学位論文要旨



No 113837
著者(漢字) 楊,大文
著者(英字)
著者(カナ) ヤン,ダーウン
標題(和) 流域面積関数を導入した斜面単位・分布型水文モデルの開発と適用
標題(洋) DISTRIBUTED HYDROLOGIC MODEL USING HILLSLOPE DISCRETIZATION BASED ON CATCHMENT AREA FUNCTION : DEVELOPMENT AND APPLICATIONS
報告番号 113837
報告番号 甲13837
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4234号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 Herath,A.Srikantha
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨

 この数十年の間、水文モデルはより大きな時空間スケールへの適用可能性を高める方向で発達し続けてきた。例えば小領域から広い河川流域へ、集中型モデルから分布型モデルへ、単一のプロセスのみのモデリングから全てのプロセスを含むシミュレーションへと、そして一つの降雨現象の再現から季節変動の再現へという様に。そして現在の試みは様々な問題(例えば、気候変動によって水循環が地理的にどのように変動し得るのか、大規模な水循環の変化が生態系にどのような影響を及ぼすのか、土地利用の変化が地域の水循環に及ぼす影響はどうなのか、そして気候変動等によって流域の洪水・干ばつのレジームは変化し得るのか)における地域・大陸スケールでの地球物理的・地球生物化学的な水循環の様相を理解する為に、水文モデルのスケールを大流域又は大陸スケールへと拡張することである。しかし一般的に、水文過程の高度な非線型性、そしてそれらの相互作用によって、広範囲の時空間スケールにおいて水文現象は高次の変動特性を示す。その為、上記のような大規模流域に適用可能なモデルの開発においては水文過程を物理的に記述せねばならず、また空間的非均一性を適切に表現する手法が必要である。

 計算機の発達はもちろんのこと、GIS(地理情報システム)、リモートセンシング、そして水文データベースの最近の発達によりグリッド・物理的分布型水文モデルは一般的なものとなった。最も一般的な分布型水文モデルでは、空間的非均一性を表現する為に規則的等方格子(グリッド)を用いている。流域地形学的な流域の性質を正確に表現する為には、グリッドサイズはある一定の範囲内で適切に定められなければならない。その結果、この様なグリッド・分布型水文モデルは莫大な計算量を必要とし、この点がより大きなスケールでの適用の妨げとなっている。

 本研究の目的は、(1)空間的非均一性(2)物理的水文過程(3)広大な流域への適用性(大幅な計算時間の短縮)以上の三点を備えた新たな種類の水文モデルの開発である。またそのために、流域の地形学的な性質の解析、モデルとしての表現方法、モデルの検証、モデル感度の解析、そして適用性を考えたモデルのコンセプトの開発を行なった。

 本モデルのコンセプトは流域地形学的「流域面積関数」と「流域幅関数」が基になっている。この二つの関数は流域出口への流下に対いする分布パターンを示すものである。これらを使うことにより、流域の非均一性を定量的に記述できる可能性がある。地形学で扱われるような空間的非均一性、土地利用分布、そして降水分布は一次元の分配関数と「流域面積関数」の組み合わせによって表現することができる。本研究で開発した水文モデルはこれらの一次元分配関数に基づいている。「流域面積関数」と「流域幅関数」はDEM(数値標高データ)から導く事が可能である。水文モデルにおいてDEMを用いるには基本的な問題が二つ存在する。適切な河道網を抽出するための面積閾値の設定と、そしてDEMの解像度が流域地形学的な特徴に与える影響に関する問題である。面積閾値が「流域幅関数」に与える影響及び、DEM解像度が「流域面積関数」に与える影響を調査する為、15の日本の流域を選び出しマルチフラクタル解析を用いた。その結果、それぞれの流域に対し適切な閾値を抽出することができ、またDEMのグリッドサイズを上げるといくつかのスケール情報が失われる場合があることが明らかとなった。

 本水文モデルでは流路を離散化し、離散化された流路の各部分毎にモデル化された二次元斜面を対応させている。これがグリッドベースのモデルと異なるところである。すなわち、流域は河口(あるいはある基準点)からの流路の距離を基準として一次元的に表現され、離散化された流路の各部分にそれぞれ二次元斜面が結合するようにモデル化されている。この中で、流路は本来ネットワーク状であるものを、河口(あるいはある基準点)からの距離を基準として、一つの仮想的な主流路として表現している。本モデルは(1)空間分布モデュール(2)斜面モデュール(3)河川流路モデュールの三つのモデュールから成っている。空間分布モデュールは流域の地形情報、土地利用分布、土壌分布、降水分布、気象条件等を一次元分布関数で表現する。これが水文モデルの骨格を形成する。斜面モデュールにおいては、蒸発散、遮断蒸発、融雪、浸透、表面流出、飽和・不飽和浸透域における地中水の流れ等の水文現象を物理的にモデル化しており、河川との水の交換も行なう。斜面からの流出は、河川流路への側方流入として扱われる。河川流路モデュールでは、キネマティック・ウェーブ法で河川流路内における水の流れを計算する。大流域に関しては、流域はいくつかのサブ流域に分割され、各サブ流域において上記のモデルを適用する。

 本研究における斜面単位・分布型水文モデル(GBモデル)について次の三段階で検証を行なった。

 Å}1流域の幾何学的地形構造の表現性

 (2)流域水文応答

 (3)水文特性の空間分布に関する分布型水文モデルによる結果との比較

 この検証により、本モデルによる河川流量・水文特性の分布は良い結果を得ることが示された。

 次に、DEMの解像度、サブ流域の規模、そして河川流路の離散間隔に対する本モデルの感度について議論した。これらは異なる大きさ、データソースを持つ異なった流域への本モデルの適用において非常に重要なものである。その結果、時間単位の水文応答についてのDEMの解像度の影響は日単位におけるものよりも重要であることが分かった。これは水文応答における空間スケールの影響は、時間スケールと関係があることを意味している。適当なサブ流域の規模と、流路の離散間隔を調べた結果、水文応答におけるサブ流域の規模や、流路の離散間隔の影響は、DEMの解像度の影響よりも小さいことが示された。結局、適切なサブ流域の規模は1000km2のオーダー、河川流路の離散間隔はDEMの解像度の2倍程度の細かさで十分であった。

 中規模の流域への本モデルの適用として、湿潤温帯に位置する日本の三河川、関東地方の渡良瀬川、北陸地方の関川、四国の那賀川における数値シミュレーションを行なった。これらの河川の流域規模は、約700〜1200km2で、流域内において密な気象観測が行なわれている。渡良瀬川での水文シミュレーションでは、貯水池操作も考慮に入れ、1992年から1995年までについて計算を行なった。関川、那賀川へは洪水シミュレーションとして適用した。その結果、長期間シミュレーション、洪水シミュレーション共に良い結果を得た。1000km2規模の流域について、時間単位で1年間水文シミュレーションを計算するのに,SUN Ultra-1(CPU:170MHz)ワークステーションを使って計算すると10分もかからなかった。

 次に、大流域への適用として、熱帯モンスーン地帯に属するタイのチャオプラヤ川流域におけるシミュレーションを行なった。対象流域の広さは、およそ110,000km2(流量観測地点Nakhon Sawanより上流域)である。シミュレーションは1994年から1995年を対象とした。この流域は二つの大きな貯水池(ダム)を含んでいる。また、モデルの計算結果には流量と水文特性の空間分布が含まれている。これらの結果をグリッド・分布型水文モデル(IISDHM)と比較したところ、本研究による斜面単位・分布型水文モデル(GBモデル)は流量に関して同様の良い結果を示した。そして、同様の計算に対して、GBモデルはIISDHMモデルと比較して計算に必要な時間が1/50で済んだ。

 最後に、極めて広大な流域(regional規模)への適用可能性をみるため、有効な入力データが少ないメコン河下流域を対象としたシミュレーションを行なった。その対象流域は約400,000km2で、気象データは非常に限られている。1989年から1990年まで時間単位でシミュレーションを行なったところ、妥当な河川流量を得ることができた。また1年間のシミュレーションに対して、DEC-alpha 433MNzコンピューターを用いたところ4時間弱の計算時間であった。

 以上の結果から、本モデルは長期間シミュレーション、洪水シミュレーションどちらの目的においても、様々な規模、気候特性を持っている異なる流域に適用可能であると言える。流域地形学的な特徴の適切な表現により、有効な入力データが少ない流域においても妥当な結果を得ることが可能となった。極めて大きな流域に関しても、その流域を集中化・単純化する事により、計算時間を大幅に短縮する事を可能とした。よって、これまでの水文モデルでは適用困難であった極めて広大な流域に対しても、本モデルは適用可能であることを示した。

審査要旨

 土地利用・土地被覆の変化が水循環に及ぼす影響の定量的評価、流域水資源計画・管理、気象モデルと水文モデルの結合等のために、流域に空間的に分布する諸特性を表現できる分布型水文モデルの構築が、水文・水資源工学の一つの重要研究課題となっている。これまでに開発されたグリッド単位の分布型モデルは、膨大な計算時間を要し、特に大河川流域への適用は困難なものであった。

 本論文は「Distributed Hydrologic Model Using Hillslope Discretization Based on Catchment Area Function:Development and Applications(流域面積関数を導入した斜面単位・分布型水文モデルの開発と適用)」と題し、既往の分布型モデルの難点を解消することを目的として、地形の2次元分布特性を流域出口までの流下距離に対する1次元関数としてランピングし、かつ斜面と流路における水文現象の物理過程の表現を可能とする新たな分布型水文モデルの開発に挑んだものである。

 論文は、8章よりなり、第1章では計算効率の良い分布型モデルが必要な背景、本研究の目的及び論文の構成が要約されている。第2章では、水文モデルと流域地形特性の表現に関する研究をレヴューし、本研究の方向性を明示している。

 本研究で提案されるモデルの最大の特長は、2次元の地形特性を1次元に集約する流域面積関数(流域出口への流下距離に対する集水面積の分布)と流域幅関数(流域出口への流下距離に対する流路の出現頻度分布)を用いて斜面-流路系を集中化・単純化するところにある。これらの関数、流路網、その他の地形特性指標は数値標高データ(DEM)から計算される。第3章では、日本の15流域に対して、設定する面積閾値及びDEM解像度が地形特性の算定に及ぼす影響を調べている。そうしたスケール効果を調べるには、マルチフラクタル解析の適用が有効であることを明らかにし、幅関数のフラクタル・スペクトラムの形状により、各流域に対して適切な流路網抽出のための臨界面積閾値が判定されることを示している。また、グリッドサイズ250m、500m及び1000mのDEMそれぞれに対するフラクタル・スペクトラムの比較から、低解像度になるほど分布範囲が狭くなり、これは地形に関するスケール構造の単純化に対応していることを明らかにしている。

 第4章では、本研究で提案されるモデルの構成を示しいる。まず、流下距離をある距離区分で離散化し、面積関数は各区分内の面積によって形成される。各区分内には幅関数によってその数が決まるいくつかの流路切片があり、一つの流路切片に対して対称にその区分内で平均的な長さと勾配を持つ2次元斜面要素が付いていると仮定する。また、流路切片を仮想的な単一の’等価流路’に集約し、同じ区分内の斜面要素からの流出はこれに流入するものと仮定する。また、標高、斜面勾配、土壌特性、土地利用・土地被覆等の流域分布特性、及びモデル入力である降水や気温の流域内分布も流下距離に対する1次元関数で表現できることを示している。斜面要素における水文諸過程-樹冠遮断、融雪、蒸発散、不飽和流、地表流、飽和地下水流及びそれと河道流との相互作用-及び等価流路における流れは、物理則に基づく支配方程式で記述されている。この章の最後には、1次元的に計算された出力をグリッド単位の2次元分布情報に変換するアルゴリズムが示されている。

 第5章では、前章で提示された斜面単位・分布型水文モデルの妥当性を、(1)集約された斜面-流路系の妥当性を調べるための短期流出(時間単位)に対する検証、(2)長期流出(日単位)に対する流域水文応答の検証、(3)既存のグリッド単位・分布型水文モデルの空間分布出力との比較、の3つの観点から検討し、モデル・パフォーマンスが極めて良いことを明らかにしている。

 第6章では、DEM解像度(単位とする空間スケール)、分割流域の規模、流下距離の離散間隔それぞれが流域水文応答に及ぼす効果について感度分析が行われる。DEM解像度については、単位空間スケールの増大とともに、日単位シミュレーションではピークが大きくなり低水部が小さくなるのに対して、時間単位シミュレーションでは水文応答が早まること、また、単位空間スケールの効果は短時間シミュレーションにおいてより顕著であること、などが結論付けられている。また、分割流域の大きさは1000km2のオーダが適当であり、流下距離の離散間隔はDEM解像度の2倍程度を採れば十分であることを明らかにしている。

 第7章では、流域規模、気候条件、利用可能なデータ等が異なる河川流域への本モデルの適用性が検討される。まず、流域面積700〜1200km2の日本の3流域(内1流域では貯水池操作の効果導入)に対しては、短期洪水シミュレーション、長期シミュレーションとも極めて良い適用結果を得た。次に、熱帯モンスーン域のタイ・チャオプラヤ川流域(110,000km2、貯水池操作と灌漑の効果導入)への適用において、平坦地が少ない支流域では良好なシミュレーション結果が得られる。しかし、平坦地が広い支流域と本流域では年間流出量が過小で年を超して流域貯留量が累積するという問題点を持つことが分かり、今後この点についてモデルの改良が必要である。計算時間(VT-alpha 433AXP)は、全流域110,000km2の時間単位年間シミュレーションの実施において、グリッド単位分布型水文モデル(IISDHM)で約50時間を要するのに対し、本モデルでは1時間以下である。最後に、流域面積約400,000km2のメコン川下流域への適用において、水文気象データが乏しくかつダム操作や灌漑の情報が得られていないという条件のために、精度的には今後改善・検討の必要はあるが、時間単位年間シミュレーションに要する計算時間は4時間以下であり、気象のメソスケールに対応する大河川流域にも現実的に適用可能であることが示された。

 第8章には、結論と本研究の今後の展開方向がまとめられている。

 以上、本研究は、流域面積関数や幅関数といった地形表現についての最近の成果を先駆的に流域モデルに取り入れることにより、計算効率の極めて高い新たな分布型水文モデルの開発に成功したものであり、冒頭に述べた水文・水資源工学上の要請への貢献が極めて大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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