学位論文要旨



No 113873
著者(漢字) 塚田,幸治
著者(英字)
著者(カナ) ツカダ,コウジ
標題(和) トリプトファンラジカルのトリプトファン側鎖酸化酵素1型による化学量論的生成 : ラジカル分子の安定化、分子特性及び重合産物の解析
標題(洋)
報告番号 113873
報告番号 甲13873
学位授与日 1998.10.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1372号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨

 [序論]不対電子を持つラジカルの研究では,その強力な反応性が,活性酸素から多分子連鎖反応への横断的命題を生む一方,"基質であり,且つ機構である"ラジカル分子に新しい視野を求め,各生体分子に固有のラジカルやその特異的生成酵素の体系的な探索・追及が推進されている。既に,物理的励起や非特異的酵素酸化の適用により,生体分子の殆どが多彩なラジカル分子への転換性を持つことは明らかである。本研究の標的,アミノ酸は全生体分子への代謝変換性を持ち分子認識・情報伝達の中心分子種で,アミノ酸残基は改めてProteomeの構造機能の前提として徹底追及の時代を迎えている。従って,これらアミノ酸(残基)に新規の属性を与える1電子過程やラジカル反応の追及は重要で,特に,新しい内在ラジカル,高い特異性の酵素反応や反応経路の原点的な探索は欠かせない。本研究の主題,トリプトファン(Trp)ラジカル([Trp・])に関しても,蛋白の[Trp・]残基の存在と論議は電子移動に歴史的な重要性を持ち,遊離の[Trp・]の存在も推定されながら,1電子引き抜きが電気化学的にはもっとも迅速なインドール核を持つこのアミノ酸に,特異的で明確な反応経路のラジカル生成酵素が未知な現状では,他の一般のアミノ酸ラジカル同様,[Trp・]は未だ閃光・放射線励起で生成する秒寿命の時間分解分光学上及びESRシグナル上の微量存在で,構造,物性,反応性の追及は果たせず同定自身も不十分であった。唯,中性の[Trp・](max=500-520nm),カチオン性の[TrpH+・](max=540-560nm)の帰属には,分子軌道法による電子遷移と分光学的特性との対応に支持があった。

 以上の背景と認識に関連し,L-Trp及び一連の3-位置換インドール(Indole-CHRR’)を基質とする複合酵素トリプトファン側鎖酸化酵素I/II型(TSO I/II)(高井ら)は,共に1電子(e)単位の電子受容・伝達体を持ち(中丸ら),一般には2電子単位の基質酸化を行うが,基質がインドール側鎖にL-Alaを持つL-Trpで又TSO I適用の場合に限り,2e酸化産物生成は減少し黒褐色沈殿産物生成が過半となり,不安定初発産物の生成が疑われていた。本研究は,以上の基質・酵素対の反応に於ける"反応初期の過渡的な淡いピンク呈色"と黒褐色難水溶性最終産物生成の対応に着目し,まず,ピンク色分子種を安定化を試み,[Trp・]の帰属・同定とその性質や化学量論的生成を調べ,更に,[Trp・]の褐色産物への転換と黒褐色最終産物の性質・構造の追及を進めて,これが高分子重合体で[Trp・]由来のインドール関連構造単位を持つとの推定に至ったもので,[Trp・]を物質水準で同定し特性を明確にした最初の例である。

 [結果と討論]TSO IはPseudomonas凍結菌体(1.5kg)より純品(約200mg)を精製し用いた。初発ピンク色分子種の安定化には,ピンク色(500nm)の蓄積と茶褐色2次産物(380-420nm)への転換を指標に,0.5-4mM L-Trp,1M TSO I,pH3(低イオン強度;10mM KPB),摂氏4度を標準条件とし,安定化物質の広範な探索から酸化型グルタチオン(GSSG:最大効果20mM)を得た。以上の条件下,GSSG無添加及び20mM,2mM L-Trpの反応をフォトダイオードアレイ分光光度計で5-20秒毎に追跡すると,GSSG無添加では5秒で,325nm吸収とピンク色(500nm)が低い最大値を得た後,反応溶液は直ちに褐色に転じ以後濃度も濁度も増加し沈殿となった。この際,インドールグリコールアルデヒドやインドールグリオキサルなど2e単位酸化産物のHPLC分析を行い,これらの生成総量が半化学量論的で,残りは黒褐色産物と判明した。一方,20mM GSSG存在下では,325/500nmの吸収帯は直線的に上昇し20秒で極値となり,以後,約40秒の半減期で等吸収点を通って減少し,色調は時間と共に褐色に転じ,以降は325/420nmに持ち上がりを持ち700nmまでのびたEndospectrumとなり,濁度は増大し最終的に産物の95%が黒褐色沈殿に回収された。2e単位酸化産物の生成は殆ど無かった。以上はGSSGがピンク色初発反応産物の著明な安定化と共にTSO Iの2e単位酸化反応経路を抑制することを示した。反応のpHはピンク色の吸収極大に著明な影響は無く吸収最大値もpH1/3で不変だったが,褐色への転換は,pH3を標準に,pH6で迅速(半減期<20秒),pH1では異なる経過とより長い半減期(>1分)が推定され,この転換にpK=1-2の解離基の関与が示唆された。この段階の概算でピンク色分子種の吸光係数mM,500nm=1.6-1.92/cmが得られた。以降のこの分子種の帰属・同定に先んじ,歴史的な[Trp・]命題と対応させて比較した場合,本実験は,高エネルギー励起での[Trp・]生成最大実観測値(Amax,500nm=0.02-0.05/cm)より二桁高いA500nmの濃度と,〜1,000,000倍の安定化を達成したこととなった。安定化条件の確立は,改めてピンク色分子種生成の基質特異性の追及を促し,L-Trp,5-Hydroxy-L-Trp(5-OH-L-Trp),-N-Methyl-L-Trp(Abrine),L-threo--Hydroxy-L-Trp(-OH-L-Trp),-Methyl-DL-Trp(-Me-DL-Trp)などのTSOI反応を追跡すると,5-OH-L-Trpの初発産物のmaxは532nmで,インドールの5-位水酸基置換に特徴ある長波長遷移は一般的として,-アミノ基の修飾によるAbrineのmaxの485nmへの短波長遷移,そして,-位炭素の置換した-OH-L-Trp及び-位プロトン置換体-Me-DL-Trpでは,共に反応は2e酸化経路でピンク色生成は全くなく,ピンク色生成には,-位炭素の未置換,L-配置の-位炭素とプロトンが必須と判明し,[Trp・]のラジカルの生成,遊離,又は安定化に側鎖アミノ酸とその構造が重要な意味を持つことが示唆された。ピンク色分子種の褐色転換が非酵素的との示唆が一旦得られたが,褐色産物自身(後述)の多様性から改めて分別解決を懸案とした。この段階で,ピンク色初発産物生成極期の液体窒素温度捕捉で,充分のスピン密度のESRシグナル(g=2.0055,線幅10G)が観測され,茶褐色産物への転換と共に消失した。ピンク色分子はTMPD(Tetramethyl-p-phenylenediamine)カチオンラジカルに電子供与性でTMPDは再生した。基質Trpが殆ど消失したピンク色分子種生成極期直前でのdithionite添加で,ピンク色は一瞬に消失し,基質として添加したTrpの約70%相当の復元はHPLCで確認され,他の考慮も加えて,ピンク色分子種の1電子還元によるTrp復元は化学量論的と結論した。この還元後,茶褐色の増加,黒褐色沈殿生成,2電子酸化産物生成,いずれも全く見られなかった。液体窒素温度凍結で,ピンク色の吸収に平行し,鮮やかな強いオレンジ色の蛍光(Em,max=580nm,Ex,max=520-540nm)が観測され,茶褐色への転換と共にオレンジ色蛍光も黄白色に変化した。両者とも,液体窒素温度凍結では数日間安定が保証され,動態研究,安定観測が可能となった。一方,摂氏-80度での安定度は数時間,摂氏4度で数分間,室温ではたちまち茶褐色に転換した。

 液体窒素温度凍結捕捉後の安定吸収スペクトルは摂氏4度の観測と殆ど同一であり,共に,高エネルギー照射の時間分解分光学で25秒の寿命が報告され,分子軌道法計算で支持された[Trp・]中性ラジカルの光吸収スペクトル(max=320,500nm)に一致を示した。また,このピンク色初発産物は,試みた全ての有機溶媒による2相分配で水相に分配した。このピンク色初発産物生成の極期に分析を試みた全てのHPLC担体に,ピンク色は吸着し全く何も検出されず,ピンク色物質の強い反応性は明確であった。以上を総合して,ピンク色の初発産物をトリプトファンラジカル[Trp・]と帰属・同定した。

 [Trp・]由来の難水溶性黒褐色最終産物は特異な溶解性を示し,DMSO,DMF以外の殆どの有機溶媒に不溶,しかし,水の10-30%添加で溶解度は劇的に増大した。一方,産物の過塩素酸(PCA)処理後は処理前の不溶性溶媒CH2Cl2/MeOH(1/1)に可溶となって,陰イオンと対形成する産物のカチオン性が示唆され,これは標準物質との濾紙電気泳動で確立された。産物はケイ酸カラムクロマトグラフィーで分離に成功し,約7:3の比率で分画1(100%AcCN)と分画2(90%AcCN)を得た。両者とも,同一のスペクトルを示し,インドール領域の280nmと350-370nmの持ち上がりが重なったインドール系統の電子共与・受容体の近距離共存や結合に基づく電化移動型相互作用の可能性,及び,カチオン性構造単位の寄与が考えられた。分画2のTLCは単一スポットを与えリクロマト可能で分子束一性を判断した。分画1は2よりRfが高く長く溶媒先端まで引きずるパターンを示したので,以降,"産物"と呼ぶ分画2を分析した。この産物の黄白色蛍光は,インドールの励起(280nm)蛍光(340nm)極大,インドレニンカチオン類縁の励起(290/340-380nm)蛍光(440nm)極大を示し,その間の励起エネルギー移動が示唆された。産物のホウ化水素ナトリウム加温還元は有意な退色とインドール領域の寄与増加から受容体還元或いは電化移動型相互作用の部分解消を支持した。元素分析は炭素8.3/水素4.41/窒素1/酸素0.86の組成にNa0.62/Cl0.63が等量レベル含まれ,明確に産物のカチオン性と複塩形成を示した。炭素に比し相当少ない水素の比率が示され,インドール環が保存なら,環上で3-位以外の置換の考慮が必要であった。溶液NMRでは,1H-NMRでインドール・芳香族・オレフィン領域(6.5-8.5ppm)に異例に幅広の1峰(5H)が存在し,これは摂氏110度までの温度上昇でも分解せず,加えて還元で減少する低磁場11-12ppmの幅広プロトン(1H),側鎖領域に微小な複数シグナル,1.25ppmの1Hピークが観測された。13C-NMRでもインドール・芳香族・オレフィン炭素領域に幅広い3峰のシグナルが集中し高磁場カーボンシグナルはなく,温度依存性は少なかった。これらのシグナルの異核間相関(HMQC)では水素と炭素の直接結合が2次元表示されるが,ここではインドール炭素・水素対応は基本的に保存で,それにオレフィン重複の可能性を残したものの,プロトンピークが炭素との関連で幅の減少した3群に分割され,インドール核構造が妥当に近づき,固体NMRでは分離は向上し,3峰分離パターンが得られ,インドール核炭素骨格の同定はまず確実と判断された。高磁場の側鎖炭素シグナルは無く,オレフィンかエーテル炭素が存在すればインドール領域での重複が考えられた。以上の幅広シグナルは,単純な分子自由度回転制約より,むしろこの産物の,産物に可能な,カチオン性,面面スタッキングや単位構造間結合,微小構造環境差,など分子の本性に関連するものと推定した。FT-IR(KBr)ではカルボン酸,アミノ基無く,インドール構造・芳香環の基本的維持に矛盾無く,しかしピロール同志の結合(-N-N-/-N=N-など)の可能性を含む1618cm-1の吸収が特徴的であった。FAB/EI質量分析では,この産物が分子量千から数千までの重合体であることが確実となった。構造単位の候補としては,EIのm/z114-117領域が,インドール・インドレニン,これらより1-2H失った構造,置換,面間結合にも対応し,側鎖のから炭素への伸長も妥当化された。特に,FAB-MSでm/z1差の11-12本のピークがガウス型ピーク群を形成し頂点間隔m/z13で連続して並ぶパターンは,まさしく直鎖炭化水素型パターンで,実際-CHR-CHR-CHR-CHR-CHR-CHR-の構造にインドール関連構造がRとして結合し高分子を構成する可能性は高いが,エーテル結合も一部の可能性である。現段階の作業概念は,基本構造単位はインドール,インドレニン,ラジカル発生部位の推定あるピロール窒素同志の結合体や以上の複数連結による4級アミン的カチオン構造であり,一方,基本構造単位の連結には直鎖炭化水素,部分的にはエーテル鎖の可能性を考え,又m/z157基本ピークの分析を火急とする。現段階に至れば同位体置換基質を用い体系的解析が可能である。

 [まとめと総合討論]本研究では,基質L-Trpの"1電子回転"酸化反応をTSO Iを用い明確に示したもので,反応初期一過性の淡ピンク色生成のSerendipityと難水溶性最終産物を原点に,様々な観測の総合から,GSSGにより高度安定化されたピンク色初発主産物を[Trp・]に帰属・同定し,その生成が化学量論的であることを示して,トリプトファンラジカル[Trp・]を,従来提唱の単なる秒寿命の分光学的存在から,分子観測や反応性の解析が可能なレベルの存在に引き上げた初めての例である。高エネルギー励起における極短寿命微量な分光学上の[Trp・]は既に歴史的であり,L-Trp結晶X-線照射は生成ラジカルのESRシグナルが[Trp・]か2次産物か決定が困難な上その後の展望無く,タンパク分子内のTrp残基のラジカルは追及を逃れていた。この[Trp・]の安定化機構に対する現時点での推定の1つは,[Trp・]とGS:SGの間の,[Trp・]+[GS:SG]→[Trp+]+[GS:・SG-]様式の電荷移動型相互作用で,GSSGは反応中保存であった。液体窒素温度の[Trp・]蛍光は高収率と特異な蛍光スペクトルから[Trp・](残基)の掉尾量検出と解析に絶好の手がかりを共する。[Trp・]の性質に関しては,最初期の発生部位は同じピロール窒素でも,[Trp・]はインドールラジカルと同一ではなく,生じたラジカルはAla側鎖,炭素周辺の構造・反応性に影響し,又逆がラジカルに影響する可能性が示唆される。高度重合産物生成において,[Trp・]の1反応点重合ではフラビン補酵素の1電子酸化産物の2量体生成(4,4’-NN/8,8’-CCなど)同様ラジカル重合反応終結(Termination(R:R))経路で,むしろ,インドール核のラジカルが側鎖に電荷分離型断裂などによる2反応点新生をを誘発する可能性を考えている。ちなみに,Cys(残基)の[RS・]のラジカル移動に伴う-位切断と-位[Gly・]の生成や,Thyroglobulinに生じた[Tyr・]残基のフェノキシラジカルが,側鎖L-Alaの炭素と離れ,他のTyrフェノール酸素に結合しThyroxine残基となり,側鎖側はデヒドロ-Alaを経てPyruvate/NH3となる反応は,この推定機構の水準にあり,アミノ酸ラジカルには電子の引き抜き口は特定箇所でも"アミノ酸部分"に深い機構と意味があると考えることは魅力的である。一方,黒褐色難水溶性産物自身は,初期生成型(分画2)と漸増型(分画1)共に,現段階では構造近縁・電子的多様を推定するインドール関連構造単位を持つ分子量数千までの重合体で,新規物質であることは確実である。メラニンやリグニンの合成や構築に原理的な共通点が少なくないが,それらと異なり,還元・酸化で容易に退色せずラジカルシグナル無く,現段階の推定でも構造の乱雑さはむしろ少なく今後固有の電子的構築や(高次)構造の追及に興味と展望がある。今後,13C/15Nなど安定同位体置換基質を用い,[Trp・]のラジカルの局在や反応性,時間分解NMR観測での生成・重合初期過程,側鎖離脱,最終産物の化学(高次)構造,電子構造,更に生理的存在の探索など,第二段の原点研究を推進する準備は整った。

審査要旨

 本研究は基質L-トリプトファン(L-Trp)の"1電子回転"酸化反応を,高井らによりPseudomonasに見いだされた二次代謝関連のヘム酵素であるトリプトファン側鎖酸化酵素1型(TSO I)を用いて明確に示したもので,反応初期一過性に観測される淡ピンク色生成のSerendipityと難水溶性最終産物の生成を原点に,様々な観測の総合から,酸化型グルタチオン(GSSG)により高度に安定化されたピンク色初発主産物をトリプトファンラジカル[Trp・]に帰属・同定し,その生成が化学量論的であることを示して,[Trp・]を従来提唱されている単なるマイクロ秒寿命の分光学的存在から,分子観測や反応性の解析が可能な水準に引き上げた最初の例であり,下記の結果を得ている.

 1.L-Trpを基質としたTSOI反応で淡いピンク色を呈する初発主産物(吸収極大500nm)の存在と,そのピンク色退色に伴って褐色の産物が次に生成するという様子を初めて捉えた.このピンク色初発主産物のGSSGによる高度安定化法を確立し,半減期40秒から数分の分子観測や反応性の解析が可能な分子種とした.このピンク初発主産物の安定化条件下では,既知の2電子単位酸化による産物の生成はほぼ完全に消失し,産物の全てがTSO I活性非依存的に難水溶性の黒褐色産物となった.従って,このピンク色主産物が非常に反応性豊かな分子種であり,TSO Iの基質からの電子引き抜き機構が1電子単位であることから,L-Trpの1電子酸化反応による産物である可能性が示唆された.

 2.GSSGにより安定化されたことにより,吸収極大500nmにおける観測値は2mMのL-Trpを用いた際に1.6-2.0/cmにも及び,ピンク色初発産物生成の基質濃度依存性から,モル比吸光係数(mM,500nm)は1.92/cmと求められた.これは,従来のパルスラジオリシス実験などの加速器水準での観測値と同桁の値である。GSSG存在下でpHのみを1,3,6に変えても,吸収極大波長などの吸収特性は不変なままであったが,pH3を標準として,pH6の場合にはピンク色から褐色への転換速度が迅速で,一方pH1の場合には異な過程の反応経路と遅い転換速度が観察され,このピンク色から褐色への転換過程にはpK=1-2の解離基の関与が示唆された.

 3.TSO Iによるピンク色初発産物の生成の基質特異性をL-Trpと構造の非常に類似したインドール化合物を用いて調べた結果,TSOIの電子引き抜き機構が基質インドール環ピロール窒素の孤立電子対からの引き抜きであるにもかかわらず,インドール3位アラニン側鎖のアミノ酸部分の構造に大きく依存していることが明らかとなった.

 4.ピンク色初発産物は,液体窒素凍結によって日単位の安定化が可能であることが判明し,この凍結条件では吸収スペクトル(500nmが吸収極大),鮮やかなオレンジ色として観測される量子収率の充分高い蛍光スペクトル(Em max=580nm,Ex max=520-540nm),充分のスピン密度を持つESRシグナル(g=2.0055,線幅約10G)が観測され,これらは褐色への転換と共に消失した.

 5.基質L-Trpが殆ど消失し,ピンク色分子種の生成が極期となる直前でのジチオナイト(Na2S2O4)添加によってピンク色は瞬時に消失し,基質として用いたL-Trpの約70%相当の復元(化学量論的と判断可能)がHPLCにて確認された.従ってピンク色分子種がL-Trpを基質としたTSO Iの1電子酸化反応によって化学量論的に生成した[Trp・]であることが明確に示された.

 6.ピンク色初発産物安定化条件で最終産物として生成する黒褐色の難水溶性産物を,TLCにて分光学的特性や物性の非常に似ている2種の産物群に分離した.そのうち,Rf=0.67に単一バンドとなる主要産物をシリカゲルカラムクロマトグラフィーにて分離・精製し,紫外・可視光吸収スペクトル,蛍光スペクトル,融点測定,濾紙電気泳動,溶液(1H-,13C-,HMQC)及び固体(13C-)NMR,FT-IR,FAB-/EI-MS,など物性・構造解析を行った結果,この産物はラジカル重合性の新規高分子であり,その構造はインドール骨格の繰り返し構造をもつ基本単位構造が連結しているという非常に興味深い部分構造を推定するに至り,13C/15Nなどの同位体置換基質を用いての完全な構造決定も充分可能な段階にまで到達した.

 以上,本論文はL-Trpを基質としたTSO I反応において,ピンク色を呈する初発産物の生成を見逃すことなく追求し,これを[Trp・]に帰属・同定,その生成が化学量論的であることを示し,更に,同時に達成された[Trp・]の高度な安定化(従来のパルスラジオリシス実験による生成として報告されているものに比して,その実観測吸光度にして50-100倍,半減期で比較した存在時間にして〜1,000,000倍)によって初めて可能となったこの興味深いラジカル分子の通常観測による機器分析や反応性解析を行ったものである.また,[Trp・]が非酵素的に重合して生成した難水溶性産物の構造解析から,新規のラジカル重合性高分子の部分構造単位を得るに至っている.酵素反応最初期に観察された一過性の淡ピンク色生成観測のSerendipityや,GSSGによるラジカル分子の高度安定化,そして[Trp・]の通常安定分子と同様な観測法による数々の分光学的観測(中でも600nmに極大を有する蛍光の観測は,新たな[Trp・]の微量検出法への適用が期待される),新規ラジカル重合高分子の構造とその興味深い物性など,いずれもOriginalityに富み,その意義は大きいと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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