学位論文要旨



No 113879
著者(漢字) 山岸,智子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマギシ,トモコ
標題(和) イマームの王国 : 殉教譚テキストからのイラン文化論
標題(洋)
報告番号 113879
報告番号 甲13879
学位授与日 1998.11.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第183号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 羽田,正
 東京大学 教授 山内,昌之
 東京大学 助教授 池上,俊一
 東京大学 助教授 杉田,英明
 東京大学 教授 鎌田,繁
内容要旨

 本論文は、イスラーム暦のムハッラム月10日にイランで全国的に催される哀悼行事とそこで読誦・朗詠される殉教譚を考察の対象とする。ムハッラム月10日(アーシューラーと呼ばれる)は、シーア派ムスリムが第3代イマームと信じる、預言者ムハンマドの孫ホセインが、カルバラーという地でウマイヤ朝(スンナ派のカリフの下の政権)の大軍に囲まれ一族郎党もろとも惨殺された(殉教した)日にあたる。この出来事(いわゆる「カルバラーの悲劇」)には、シーア派の教義の発展とともに救済論的な意味が付与され、ホセインとその一行の殉教を偲び哀悼する行事が発展した。ことにカルバラーの出来事を再=現前させるための韻文・散文はめざましい発展を見せ、19世紀にはこれに種々のパフォーマンス、視覚的表現が加わった。この殉教譚には、この物語を共有する人々を一つのコミュニティーにまとめる「修辞装置」としての特性があり、それが「イラン」規模で発動することにより、20世紀初頭の立憲革命、1978-79年のイラン=イスラーム革命への民衆参加が容易になったとされている。そこで、これまで充分な考察の行われてこなかった殉教譚のテキストからその特性を析出するのがこの論文の主たる眼目である。

 第1章は本論文の序となる部分である。その第1節では、本論文が、どのような前提で「カルバラーの悲劇」を「イラン」の「地域文化」として考察するかを述べる。まずは、「イラン」という領域を想定しそこに集団として属するという「イラン意識」を創造・醸成・定着させる知的営為が「文化」的な作用であること、次に「イラン」という地域はペルシア語世界とシーア派世界がずれつつも重なるところであることを明らかにし、過去の研究が「民族/国民」感情の形成とシーア派信仰の関連に言及していることを示す。ただし、過去の研究の関心はイラン意識の形成にイスラーム法学者(ウラマー)が果たした役割に集中しているため、より民衆に浸透しているシーア派イスラーム特有の哀悼譚「カルバラーの悲劇」がイラン意識形成に果たした役割にさらなる考察が必要であることを指摘する。

 第2節では、本論文で扱う殉教譚を理解するのに必要なシーア派の歴史を簡略に述べる。シーア派にとっては「イマーム」という存在が重視されること、その諸派のなかでも、12イマーム派-第12代までイマームが続きその第12代イマームは「ガイバ(お隠れ)」状態に入っており終末に再臨すると信じる一派-がイランでは大多数であること、シーア派の教義はイマームが「ガイバ」してから整い、シーア派特有の発話行為が民衆も巻き込んで展開されたこと、等を説明する。

 第3節では研究史を概観する。過去の研究は、歴史研究、イランの伝統演劇としてのタァズィエ研究、そして主としてアメリカの人類学者によるフィールド・ワークに基づいたシンボル分析に分けられる。そして近年の研究、特に1980年代以降の人類学の研究では、イラン=イスラーム革命と「カルバラーの悲劇」にまつわる言説との関係にさらなる関心が寄せられていることを紹介する。

 第4節では、第3節の最後で言及した「カルバラー・パラダイム」を特にとりあげる。これは「カルバラーの悲劇」を修辞装置として理解する、というもので、その枠組みと主張には本論者の過去の研究からも同意できるが、肝心の「修辞装置」の重要要素である殉教譚のテキストに十分な考察が加えられていない点を批判する。

 第5節では、本論文が「カルバラー・パラダイム」論で考察されなかった殉教譚のテキスト(主としてマクタル文書)などを資料として考察の対象にすることを述べる。また、殉教譚のテキスト分析を行った上で、その分析結果を歴史的な文脈において考察する、という方法をとることを述べる。

 第2章以降が本論文の主要部分であり、サファヴィー朝期、カージャール朝期に書かれたマクタル(殉教を描いた書)の分析から、「カルバラーの悲劇」がどのようにテキストに表され、古いマクタルのテキストがどのように継承されていたかを示す。ことに頻繁に言及された登場人物、必ず描かれるホセインの殉教の描写法にどれだけの変化があったかを析出することを試みる。

 第2章では殉教譚のテキストとしてマクタルをとりあげる意義、そして本論文で考察の対象にするマクタル写本の概要を説明する。アラビア語で書かれた『ホセインのマクタル』という書があったことは10世紀の『図書一覧』で確認される。アッバース朝の後期には、ホセインを哀悼する集会でマクタル書を読誦して集会を先導する者が現れ、シーア派の教義確立に貢献した高名な学者たちによってもマクタル書が書かれた。さらに、セルジューク朝にかけては、初代イマーム・アリーや預言者の家族(アハレ=ベイト)を題材とした文学が発達し、それらのテキストを朗詠・読誦する発話行為が百花繚乱の状況となった。そして15世紀初頭、奇しくもシーア派を国教とすることになったサファヴィー朝の台頭と一致する時期に、『殉教者の園』と題するマクタルの金字塔が上梓されたのである。そのマクタル読誦の様子は17世紀にサファヴィー朝領内に入ったヨーロッパ人オレアリウスとシャルダンの記述から一部明らかにされる。そして本論文で考察の対象とするマクタル、『殉教者たちの園』と、イギリスはオックスフォードのボドリアン図書館所蔵、マンチェスターのジョン・ライランズ図書館所蔵の3種の『十集会』写本を概観する。

 第3章の第1節では、『殉教者たちの園』第5章のアリーに関する記述、特に殉教に直接関係しないアリーの個人情報や殺害者の心理描写が17-18世紀に書かれた3種の『十集会』写本に継承されていないことを明らかにする。

 第2節ではカルバラーの殉教者として誰がどのように描かれているかを具体的に示し、『殉教者たちの園』と『十集会』3種のテキストの記述を比較する。殉教者の人数やそのフルネームをリストアップして比べ、サファヴィー朝以前のマクタル書の記述とも比較検討し、細かい情報には少なからぬ錯綜・混乱があることを指摘する。

 第3節でも第2節と同様に、ホセイン殉教を描いたテキストを比較し、それぞれのマクタルの特徴を示す。ボドリアン図書館所蔵写本『十集会』OuseleyAdd8は、アリーの記述についてはその大半が『殉教者たちの園』のコピーであったが、ホセイン殉教に関してはジョン・ライランズ図書館所蔵の『十集会』とほぼ同じテキストを下敷きにしていることがわかる。この作者は『殉教者たちの園』以前のマクタルから情報を取捨選択して記載していると推察される。

 第4節では、第1〜3節で得られた考察結果をまとめる。マクタルの作家たちが、過去からの伝承を取捨選択してテキストを構成し写本に書き付けるに際して、不注意であったりはするが、勝手に逸脱してはいないこと、そしていくつかの説教調の文章から、その作家たちに説教師の姿が認められることを述べる。

 第4章は19世紀のマクタル2種『眼晴の光』と『慟哭の嵐』を、ほぼ第3章と同じ手順で比較考察する。(ただし、アリーについては記述がないので省略する。)伝承・挿話の内容、殉教者名などについては、第3章で見た16-18世紀マクタル諸文書間のような相違はなくなり、内容よりも文体や伝承の正確さへのこだわり、韻文の引用などに個性がみとめられるようになっていることを示す。

 第5章ではさらに、カージャール朝末期に向けて盛んになっていったパフォーマンスの類、「カルバラーの悲劇」の視覚表現、新しい挿話などを考察の対象とした。パフォーマンス発生についてこれまでの説や旅行記の記述を検証し、カージャール朝下でのタァズィエ(「カルバラーの悲劇」を演じる殉教劇)発展の淵源について推察する。建物の壁に「カルバラーの悲劇」の絵が描かれるようになり、携帯の絵を指しながら「絵解き」をするパルデ=ダーリーが現れたことにも言及する。

 第2節ではこれまでのタァズィエ研究ではほとんど考察されてこなかった地方のタァズィエの特質をフールというテヘランから遠隔の地の例から明らかにする。そしてそこでの演目から、テヘランの流行があまり時間をおかずにとりいれられていたことを指摘し、タァズィエに都市と村落部の落差はあまりない、むしろイラン「全国」的な文化現象であったことを主張する。また、その演目「ファランギー(ヨーロッパ人)大使の改宗」がいつ頃から流行するようになったかを調べ、その時代背景に鑑みれば「ファランギー」の劇は、むしろヨーロッパ外交官がイランでそれまでにない活動を盛んにする状況に積極的に対応しようとしたものではなかったかと評価する。

 第3節では、ことに殉教譚の女性キャラクターが充実してきていることを指摘し、その背景として女性が哀悼行事に盛んに参加していたことを見る。

 第4節では、ホセインを「王」としてイメージすることが19世紀までに慣例化していることを指摘する。

 第6章は全体のまとめで、その要点は以下のとおりである。

 (1)マクタルは、以前からの伝承をある意味では巧みに、しかし別の意味では稚拙に組み合わせながら、書き続けられた。これは、哀悼集会とそれを先導する説教師が活動をやめることなく、伝統を重んじながらも独自に加筆修正してきたことを示すと思われる。

 (2)マクタルの描写は様々な人間に及び、奴隷、乳児、女児、貴公子、老人にいたるまで、その存念を述べられるようなテキストとして発展したことが窺われる。

 (3)この特徴が広い範囲の人々の感情移入を可能にしている。

 (4)ホセインを「王」とすることで、あらゆるタイプの人間がホセインを頂点とする一つのコミュニティーの一員としてテキストの上で統合されることが可能になった。

 (5)この「王ホセイン」を長に仰ぐ集団としての自意識は、折りしもカージャール朝末期-列強の進出に対抗するために「イラン」国家意識を高めなくてはいけないと自覚され始めた時期-に完成度を高めていたため、「イラン意識」を「創造」するに際して貢献できることとなった。

 第3章・第4章で訳出したホセイン殉教の描写部分の写本校訂テキストと写本コピーは、用語解説・文献目録とともに巻末の付録におさめられている。

審査要旨

 西暦680年、シーア派第三代のイマーム・ホセインとその一行がイラクのカルバラーで殺害された歴史上の事件は、その後シーア派教義の発展とともに、「カルバラーの悲劇」という名で人々の間に記憶され、事件の起こったイスラーム暦モハッラム月10日にはホセインの殉教を偲ぶ数々の哀悼行事が行われるようになった。この哀悼行事は、「シーア派イラン」の社会的、文化的な特徴として注目され、これまでに歴史学、演劇論、人類学などの各方面からいくつかの研究が行われてきた。しかし、今日この行事の中心をなすターズィーエと呼ばれる殉教劇の発展の様相にはなお不明の点が多く、また、この行事がイラン民衆の意識にどのような影響を与えたのかという点も必ずしも明らかにされたとは言えない。

 このような従来からの研究と比較すると、山岸氏の学位請求論文「イマームの王国-殉教譚テキストからのイラン文化論」は、二つの点で新しさを有している。第一点は、従来の研究ではほとんど用いられることのなかった「マクタル」と呼ばれる殉教譚テキストを資料として使用したという点である。「マクタル」とは、「カルバラーの悲劇」の有り様を再現するテキストで、シーア派世界では殉教月とされるモハッラム月に説教師がこれを章ごとに順に読んで、人々の興奮と悲しみを誘ってきた。山岸氏は、17世紀から18世紀にかけて筆写されたペルシア語マクタルの写本3種を、現存する最も古いペルシア語マクタル・テキストである16世紀初頭の書『殉教者の園』と比較、検討し、この3世紀の間のマクタルの内容の変遷を丹念に跡づけた。マクタル・テキストは、従来文学的にそれほど価値があるとは考えられず、あまり顧みられることがなかったが、これを考察の対象とすることで、当時の民衆がどのように「カルバラーの悲劇」を理解していたのかがきわめて具体的な形で明らかにされた。山岸氏はまた、19世紀のマクタル2種をそれ以前のテキストと比較、検討し、文体や伝承へのこだわり、韻文の多用といったこの時代のマクタルの特徴を指摘している。本論文によって、一連のマクタル・テキストの性格や特徴が明らかとなり、今後これらを資料として利用する道が開かれたと言える。また、ターズィーエの前段階としての「マクタル」の持つ意味も確認された。

 もう一つの新しさは、一般民衆を聞き手とするマクタルを材料に、「カルバラーの悲劇」がいかにしてイラン民衆の「イラン人意識」と結びついていったか、という問題に一定の見通しを示したことである。山岸氏によれば、マクタルには、老人、幼児、女性、奴隷などさまざまなタイプの人間が登場し、どんな人であれ、そこに感情移入することが可能であるという。また、主人公のホセインを「王」とすることで、あらゆる人々がホセインを頂点とする一つの共同体の一員としてテキストの上で統合されることが可能となったともいう。すなわち、マクタルを聞く者はすべて、ホセインを長とする同じ共同体に属しているという自意識を持つようになったわけである。山岸氏は、この自意識が、カージャール朝末期のヨーロッパ列強に対抗する過程で生まれてきた「イラン国家意識」とうまく結びついたと結論する。

 このように、本論文は、地道で根気のいるテキスト研究とイラン意識形成についての最先端の議論という一見結びつき難く見える主題を巧みにつなぎ合わせて書かれた優れた研究である。文献研究の手法はオーソドックスであり、「イラン意識」に関する議論も着実である。新しい資料の可能性を示すとともに、現代イランを理解する際にもっとも重要な問題にも鋭く切り込んでいる。地域文化研究の一つのモデルとなる論文だと言えよう。

 もっとも、本論文にも欠点がないわけではない。付録として添付されたペルシア語テキストにはタイプミスが見られ、テキストの翻訳にもわずかではあるが誤りがある。現存するマクタルの写本をすべて検討した上での結論ではないため、著者の主張が十分説得的だとは言えない部分もある。

 しかし、本論文の持つ斬新な視点と主張は、これらの欠点を補って余りあり、審査委員会は本論文を十分に博士(学術)の学位を受けるに足りるものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54053