宇宙には光などの電磁波を放出しない光らない物質が大量に存在していると思われる。この物質は暗黒物質と呼ばれ、さまざまな観測からその量は通常の物質の10倍から100倍程度にも達するといわれている。この見えない物質は暗黒物質(ダークマター)と呼ばれており、いまだその正体は突き止められていない。これらすべてが通常のバリオン的な物質であると考えるのは非常に困難であるため、現在暗黒物質の候補として有力視されているのが、超対称性理論が存在を予言するニュートラリーノである。ニュートラリーノは、理論的にも現在の宇宙に相当な量が残存していると考えられ、特に有望な候補として注目されている。暗黒物質ニュートラリーノの直接検出を目指し、世界中でさまざまな実験が実行もしくは計画されているが、既存の検出器を用いた実験はどれもニュートラリーノを検出するには感度が足りない。そこで我々は、新しいタイプの検出器である極低温粒子検出器(ボロメーター)を製作し、これを用いた暗黒物質ニュートラリーノの探索実験を行なった。 暗黒物質ニュートラリーノは通常の原子核と弾性散乱を行ない、その際原子核に100keV以下の反跳エネルギーを与える。ボロメーターはまったく新しいタイプの検出器であり、反跳エネルギーによる吸収体の微小な温度上昇を高感度なサーミスターで電気信号に変換することにより、ニュートラリーノを検出する。7Li、19Fは他の原子核と比べ、ニュートラリーノと非常に大きな反応率を持つと言われており、我々は、19F(自然存在比100%)を含むLiF結晶を吸収体としたボロメーターの製作を行なった。 ニュートラリーノと検出器内の原子核の弾性散乱事象は非常に稀であるため、十分な統計をもって探索実験を行なうためには検出器の質量を100gから1kg程度にしなくてはならない。一方原子核の反跳エネルギーは10keV程度と小さいので検出器のエネルギーしきい値は十分小さくなくてはならない。したがって大質量ボロメーターを製作するためには高感度なサーミスターが不可欠である。 そこでneutron transmutation doping(NTD)法を用いたp型のゲルマニウムサーミスターを製作した。NTD法は、高純度なゲルマニウム結晶に原子炉からの熱中性子を照射することで、結晶中に不純物をつくり出してやる不純物添加法である。ゲルマニウムの5つの天然の同位元素のうち70Ge、74Ge、76Geは熱中性子を捕獲し、短寿命の放射性同位元素となり、最終的にはそれぞれ71Ga、75As、77Seというゲルマニウム中の不純物となる。71Gaはp型の不純物すなわちアクセプターであり、75As、77Seはn型の不純物すなわちドナーである。不純物が添加されたゲルマニウムの極低温における電気伝導特性は、不純物濃度だけでなく、ドナー濃度とアクセプター濃度の比である補償比及び不純物濃度の空間的な一様性にも強く依存する。NTD法では不純物濃度は熱中性子の照射量により制御することができる。またドナー濃度とアクセプター濃度の比は同位元素の自然存在比とそれぞれの中性子捕獲断面積で決まる0.32に正確に固定され、照射量には依存しない。さらに、熱中性子の捕獲断面積がさほど大きくないので照射を受けるゲルマニウム結晶のすべての領域で高い精度で一様な不純物添加が可能である。測定は100mK以下の極低温で行なわれ、その結果、非常に感度の高いサーミスターを製作することに成功した。また同一特性を持った高感度サーミスターを大量生産することにも成功した。 このサーミスターの高感度化により、21g LiF結晶を用いた大質量ボロメーターを製作することが可能となった。同時に量産化の成功を受け、21g LiFボロメーターを8個並列使用したボロメーターアレーを製作し、総質量168gを実現し、十分な感度での暗黒物質ニュートラリーノ探索を行なうことができるようになった。 まず地上において検出器の詳細な性能測定および予備的なバックグラウンド測定を行なった。各ボロメーターともエネルギーしきい値は10-20keV程度以下であり、探索実験を行なうには十分な性能を持っていることがわかった。またこの予備的なバックグラウンド測定の結果から暗黒物質ニュートラリーノと原子核の弾性散乱断面積に対する制限曲線を導いた。 次に宇宙線の影響を避けるため、このボロメーターアレーを宇宙線研究所鋸山微弱放射能測定施設(15メートル水深相当)に移設した。さらに環境放射線の影響を軽減するために、実験装置全体を放射線シールドで取り囲んだ。放射線シールドはガンマ線シールドとして厚さ10cmの無酸素銅および15cmの鉛を使用している。無酸素銅と鉛はあらかじめ放射性の不純物の量を測定し、影響が最も少ないものを採用した。さらにその回りを中性子シールドとして厚さ20cmの高速中性子減速材(ポリエチレン)、および低速中性子吸収材(ほう酸)が囲んでいる。またシールド全体をプラスチックシンチレーターで覆い、宇宙線起源のバックグラウンドを識別するようになっている。また8個のLiFボロメーターの同時測定により多重散乱イベントの識別が行なえるため、さらにガンマ線のバックグラウンドを軽減することできる。なおこの検出器は希釈冷凍機により極低温を維持するが、ヘリウム再凝縮装置が組み込まれており、長期測定が可能となっている。 この鋸山微弱放射能測定施設において約10日間にわたりフルセットアップでの最初の測定が行なわれた。この測定により得られたエネルギースペクトルから暗黒物質ニュートラリーノと原子核の弾性散乱断面積に対する制限曲線を導いた。現在のバックグラウンドレベルはさほど低くないため、超対称性理論が予測する断面積を制限するほどの感度はないが、19Fのスピンに依存した相互作用に対する感度が高く、またボロメーターの原子核反跳に対するエネルギーしきい値が低いため、特に5GeV以下の質量を持った軽いニュートラリーノのスピンに依存した相互作用の断面積に対する制限を更新することができた。 現在のバックグラウンドのほとんどはシールド外部からコンプトン散乱によりシールド内部に侵入してくるガンマ線と宇宙線ミューオンが大量のシールド中でつくるガンマ線によるものだと考えられる。今後、放射性不純物の非常に少ない古い鉛でできた内部シールドを導入し、さらに宇宙線の影響の少ない地下深くの施設において実験を行ない、の領域を探索することを計画している。これは超対称性理論で予言される断面積の大きさであり、ニュートラリーノを発見、もしくは超対称性理論のパラメーター空間に制限を与えることができる。 |