臨海部の産業構造転換、都市デザインにおける環境的価値の認識、都市社会の変化といった共通の要因によって、世界中の都市部ウォーターフロントが大きく変化していった。イギリスではウォーターフロントの変化は臨海産業の衰微に起因する都市内の問題であると考えられている一方、アメリカにおける見方では、その変化は都市更新の一過程と考えられている。アジアでは、横浜や香港のように土地を多く得たいという都市において、ウォーターフロントの変化はおもに新しい経済活動の場を設けるために都市空間を再構成しようとする行政の政策によるものである。西洋の都市と異なり、これらのアジア都市はインナーシティの問題を経ておらず、港湾活動が過剰な状態に陥る前に、機能の計画的な移動が行われてきた。しかし、アメリカで1960年代初頭にはじまったウォーターフロント都市開発の計画・デザインの考え方は、1970・80年代のヨーロッパ都市に、また80年代後半から90年代のアジア各国やオーストラリアに大きく影響を与えたということができる。 ウォーターフロントの変質を生み出す要因のすべては都市開発の枠組みによるものであるが、計画的・都市デザイン的視点からみてウォーターフロント開発は特別のものであることが多くの理由から指摘できる。ウォーターフロント開発は埋め立てを行い、水面を取り込み、多くの開発主体を巻き込む。実際、ウォーターフロント開発は都市更新や新規開発を行った後の都市にとってもっとも新しい機会である。現在までに完成をみたウォーターフロント開発プロジェクトは殆どない。 1960年代にはじまったウォーターフロント開発は1970年代にはうまくいかなくなり、1980年代には旧来の都市開発手法が公民協調の新しい方向へ変化したが、これも1990年代には景気後退のために危機の状態に陥った。ウォーターフロント開発は明確な理論的基礎を欠いており、現在進行中のウォーターフロント開発は以前おこなわれた都市開発の経験的知識に基づいている。 この論文は異なる都市における3つの著名な事列、すなわちバッテリーパーク(BPC,ニューヨーク)・みなとみらい21(MM21,横浜)・中環及湾仔填海計画(CWRP/Central and Wanchai Reclamation Project,香港)を比較研究することにより、都市計画・都市デザインの視点からウォーターフロント開発を論ずるものである。ロンドンのドックランドはこれら三例とは異なって長い歴史を持ち、ウォーターフロントの計画やデザイン上重要であるということから、背景的な事例研究を行う。それぞれの都市は異なるウォーターフロントの開発手法をとりながら異なる計画的・社会政治学的な次元を持つが、経済面や、CBDに近い位置取り、また都市に新しい場をつくるための割り当て土地利用といった点で比較が可能である。 論文全体は四部に分かれる。第1部では文献研究を行い、分析のための構成を示す。四つのウォーターフロントの事例研究は第2部で示される。第3部は三章に分かれており、配置マスタープラン、開発コントロール、そして都市開発プロセスと実施の枠組みという相互関係のある三つの分析について論考する。最後に第4部で結論及び助言を述べる。この研究では、複雑な現象であり何年あるいは何十年を必要とするウォーターフロント開発において、都市デザインの枠組みが欠如していたことが認識された。都市デザインの枠組みを提案し、その枠組みに基づき次の章でウォーターフロント開発の様々な側面について分析する。 三例のマスタープランの検証から判ったことは、BPCに比較してCWRPやMM21のマスタープランは、水際の空間、通りから水面への眺め、公共空間等といった公共の領域を扱う上で弱点があるということである。このことは開発コントロールに関する分析でも強調される。アジア都市は都市デザインの要素を誘導する開発コントロールの手法を欠き、実施していない。公園や遊歩道といった多くのオープンスペースが水際に沿って配置されているものの、歩行者を水際に導いていくためのデザインツールは成功していない。実際、ウォーターフロントのデザインは「外側は内側(outside is inside)」であるべきだが、MM21、CWRPとも「インナーモール」に重点を置き、通りから切り離された歩行者ネットワークを提唱している。さらにこれらの例は、開発コントロールと実施の枠組みにおいて他の非ウォーターフロント地区にも適用可能な通常の都市計画プロセスをなぞり、ウォーターフロントの場所性が公共に与える格別の機会を見失っている。対照的に、BPCでは通常の計画プロセスでは1969年の開発マスタープランを実施できず、1979年の新しいマスタープランではウォーターフロントの土地を開発するために都市デザインのアプローチをとった。アジアの事例では、都市計画・開発コントロールは空間形成や街路景観のデザイン等の質的な面よりも、交通や他の施設等のインフラを量的に供給することに重点が置かれる。さらにこれらのアジア都市において、香港では経済上の理由によって、また横浜では戦争や地震によって、都市構造は継続的な変化の状態にある。その結果、これらの都市は計画及びデザインにおいて伝統的なヴォキャブラリーを有してこなかった。ウォーターフロントにおける新しい都市形態は周囲の既存地域と明確な違いをもってつくられ、「構築的破壊(constructive destruction)」または「破壊的構築(destructive construction)」であったと言える。 また、都市開発プロセスと実施の枠組みの検証によって、アジアの事例とアメリカの比較対象の間の明らかな違いがもうひとつ示される。BPC開発の初期段階では政治上の論争が特徴的であったことに対し、アジアの都市では政治的な意見の一致がプロジェクトの円滑な「開始(startup)」を導き、スケジュールに沿った円滑な実施を行っているのである。 それにも関わらず全ての事例において、土地の埋め立てによる完全な利益を得ること、水面の取り込み、周囲の地区との統合といった点において成功したとは言えなかった。土地の埋め立てが都市デザインという目的を取り込み得ていたならば、ウォーターフロント開発はもっと実りのあるものになっていた可能性がある。 最後に、広範囲にわたるが明快な助言が述べられる。まず、ウォーターフロント開発は政治上の強固な責任に基づくグループ間で意見の一致を必要とする長期計画ということである。BPCの初期の場合のような数人の政治家間の浅いコンセンサスは、数年後に計画が実行されるときまで維持できない。第二に、ウォーターフロントの敷地はその都市の他地区と比較して特別の性質のものということである。そのため、計画のアプローチと開発コントロールの仕組みは、既存の仕組みではうまく実行されなかったウォーターフロントの事例とは異なるものでなければならない。第三に、公民協調の原則に基づくウォーターフロント開発は柔軟なアプローチを必要とする。特に、地方のコンテクストをもつウォーターフロント地区を形成していく際にデザインガイドラインは有効である。デザインガイドラインは全ての主体に有益である。開発者と協議する際には計画利益の道具となり、開発者にとっては投資の源であり費用と利潤を計算できる。建築家にとってはデザインの枠組みとなり得る。建築家と開発者の両者が時間を節約できる。一般市民にとっては公的な確実性と考えうる。開発グループ間の協議の場は必要であり、これらのガイドラインは意見の一致の後のわずかな修正をみることとなる。第四に、都市構造のうちごく小さな部分が多くの点において望ましく、有益である。それは部分ごとに行われるインクリメンタルな開発を促し、市場の状況にすばやく反応することができる。第五に、MM21・CWRPともに開発コントロールは単純であり、はじめから政治上のコンセンサスがとられていることから都市デザインガイドラインが適用可能であることが言える。 最後に、BPCからは開発における都市デザインのアプローチの重要性を学ぶことができ、またMM21やCWRPでは開発の実施を成功させるために政治上のコンセンサスの必要性が教訓であったことが指摘できる。 |