微生物を利用した廃水からのリン除去法である嫌気好気活性汚泥法(以下、嫌気好気法)は、1970年代に開発されて以来、ユニークな廃水処理技術として工学的に注目されたのみならず、微生物学的な研究対象としても多くの研究者から取り上げられ精力的な研究が行われてきた。この嫌気好気法において高いリン蓄積能力を発揮しリン除去の中心的な役割を担う微生物が存在するはずで、その微生物を特定し、単離し、その特性を調べることは、プロセスの原理を理解し工学的に安定した技術として嫌気好気法を確立するためには非常に重要と考えられてきた。それにも関わらず、そのようなリン蓄積微生物はこれまで単離できずにおり、また単離できない理由も明らかにされていない。そこで、単離をして微生物の特性を調べて行くという伝統的な微生物学の方法ではなく、さまざまな微生物が共存し全体として1つの群集を形成しているような系-複合微生物系-の微生物群集構造を、近年になって新しく開発されてきた分子生物学的な手法や化学分類学的な手法を駆使して、単離操作をすることなく解析して行こうという試みがなされるようになった。本研究はそのような非常に新しい試みを先駆的に行ってきた結果をまとめたものである。 本研究は、「Complex Microbial Community and Its Metabolisms in Enhanced Biological Phosphorous Removal Processes(生物学的リン除去プロセスにおける複合微生物系とその代謝)」と題し、7章よりなる。 第1章は「序論」であり、生物学的リン除去の微生物学的な研究の現状を概観したあと、本研究の目的が記されている。 第2章は「文献レビュー」であり、生物学的リン除去に関する既存の研究の概要を、主として生物化学的な代謝の側面、および、プロセス内で主要な機能を果たす微生物群に関わる微生物学的な側面から整理している 第3章は「研究方法」であり、研究全体を通じて用いた実験手法や分析方法がまとめられている。また、本研究で用いた2種類の嫌気好気法実験装置の詳細が説明されている。 第4章および5章が本論文の中心となる研究結果の章である。第4章は「酢酸とグルコースを基質としたときのリン除去汚泥の微生物群集構造と代謝」と題し、4つの嫌気好気法回分式反応槽を、酢酸かグルコースを主要炭素源としリン過剰または不足の条件で運転し、そこで得られるリン除去能力に優れたまたは乏しい汚泥の代謝の特性および微生物群集構造を解析した結果について述べている。とくに、その群集構造解析に関しては、形態学的な特徴による解析のほか、呼吸鎖キノンプロファイルをバイオマーカーとした化学分類学的な解析、リボゾームRNAをターゲットにした蛍光In-Situハイブリダイゼーション法(FISH)を用いた系統分類に基づく解析も行った。 その結果として、ポリリン酸蓄積微生物(PAO)の卓越した汚泥と、リンを蓄積せずグリコーゲンを蓄積する微生物群(GAO)が卓越する汚泥では、形態学的には明らかな差があり、生理学的にも異なった代謝が見られたが、キノンプロファイルやFISHの結果によると両者は見かけ上はあまり差がないことがわかった。また、ここで解析した汚泥はリン含有率の高い汚泥も低い汚泥も、形態学的・化学分類学的・系統分類学的のいずれの立場からも多様性が高いと言えることもわかった。以上のことは、生物学的リン除去法汚泥の微生物群集は1種類のポリリン酸蓄積細菌が優占しているのではなく、複数の優占微生物種が共存していると考えるべきであることを示唆している。これまで、限られた種類の「リン蓄積微生物」が存在しそれらがリン除去を担っているという考え方が当然のように受け入れられてきたが、そのような既存の常識をくつがえす結果となった。 第5章「リン除去活性汚泥法における原性動物と糸状性微生物の変動」では、リン除去プロセス中での原生動物と糸状性微生物の挙動に注目した。リン除去が悪化している期間には原生動物数とくに繊毛虫類が一般に多く、リン除去の回復と同時に原生動物は減少するという現象が認められ、原生動物数とリン蓄積細菌数の間には明かな逆相関があることが指摘された。また、糸状性細菌としてはType021Nが多く、糸状性微生物が過剰に増殖するとリン除去は悪化した。以上のように、繊毛虫類や糸状性細菌の増加とリン蓄積細菌の卓越は相反して生ずることが確認されたが、両者の間の生態学的な関連はまだ明かでなく今後検討する必要があるとしている。 第6章は「結論」であり、本研究全体を総括し結論をまとめた上で今後行うべき研究について提言している。 また、第7章は「付録」であり、各種の微生物や微生物群集の顕微鏡写真や画像情報が添付されている。これらは本研究に於いて重要な意味を持つデータと位置づけられる。 本論文の最大の功績は、リン除去の良好な汚泥と良好でない汚泥の微生物群集構造を生理学的・微生物形態学的・化学分類学的・系統分類学的な視点からそれぞれ比較した上で、リン除去汚泥の本質的な多様性を指摘した点、およびリン除去の悪化に原性動物が関与している可能性を初めて実験的に示した点にある。これらの点は、今後の生物学的リン除去に関する基礎研究のありかたにに大きく影響を与えるものである。以上のような観点から、本研究は都市工学とりわけ環境工学の発展に大きく寄与するものである。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |