学位論文要旨



No 113825
著者(漢字) 渡邊,大輔
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ダイスケ
標題(和) ゴンドワナ氷床寒冷期の開始 : イラン下部石炭系炭酸塩岩の堆積学的・地球化学的研究からの証拠
標題(洋) Onset of the Gondwanan Glaciation : Evidence from Sedimentology and Geochemistry of the Lower Carboniferons Rocks in Iran
報告番号 113825
報告番号 甲13825
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3479号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 教授 島崎,英彦
 東京学芸大学 助教授 猪郷,久治
 筑波大学 講師 上野,勝美
内容要旨 はじめに

 カンブリア紀以降,地球は数千万年〜数億年オーダーの寒冷・温暖の気候変動を繰り返してきた.寒冷期には大規模な大陸氷床が発達し,温暖期には氷床の発達は乏しいことが知られる.また,寒冷期と温暖期の海洋では,海水準変動様式と深層水循環が異なることが示されている.寒冷期には,104〜105年周期の短周期海水準変動(第4,5オーダーサイクル)の振幅が非常に大きいため(〜150m),地層中に顕著な堆積サイクルが記録されている.一方,温暖期の短周期海水準変動は小さいため(数m),ごく希にしか堆積サイクルとして記録されない.また,寒冷期の海洋は深層水循環が活発であるのに対して,温暖期の海洋は一般に成層構造を示すと考えられている.したがって,寒冷期には底層水は酸化的であり,逆に温暖期の底層水は還元的であると考えられている.寒冷期の開始は大規模大陸氷床の出現からとされるが,上に挙げた海洋環境における寒冷期の特徴が,温暖期から寒冷期にかけての気候の寒冷化に伴って,いつどのように出現しはじめたかは,明らかにされていない.そして,温暖期から寒冷期への海洋環境変化のメカニズムや氷床発達との因果関係についても明らかにされていない.本研究は,古生代末のゴンドワナ氷床寒冷期への移行期であると考えられてきた前期石炭紀に着目し,温暖期の海洋環境から寒冷期の海洋環境への変化が,いつどのように行われたかを明確にすることを目的として行われた.調査地域は,下部石炭系炭酸塩岩が連続的に露出するイランの北部および中東部である.また,本研究は,海水準変動を読みとるための堆積相および堆積サイクルの解析,海洋深層水の酸化・還元変化を求めるための地球化学的研究,そしてこれらの変動のタイミングを決める生層序学的研究の3つの柱からなる.

イラン石炭系生層序

 イラン北部の石炭系はモバラク層石灰岩,イラン中東部の石炭系は石灰岩からなるシシュツ層と珪質砕屑岩と石灰岩からなるサルダール層から構成されている.これまでの生層序学的研究では,上記の石炭系に対して大まかな年代区分しか認識されていないため,コノドントと有孔虫によるイラン地域の石炭系生層序の再検討を行った.その結果,モバラク層とシシュツ層はTournaisianから下部Viseanからなり,サルダール層は下部Viseanから中部Viseanと,一部において上部石炭系(前期Pennsylvanian)が含まれることが判明した.モバラク層とシシュツ層では,stage order(e.g.Tn3)あるいはsubstage order(e.g.Tn3a)の生層序が確立されたので,以下で述べる海洋環境の変動に詳細な時間軸を与えることができた(第1図).

堆積サイクル

 堆積相解析の結果から,イラン北部のモバラク層と中東部のシシュツ層は,炭酸塩ランプシステムで堆積したものであることが明らかにされた.一方,中東部でシシュツ層の上位に位置するサルダール層は,波浪卓越の砕屑性陸棚で堆積したことが明らかにされた.モバラク層とシシュツ層には,1回の海水準の上昇と低下で形成された厚さ数10m〜150mの堆積サイクルがそれぞれ3回と4回ずつ認識された.両累層の時代が重なる上部Tournaisianから下部Viseanにかけては,2回の堆積サイクルが対比され,イラン地域の下部石炭系では5回の堆積サイクルが認められた.これらの堆積サイクルは,ヨーロッパでmesothemとして定義され,世界中にも確認される第3オーダーの堆積サイクルに対比される.すなわち,イランの石炭系炭酸塩岩は,Tournaisianから前期Viseanの汎世界的な第3オーダーの海水準変動によって支配されて堆積したことが示唆される.また,イラン北部のモバラク層の上部Tournaisian中には,さらに細かな2つのオーダーの堆積サイクルを見いだすことができる.ここではouter rampからinner rampへの上方浅海化を示す厚さ0.3〜1.6mの堆積サイクルをsedimentary unit,そしてsedimentary unitが上方厚層化を示して累重したサイクルを上方厚層化サイクルと定義した.上方厚層化サイクルは,6〜13このsedimentary unitで構成され,厚さは5〜10mと変化に富む.それらをFischer Plotsで表現すると,下に凸のカーブで示され,1回の海水準上昇によって生じた堆積空間を埋積したことを示している.これらが第3オーダーの海水準変動曲線上でリズミカルに8回連続する.

 このことは,第3オーダーの海水準変動に重なるさらに高頻度の海水準変動が生じていたことを示唆する(第1図).そして上方厚層化堆積サイクルの堆積期間が,0.1〜0.4m.y.と概算されるので,上方厚層化サイクルは氷河性とされる第4オーダーのユースタシー変動によって形成されたと考えられる.第3オーダー堆積サイクルとそれに重なる第4オーダー堆積サイクルは,2つの堆積サイクルの階層性を示す.これらの短周期ユースタシー変動によって形成された堆積サイクルの階層性は,明らかに寒冷期の海水準変動の特徴を示すといえる.しかし,堆積相から判定した振幅は20m以下であり,一般に言われている氷河性の第4オーダーサイクルの振幅に比べて小さい.これはこの時代の氷河の発達が地域的かつ小さかったことを示唆する.

炭酸塩岩の地球化学

 炭酸塩岩の化学分析では,炭素同位体組成と希土類元素パターンのCe異常を検討した.炭素同位体組成変動は,北部と中東部の2つのセクションで検討された.

 炭素同位体組成:炭素同位体組成は,全体の傾向としてTournaisianに+2〜3‰であったものがViseanでは0‰付近の軽い値へ徐々に変動する傾向が2つのセクションで示される.そして,TournaisianからViseanにかけては3つの対比される正のピークが示される.これらから,炭素同位体組成は,イラン地域の表層水で生じた変化を同時に反映していることが言える.また,生層序とよく対比されたこのような炭素同位体組成変動曲線は,これまで下部石炭系において報告がない.よって,これらの曲線が,生層序年代決定が困難である他の地域との1つの年代対比軸としても提起される.

 Ce異常:海水のREEパターンにおけるCeの負異常は,海洋の,特に底層水の酸化・還元状態を示すと考えられている.底層水が酸化的であると,一般に海水中に存在するCe3+は酸化されて,海水に溶けにくいCe4+となり,堆積物中のFe-Mn水酸化物に取り込まれる.このCeの選択的な除去によって,酸化的な海水のREEパターンはCeの強い負異常を示す.逆に底層水が還元的であると,Ceの除去は行われないので,Ce異常は±0付近を示す.生成当時の海水組成を反映している石灰岩と化石炭酸塩のCe異常を分析することにより,前期石炭紀の海水の酸化・還元状態の変化を求めた.その結果,前期TournaisianではCe異常は0付近の値を示しているが,後期Tournaisianで-0.4付近までの急激な負への変動がみられた.その後0〜-0.1へと値は戻るが,最後期Tournaisianから前期Viseanにかけて全体として次第に負へと移行している(第1図).このことから前期Tournaisianまでは還元的な底層水が発達していたが,後期Tournaisianから深層水は次第に酸化され始めたことが示される.炭酸塩岩の化学分析で得られたCe異常の結果からは,以下のような海洋の変化が推定される.1)前期Tournaisianには還元的な底層水を持つ成層した海洋が発達していた.2)後期Tournaisianには底層水を酸化させるべく深層水循環が開始される.その変化は,Ce異常の変動に見られるように初期には開始と停止が繰り返されたことが示された.

第1図 イラン北部モバラク層石灰岩に見られる第3,4オーダー堆積サイクルとCe異常の変動
ゴンドワナ氷床寒冷期の開始

 本研究では,堆積サイクルの解析と炭酸塩の地球化学分析から,短周期海水準変動と深層水循環という海洋における寒冷期の特徴は,後期Tournaisianに同時に出現したことが示された.第4,5オーダーの短周期変動は,地球軌道の周期的変化(Milankovitch cycle)によるとされる氷床発達の変動を反映することが,第四紀以降の研究から強く主張されている.深層水循環も氷床発達による極地域と低緯度地域の表層水の温度勾配の増大に起因するとされてきた.これらは氷河作用の間接証拠と言える.ゴンドワナ氷床寒冷期は,連続的に広く分布する氷成堆積物の証拠から,安定したゴンドワナ大陸氷床の形成された後期石炭紀初期のNamurianであるとされている.それ以前の前期石炭紀にも氷河が地域的に徐々に出現し発達したことが,氷成堆積物の証拠から示されているが,それらは温暖期から安定大陸氷床で特徴づけられる寒冷期への移行期を示すpre-glaciationとして位置づけられている.pre-glaciationを示す氷成堆積物の証拠は,Visean以降とされている.よって,海洋環境の寒冷期への移行は,氷成堆積物の直接証拠による氷河作用の出現よりも先行している.寒冷化に伴って出現した初期の小規模氷河は,海成層中に氷成堆積物を供給せず,陸成層にのみ地域的に氷成堆積物を残すと考えられる.よって,地質時代におけるこれらの証拠の保存の確率は低い.しかし,海洋環境は,寒冷化に伴って出現・発達したこっらの小規模な氷河形成に敏感に反応して変化したと考えられる.また,後期Tournaisianの海洋環境の寒冷化への変換の後に,氷成堆積物から見られるViseanの氷河作用が出現するという時間関係から,海洋環境の変換がゴンドワナ大陸氷床を形成する寒冷化を促進した可能性もある.安定したゴンドワナ大陸氷床を寒冷化の最終的な結果産物であると捉えれば,地球の寒冷期は,むしろ後期Tournaisianの海洋環境の寒冷期への変換に開始したと考えられる.

審査要旨

 本論文はイントロダクションを含めて5つの章からなる。はじめに、カンブリア紀以降数千万年オーダーで、大規模な大陸氷床が発達する寒冷期と氷床のない温暖期が繰り返されたが、そのモード変換がどのように進行したのか、そのとき海洋環境はどの様に応答したのか、は明らかになっていないことが示される。本研究は長期間の野外調査と室内分析から、精度の高いデータを採取集積し、これらの一次データに基づいてゴンドワナ氷床が地球環境に顕著な影響を及ぼし始めた時期を精度良く決める事を最終ゴールとする。調査地域はイラン北部のエルブールズ山脈と中部のルテ砂漠地域である。

 第2章では堆積相解析から堆積サイクルが認定される。炭酸塩岩を主体とする北部の石炭系モバラク層は炭酸塩ランプシステムで堆積、砕屑岩を主体とする中部のシシツ層、サルダル層は波浪卓越の陸棚で堆積したものである。層厚約450mのモバラク層を、下部石灰岩部層、下部頁岩部層、中部石灰岩部層、上部頁岩部層、上部石灰岩部層の5つの部層に区分し、頁岩部層を最大水深とする3回の堆積サイクル(海水準変動サイクル)を認定した。砕屑岩に炭酸塩岩を頻繁に挟む中部のシシツ層、サルダール層には、全体で5回の堆積サイクルを認定できた。さらに、モバラク層の中部石灰岩部層に対して、高精度のサイクル解析(フィッシャープロット)を試みた。その結果、層厚約100mの層状石灰岩中に8回の上方厚層化のサイクルを認定した。

 第3章では生層序が扱われる。イランの石炭系はこれまで生層序的に詳しい検討はされておらず、対象とした地層の正確な時代区分(階区分)は不明であった。ゴンドワナ氷床の発達を明らかにするには時代を正確に決める必要がある。渡邊は、有孔虫とコノドント化石を用いて初めて正確な階区分(〜亜階区分)を行った。その結果、モバラク層とシシツ層は下部石炭系のトルネジアン階〜下部ヴィゼアン階に対応し、サルダール層は下部ヴィゼアン階〜ナムリアン階(上部石炭系)を含むことが判明した。時代が明確になったことにより、(1)北部で3回、中部で5回認定された層厚100〜200mの堆積サイクルは、第3次オーダーの海水準変動であり、世界的に対比されるものである。(2)北部モバラク層中部に認められる8回の堆積サイクルはより高次オーダーの変動に対応する。年代区分を絶対年代に置き換え、堆積速度を岩相によらず一定と仮定して計算される一回のサイクルの長さは10〜40万年である。しかし、一般に頁岩の堆積速度は石灰岩の〜10倍にもなるので、石灰岩部層の年代は短く、従って一回のサイクルの長さは高々10万年程度と見積もることが出来る。これは、第4次オーダーの堆積サイクルであり、氷河性のユースタシー変動を反映するものである。このことは、モバラク層の中部(トルネジアン階の上部)ですでに海水準を顕著に変動させる程度に規模の大きな氷床の消長があったことを意味する。

 第4章では、ゴンドワナ氷床が始まったと推定されるトルネジアン階上部〜ヴィゼアン階に海洋環境がどの様に変動したかを明らかにするため、炭酸塩岩を主体とするモバラク層を対象として、炭酸塩の炭素同位体と希土類元素の分析を行った結果が報告される。炭素同位体組成はトルネジアン階で+2〜+3パーミルであったのが、ヴィゼアン階では0パーミルと軽くなる傾向が認められる。希土類元素については、セリウムの負の異常が確認された。海水がセリウムの負異常を持つと言うことは、海洋が酸化的になったことを意味する。セリウム異常ははじめに第4次オーダー変動の最後に出現し、一度回復した後、再びヴィゼアン階に入って負異常をしめす。2回目の異常は炭素同位体組成が軽くなる時期に対応する。

 第5章で、堆積相解析と地球化学的解析の結果が統合され、ゴンドワナ氷床寒冷気の発達時期が従来考えられていたより数100万年早く始まった事が示される。つまり、ヴィゼアン階の後期に氷河性ユースタシーが始まり、数10万年遅れて海洋の酸化が顕著になり、海水からのセリウムの酸化除去が進行した。海洋の酸化は海水の深層循環を反映したものと考えられるが、その影響が炭素循環にも現れるのはヴィゼアン階に入ってからである。

 本論文の第2章(生層序)は松本、角和、上野、猪郷との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析を行ったので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。本論文は上に述べるように、オリジナルな一次データに基づいて、氷床発達の時期と海洋変動過程を明らかにしており、今後のこの分野の研究への貢献も大であり、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。

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