この数十年の間、水文モデルはより大きな時空間スケールへの適用可能性を高める方向で発達し続けてきた。例えば小領域から広い河川流域へ、集中型モデルから分布型モデルへ、単一のプロセスのみのモデリングから全てのプロセスを含むシミュレーションへと、そして一つの降雨現象の再現から季節変動の再現へという様に。そして現在の試みは様々な問題(例えば、気候変動によって水循環が地理的にどのように変動し得るのか、大規模な水循環の変化が生態系にどのような影響を及ぼすのか、土地利用の変化が地域の水循環に及ぼす影響はどうなのか、そして気候変動等によって流域の洪水・干ばつのレジームは変化し得るのか)における地域・大陸スケールでの地球物理的・地球生物化学的な水循環の様相を理解する為に、水文モデルのスケールを大流域又は大陸スケールへと拡張することである。しかし一般的に、水文過程の高度な非線型性、そしてそれらの相互作用によって、広範囲の時空間スケールにおいて水文現象は高次の変動特性を示す。その為、上記のような大規模流域に適用可能なモデルの開発においては水文過程を物理的に記述せねばならず、また空間的非均一性を適切に表現する手法が必要である。 計算機の発達はもちろんのこと、GIS(地理情報システム)、リモートセンシング、そして水文データベースの最近の発達によりグリッド・物理的分布型水文モデルは一般的なものとなった。最も一般的な分布型水文モデルでは、空間的非均一性を表現する為に規則的等方格子(グリッド)を用いている。流域地形学的な流域の性質を正確に表現する為には、グリッドサイズはある一定の範囲内で適切に定められなければならない。その結果、この様なグリッド・分布型水文モデルは莫大な計算量を必要とし、この点がより大きなスケールでの適用の妨げとなっている。 本研究の目的は、(1)空間的非均一性(2)物理的水文過程(3)広大な流域への適用性(大幅な計算時間の短縮)以上の三点を備えた新たな種類の水文モデルの開発である。またそのために、流域の地形学的な性質の解析、モデルとしての表現方法、モデルの検証、モデル感度の解析、そして適用性を考えたモデルのコンセプトの開発を行なった。 本モデルのコンセプトは流域地形学的「流域面積関数」と「流域幅関数」が基になっている。この二つの関数は流域出口への流下に対いする分布パターンを示すものである。これらを使うことにより、流域の非均一性を定量的に記述できる可能性がある。地形学で扱われるような空間的非均一性、土地利用分布、そして降水分布は一次元の分配関数と「流域面積関数」の組み合わせによって表現することができる。本研究で開発した水文モデルはこれらの一次元分配関数に基づいている。「流域面積関数」と「流域幅関数」はDEM(数値標高データ)から導く事が可能である。水文モデルにおいてDEMを用いるには基本的な問題が二つ存在する。適切な河道網を抽出するための面積閾値の設定と、そしてDEMの解像度が流域地形学的な特徴に与える影響に関する問題である。面積閾値が「流域幅関数」に与える影響及び、DEM解像度が「流域面積関数」に与える影響を調査する為、15の日本の流域を選び出しマルチフラクタル解析を用いた。その結果、それぞれの流域に対し適切な閾値を抽出することができ、またDEMのグリッドサイズを上げるといくつかのスケール情報が失われる場合があることが明らかとなった。 本水文モデルでは流路を離散化し、離散化された流路の各部分毎にモデル化された二次元斜面を対応させている。これがグリッドベースのモデルと異なるところである。すなわち、流域は河口(あるいはある基準点)からの流路の距離を基準として一次元的に表現され、離散化された流路の各部分にそれぞれ二次元斜面が結合するようにモデル化されている。この中で、流路は本来ネットワーク状であるものを、河口(あるいはある基準点)からの距離を基準として、一つの仮想的な主流路として表現している。本モデルは(1)空間分布モデュール(2)斜面モデュール(3)河川流路モデュールの三つのモデュールから成っている。空間分布モデュールは流域の地形情報、土地利用分布、土壌分布、降水分布、気象条件等を一次元分布関数で表現する。これが水文モデルの骨格を形成する。斜面モデュールにおいては、蒸発散、遮断蒸発、融雪、浸透、表面流出、飽和・不飽和浸透域における地中水の流れ等の水文現象を物理的にモデル化しており、河川との水の交換も行なう。斜面からの流出は、河川流路への側方流入として扱われる。河川流路モデュールでは、キネマティック・ウェーブ法で河川流路内における水の流れを計算する。大流域に関しては、流域はいくつかのサブ流域に分割され、各サブ流域において上記のモデルを適用する。 本研究における斜面単位・分布型水文モデル(GBモデル)について次の三段階で検証を行なった。 Å}1流域の幾何学的地形構造の表現性 (2)流域水文応答 (3)水文特性の空間分布に関する分布型水文モデルによる結果との比較 この検証により、本モデルによる河川流量・水文特性の分布は良い結果を得ることが示された。 次に、DEMの解像度、サブ流域の規模、そして河川流路の離散間隔に対する本モデルの感度について議論した。これらは異なる大きさ、データソースを持つ異なった流域への本モデルの適用において非常に重要なものである。その結果、時間単位の水文応答についてのDEMの解像度の影響は日単位におけるものよりも重要であることが分かった。これは水文応答における空間スケールの影響は、時間スケールと関係があることを意味している。適当なサブ流域の規模と、流路の離散間隔を調べた結果、水文応答におけるサブ流域の規模や、流路の離散間隔の影響は、DEMの解像度の影響よりも小さいことが示された。結局、適切なサブ流域の規模は1000km2のオーダー、河川流路の離散間隔はDEMの解像度の2倍程度の細かさで十分であった。 中規模の流域への本モデルの適用として、湿潤温帯に位置する日本の三河川、関東地方の渡良瀬川、北陸地方の関川、四国の那賀川における数値シミュレーションを行なった。これらの河川の流域規模は、約700〜1200km2で、流域内において密な気象観測が行なわれている。渡良瀬川での水文シミュレーションでは、貯水池操作も考慮に入れ、1992年から1995年までについて計算を行なった。関川、那賀川へは洪水シミュレーションとして適用した。その結果、長期間シミュレーション、洪水シミュレーション共に良い結果を得た。1000km2規模の流域について、時間単位で1年間水文シミュレーションを計算するのに,SUN Ultra-1(CPU:170MHz)ワークステーションを使って計算すると10分もかからなかった。 次に、大流域への適用として、熱帯モンスーン地帯に属するタイのチャオプラヤ川流域におけるシミュレーションを行なった。対象流域の広さは、およそ110,000km2(流量観測地点Nakhon Sawanより上流域)である。シミュレーションは1994年から1995年を対象とした。この流域は二つの大きな貯水池(ダム)を含んでいる。また、モデルの計算結果には流量と水文特性の空間分布が含まれている。これらの結果をグリッド・分布型水文モデル(IISDHM)と比較したところ、本研究による斜面単位・分布型水文モデル(GBモデル)は流量に関して同様の良い結果を示した。そして、同様の計算に対して、GBモデルはIISDHMモデルと比較して計算に必要な時間が1/50で済んだ。 最後に、極めて広大な流域(regional規模)への適用可能性をみるため、有効な入力データが少ないメコン河下流域を対象としたシミュレーションを行なった。その対象流域は約400,000km2で、気象データは非常に限られている。1989年から1990年まで時間単位でシミュレーションを行なったところ、妥当な河川流量を得ることができた。また1年間のシミュレーションに対して、DEC-alpha 433MNzコンピューターを用いたところ4時間弱の計算時間であった。 以上の結果から、本モデルは長期間シミュレーション、洪水シミュレーションどちらの目的においても、様々な規模、気候特性を持っている異なる流域に適用可能であると言える。流域地形学的な特徴の適切な表現により、有効な入力データが少ない流域においても妥当な結果を得ることが可能となった。極めて大きな流域に関しても、その流域を集中化・単純化する事により、計算時間を大幅に短縮する事を可能とした。よって、これまでの水文モデルでは適用困難であった極めて広大な流域に対しても、本モデルは適用可能であることを示した。 |