ガ性フェロモン生合成の至近制御要因は、フェロモン生合成活性化神経ペプチド(PBAN)とよばれる神経分泌ペプチドである。PBANは食道下神経節で合成・放出されることがわかっているが、PBANの構造はこれまでにわずか3種のガ類において明らかにされただけであり、PBANの挙動や細胞内外におけるシグナル伝達機構の解明にはさらに多くの種のPBANの構造と機能を明らかにすることが重要である。 本論文は二部構成で、第一部(第I章から第III章)では、タバコガHelicoverpa assulta PBANの構造と機能に関する生理学的および分子生物学的研究について、第二部(第IV章)では、カイコガBombix mori PBAN受容体の構造解明の試みについて論じている。 I.タバコガにおける性フェロモン生合成の経時変化 1日齢の処女雌で性フェロモン生合成の日内変化を調べたところ、性フェロモン生合成が暗期に集中することがわかった。アルデヒド3成分の変化は互いに似たパターンを示し、暗期の中間に最大になったが、アセテート成分は暗期の末期に明瞭なピークを示した。つぎに羽化後1〜10日齢の処女雌の性フェロモン生合成を調べたところ、1日齢において最大レベルにあり、それ以後は加齢にともなって減少する傾向が示された。 II.タバコガPBANが性フェロモン生産に与える影響 処女雌の頭胸間結紮および断頭は性フェロモン生産を完全に抑制した。明期に調製した雌雄の頭部抽出物、雌雄の脳-食道下神経節複合体(Br-Sg)抽出物、合成PBAN(Helicoverpa zeaのPBAN;Hez-PBAN)を断頭処女雌に注射したところ、いずれも同レベルでZ9-16:Aldが合成された。これらの結果は、Br-Sgで雌雄や明暗を問わずPBAN(様因子)が蓄積されていることを示唆する。1頭分の雌頭部抽出物を断頭処女雌に注射すると、Z9-16:Ald生産は45分後にピークを迎えたが2時間後にはほぼ収束し、PBANが継続して血液中に放出されていることがうかがえた。生合成量は注射量により変化し、合成PBANでは最低1fMからZ9-16:Ald生産が誘導されたが、1pM〜10pMの間では有意差は見られなかった。 III.タバコガPBAN cDNAのクローニング タバコガPBAN(Has-PBAN)のcDNA(756塩基)を、タバコガ成虫のBr-Sgより単離して塩基配列を決定した。cDNAから推定されたプレプロホルモン(194アミノ酸残基)がプロセッシングを受けて、共通のペプチド配列(FXPRL)をC末端に持つPBANと4種のペプチドが生成するものと予想された。これらのアミノ酸配列は、近縁種H.zeaのHez-PBANと4種のペプチドとそれぞれ完全に一致した。以上から、タバコガ雌成虫は自身のPBANを性フェロモン生合成に利用していると考えられる。雌雄成虫のBr-Sg由来mRNAのノーザン解析では,いずれもHas-PBAN cDNAに相当する1本のmRNAバンドが見られ、その発現量は雌雄で同じレベルだった。よって雄に存在する性フェロモン生合成活性化因子もHas-PBANであることが示唆されたが、雄におけるHas-PBANの生理機能は不明である。 IV.カイコガのPBAN受容体 ビオチン標識されたPBANを用いて、パニング法によるカイコガのPBAN受容体cDNAのクローニングを試みた。合成PBANをビオチン標識してHPLC分析した結果、PBANよりも保持時間が長い二つのピークが得られた。抗ビオチン抗体との結合、およびTOF-MS分析の結果から、二種のビオチン化PBANの生成が確認された。ビオチン化PBANを断頭処女雌に注射したところ、用量依存的に性フェロモン生産が誘導され、ビオチン化がPBAN活性に影響を与えないことが示された。雌の性フェロモン腺由来のmRNAからcDNAライブラリーを作成し、一次スクリーニングで陽性クローンを含む1.5×104個のクローンを得たが、二次スクリーニングで陽性クローン率を上げることはできなかった。 以上要するに、タバコガ雌成虫は自身のPBAN(Has-PBAN)により性フェロモン生合成を促進しており、cDNAから推定されたHas-PBANのアミノ酸配列は近縁種のH.zeaのPBAN(Hez-PBAN)のそれと全く同一であることを明らかにした。Has-PBANは性や明暗に関係なく合成・蓄積されるが、雄における機能は不明である。また、カイコガにおいてビオチン化PBANがPBAN活性を保持し、かつ抗ビオチン抗体との免疫反応性を有することを明らかにし、パニング法によるPBAN受容体cDNAクローニングにおけるビオチン化PBANの有用性を示した。以上の結果は学術的にも応用的にも寄与するところが大であることから、審査委員一同は本論文が博士(農学)を授与するに値することを認めた。 |