学位論文要旨



No 113832
著者(漢字) ディアス,クリスピン
著者(英字)
著者(カナ) ディアス,クリスピン
標題(和) 道路公共交通市場のマクロモデル化とその政策評価への応用
標題(洋) Macroscopic Modeling of Road-Based Public Transport Markets and Its Application to Assessment of Transport Policy
報告番号 113832
報告番号 甲13832
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4229号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 太田,勝敏
 東京大学 教授 森地,茂
 東京大学 教授 吉田,恒昭
 東京大学 助教授 高橋,清
内容要旨

 公共交通は、自動車による排気ガスの削減のみならず、モビリティの提供、限られた都市空間の有効利用という面で重要な役割を占めている。道路公共交通は、軌道系の公共交通に比べ短期間で整備可能であり、法制度上の支援をそれほど必要としないという長所を持つため、多くの都市で公共交通の整備を行うことが可能である。

 道路公共交通に関する多くの研究は、欧米における問題点について行われてきた。それに対し、アジア地域については公共交通に関する研究のニーズが増加しているにもかかわらず、十分な研究がなされていない。アジア地域外(主に欧米であるが)で行われてきた研究の問題点として、アジア地域における都市構造(高い人口密度、道路インフラの不足)や社会-経済的特性(大きい所得格差)が欧米と大幅に異なるため、従来の研究をアジア地域に応用することは非常に限定されるといえる。アジア地域における将来の都市交通システムを計画する上で、都市構造や社会-経済的特性が道路公共交通に及ぼすインパクトを考慮することは重要な課題となっている。しかしながら都市構造や社会-経済的特性と道路公共交通との関連性を定量的に記述したモデルは、まだ十分に確立されていない。

 本研究での目的を以下に示す。

 a)東アジアと東南アジアに位置する大都市における道路公共交通の現状を調査する。

 b)マクロ的輸送データに基づく既存の供給費用モデルと需要モデルとを改良する。既存モデルのからの改良点は以下の通りである。

 b-1)異交通モード間相互、および同交通モード内での競争を表現する。

 b-2)運賃規制の差異を事業者のサービス供給可能性の評価に反映する。

 c)事業者の運営環境がサービス水準決定に与える影響について考察する。

 本研究では、東アジアにおける道路公共交通事業者を対象として、事業者の供給費用と需要とを算出する。改良した本モデルは、運営形態と事業環境を所与として、サービス水準を入力変数とした場合、事業者の需要と供給費用とを出力とするものである。本モデルの特徴は、マクロ的な輸送データのみで事業者の供給費用や需要を算出することができる点である。

 本モデルを構成する需要モデルや供給費用モデルの算出にあたっては、市場の状況のみならず、事業者の規模の多様性や財務状況、運営形態の多様性を反映させるために、5ヶ国の事業者を選定した。ほとんどのケースで、当該事業者に運営状況を直接に調査を行った。本研究では、バンコク、ジャカルタ、マニラ、ソウル、東京の事業者の輸送データを収集・編集し、データベースを構築した。

 得られた輸送データより、供給費用モデルや需要モデルの各パラメータの妥当性が確認された。そのモデルを用いて、道路公共交通事業者の運営評価を行った。

 本研究の結論を以下に示す。

 1)道路公共交通における「供給費用モデル」と「需要モデル」を構築した。これらのモデルは、サービス水準を入力変数とするのものであり、東アジアの大都市における道路公共交通事業者の運営状況を説明することが可能である。

 2)民営事業者と公営事業者との効率性に差異があること(同じサービス水準を提供する場合に、公営事業者の供給費用は民営事業者の供給費用より高い)や、道路公共交通においては規模の経済の効果が小さいこと、が観察された。

 3)人口密度が高い地域では、事業者が路線密度や運行密度を向上させるといった積極的運営戦略を選択することにより、事業者はより大きな利潤を獲得することができる可能性が示された。さらに、このような利潤増大戦略は、社会的総余剰をも増加させることができることも示された。しかしながら事業者によっては、資金調達能力の不足や好ましくない規制が存在するため、サービス水準の低下を伴う供給費用削減戦略を選択する傾向も見られる。このことから、サービス水準の向上により社会的余剰を増加しうる市場においては、利潤増加を戦略とした積極的運営を促すようなインセンティブを事業者に与えることが重要であると言える。

 4)人口密度が低い地域では、たとえ都市圏の郊外部であっても、事業者は欠損を生じうる。このような状況は、事業者は縮小再生産的な運営戦略をとることとなり、結果として社会的余剰の低下を引き起こす。このことから、このような市場においては、社会的余剰増大の観点から、サービス水準の維持・向上が実現できるよう、行政は事業者のサービス水準決定行動の監視や事業者への資金援助などを行う必要があると言える。

 本研究によるモデルを適用することにより、道路公共交通に対する幅広い政策案に対して様々なシミュレーションが可能となり、計画者が望ましい政策案を選択することが可能となる。

審査要旨

 本論文は、Macroscopic Modeling of Road-Based Public Transport Markets and Its Application to the Assessment of Transport Policy(道路公共交通市場のマクロモデル化とその政策評価への応用)と題して、バスなどの道路公共交通の経営方策や政府による公共交通政策が、公共交通事業の利潤や社会的便益にもたらす効果を簡便に予測評価することのできるモデルを開発し、さらにその実用的な適用性を検証するとともに今後の公共交通政策の方向性を考察したものである。

 都市公共交通は、環境、道路混雑、空間利用などの面で、現代の都市政策上極めて重要な役割を期待されている。とりわけ、道路公共交通は、輸送能力の点で大きなハンディキャップを持つとは言え、軌道系の公共交通に比べ整備費用・整備期間ともに有利で、大都市における鉄道の補完機能、中小都市における基幹的機能を担う事実上最も重要な公共交通機関といえる。しかしながら、マイカー利用の拡大とともに先進諸国の公共交通経営はいずれも苦境に陥り政府による各種の支援方策が行われるにいたっている。また発展途上国の諸都市では、現時点でこそ活発な民間事業として経営されているものの、自動車保有率の拡大と道路など交通インフラやソフトな諸制度整備の遅れから、今後の展開には不安要素が極めて大きい。

 こうした中で、道路公共交通に関する既往研究をみると、多くは欧米を対象とした現象記述的なものに止まっており、発展著しいアジア諸都市の公共交通問題に対応するには、次の二点で少なからぬ課題が残されている。1)アジア地域における実証的データの蓄積が十分でない。2)限られたデータを用いてスピーディに諸施策・政策の効果を判定できる操作性の高い方法論が確立されていない。

 本研究は、

 1)東アジアと東南アジアに位置する大都市における道路公共交通市場の現状を調査し、実証的データを蓄積する。

 2)地域特性や経済特性に関するマクロなデータを用いて、道路公共交通市場の需要と供給費用とを概算することのできる実用的なモデルを開発する。

 3)上記のモデルを適用することによって、道路公共交通市場の類型化や諸施策の効果、あるいは事業者の経営行動原理などについて考察する。

 を目的として、現地調査やモデル解析などを行ったものである。上述の現況を踏まえると、本研究のねらいとするところは、現代社会のニーズにかなったものといえる。

 次に本研究の方法論上の独創的な点を列記すると次の二点である。

 1)限られたデータを用いて実務者でも比較的容易に用いることのできる操作性の高い方法論でありながら、交通モード間の競争・補間関係、及び交通モード内の競争を需要サブモデル並びに供給費用サブモデルに組み込むことに成功したこと。

 2)マクロな指標によって表現されたネットワーク密度と運行頻度を最も重要なサービス水準要素と規定し、これらと事業利潤及び社会的便益の関係を簡便なマッピングによって鳥瞰的に表現する方法をあみだしたこと。

 本研究は、8章によって構成されている。第1章では、研究の背景と目的、論文の基本構成が述べられ、第2章では既往研究のレビューと本研究のオリジナリティと目的の再確認が行われる。第3章では日本の諸都市の他にフィリピン、インドネシア、タイ、韓国の諸都市において、バスなどの道路公共交通の概況と規制制度などが調査され、その結果の概況が述べられる。第4章ではマクロな需要サブモデルと供給費用サブモデルの構築が行われる。第5章でのモデル推定のための実地調査(上記5カ国)を踏まえて、第6章ではモデルの数学的推定が行われ、またパラメータの感度分析などがあわせて行われる。第7章では開発されたモデルを用いて種々の市場の類型化、検証、や政策シミュレーションが行われ、第8章の結論に至る。

 本研究により得られたとりわけ有益な結論を以下に列記する。

 1)賃金水準その他を適切に取り込むことによって、国や都市を越えて適用することのできる、十分精度が高くまた汎用的、かつ簡便な供給費用サブモデルが見いだされた。そこでは、公営事業者の生産性が民間事業者よりも30%程度も低いこと、道路公共交通においては規模の経済の効果が小さいこと、などが確認された。

 2)需要サブモデルについても、実用的で簡便かつ汎用的なモデルが推定されたが、その精度は費用サブモデルよりもやや低く、また汎用モデルよりも国別モデルの方が高い精度をもたらす結果となった。これは、人々の選好特性にマクロモデルに取り込み切れていない要素があるためと考えられる。

 3)開発されたモデルを我が国の個々の都市に適用することによって、我が国の道路公共交通市場が、地域環境と事業者のサービス条件に応じて非線形に変化する結果、次の三種に大別されることが明らかになった。すなわち、a)複領域採算可能・高位供給市場、b)複領域採算可能・低位供給市場、c)不採算市場の三つである。また、こうした市場類型は、公営・民営の経営形態などの要素によっても劇的に変化する場合がある。

 4)それぞれについて必要な公共交通政策の基本的方向性は、a)ではサービス条件変更に対する規制緩和、b)ではマーケット調査に対する支援とサービス条件変更のための設備投資に対する公的融資、c)では社会的便益から見て適切なサービス水準の見極め支援と所要の公的助成、である。

 5)我が国のバス事業者の過去のサービス条件変更実績は、需要の拡大動向の強弱とサービス条件変更による利潤増大の可能性の大小、の二つのファクターによって説明される。とりわけ、前者の寄与が大きい。

 以上のように、本研究は、その目指すところの実務的ニーズとの適合性、学問的オリジナリティ、得られた諸結論の有用性、今後の発展の可能性と応用可能性の諸点から見て、工学的に価値の高い成果であると判断する。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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