入港、着桟のように低速時には大型船の操縦制御は極めて困難である。それは、低速で運動方程式の非線形性が強く通常の線形制御理論を応用しにくいこと、質量に比して制御力が小さく制御入力がすぐに飽和してしまうこと、また波浪や風の外乱を受けやすいことがあげられる。一方、最近急速に応用されることの多くなったH∞制御理論では、システムの変動、外乱の抑圧を制御理論に取り込んで合理的な設計を行なうことができる。 本論文では、非線形運動方程式を、線形運動方程式の変動として表現し、また制御入力の飽和についても飽和要素として取り扱わず、ゲインの変動として取り扱い、外乱の抑圧についても取り入れ、H∞制御の新しい利用方法を提案する。 本研究では低速操縦運動方程式の船速に関する非線形性と制御入力の飽和を以下のように考える。 非線形の操縦運動モデルについては、Fig.1に示したように、線形化された方程式が本来の非線形方程式の上を辿るように変動するモデルとして表すことによりH∞制御に取り入れる。 飽和要素については、Fig.2に示したように飽和が発生したとき制御系のゲインが低減することと等価と考えられる。飽和要素のゲインkを次のように定義する。 ただし、aは飽和要素の上限値であり、Arは飽和要素の入力である。飽和が発生していないときゲインkを1とすると飽和が発生したときのゲインkは1より小さくなる。 Fig.1 Nonlinear equation approximation by variant linearized equation Fig.2 Saturation in terms of gain variation H∞制御系をFig.3に示す。 感度特性をw1からz1、外乱の抑制性をw1からz2、測定ノイズの抑制性をw2からz2、ゲインの変動に対するロバスト安定性をw3からz3の伝達関数でそれぞれ評価する。 Fig.3 H∞ control system 設計されるコントローラK(s)は次の評価関数 を満たす。ここで、WS,WT,,1,k0を与えることでK(s)を求める。その具体的な算出法はリッカチ方程式を解く通常のH∞コントローラを求めるものと同じである。 Fig.3のように制御系を構成し、評価関数(2)〜(5)を満たすH∞コントローラを設計するプロセスをFig.4に示した。 Fig.4 Design process この設計プロセスにより制御系の設計はパラメータ、ksを調整しながら行われる。ksはゲインの変動範囲を示し、ks=a/Armaxである。このプロセスにおいて、モデルの非線形と外乱をWS(s)に含み、の調整によって制御系の外乱抑制性及びモデル変動に対するロバスト安定性について最適化を行い、最小のは数値解析の二分法によって求められる。そして、飽和要素に対してロバスト安定性を保証できる制御系の設計はパラメータksの調整によって行われる。 このプロセスを低速操縦運動制御系の設計と針路不安定船の自動変針制御系の設計に適用して、その有効性を立証した。 低速操縦運動制御系の設計については、15万トンのタンカを対象とし、小瀬教授の非線形方程式をu0=2.5m/s、v0=0.125m/s、r0=0d/sで線形化した線形モデルを用いた。そして、外乱としては風の影響を考えDavenportのスペクトルと船速変化によるモデル変動の周波数特性によって重み関数WS(s)を決め、WT(s)をWS(s)に応じて設定した。Fig.4に示したロバスト制御系の設計プロセスにしたがって、サージの速度変動範囲を0.0〜5.0m/s、スウェーの速度変動範囲を0.0〜0.25m/sと設定し、制御システムを設計した。 設計された制御系のパフォーマンスを解析した結果により制御システムは設定した速度範囲で変化する速度に対してロバスト安定性を持つと言える。また、非線形シミュレーションを行い、設計された制御則が有効であることを確かめた。 さらに、針路安定な船舶では、ゲインがいかに小さくても本質的に安定であり、針路不安定な船舶の場合についての本手法の有効性が危惧される。そのため、針路不安定船についても同様に設計を行い、本手法の有効性を確かめ、また安定限界も明確に出来ることが分かった。 結論として、以下のことが挙げられる。 (1)操縦運動方程式の船速に関する非線形性と制御入力の飽和をシステムの変動として表現することにより、非線形システムの問題をH∞制御という線形制御理論で取り扱うことが可能になった。 (2)安定な船舶の場合、ゲインの変動は安定性には影響を与えることなく、変動を考慮した設計により本質的に制御則が変わることはないが、一方不安定船の場合には本手法によりその安定限界を明瞭に与えることが出来る。 (3)また、総じてH∞制御が過度な安定性を与え、必ずしも最良の制御則を与えるものでない。 以上、本研究により、非線形システムの新たな取り扱い方を示し、有用な知見を得た。 |