内容要旨 | | 環境に対する関心が十分に高まっている昨今,農業経済学の分野でも農業部門の有する外部性を扱い,またその評価を行う研究が盛んになりつつある。この分野では,いくつかの分析手法による研究が行われており,本論文で用いるヘドニック法もその一つである。これまでもヘドニック法を用いた分析は数多く行われており,観察地域,データの出所,扱い方および手法の細部に関して様々な違いがある。また,得られた帰結についても,農業部門をアメニティととらえうるとする,つまり農業の持つ環境価値を正とみなすもの,その逆にそれを否定するものがある。 以上のように,既存の研究を比べてみた場合に,農業部門の有するネットの環境価値の符号(正・負)が分析によって異なっている。この背景の一つとして,計測するモデルの特定化およびデータ・観察単位に違いがあることが考えられる。例えば,Maruyama et al.(1995)は,集計レベルの違い,すなわち観察単位(地域)がどの程度集計されているのかによって,農業部門のもつ環境評価が異なることを示している。既存の研究のうち,より集計された地域レベルでは,農業部門は正の環境価値を持つことが示されている。しかし,彼らが推計した集計度の低いレベルでは,農業部門はnetで負の価値を有することを強調している。しかし,彼らが指摘する,観察地域の集計度を低めた場合に,農業部門が負の環境価値をもつ点に関しては,未だその一般性が認められているわけではない。これまで,その点を明示的にあつかったものはなく,また,既存の研究を単純に比較することは,モデルの特定化およびデータの違いにより,かなりの留保が必要とされる。 本論文は,この点を明らかにするもので,3つの集計段階のデータでヘドニック方による分析を行い,農業部門が有する環境価値を比較する。手法についても統一し,ヘドニック関数の推計については最小二乗法(OLS)を用いている。 加えて,これまでの多くの研究のように農地をひとくくりに扱うのではなく,用途別に農地を分けた上で,農地・森林について環境価値を推計している。 また,農業のもつ限界的な環境価値についても算出している。ヘドニック関数の推計では,先に示したような用途別に分けた農地を説明変数としているため,限界価値を用途別に推計することができ,またこれらを用いて,日本全体での農業部門の環境価値を得ることができる。 本論文の目的は,農業のもつ環境価値を推計するものである。その主な内容は以下の4点である。(1)農地を用途別に分けた上で,農地・森林の環境評価を集計レベルの異なる観測単位で推計すること,(2)集計レベルの違いが,農業の環境価値,特にその符号にどのような影響を及ぼすのかを検討すること,(3)農地の限界的な環境価値をいくつかの県レベルで検討し,都市化との関連で分析すること,(4)日本全体で,農地および森林の有する環境価値を推計すること。 上記の1点目および2点目に示した,集計レベルと農業のもつ環境価値との関連については,national revel,,regional revel(1),regional level(2)の3つの集計レベルでヘドニック関数を推計した。national levelとregional revel(1)については,Tada(1995)の手法によるところが大きいが,本論文の計測ではTada(1995)とは異なり,バブル期ではない1996年で推計を行っている。また,regional level(1),regional level(2)は,6つの道府県を選び推計したものである。ヘドニック関数を推計することにより,各県ごとに農地・森林の増大がもたらす限界的な価値を測ることが可能になる。本論文では,県ごとに得ることができる限界的価値を比較している。この限界価値の指標としては,従来から用いられているshadow priceに加えて,県ごとの比較をより可能にする’marginal effects’を定義した。 以下に,今回の推計から得られた帰結についてまとめる。 national levelのヘドニック関数の推計では,ほとんどの農地に関するパラメータは正でかつ統計的に有意なものを得ることができた。これは,農地がamenityであることを示すものである。集計度を低めた,regional level(1)での推計では,有意なパラメータの数も減り,その符号についても正・負両方ともに見られる。このレベルでは,農業の持つ環境の価値について,一元的にネットの意味でamenityであることを示すことはできない。level(2)のデータでは,同様にパラメータの符号は,農地のタイプによって,また推計した地域によっても異なっている。 農地のもつ環境価値が地域によって異なるが,これは道府県の都市化の水準によって影響を受けるものと考えられる。このことをみるために,’marginal effects’による分析が有用である。’marginal effects’と都市化の水準(人口密度)を6つの道府県で比較した場合,水田および畑地については,都市化が進んでいない県で,’marginal effects’が低く,これは都市化に伴い増大している。しかし,高度に都市化が進むと’marginal effects’の値が低下する。全体として,’bell-shaped’な形状を読みとることができる。 これは,都市化の水準によって,農地から受ける便益と費用との相対的な大小関係が異なるために顕れたものと解釈できる。都市化に伴う農地の希少性を反映して,農地から受ける便益は増大する。結果として,都市部では農地をネットでamanityとしてとらえる傾向があると思われる。しかし,神奈川県のようにかなりの都市化が進んでいる地域において,農地から受ける費用もそれなりに存在している可能性を確認できる。 また,本稿の分析課題である集計度と環境価値の関連については,Maruyama et al.(1995)が,低い集計レベルの観察単位では,農業の環境価値は負になる,と強調するが,本論文で得られた計測結果からは,彼らの指摘は部分的にしか支持されない。つまり集計度を低めた場合にも,農業の環境価値が正の値をとりうることがある。しかし,さらに集計度を低めたregional level(2)の推計では,農地はほとんどの場合,正の環境価値をもつ。Maruyama et al.(1995)でその可能性を指摘していた,集計度の低いレベルでの環境評価が負になることを,本論文の分析では必ずしも支持しない。 本論文では,日本全体の農地・森林のもつ総環境価値について,以下のような推計値を得た。農地は,25.9兆円で,その内訳は,畑地(38.4%),水田(37.2%),果樹園(14.0%),牧草地(10.4%)となっている。一方,森林の評価額は23.2兆円で,ほぼ農地全体に比肩する値である。これらは共に,農業部門粗付加価値額(1996年において約8兆円)の3倍にあたるものであり,生産物の価値に反映されない農林業部門の重要性を指摘するに十分なものである。また,ここで得られた数値は,既存の研究と比べても大きく異なるものではない。 よく知られているように,農業部門の環境価値は,例えば農地・森林のもつ景観から生み出される。この意味では,これまで政府が行った農地・森林保全,整備事業の効果が,今回の環境評価に含まれることは指摘するに値する。 その一方で,現在検討・実施されている農地保全に関する施策が,社会的価値から見れば最適水準に満ちていない可能性があることも留意しなくてはならない。 今回の分析は日本について行ったものだが,インドネシアなどの途上国開発の方向性についても再検討を迫るものである。現在の開発過程における都市化あるいは貿易の自由化が,農地・森林の保全に逆行するものか否かについて検討する契機を与えるためにも,途上国に対して今回のような環境評価を行う意味は十分にあろう。 引用文献●丸山敦史・杉本義行・菊池眞夫,「都市住宅環境における農地と緑地のアメニティ評価-メッシュ・データを用いたヘドニック法による接近-」,『農業経済研究』,第67巻,第1号,1995年。●多田稔,「農地が持つ公益的価値の試算」,『四国農試報』,No.59,1995年。 |