近年、水溶液中に存在するOH,SO4-〓,NO3・,Cl2-〓(Cl・),CO3-〓などの無機ラジカルの関わる化学反応の理解が重要と認識されている。これらは、オゾン破壊、硫黄酸化物や窒素酸化物の酸化による酸性雨の発生等の地球規模の環境問題と密接であること、また使用済核燃料の再処理により発生する高レベル放射性廃棄物の地層処分において、放射線照射により引き起こされる地下水の化学環境変化の評価にも関連する基本的なデータであるためである。本研究はこれらの問題に関わる基本的データ整備の一貫として、関連すると思われる反応をとりあげ、パルスラジオリシス及びレーザーフォトリシス法を活用することにより水溶液中無機ラジカルの酸化還元反応の実験的研究を行ったもので、論文は9章から成っている。 第1章は先に述べた環境問題に関わる大気化学、高レベル廃棄物の地層処分における地下水化学等を紹介し、この研究の目的と重要性をまとめている。第2章は水溶液の放射線化学反応を概観、整理している。続いて第3章はパルスラジオリシスとレーザーフォトリシス法を紹介し、これらの併用が両手法による相互確認、相補的な活用によって、初期過程の理解に有用であることを示すとともに、観測対象化学種の光学的な特徴に応じた解析法についてまとめてある。第4章以下が、各課題の結果について述べたものである。 第4章では、塩素イオンを包括する塩素オキソ酸(ClOn-)と各種無機ラジカル間の酸化還元反応の速度定数を決定している。これらの反応についてはいくつかの報告がされているものの網羅的でないため、ここでは系統的に実験を行い、従来の報告値の再評価も含めて行っている。従来の報告はおおむね信頼できることや、HClOに比べClO-の反応性が極端に高いことなどが明らかにされた。 第5章はClO3・ラジカルの還元ポテンシャルの決定について述べている。ClO3・ラジカルについては、最近このスペクトルが報告されているが、その特性を示す還元ポテンシャルについては決定されていない。ここでは、ClO3-(塩素酸イオン)と硫酸ラジカルや硝酸ラジカルとの反応でClO3・を発生できること、さらにこの反応の平衡濃度あるいは順逆方向の反応速度を実験的にもとめることから平衡定数を導出し、既知の硫酸及び硝酸ラジカルの還元ポテンシャルを組み合わせることによりClO3・ラジカルの還元ポテンシャルを2.35Vと決定し、このラジカルが非常に酸化性の高いラジカルであることを示した。 第6章は炭酸イオンから生成するCO3-〓/HCO3・ラジカルの酸-塩基平衡の再検討について述べてある。炭酸ラジカルのpKaはこれまで2つの値が報告されており、この値は反応性に関係するので再評価が必要と判断したためである。従来から広く用いられている、対象ラジカルのモル吸光係数のpH依存性の測定手法ではpKaの決定は困難であること、報告のうち同様の手法を用いて評価された値は訂正を要することを示した。2種の溶質を用いて炭酸ラジカルとの反応のpH依存性の測定を行いpKa=9.5±0.2と決定した。残り一方の報告値が妥当であることを結論するとともに、反応性のpH依存性についても考察している。 第7章はBrO3-の光分解によって生成する水和電子とBrO3・ラジカルについて調べている。BrO3-の光分解は複数の経路があることが知られているが、電子放出とBrO3・ラジカル生成についてはこれまで提案があるものの、実験的に確認はされていないため、これを確認するとともに、その過程の量子収率を決定することを目的としている。確かに水和電子生成が観測できること、その量子収率を0.08±0.008と決定し、溶質自身との反応が速く、サブマイクロ秒で減衰することが、これまで観測を困難にしていた要因であることを明らかにした。さらに、次章で述べる理論を適用することにより、BrO3・ラジカルの還元ポテンシャルを2.24Vと決定した。 第8章はこの研究で決定した種々の反応速度をマーカスの電子移動の理論に基づいて検討した。理論に基づく予想値は実験値と強い相関を示すことから外圏型の電子移動で説明できると提案している。 第9章は本研究の総括である。 以上、要すれば広く環境科学に重要と考えられる基本的な無機ラジカルの酸化還元反応を検討し、システム量子工学、特にビーム物質相関研究への寄与は少なくない。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |