立されるものであることが示された。また、この様な過程を、神経系を含むシステムとしての身体がダイナミックに変化する過程としてとらえる論理が提示された。

 これらの知見は、ヒトのからだの運動機能の発達に関して、従来十分に明らかでなかった点を新たに補うものとして評価されると共に、その研究手法も妥当性・信頼性を持ち、今後の身体教育学の領域の研究の発展に貢献することが期待される。

 以上より、本論文は博士(教育学)の学位論文として優れたものであると判断された。

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