学位論文要旨



No 113872
著者(漢字) 肥後,隆三郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒゴ,リュウザブロウ
標題(和) マウス皮膚多段階発癌過程におけるコレステロール硫酸およびコレステロール硫酸合成酵素の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 113872
報告番号 甲13872
学位授与日 1998.10.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1371号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 助教授 青木,幸昌
 東京大学 講師 大河内,仁志
内容要旨

 研究の背景および目的:ケラチノサイトは基底層から、有棘層、顆粒層を経て角質層まで分化するが、そのプログラムは連続的かつ段階的な遺伝子発現により制御されている。各々の層に特異的な分化のマーカーの発現が知られており、基底層ではケラチン5やケラチン14、有棘層ではケラチン1やケラチン10、顆粒層ではロリクリン、フィラグリン、トランスグルタミネースタイプ1(TG-1)やCS、そして角質層ではコーニファイドエンベロープなどである。CSTは基底層や有棘層に特異的に発現しコレステロールを基質にCSを合成する。また、CS量の増加は多くの場合TG-1活性の増加と平行する。近年、CSがprotein kinase C(PKC)の特異的な活性化因子であることがin vitroで示された。CSにより活性化されたPKCがTG-1を介し分化の最終段階であるコーニファイドエンベロープの形成を促すと考えられ、CSが皮膚の分化においてセカンドメッセンジャーとしての役割を果たしていると推察されている。一方、我々の共同研究グループはマウス皮膚の発癌過程あるいは腫瘍においてCSTが活性化されCS量が増加することを報告し、CSあるいはCSTが皮膚の分化のみならず発癌過程にも関与している可能性を示唆した。本研究は、マウス皮膚多段階発癌過程のメカニズムに基づいた種々の実験系においてコレステロール硫酸(CS)およびその合成酵素であるコレステロールスルフォトランスフェラーゼ(CST)がどのような動態を示すかを明らかにするとともに、その役割と機能の追及、検討を目的とした。

 対象および方法:第1実験はSENCARマウスの正常皮膚・発癌プロモーター(TPAおよびChrysarobin(CHRY))を塗布した皮膚・多段階発癌プロトコール(イニシエーション-プロモーション法)に従い発生したパピローマおよび扁平上皮癌を用い、CS量あるいはCST活性を測定すると同時に分化のマーカーとしてTG-1を、増殖のマーカーとしてDNA合成量を測定し比較検討した(in vivo実験)。第2実験ではSENCARマウスより得られたケラチノサイト初代培養細胞を用いて、発癌プロモーターあるいは増殖因子epidermal growth factor(EGF)、keratinocyte growth factor(KGF)、insulin-like growth factor-1(IGF-1)を投与し実験1と同様のパラメーターについて検討を加えた(in vitro実験)。さらに実験1の結果をふまえ、多段階発癌プロトコールにおいてイニシエーションの段階でポイントミューテーションを起こすras遺伝子がCS量あるいはCST活性に影響を及ぼしているかどうかを明らかにするため、皮膚を標的にras遺伝子を過剰発現させたトランスジェニックマウス(Tg)を用いて、実験1、2に従いin vivo、in vitroの系で検討を加えた。

 結果:(実験1)TPAを3.4nmol塗布したマウス皮膚ではCS量が投与後72時間で非投与群にくらべ4倍となり1週間で正常量に復帰した。CHRYを220nmol塗布したマウス皮膚では投与後72-120時間で非投与群にくらべ4.9倍になったが、TPAに比較し復帰が遅れ10日後に非投与群と同レベルとなった。マウス皮膚CST活性は、TPA塗布マウス皮膚で12時間までに軽度活性低下した後、24時間後に第一のピーク(2.5倍)を認め72時間後に第二のピーク(1.8倍)となる2相性のパターンを示した。CHRY塗布マウス皮膚では、18時間までに活性低下をみた後、次第に活性が上昇し、72時間後にピーク(3倍)を示す1相性のパターンとなった。両者とも120時間後にはコントロール皮膚と同程度までCST活性は低下した。分化の指標としたTG-1活性については、TPA処理マウス皮膚で24時間にピーク(3.6倍)となり、CHRY処理マウス皮膚では48-72時間後にピーク(3倍)となる1相性のパターンを示した。これに対し増殖の指標としたマウス皮膚DNA合成量は、TPA処理マウス皮膚では12時間までにDNA合成量の低下が生じ、その後DNA合成量は増加に転じ18時間と48時間後にピークを示す2相性となった。この2相性パターンはTPA処理マウス皮膚のCST活性のパターンと極めて類似していた。CHRY処理マウス皮膚では36時間までDNA合成量の低下が生じ、その後72時間後にピークを示す1相性のパターンとなり、CHRY処理マウス皮膚のCST活性と類似していた。多段階発癌プロトコールにより発生したパピローマおよび扁平上皮癌におけるCS量は有意に増加しており(両者とも4.4倍)、CST活性もパピローマで4.8倍、扁平上皮癌で4.3倍に達したが、TG-1活性は両者とも有意な増加はみられなかった。(実験2)TPA(1.6nM)を添加されたマウス皮膚ケラチノサイトにおいては、CST活性は12時間後に添加直後の14.2倍となり24時間後にはもとのレベルまで復帰した。コントロール細胞では活性が徐々に増加し、細胞がコンフルエントに達した48時間後から72時間後で最高値を示した。これに対し、CHRYを添加したマウス皮膚ケラチノサイトではCST活性に有意な変化はみられなかった。TG-1活性もTPA(1.6nM)を添加されたマウス皮膚ケラチノサイトにおいて有意に増加し12時間後には添加直後の5.5倍となったが、36時間後にはもとのレベルに復帰した。これに対しCHRYを添加したマウス皮膚ケラチノサイトではTG-1活性に有意な変化はみられなかった。増殖因子を投与されたケラチノサイトでは、投与24時間後にCST活性がコントロールに比べEGF投与細胞は2倍、KGF投与細胞は2.9倍、IGF投与細胞は1.9倍を示したのに対し、TG-1活性は有意な上昇を認めなかった。DNA合成量はコントロール細胞に対し、EGF投与細胞は1.9倍、KGF投与細胞は4.2倍、IGF投与細胞は1.6倍となりいずれもDNA合成量の増加を認めた。(実験3)出生直後のTgにおけるCSTは有意に上昇しておりnontransgenic littermate(nonTg)に比較し6.2倍の活性を示した。興味深いことに、出生後1週間でTgのCST活性はコントロールレベルにまで低下し、さらに成体でもTgとnonTg間で有意差はみられなかった。これはTgのras遺伝子発現の経時的変化に一致していた。これに対しTG-1活性は出生直後でTgがnonTgの1.8倍であったが、徐々に差が縮小し成体ではTg・nonTg間で差はみられなくなった。またTgのTG-1活性とCSレベルの経時的変化には一定の傾向がみられなかった。出生直後のマウス皮膚より得られた培養ケラチノサイトにおいてもCST活性はコントロール細胞に比較して1.6倍に上昇しており、同時にDNA合成もTgにおいては1.9倍の上昇がみられ、in vivo・in vitroにおいてDNA合成に連動したCST活性上昇を認めた。

 考察:イニシエーション-プロモーション法で発生したパピローマおよび扁平上皮癌ではHa-ras遺伝子が過剰発現していることが知られており、またv-Ha-ras遺伝子を発現させた培養ケラチノサイトでは大量のtransforming grwth factor(TGF)-のmRNAおよび蛋白が誘導される。さらにTGF-を含めたEGFファミリーのリガンドが発癌プロモーター処理や皮膚の腫瘍で増加していることが我々の共同研究者らにより報告されている。また、KGFやIGF-1はケラチノサイトにおいてTGF-を誘導しEGF受容体(EGFr)伝達系を活性化することも報告された。これらの報告はrasとEGFrシグナル伝達系が皮膚の発癌プロモーションの過程で重要な役割を果たしていることを示唆している。本研究の実験結果でrasを過剰発現させたTgの皮膚でras遺伝子発現と平行してCST活性が増加していたこと、またTgより得られたケラチノサイトでもnonTgに比較してCST活性が増加していたこと、そしてEGF、KGF、IGF-1がケラチノサイトのCST活性を増加させたことから、rasの過剰発現がEGFrリガンドのアップレギュレーションを介してCST活性の上昇を増加させていることが示唆される。さらに今まで分化のマーカーとしてとらえられていたCSTが皮膚細胞の増殖に深く関与していることを明らかにした。以上のことを総括してCSTとCSの癌プロモーションおよび多段階皮膚発癌における役割を推察すると、まずTPAのような発癌プロモーターを正常皮膚に投与した場合には、TPAが直接またはEGFr伝達系を介してCSTを活性化し、結果的に最終分化(terminal differentiation)とDNA合成の増加の両方を誘導する。最終分化とDNA合成は両者とも発癌プロモーションには不可欠な要素で、プロモーションの段階ではCST活性、CS量そしてTG-1活性が誘導される。一方、イニシエートされた皮膚では正常皮膚と同様TPAはCSTを活性化させ最終分化とDNA合成を誘導するが、イニシエートされた細胞の中でrasが活性化した細胞は分化誘導に抵抗を示す。また、パピローマ等の腫瘍ではイニシエートされた細胞のクローナルな増加が起き、さらに細胞増殖が続く(clonal expansion)と考えられる。腫瘍組織において高値を示すCST活性と活性化されないTG-1活性の乖離が起きる機序として、clonal expansionした腫瘍細胞が最終分化に到達する能力がブロックされていると考えられ、我々のデータからそのブロック部位はCS量増加からTG-1活性の上昇にいたる活性化経路の間にあると思われた。

審査要旨

 本研究はマウス皮膚多段階発癌過程のメカニズムに基づいた種々の実験系においてコレステロール硫酸(CS)およびその合成酵素であるコレステロールスルフォトランスフェラーゼ(CST)がどのような動態を示すかを明らかにし、その役割と機能の追及、検討を目的としたもので、下記の結果を得ている

 1.発癌プロモーター処理されたマウス皮膚のCS量、CST活性、およびTG-1活性は、有意にコントロールに比べ上昇し、かつCST活性の経時的変動パターンはDNA合成の経時的変動パターンと類似していた。

 2.イニシエーション-プロモーション法により発生したパピローマおよび扁平上皮癌では、CS量とCST活性が正常組織に比べ全ての腫瘍で有意に上昇していた。TG-1活性には有意な変化は認めなかった。

 3.培養ケラチノサイトではEGF、KGF、IGF-1の添加によりCST活性の増加が認められこの増加はDNA合成の増加と一致した。TG-1活性には有意な差は認められなかった。

 4.培養ケラチノサイトに対するTPA投与ではCST活性の上昇を認めたが、CHRY投与では認められず、in vivoでの両者のCST活性化機序に違いが存在することが示唆された。

 5.ras遺伝子の発現が最も高い新生児期のトランスジェニックマウス(Tg)より分離された皮膚あるいは培養ケラチノサイトでは、CST活性およびDNA合成量が正常マウスに比べ高いが、TG-1活性には有意の差を認めなかった。

 以上、本論文は皮膚ケラチノサイトの分化のマーカーとしてとらえられていたCSTが増殖に関連した伝達系においても深く関与していることを示すとともに、rasの過剰発現がEGFrリガンドのアップレギュレーションを介してCST活性を増加させている可能性、ならびにパピローマなどのイニシエートされた細胞では最終分化に到達する能力がブロックされており、そのブロック部位はCS量増加からTG-1活性上昇にいたる活性化経路の間にあると考えられることを初めて明らかにした。本研究は皮膚ケラチノサイトの分化、増殖、ひいては発癌過程の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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