内容要旨 | | 自動車の自動変速機における多板クラッチは、セパレータプレートとフリクションディスクが交互に複数並んでいるものである.このフリクションディスクのフェエーシングの焼き付きを防止するために、通常はクラッチは自動変速機専用オイル(Automatic Trnsmission Fluid,ATF)に浸っている.この摺動面におけるATFの円滑な分散性を高めるために、クラッチには様々なパターンの溝が設けられており、この溝のパターンは係合特性に影響する. 典型的なクラッチシステムでは非係合時においては、セパレータプレートとフリクションディスクの間隔は約0.25mmである.このような狭い間隔でプレートが回転しているためにATFに粘性剪断が加わり、その結果、連れ廻りトルクによる損失が生じる.このエネルギーの損失は、上記した溝のパターンに大きく依存しており、特に高回転時及び高荷重時に大きくなる.しかしながら、ATFの流れパターンや冷却過程におよぼす溝の影響は十分には解明されていない. 本研究の目的は、連れ廻りトルクによる損失及び冷却効果を考慮した溝の設計指針を提案することである.そのため、前段階として、湿式クラッチシステムにおけるスクイズ過程および流体力学特性におよぼすディスクの溝形状および方向の影響を明らかにしている.本研究は、実験、数値解析モデル、理論解析モデルの3段階で構成される. 第1章ではこの研究の背景、目的、および本論文の構成を述べる. 第2章では実験装置について述べる.この実験装置は固定ディスク(溝の無い環状のディスク)と任意の間隔で対峙させた回転ディスク(溝付き環状ディスク)との間の粘性トルクを計測できるように設計したものである.ディスクの寸法や実験条件は、実際の湿式多板クラッチの運転を再現できるように選択した.また粘性トルクによる損失への影響を調べるために、実験には様々なパターンの溝をディスクに設けた.溝付きディスクにおける連れ廻りトルクを求めるためのモデルを提案し、実験の結果を用いてモデルの有効性を示している. 第3章では溝付き円板と平面円板との間のせん断流れに関する数値解析モデルを提案している.このモデルはどのような形状の溝でも計算が行え、流れ場の特性を知るのに有効なものである.このモデルの有効性を実験の結果で示し、さらに実際の湿式クラッチにおける流体力学特性を解明するための解析を行った. 第4章では溝の幅が無限小と仮定した場合の流体潤滑状態の理論解析モデルを提案している.この結果は実験結果とも、また前章で述べた厳密な数値解析の結果とも良い一致をみた.この簡単な解析モデルを用いると手軽に解析を行うことができ、また、最適な溝の方向を求めることができる. 第5章では以上の成果を総括している.実験および解析から求められた結論の要約を以下に示す. 1 ディスクの溝の形状などを変化させることにより、連れ廻りトルク及びスクイズ過程を制御できた.最も重要なのは溝の方向であり、すきま比とディスク内外周比はそれに比べると影響が小さい.また溝の断面積は大きい方が良く、また円形溝のほうが矩型溝より効果的である. 2 最適な溝の方向の決定には、レイノルズ数などの慣性効果を考慮しなくてはならない.この慣性効果はすきま比が大きな時、すなわち溝が大きほど大きくなる. 3 溝は粘性連れ廻りトルクを低減する効果がある.この低減の割合は同心円溝が最も小さく、また半径方向溝が最も大きい.また、冷却効果は溝を円周方向に対して40°〜60°の角度でつけた場合がもっとも大きく、この形状のものが系合のための時間が短く、そして摺動時の力の損失が小さくなる. これらの結果より、実際の湿式多板クラッチの設計を行うための指針を示す.まず、予め伝達する必要のあるトルクやクラッチシステムの大きさ、必要な冷却効果などのデータを与え、使用する摩耗材や、ディスクの数、ディスク内外周比、溝の面積占有割合を決定する.続いて、連れ廻りトルクによる損失の低減を求め、さらに運転状態でのレイノルズ数及びすきま比を決定することができる.そして、これらの2つの変数により溝の最適な方向が決まる. |
審査要旨 | | 本論文は「Drag torque behavior of grooved wet clutches(溝付湿式クラッチの連回りトルクに関する研究)」と題し,5章からなる. 自動車の自動変速機における多板クラッチはセパレータディスクとフリクションディスクとが交互に複数ならんでいるものである.これらのディスクの焼付きを防止するために,通常,クラッチは自動変速機オイル(automatic transmission fluid,ATF)に浸っている.そして,しゅう動面におけるATFの円滑な分散性を高めるために,クラッチディスク表面には様々なパターンの溝が設けられている.非係合時にはセパレータディスクとフリクションディスクの間隔は約0.25mmであり,このようなせまい間隔で一方のディスクのみが回転しているため,ATFにせん断粘性が加わり,その結果連れ回りトルクによるエネルギー損失が生じる.この損失はディスク表面に設けられた溝パターンに大きく依存しており,特に高回転/高負荷時に大きくなる.しかしながら,ATFの流れやディスク冷却におよぼす溝の影響は明らかになっておらず,実機では経験に頼って設計された溝パターンをディスク上に形成しているのが実状である. 本研究の目的は第一に溝の存在を考慮してディスク間の流体の挙動を数値計算によってシミュレートし,溝パターンの連れ回りトルクおよび冷却機能に及ぼす影響を明らかにすることである.また,連れ回りトルク低減かつ冷却効果向上の観点から,最適な溝パターンの設計法を提案することである.本研究は実験,数値解析および設計指針の提案よりなる. 第1章ではこの研究の目的および本論文の構成を述べている.また,湿式クラッチの実状,過去の研究を述べて本研究の背景,位置付けを示している. 第2章では本研究にて設計・製作した実験装置について述べている.この装置は固定された平面ディスクと任意の間隔で対峙させた回転する溝付き溝付きディスクよりなり,その間に働く粘性トルクを計測することができる.そして実際の湿式クラッチの運転が再現できるよう,実機と同程度の寸法,同様の条件で実験できるように設計してある.また,粘性トルクによるエネルギー損失を調べるために,様々な溝パターンを設けたディスクを用意した.そして,実験の結果を,溝パターンの連れ回りトルクにおよぼす影響を識別できる方法で整理した.その結果,半径方向溝と周方向溝とではトルクの大きさに有為差が見られ,このほかの溝を持つディスクでは両者の中間のトルクが計測された.そこで,この結果を用いて,溝パターンの影響を表現するモデルを提案した. 第3章では溝付きディスクと平面ディスクとの間のせん断流れに関する,数値解析モデルを提案している.このモデルによればどのような断面形状の溝についても計算を行うことができる.そして,第2章の実験結果と比較することによってこの数値解析モデルの有効性を示した.続いて,本数値解析モデルを用いて,溝パターン-radial groove,circular groove,off radial groove-とクラッチ特性との関係を求めた.そして,溝の形状(円形,台形,三角形),溝の深さ,溝の数,半径方向に対する溝の角度などの連れ回りトルクに対する影響を客観的な形で示した. さらに,このモデルを用いて数多くの計算を行うことによって,溝パターンの連れ回りトルク低減効果を系統的に求め,なかでも,溝の方向が連れ回りトルクに非常に大きい影響を持つことを示した.また,溝パターンの持つ冷却効果を最大にするための溝形状を示した.こうして,連れ回りトルクを低減させ,かつ冷却性を向上させる最適な溝パターンについて提案している. さて,上記の数値解析モデルは厳密な計算手法であるが,比較的長い計算時間を必要とするため,係合過程のようなダイナミックシミュレーションには不向きである.そこで,第4章では溝の幅を無限小と仮定することにより,溝パターンを考慮した連れ廻りトルクに関する簡易モデルを提案している.このモデルの結果と厳密モデルとの結果,および実験結果とを比較して,簡易モデルの妥当性および適用範囲を示した.続いてこのモデルを用いて様々な条件下でのディスク係合過程のシミュレーションを行った.そして,係合過程の時間短縮,エネルギー損失低減のための溝パターン設計指針を述べている. 第5章では,結論であり以上の成果を総括している.さらに計算結果をまとめて,効率的な湿式クラッチの設計指針を示した. 以上を要するに,本研究は湿式クラッチの溝パターンの設計を目的として,溝パターンの連れ回りトルクおよび冷却機能に及ぼす解析手法を提案するとともに,その妥当性を実験的に示した.さらに,実機での溝パターン設計を目的とした高速シミュレータを開発し,これを用いて効率的な湿式クラッチの設計指針を示した.本研究で得られた知見は機械工学およびトライボロジーに寄与するところが大きい. よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる. |