学位論文要旨



No 113849
著者(漢字) 譚,鳳陽
著者(英字)
著者(カナ) タン,フェンヤン
標題(和) システムの非線形性を考慮した大型船舶の低速操縦運動ロバスト制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 113849
報告番号 甲13849
学位授与日 1998.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4246号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 小山,健夫
 東京大学 教授 前田,久明
 東京大学 教授 浦,環
 東京大学 助教授 鈴木,英之
内容要旨

 入港、着桟のように低速時には大型船の操縦制御は極めて困難である。それは、低速で運動方程式の非線形性が強く通常の線形制御理論を応用しにくいこと、質量に比して制御力が小さく制御入力がすぐに飽和してしまうこと、また波浪や風の外乱を受けやすいことがあげられる。一方、最近急速に応用されることの多くなったH制御理論では、システムの変動、外乱の抑圧を制御理論に取り込んで合理的な設計を行なうことができる。

 本論文では、非線形運動方程式を、線形運動方程式の変動として表現し、また制御入力の飽和についても飽和要素として取り扱わず、ゲインの変動として取り扱い、外乱の抑圧についても取り入れ、H制御の新しい利用方法を提案する。

 本研究では低速操縦運動方程式の船速に関する非線形性と制御入力の飽和を以下のように考える。

 非線形の操縦運動モデルについては、Fig.1に示したように、線形化された方程式が本来の非線形方程式の上を辿るように変動するモデルとして表すことによりH制御に取り入れる。

 飽和要素については、Fig.2に示したように飽和が発生したとき制御系のゲインが低減することと等価と考えられる。飽和要素のゲインkを次のように定義する。

 

 ただし、aは飽和要素の上限値であり、Arは飽和要素の入力である。飽和が発生していないときゲインkを1とすると飽和が発生したときのゲインkは1より小さくなる。

Fig.1 Nonlinear equation approximation by variant linearized equation Fig.2 Saturation in terms of gain variation

 H制御系をFig.3に示す。

 感度特性をw1からz1、外乱の抑制性をw1からz2、測定ノイズの抑制性をw2からz2、ゲインの変動に対するロバスト安定性をw3からz3の伝達関数でそれぞれ評価する。

Fig.3 H control system

 設計されるコントローラK(s)は次の評価関数

 

 

 

 

 を満たす。ここで、WS,WT,,1,k0を与えることでK(s)を求める。その具体的な算出法はリッカチ方程式を解く通常のHコントローラを求めるものと同じである。

 Fig.3のように制御系を構成し、評価関数(2)〜(5)を満たすHコントローラを設計するプロセスをFig.4に示した。

Fig.4 Design process

 この設計プロセスにより制御系の設計はパラメータ、ksを調整しながら行われる。ksはゲインの変動範囲を示し、ks=a/Armaxである。このプロセスにおいて、モデルの非線形と外乱をWS(s)に含み、の調整によって制御系の外乱抑制性及びモデル変動に対するロバスト安定性について最適化を行い、最小のは数値解析の二分法によって求められる。そして、飽和要素に対してロバスト安定性を保証できる制御系の設計はパラメータksの調整によって行われる。

 このプロセスを低速操縦運動制御系の設計と針路不安定船の自動変針制御系の設計に適用して、その有効性を立証した。

 低速操縦運動制御系の設計については、15万トンのタンカを対象とし、小瀬教授の非線形方程式をu0=2.5m/s、v0=0.125m/s、r0=0d/sで線形化した線形モデルを用いた。そして、外乱としては風の影響を考えDavenportのスペクトルと船速変化によるモデル変動の周波数特性によって重み関数WS(s)を決め、WT(s)をWS(s)に応じて設定した。Fig.4に示したロバスト制御系の設計プロセスにしたがって、サージの速度変動範囲を0.0〜5.0m/s、スウェーの速度変動範囲を0.0〜0.25m/sと設定し、制御システムを設計した。

 設計された制御系のパフォーマンスを解析した結果により制御システムは設定した速度範囲で変化する速度に対してロバスト安定性を持つと言える。また、非線形シミュレーションを行い、設計された制御則が有効であることを確かめた。

 さらに、針路安定な船舶では、ゲインがいかに小さくても本質的に安定であり、針路不安定な船舶の場合についての本手法の有効性が危惧される。そのため、針路不安定船についても同様に設計を行い、本手法の有効性を確かめ、また安定限界も明確に出来ることが分かった。

 結論として、以下のことが挙げられる。

 (1)操縦運動方程式の船速に関する非線形性と制御入力の飽和をシステムの変動として表現することにより、非線形システムの問題をH制御という線形制御理論で取り扱うことが可能になった。

 (2)安定な船舶の場合、ゲインの変動は安定性には影響を与えることなく、変動を考慮した設計により本質的に制御則が変わることはないが、一方不安定船の場合には本手法によりその安定限界を明瞭に与えることが出来る。

 (3)また、総じてH制御が過度な安定性を与え、必ずしも最良の制御則を与えるものでない。

 以上、本研究により、非線形システムの新たな取り扱い方を示し、有用な知見を得た。

審査要旨

 本論文は、低速時の船体運動制御システムを念頭に置き、H∞制御手法を基礎として、支配方程式や制御要素に非線形要素が含まれる系の制御システム設計法を論じたものである。運動方程式に含まれる流体の動圧に起因する非線形項とプロペラや舵などの制御出力の飽和を線形システムの変動として捕らえ、線形のH∞制御手法の枠組みに取り込み、あわせて外乱抑圧機能を実現しようとするものである。

 本論文は、6章からなり、付録が添えられ、本文を補強するものとなっている。

 まず、第一章では序論として、本論文の研究目的、従来の研究と本研究の位置づけが述べられている。この種の船舶の制御においては、オートパイロットがその成功例であるが、これは十分に速力が大きく、方程式も線形近似が有効で、また舵の効果も十分であることが前提である。本論文ではこれの対極にあり、方程式の非線形項が支配的で、かつ制御器も飽和してしまうが、もっとも制御システムを有効に利用したい低速域での問題に対して検討する。そこで、最近発展の著しいH∞制御理論に着目している。これは、システムの変動と、外乱抑圧のための合理的な設計法としており、本論文で提案する手法の理論的な体系として利用しうることを述べている。

 第二章では、H∞制御理論の概要と飽和要素の表現手法について述べている。

 H∞制御理論は、近年盛んにその実システムへの応用が発表されている。それは、小ゲイン定理に基づく安定性理論であって、外乱抑圧とシステムの変動とを合理的に設計に取りいれることができる。混合感度問題などのH∞制御の諸問題とその設計アルゴリズムについて、まとめている。また、そのロバスト安定性の解析方法として解析法を紹介している。教科書的なおさらいであるが、必要部分を手短にまとめている。

 また飽和要素については、この論文の独創的な部分である。ある範囲内で線形、それ以上の値に対しては一定値をとる要素である。その一定値範囲においては、その点と原点を結ぶ直線で近似して、ゲインの変動として取り込むことを考え、加法的変動システムとして表現した。これによりH∞制御に取り入れられることを示した。

 第三章では、運動方程式と外乱である風による外力の評価方法について検討している。操縦運動方程式としては、一般的な式を紹介した後、信頼に足る実験データのある、15万トン級タンカーに関する小瀬邦治教授の式を用いている。風の表現についても、著名なダーベンポートのスペクトラムを用いて、船舶技術研究所での各種船舶の風圧力に関する実験結果をもとに算出することとしている。サイドスラスター等の制御器については、特に実験等によることなく、カタログ値を元に設定している。

 第四章では、低速船の制御システムを例として本論文で提案する設計法が示されている。まず非線型方程式を線形化して表現し、方程式の変動範囲を与える手法について論じ、さらに重み関数の設定を行う手法について述べている。また途中に含まれる設定パラメタについても繰り返し計算により求める手順を提案している。前述の小瀬教授の式を用いて、具体的な計算を行っている。安定性の評価について関数を用いて考察している。また、外乱の抑圧については、シミュレーションを用いて検討し、設計時に与えた性能が得られたとしている。

 第五章では、入力の飽和を考慮した設計手法について論じている。すでに示した飽和要素の表現を用いて、パラメタに関して繰り返し計算を行う設計法を提案している。針路安定と不安定の二つの船舶について実例を挙げ、検討している。その結果、針路安定な船舶では、ゲインは0までの変動が許されるきわめて安定な制御システムが構成でき、針路不安定な船舶では設定した変動範囲で安定化が行える設計法であることを、実例を以って示している。この章で示された結果は、H∞制御手法と本論文で提案する手法の本質的な特質を明確にしたものとして大変に興味ふかい。

 第六章では、以上の論を取りまとめて結論としている。ここでは、方程式と制御要素の非線形を変動として捕らえ、H∞制御システムの枠組みで考えることができるようになり、その一般的な設計法について提案し、シミュレーション等を通して性能の確認を行ったとしている。また、H∞制御手法では、安定性に過剰の力点が置かれるきらいがあり、制御性能と言う意味では必ずしも満足すべき結果とならないことも述べられている。

 付録には、本文を補うものとして、用語集、PIDシステムとのシミュレーションによる比較が掲載されている。

 以上、非線形制御問題に対して新たな観点から取り組み、システムの変動に置き換えて、線形H∞制御法に取り入れたことは、この分野における有益な知見であり、その事が安定性計算やシミュレーション等を通じて詳しく論じられている。本論文は船舶制御のみならず制御理論の発展に資するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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