学位論文要旨



No 113824
著者(漢字) 白井,正明
著者(英字)
著者(カナ) シライ,マサアキ
標題(和) 堆積相分布を利用した第四紀地殻上下動の連続的復元とその応用 : 男鹿半島安田海岸中・上部更新統堆積物への摘用例
標題(洋) Reconstruction of Vertical Crustal Movement during the Quaternary based on Distribution of Sedimentary Facies and its Application to Crustal Deformation Analysis : An example of middle to upper Pleistocene sequence at the Anden Coast,Oga Peninsula,NE Japan
報告番号 113824
報告番号 甲13824
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3478号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 多田,隆治
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 助教授 佐藤,比呂志
 東京大学 助教授 徳山,英一
内容要旨

 第四紀における地殻上下動の復元は,観測に基づく地殻変動評価と地質記録に基づく地殻変動評価を整合的につなげる上で,また地震という現象をより長いタイムスケールから理解する上で非常に重要であるが,その変動速度の時間変化を連続的に求めることは容易ではない.更新世後期以降(過去約13万年間)における地殻変動速度は,形成年代が既知である海成段丘,離水サンゴ礁の高度分布から詳細に復元できる.しかしこの手法で地殻上下動を容易に復元できるのは,更新世後期以降の隆起地域に限られる.一方,シークェンス層序学では堆積物の累積様式を,汎世界的海水準変動,地殻上下動,堆積物の堆積あるいは侵食,それらの結果生じる古水深変動と関連づけて議論している.それにも拘わらず,これらのパラメーターの関係を利用して地殻上下動を復元しようという試みは,未だ本格的には行われていない.

 筆者は汎世界的海水準変動,層厚の変化,古水深変動をそれぞれ独立に復元し,これらを組み合わせることによって地殻上下動を連続的に復元する手法を開発した.ここでは,男鹿半島北岸の安田海岸に露出する陸成/浅海成中-上部更新統へのこの手法の適用例を紹介する.更に,その結果より推定された地殻の短縮速度を,周辺地域の地殻の短縮と様々なタイムスケールで比較した.本論文ではI,II章に於いて,安田海岸の中-上部更新統の古水深変動の復元,火山灰層序の確立を行い,これらを基に中-上部更新統の年代を詳細に推定した.そしてIII章において安田海岸における地殻上下動と地殻変動を推定し,IV章にて復元結果の構造地質学的意味を検討した.ただしI,II章については既に白井・多田(1997)および白井ほか(1997)において公表しているので,ここではIII章およびIV章について主にふれることとする.

 ある地点における相対的海水準は,その地点上に設定された基準面と海面間の垂直距離と定義される(Posamentier et al.,1988).従ってその地点において,ある期間(T)に生じた相対的海水準上昇量(SL)は,その期間での汎世界的海水準上昇量(E)と地殻の垂直方向の沈降量(C)の和となる.一方,相対的海水準の上昇量(SL)は,古水深の増加量(D)と堆積物の埋積量(Sd)の和としても表すことができ,これらの関係は以下の様に表現できる.

 

 この式における3つのパラメーター,E,D,Sdが推定できれば,その期間内(T)の地殻の変動量(C)を求めることができる.そこで,各堆積層の年代(Ti)(i=0,1,2,3,…;T0=現在)を見積り,各年代において,現在の海水準に対する当時の汎世界的海水準(Ei),当時の古水深(Di),基準面上の堆積物の層厚(Sdi)を独立に推定し,これらを組み合わせることによって,地殻上下動を推定した.安田海岸においては中-上部更新統鮪川層,潟西層は東に傾斜しており,下位の鮪川層は露頭西側のみで直接観察できる.そこでまず,露頭西側の部分における鮪川層堆積時期以降の地殻上下動を推定した.

 年代(Ti)の推定;I章において堆積相解析を基に推定した古水深変動曲線と,汎世界的海水準変動を反映している酸素同位体比変動曲線がそれぞれ示す海進・海退パターンを,II章にて改訂した火山灰層序を基に対比した.こうして年代を詳細に求めることが出来た最も下位の層準,鮪川層下部亜炭層(約45万年前)を基準面とし,この層の堆積後の地殻上下動を復元した.

 汎世界的海水準(Ei)の推定;氷河の消長は,第四紀における汎世界的海水準変動の主要因と考えられている.Chappell(1994)に基づき,氷河の消長の程度を反映する底生有孔虫の酸素同位体比と,離水サンゴ礁の高度を基に詳しく見積もられた過去13万年間における汎世界的海水準の相関を求め,これを基に,酸素同位体比変動曲線から汎世界的海水準変動を推定した(図1a).

 古水深(Di)の推定;堆積相解析により推定した(図1b).

 堆積物の層厚(Sdi)の推定; ここでは基準面上の垂直方向の堆積物の厚さを,埋積層厚と定義した.そして,地層の現在の埋積層厚を基にback strippingを行い,圧密補正を施しながら各地層堆積直後における埋積層厚を過去に遡って見積もった(図1c).

 以上のように推定した各パラメーターを基に,式(1)より基準面の高度変化を推定した.露頭西端における基準面の高度変化を図1dに示す.図1dより,地殻は45万年前から約14-18万年前にかけては非常にゆっくりした速度(約0.1m/ky)で沈降し,14万年前以降急速に(1.0m/ky)隆起していることが判る.即ち本研究で提唱する手法によって,沈降域における地殻上下動の復元も可能である.ボーリングを利用すれば,沈降のため地中に埋積されている部分の地殻上下動も連続的に復元できるであろう.また従来より長く過去約45万年間に渡って,詳細な地殻上下動を復元することができた.

図1;地殻上下動の復元方法(a)汎世界的海水準変動,(b)古水深変動,(c)堆積物の埋積層厚変化,(d)基準面の高度変化

 この様な復元を露頭内の2地点において行った結果,約45万年前より約14万年前にかけては地層は露頭西端を中心点として東側が回転しながら沈降し,約14万年前から全体的に急速に隆起(最大1.0m/ky)していたことが明らかとなった.更に各層理面の地上部分の傾斜角等を基に,層理面の形状を正弦波に近似することにより,露頭全体での地殻変動を同様に復元することができた.14万年前以前の地層の傾動は,地層の傾動の様子から,地殻の褶曲を反映していると推定される.この時期の安田海岸における,傾動に伴う地殻の短縮速度はほぼ一定(0.48m/ky)と見積もることができるので,褶曲により一定速度の地殻の短縮が続いている場合の褶曲の変曲点における地層の傾斜角変化を計算し,これを実際の変曲点近くにおける地層の傾斜角変化と対比した結果,この推定は妥当であるとの結論を得た.一方,14万年前以降の地殻の隆起の主要因は,露頭西端に位置しこの時期に活動したと考えられる安田断層の変位によると考えられる.安田断層の変位に起因する地殻の短縮速度(0.16m/ky)が,この期間における傾動に起因する地殻の短縮速度(0.03m/ky)に比べ大きいことも,この推定を裏付けている.つまり約14万年前の安田海岸において,地殻の変動様式は,褶曲から逆断層の変位へと移り変わったと推定された.

 安田断層は地殻上下動の復元結果より,約14万年前以降活動したと推定される.一方,安田海岸一帯では,潟西層から鮪川層基底部に向かって層理面の傾斜角が増加し続けるが,鮪川層直下の脇本層では増加しない.つまりこの地域において褶曲が活動を開始したのは,鮪川層の堆積直前の50万年前前後である可能性が高い.また安田海岸全体における,傾動に起因する地殻の短縮速度は,約14万年前以前の傾動時には0.48m/kyと推定されるのに対し,その後の隆起時にはわずか0.03m/kyに減少する.約14万年前以降に活動した安田断層の変位の影響を加えても,この時期の地殻の短縮速度は0.19m/kyである.これを歪み速度に換算すると,その値は約40-14万年前に9×10-7(/y),14-0万年前には3×10-7(/y)とそれぞれ計算される.過去約14万年前における褶曲に起因する地殻短縮速度の減少を考慮すると,約14万年前の地殻変動様式の変化と短縮率の減少は,安田海岸を含む数kmの波長の褶曲による地殻の短縮の解消が限界に達し,短縮の解消方法が断層運動および他の地域における地殻の短縮へと移り変わったことを示していると推定される.安田海岸周辺では,鮪川層または脇本層(傾斜角40-60°)を,潟西層又は同時代の段丘堆積物(傾斜角10°未満)が傾斜不整合にて覆っており,これはこの褶曲地域全体で,不整合形成時期の前後に褶曲→隆起という地殻変動様式の変化が生じていることを示唆する.

 更に,このような地殻変動様式の変化が周辺地域においても観察できるか確認するために,男鹿半島北岸一帯において,現在この地域で観測される地殻の短縮軸に平行な方向(N70°E)に地質断面図を作成し,過去14万年間における地殻上下動速度と短縮速度とを段丘高度分布を基に推定した(図2).その結果,i)男鹿半島北岸東部では,約14万年前以降の地殻の短縮にはこの地域に現在5本認められている逆断層の変位の寄与が卓越していること,ii)約14万年前に褶曲→隆起を示す地域が多いこと,iii)これらの地域の近傍に逆断層が位置し,約14万年前以降の隆起は逆断層の上盤の隆起である可能性が高いこと,iv)従来の研究においてこれらの逆断層は後期更新世に活動を開始したと推定されていること,以上から,安田海岸で観察された地殻変動は男鹿半島北岸東部地域共通の現象であると推定された.またこの時期,男鹿半島北岸においては地殻の隆起が卓越しており,男鹿半島北岸東部では地殻の短縮により,安田海岸で復元されたような地殻の様式変化がより広い地域に渡って生じたことを意味し,この地域における地殻の短縮が,塑性変形によって解消可能な範囲を超えたために約14万年前後より地殻の脆性変形が開始された,という推定と矛盾しない.この際に推定された男鹿半島北岸における過去14万年間の地殻の歪速度は1.0×10-7であり,現在の観測値1.7×10-7の約1/2である.

図2;男鹿半島北岸(N70°E)における,過去14万年間の地殻変動(a)地形断面図,(b)地殻隆起速度,(C)傾動(褶曲)に起因する地殻短縮速度,(d)断層に起因する地殻短縮速度

 一般に日本列島では,測地学的見積もりにより歪速度が10-7程度と計測されるのに対し,地質学的に見積もった歪速度が10-8程度であり,両者の不一致が問題とされてきた.本研究の結果から,両者の不一致の原因が以下のようにいくつか推定できる.(1)従来の地質学的推定では,安田海岸の様に狭い範囲での地殻の短縮,特に規模の小さい逆断層の活動は無視されがちであったため,歪み速度が過小評価されていた.(2)従来の地質学的推定では,歪速度は100万年以上のタイムスケールでの平均値であることが多く,一つの変形様式の持続期間がそれより短い場合には,それらの一つ一つは評価できない.(3)測地学的見積もりは過去100年間以内の平均値であり,変形様式の持続期間がそれより長い場合には,一時期の地殻変動平均速度を測定しているに過ぎない,等である.特に今回安田海岸において見積もられた結果は,一つの変形様式の持続期間が40万年程度であったことを示している.この例が一般的であれば,100万年スケールの見積りは複数の変形様式の平均を,100年スケールの見積もりは変型様式の一部分を見ている可能性がある.

審査要旨

 本論文は,浅海成堆積物の堆積相解析を利用した後期第四紀における地殻上下動復元法を新たに提唱し,その有効性を男鹿半島安田海岸を例に具体的に示したものである。

 本論文は,四つの章から構成される。第1章で,白井は,安田海岸を例に,浅海成堆積層について堆積相の分類と各堆積相の形成水深の推定を行い,振幅にして100mを越す6回の堆積水深変動の繰り返しの存在を明らかにしている。堆積相の認定は基本的に既存の研究に従っているが,詳細な観察に基づき,新たに1つの堆積相を識別,記載している。

 第2章では,白井は,安田海岸における上部第四系層序の改訂と,より時間解像度の高い年代基準面の認定を行っている。第1章でその存在を明らかにした堆積水深変動は,第四紀後期を特徴付ける氷河性海水準変動を反映している可能性が高い。白井が,その考えに基づいて,氷河性海水準変動を半定量的に反映している(底生有孔虫殻に記録された)海水の酸素同位体比変動曲線と安田海岸における堆積水深変動曲線の対比を試みたところ,一部に食い違いを生じた。そこで彼は,日本海深海底掘削により回収された年代層序が確立しているコア中の火山灰と安田海岸の上部第四系に介在される火山灰の組成や屈折率を独自に分析,比較する事により,安田海岸における従来の火山灰層序の一部に誤りがある事を指摘し,更に従来年代未詳とされていた火山灰の年代を推定した。その結果,男鹿半島上部第四系の層序が大きく改訂されると共に,安田海岸において復元された堆積水深変動曲線と汎世界的海水準変動を反映すると考えられている酸素同位体変動曲線とは極めて良い一致を示す様になった。酸素同位体変動曲線は,それ自体が第四紀における高時間解像度層序の指標として用いられている。そこで,堆積水深変動曲線との対比を行う事により,安田海岸上部第四系中に新たに五層準の年代基準面を加える事が出来た。これにより,安田海岸における堆積水深の時代変動を過去45万年間に渡り数万年の時間解像度で復元する事が可能になった事を示してこの章を締めくくっている。

 第3章においては,白井は「ある地点における堆積水深(D)およびその地点で任意に設定した基準面上に堆積した地層の厚さ(Sd)の時代変化が復元出来れば,それを汎世界的海水準変動の時代変化(E)と組み合わせる事によって,C=-E+D+Sdの関係を用いてその地点における地殻の上下動(C)を復元する事が可能である」という考えに基づき,堆積相解析を利用した新しい地殻上下動の復元法を提案している。彼は,この方法の有効性を示すために,安田海岸において,過去45万年間の地殻上下動の連続復元を試みた。その結果,(1)安田海岸においては,45万年前から14万年前にかけては,地殻は海岸西端をちょうつがいの軸として東側が沈降する傾動運動をし,その速度は最大で0.3m/千年であった事,(2)14万年以降現在にかけては,傾動がほぼ停止し,全体がおよそ1m/千年の速度で急速に隆起した事が明らかになった。更に,安田海岸におけるこの適用例は,白井が提案した新しい手法が,(1)従来の地質学的手法より高い時間分解能で,従来の地形学的手法より古い時代迄の地殻上下動の復元,(2)従来,地形学的手法では困難とされた沈降域における地殻上下動の復元,を可能にした事を示している。

 第4章において,白井は,安田海岸において復元された地殻上下動と14万年前におけるその変化について,構造地質学的意味付けを試みている。彼は,安田海岸を精査する事により,約14万年前以前の傾動運動がおよそ50万年前に開始した事,安田海岸西端部に活断層が存在し,その活動はおよそ14万年前に開始した事を地質学的証拠から明らかにした。そして,安田海岸における傾動が,差渡し約400mの露頭内における0.48m/千年でほぼ一定の側方短縮運動により説明出来る事を見い出した。一方,14万年前以降においては,側方短縮は主に活断層の運動により担われており,その速度は0.19m/千年と推定された。更に,安田海岸におけるこうした構造運動の変化が,どの位の地域的広がりを持つかを検討するために,白井は,男鹿半島北岸について従来報告されている海岸段丘高度および活断層の運動に関するデータを整理し,それを基に男鹿半島北岸における過去10万年間の隆起および側方短縮速度の推定を行った。その結果,安田海岸で認められた単純隆起傾向は,男鹿半島北岸全域で認められ,側方短縮も主に活断層の活動により担われている事が明らかにされた。また,男鹿半島北岸における活断層の運動開始時期もおよそ10万年前である事が示された。この事により,安田海岸において復元された構造運動およびその様式のおよそ14万年前における変化が,少なくとも男鹿半島北岸域におよぶものである事が明らかにされた。

 本論文は,(1)堆積相解析を利用して復元された堆積水深の時代変動を汎世界的海水準変動と組み合わせる事により地殻上下動を復元するという新しい手法を提案した点,(2)その手法により,従来と同じ精度で,従来より高い時間解像度で,より古い時代まで,より連続的に地殻上下動を復元できる事を実例を持って示した点,(3)その手法が,従来推定が難しいとされていた沈降地域における地殻沈降運動の復元を可能にした点,で極めて独創的で,かつ社会的貢献度も高い。また,白井は,本研究の過程で安田海岸における層序の改訂を行ったが,安田海岸は東北地方日本海側第三系・第四系層序の模式地となっており,その年代層序の改訂は東北日本における地質年代論,地史の編纂にも大きく寄与するものと評価される。

 本論文の第2章は,多田隆治,藤岡換太郎との,第1,3章は多田隆治との共同研究であるが,白井(論文提出者)が主体となって,調査,検証を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であったと判断する。

 よって,博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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