学位論文要旨



No 113818
著者(漢字) 山本,哲生
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,テツオ
標題(和) BALクエーサーの動力学的Disk-Windモデル
標題(洋) Dynamical Disk-Wind Models for Broad Absorption Line Quasi Stellar Objects
報告番号 113818
報告番号 甲13818
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3472号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 川良,公明
 東京大学 教授 尾崎,洋二
 東京大学 教授 野本,憲一
 東京大学 助教授 有本,信雄
 国立天文台 教授 家,正則
内容要旨

 本論文は活動銀河中心核のうち、幅広吸収線QSOと呼ばれる一群のクェーサーの特徴的なスペクトルを手がかりとし、そのようなスペクトルを再現する物理的モデルの構築を試みたものである。具体的にはクェーサーの標準的描像であるブラックホールへの降着円盤を想定し、中心からの紫外線放射により円盤のガスが電離され、輻射圧により外側へ加速されることを考慮し、円盤とプラズマ風の密度、温度、速度構造を、輻射過程を入れて解き、そのような系から発せられるスペクトルを算出して、観測される幅広吸収線スペクトルを再現するモデルを構築したものである。以下、本論文の背景、本論文の概要、本論文の成果を順に記す。

本論文の背景

 クェーサーやセイファート銀河など活動銀河中心核(AGN)のスペクトルには、NV、CIV、SiIV、MgIIなどのイオンによる紫外線領域の共鳴線、および半禁制線CIII]など、線幅が広く、強い特徴的な輝線が見られる。光学的に同定されたQSOの約10%については、これらの著しい輝線の短波長側に同一イオンによる幅の広い吸収線が隣接して存在し、その吸収物質の視線速度が光速の十分の一にも達するものがあることが知られていて、このようなクェーサーを幅広吸収線(BAL)QSOと呼んでいる。

 強い輝線を放つ広輝線(BLR)領域は、中心核に最も近い領域であると考えられている。このことは、広輝線が中心核の構造を知る上で重要なプローブとなることをも意味している。なぜなら、第一に広輝線が、中心部の力学的構造について情報をもたらしてくれるからであり、第二に広輝線は、中心核からの連続光のエネルギーすなわち紫外放射を再放射する領域であり、我々が直接観測できないLyman端よりも短波長側の電離のエネルギー源について貴重な情報を与えてくれるからである。

 最初の幅広吸収線QSOとしてPHL5200が発見されて以来、このような、幅の広い吸収線がいかに形成されたかを説明する試みがいくつか為されてきた。幅広吸収線QSOの吸収線の形が、P-Cygni型輪郭と似ていることから、膨張する殻での共鳴散乱であるとの解釈が提唱された。この仮説は、短波長側の深い吸収線をよく再現することができ、成功をおさめたかのように見えた。しかし、典型的なP-Cygni輪郭は膨張速度がゼロの輝線領域から次第に吸収量が深くなり、膨張速度が最大となるところで吸収量が最大となり強度ゼロになる、なだらかな吸収線輪郭を示す。ところが実際の幅広吸収線QSOの輪郭は、輝線端で急激に吸収量が最大となり、膨張速度が大きくなるとなだらかに回復するという吸収線輪郭を示し、典型的なP-Cygni型とはまさに正反対の特徴を示す。幅広吸収線QSOの吸収線輪郭が典型的なP-Cygni輪郭とは形が異なっている理由の一つは、幅広吸収線に伴う流出流が球対称な流れではないためと思われる。実際、QSOのまわりのガスが円盤状に分布していることを示すいくつかの傍証がある。

 この幅広吸収線の形成領域の幾何学的構造については、未だに推測の域を出ない。なぜなら、QSOは遥か遠方の宇宙にあって、その中心核付近の構造を直接解像して観測することができないからである。現在、最も受け入れられている描像は、AGNの中心に超大質量ブラックホールが存在し、降着円盤がそのまわりにあるというものである。幅広吸収線QSOの偏光スペクトル観測により、吸収線が大きく偏光していることが報告され、これは散乱物質の非対称な分布を示すものと解釈され、円盤構造の存在を強く示唆するものとされている。この円盤構造モデルに基づき、幅広吸収線QSOの幾何構造を説明するモデルとして、光電離した雲モデル、輻射による円盤風(Disk-Wind)モデル、磁場による流出モデルなど、中心部からの高速流の起源を説明するためのいくつかのアイデアが提唱された。

 現在最も期待できるモデルは降着円盤モデルである。なぜなら、中心核からのプラズマ流出、視線方向への電離雲による部分的な遮光効果などを矛盾なく説明できるからである。近年、銀河中心の巨大ブラックホールの周辺に降着円盤が存在することは、NGC4258の水メーザーの観測や銀河系中心の赤外星の高速運動などで確かめられた。これらの発見は活動銀河中心核にも一般に巨大ブラックホールがあり、降着円盤が存在する可能性を示唆している。

論文の概要

 AGNの広輝線に付随する吸収線と円盤構造との関係を示唆する傍証の数々は、銀河中心核の中心部のガス流出現象をモデル化するのに、円盤構造を考慮することが不可欠であることを示している。そこで、本研究では、QSOの幅広吸収線流を記述する動力学的モデルを構築し、その輻射スペクトルを再現することを目標とした。

 円盤の大きさや、円盤の広がり角については観測から得られる値を採用し、次のような描像を採用した。まず、超巨大ブラックホールのまわりに降着円盤の存在を仮定する。広輝線を放つ領域は、中心から10光日の距離に広がっているとする。これは、光反響(light echo)効果から得られた数字である。幅広吸収線を形成するガスは、降着円盤からガス圧もしくは輻射圧を受け、円盤と垂直方向上に持ち上げられる。このガスは、中心のエネルギー源からの強い輻射場に曝されて電離する。そして、輻射圧によってこのプラズマは動径方向に吹き飛ばされ、これにより青方偏移した吸収線が形成される。幅広吸収線領域は、輝線領域から数パーセクの距離まで広がっているとする。

 本研究で幅広吸収線QSOのスペクトルを算出するために導入したプログラムは、Lucy’83によって開発された膨張する殻での共鳴線の形成を記述するモンテカルロコードをもとにしている。このコードは、Abbott and Lucy’85で恒星風の力学構造を取り扱うために使われたり、最近ではLucy and Abbott’93でWolf-Rayet windの力学構造をモデル化するのに使われている。今回の幅広吸収線QSOのモデルでは、円盤内での輻射輸送に特に力点をおき、このモンテカルロ法で解いた。この手法の最大の利点は、複雑な幾何学構造を持った膨張する媒質の中で形成される吸収線を取り扱うことができる点である。一般に、動く媒質の中での散乱の解析的な取り扱いは極めて困難である。なぜなら、輻射源と吸収するガスの相対的な速度がドップラー偏移を引き起こすからである。モンテカルロ法による輻射輸送の取り扱いの基本は、ガスを通過する光子束の軌跡を追跡して行くことである。各々の光子束の軌跡をすべて追跡するため、動くガスの中でドップラー偏移した共鳴散乱光子の波長を決定することができる。また、同様にしてその空間位置も高い精度で決定することができる。よってどんな幾何学構造をもつ散乱媒質でも考察することが可能となる。そして今回、我々はこれを円盤構造に適用した。

 入力するスペクトルエネルギー分布(SED)は、AGNの場合、一般にpower lawによって記述するが、もともとのコードは黒体輻射で書かれているため不適切である。この点に関してはコードを改良する必要があった。また電離構造は、SEDを変えることによって違ったものとなってしまう。よって電離構造もエネルギー・バランスを数値的に解いて考慮した。

 上述のモンテカルロコードによって、幅広吸収線QSOにおいて典型的なイオンの共鳴散乱を適切に扱いつつ、円盤風上での輻射輸送を計算することが可能となった。特定の幅広吸収線QSOをモデル化するには、このコードに、個々のイオンの密度と速度分散を入力する必要がある。速度分散は、吸収線輪郭から終端速度を読みとることにより、直接換算して求めることができる。一方、密度に関しては観測されたスペクトルにモデルスペクトルを合致させるように、何回か試行錯誤を繰り返す必要がある。化学組成については、まず太陽組成を用い、モデルスペクトルの最終計算結果が観測されるスペクトルに合わない場合には組成比に補正が必要と判断し、変更を加えることとした。

 計算の結果として、円盤-風モデルにおける線吸収による輻射圧加速効果をCIV1549、SiIV1394など高階電離イオンの共鳴線、及びMgII2798など低階電離イオンの共鳴線について具体的に算出し、観測される線輪郭と比較して評価することができた。いろいろな物理過程を考慮したモデルではあるが、モデルが必要とする自由パラメータは、比較的少ない。その中でも特に重要なのが、中心核の電離紫外線光度と中心のブラックホールの質量、およびダストによる星間赤化量である。

本研究の成果1)幅広吸収線QSOの物理的モデルの構築に基づくスペクトルの再現

 銀河中心核と降着円盤の標準的描像をもとに、円盤-風モデルを仮定して、輻射場とプラズマの密度、温度、速度場を統一的にモンテカルロコードを用いて解くことにより、幅広吸収線QSOのスペクトルを再現する物理的モデルを構築することができた。この手法を実際に8つの幅広吸収線QSOに適用した結果、それぞれについて少数のパラメータを調節することにより、観測されるスペクトルをその細部にまでわたりかなりよく再現できることが確認された。このようなレベルで幅広吸収線QSOのスペクトルをモデルで再現した研究は、著者の知る限りでは前例がない。この解析の応用として以下の2つの点について、有益な結果を導くことができた。

2)ダストによる吸収量の評価

 幅広吸収線を示すクェーサーにおけるダストによる吸収量をスペクトルから推定し、吸収補正した本来の光度の推定が可能となった。これは、幅広吸収線クェーサーの3つの波長帯でのフラックスを指標として、吸収量と吸収に寄与するダストのサイズ分布をパラメータとして、それぞれのクェーサーのスペクトルを最も良く再現する値を求める方法を確立したことによる。その際、吸収則として経験的にLMC型、SMC型および銀河系型が知られているが、データからこれらのうちどれを採用すべきかも決定できることが明らかになった。紫外領域ではダストによる吸収量の大小によりスペクトルの様相がかなり変わる。逆に、スペクトルからダストによる吸収量を評価することが、かなりの精度で可能であることが本研究により具体的に確認された。また、2色図上での高電離BALと低電離BALの位置が分離することから、ダストによる赤化の様子が異なることが示唆されることが初めて明らかとなった。

3)線吸収輻射加速機構に基づく中心核の運動学的光度評価

 幅広吸収線輪郭から流出流の速度場についての情報を本研究により読みとることができる。流出流は中心核の紫外線によりプラズマが線吸収過程を経て加速されることにより発生すると考えられるので、流出流の運動エネルギーの算出から中心核の紫外線絶対光度を推定することができる。この算出には、密度の測定が必要であるが、スペクトルの吸収線の輪郭を再現するように柱密度を測定することができるので、アウトフローの幾何学的モデルを導入すれば、密度が求められる。

 クェーサーのみかけの明るさを赤方偏移zの関数としてプロットしたハッブル図をHewitt and Burbidgeのカタログからつくると、V等級でその広がりは6等級にも達する。これは、QSO自身の明るさに大きな幅があることを示唆している。今回解析した8つのBALクェーサーの光度はみかけの等級と運動学的に評価した等級が、重力レンズ増幅を受けている一例を除くと、よく一致し、どれもほぼ1.5等級の範囲にあることが確認された。これは観測の整った比較的明るいBALクェーサーにサンプルを絞ったためと思われるが、本研究により、幅広吸収線QSOスペクトルの動力学的な解析によって、必要とされる光度を独立に推定する道を拓いたことは、クェーサーを標準光源として宇宙を計量するための新しい手がかりを与えたことになる。

審査要旨

 クェーサーのスペクトルには、NV、CIV、SiIV、MgIIなどのさまざまな電離イオンによる紫外線領域の共鳴線、および半禁制線CIII]など、線幅が広く、強い特徴的な輝線が見られる。これらの輝線の短波長側に同一イオンによる幅の広い吸収線を隣接して持つものを、幅広吸収線(BAL)クェーサーと呼ぶ。本論文は、幅広吸収線クェーサーの特徴的なスペクトルを再現する物理的モデルを構築し、光子の共鳴散乱過程を追うことにより、複雑なスペクトルの細部まで再現した独創的な研究をまとめたものである。

 幅広吸収線クェーサーの吸収線輪郭は、惑星状星雲に見られるP-Cygni型輪郭と似ているが、典型的なP-Cygni輪郭と幅広吸収線クェーサーの吸収線輪郭は、その速度構造が異なっている。P-Cygni輪郭はほぼ球対称な流出流の共鳴散乱で説明できる。それに対し、クェーサーの中心にあると考えられているブラックホール周辺のガスの分布は円盤状であることが偏光観測などから示されている。学位申請者は流出流の円盤状構造を取り入れたモデルの構築が吸収線輪郭の違いを説明する鍵となると判断した。学位申請者はブラックホールへの降着円盤の表面のガスが、ブラックホールからの強い紫外線放射により電離され、輻射圧により外側へ加速されるモデルを想定し、プラズマ風の密度、温度、速度構造を解いた。その上で、非球対称な系でも使うことができるモンテカルロコードを用いて光子束の共鳴散乱過程を追い、プラズマ系から発せられるスペクトルを算出する方法を構築した。流出プラズマのエネルギー源となる、ブラックホールから発せられる非熱的輻射場のスペクトルエネルギー分布(SED)は一般によく用いられるべき分布を仮定し、プラズマの化学組成については太陽組成を仮定した。モデルのパラメータとなる円盤の大きさや、円盤の広がり角については、光反響効果の観測などから得られる値を採用したが、これらは合理的な仮定である。このモデルにより、中心近くのCIV1549、SiIV1394など高階電離イオンの共鳴線領域および、より外側のMgII2798など低階電離イオンの共鳴線領域について、プラズマが輻射圧によって動径方向に吹き飛ばされて生ずる各イオンの青方偏移した吸収線輪郭を具体的に算出し、観測された吸収線輪郭を再現した。この手法を8つの幅広吸収線クェーサーに適用した結果、それぞれについて少数のパラメータを調節することにより、観測されるスペクトルをその細部にまでわたりかなりよく再現できた。さらに本研究は、幅広吸収線クェーサーにおけるダストによる吸収量をスペクトルから推定し、吸収補正した本来の光度を推定することが可能であることを示した。また、2色図上での高電離幅広吸収線クェーサーと低電離幅広吸収線クェーサーの位置が分離することから、ダストによる赤化の様子が異なることを示唆した。

 流出流は中心核の紫外線によりプラズマが線吸収過程を経て加速されることにより発生すると考えられるので、流出流の運動エネルギーの算出から中心核の紫外線絶対光度を推定することができる。ダストによる吸収補正を施して求めた運動学的光度はみかけの等級から求められた光度と良く一致することが7つのクェーサーについて確かめられた。両者が3-5倍合わない唯一の例は重力レンズ効果による光量の増幅を受けているクェーサーであり、重力レンズ増光ファクターが3-5倍であることも導くことができた。

 幅広吸収線クェーサーの複雑なスペクトルをその細部にわたるまで、物理的に矛盾のないモデルにより再現した研究は世界的にも類が無く、審査委員一同その独創的な手法と成果を高く評価した。今後仮定したブラックホールの電離エネルギースペクトルと化学組成が結果にどう影響するかを調べることにより、これらについても新たな知見を得られる可能性があることが審査委員からも指摘された。幼少時より大学卒業までドイツで教育を受けた申請者の論文は洗練された英文で書かれており、論文に関連する物理学一般の知識についても、各委員は一致して高い評価を与えた。

 したがって、学位審査委員会は委員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク