学位論文要旨



No 113885
著者(漢字) レトボル,ミカエル
著者(英字)
著者(カナ) レトボル,ミカエル
標題(和) 窒素固定に関連した金属-窒素-窒素骨格を有する遷移金属錯体
標題(洋) Transition Metal Complexes Having a Metal-Nitrogen-Nitrogen Skeleton Relevant to Nitrogen Fixation
報告番号 113885
報告番号 甲13885
学位授与日 1998.12.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4266号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨

 遷移金属錯体上における窒素分子からアンモニアなどの含窒素化合物への変換は、重要かつ基礎的な反応であるが、その詳細には未知な点が多い。従来より配位窒素分子のプロトン化により生成するヒドラジド(2-)型錯体(MNNH2)は、そのような変換反応の中間体として指摘され、多くの研究がなされてきたが、さらにプロトン化の進んだヒドラジジウム錯体(MNNH3+)などの化合物についてはその合成例も少なく、反応性などもあまり検討されていなかった。本論文は、このような背景からヒドラジジウム錯体をはじめとする窒素固定に関連した錯体を新規に合成し、その反応性についての知見を得ることを目的として行った研究に関するものである。

1.新規なモリブデンヒドラジド(2-)錯体の合成と反応

 まずヒドラジド(2-)型錯体の新規合成法開発に関し、2-アミノフェノール由来の三座配位子を有するモリブデンジオキソ錯体とヒドラジン類の反応を検討し、一連のモリブデン(VI)ヒドラジド(2-)錯体(1)が得られることを見出した。錯体1(R1=R2=Me)はさらに硫酸ジメチルとの反応によりトリメチルヒドラジジウム錯体(2)へと誘導することができる。

 

2.チタン(1-ピリジニオ)イミド錯体の合成と反応

 本研究に先立って、タングステンの窒素錯体からヒドラジジウム錯体の一種である(1-ピリジニオ)イミド錯体が合成され、さらにそのN-N結合が温和な条件下に切断されることが見出された。そこで、合成容易な1-アミノピリジニウム塩を利用して各種金属の(1-ピリジニオ)イミド錯体を合成する方法を確立し、その反応性を検討することを試みた。

 まずCp(5-C5H5)あるいはCp*(5-C5Me5)配位子を有するチタン(IV)錯体に対して、1-アミノピリジニウム塩を塩基存在下に反応させることにより、対応する(1-ピリジニオ)イミド錯体3が合成できることを見出した。また3cから配位子交換によりモノカチオン性、ジカチオン性の錯体への誘導も行った。得られたチタン錯体は分子構造をX線構造解析により明らかにした。

 

 こうして得られたチタン(1-ピリジニオ)イミド錯体のうち、無電荷の錯体3はナトリウムアマルガム還元によってのみN-N結合の開裂を起こし対応するピリジンを収率良く与えたが(70-99%)、カチオン性の錯体4,5はコバルトセン還元でも中程度の収率ながら(42-46%)N-N結合の開裂を起こした。N-N結合開裂は中心金属の酸化を伴うと考えられるので、d0のチタン(IV)錯体においてはチタン中心の還元が反応に先立って必要であり、錯体の電荷が中心金属の還元電位、ひいてはN-N結合開裂の起こりやすさに影響しているものと理解できる。

3.チタン(1-ピリジニオ)イミド錯体のオレフィン重合活性

 4族メタロセン錯体はオレフィンの重合触媒として注目されているが、本研究で得られた(1-ピリジニオ)イミド錯体は新しいタイプのメタロセンイミド錯体であることから、錯体3-メチルアルモキサン系のオレフィン重合活性についても検討を加えた。エチレンの重合に対し、3aは低分子量のポリマー(Mw=27400)を与えたが、3b,3cははそれぞれMw=485000,Mw=319000とより高分子量のポリエチレンを与えた。一方、スチレンの重合に対しては、ジクロロメタンを溶媒として加えずに3cを触媒とした場合、重合速度はやや遅いものの高分子量(Mw=500000)でシンジオタクチックのポリスチレンが得られた。これらの結果から、本研究で得られたチタン(1-ピリジニオ)イミド錯体錯体はオレフィンの重合触媒としても利用できる可能性があると言える。

4.ロジウムピリジンイミン錯体の合成と反応性

 ヒドラジジウム錯体は従来高酸化状態の前周期遷移金属に対してその合成が試みられてきた。その理由はd電子数の少ないそれらの錯体においてはN-N結合の開裂が起こりにくく、錯体が安定化できることにある。そこで逆に、後周期遷移金属において同様の錯体を合成できればN-N結合の開裂がより温和な条件下でも観測できるものと考え、9族のロジウム、イリジウム錯体と1-アミノピリジニウムとの反応を検討した。

 [Cp*RhCl2]2と4-メチル-1-アミノピリジニウムとの反応では、2つのピリジンイミン架橋を持ったロジウム2核錯体6が収率88%で安定な生成物として得られた。一方、同様の反応を2,6-ジメチル-1-アミノピリジニウムで行うと、ピリジンイミン配位子のメチル置換基の一方のC-H結合が切断されたうえで一方のロジウムにはキレート、他方には単座で架橋配位した錯体7が収率87%で得られた。これらの錯体はX線構造解析により分子構造を決定した。

 

 7の生成過程はメチル基のC(sp3)-H結合の切断を含んでいる。配位子上のPh基のオルトC-H結合の切断が進行する例はオルトメタル化としてよく知られているが、C(sp3)-H結合の切断が起こる例は少ない。立体障害の小さなピリジンイミン配位子では、6のような配位飽和な36電子複核錯体を生成するのに対し、立体的にかさ高いピリジンイミン、あるいは(1-ピリジニオ)イミド配位子では[Cp*Rh{NNC5H3(2,6-Me2)}]+のような単核の中間体が生成し、その上でC-H結合の活性化が進行するものと考えられる。反応前後でロジウムの酸化状態がRh(III)で変化していないことを考慮すると、スキームに示すように、イミド錯体上でRh=N結合との相互作用を経てメチル基のC-H結合が切断される機構などが考えられる。

 

5.ロジウム・イリジウムのピリジンイミン錯体におけるN-N結合切断

 錯体6,7においてはN-N結合の切断は観測できなかったが、NEt3の存在下で[Cp*RhCl2]2と[Me2PhNNH2][PF6]を反応させたところ、Me2PhN(49%)および[Cp*RhCl(-Cl)2Rh(NH3)Cp*][PF6](88%)が生成した。この場合、N-N結合は還元的に切断されており、NEt3が水素源となった可能性がある。

 

 ロジウム錯体の場合とは対照的に、[Cp*IrCl2]2と1-アミノピリジニウム類などの反応ではN-N結合の切断が進行した。この場合、イリジウム種として[Cp*IrCl(-NH)]2[PF6]2のようなIr(V)錯体が生成している可能性があるが、再結晶後に単離同定できる生成物は[Cp*IrCl2(NH3)]であった。逆に、Ir(III)への還元が容易に進行するならば、適当な水素源の存在下で反応が触媒的に進行する可能性がある。実際に10mol%の[Cp*IrCl2]2とNEt3の存在下で[Me2PhNNH2][PF6]からMe2PhNの触媒的な生成が認められた。

 

6.タングステンジアゾアルカン-アルキン錯体におけるW-N結合切断

 タングステンの窒素錯体[W(N2)2(PMe2Ph)4]は容易にジアゾアルカン錯体[WX2(NNCR1R2)(PMe2Ph)3]へと誘導できる。このジアゾアルカン錯体上へのアルキン配位子の導入を検討したところ、ジアゾアルカン配位子のカップリングを伴う新規な反応が進行することが判明した。すなわち、55℃でジアゾアルカン錯体とアルキンの反応を行うと、まずホスフィン配位子1分子がアルキンに置換された錯体[WX2(NNCR1R2)(alkyne)(PMe2Ph)2]が得られるが、さらに60℃でアルキンとの反応を続けると、ジアゾアルカン配位子上の置換基R2がHの場合にはジアゾアルカン配位子のカップリングと窒素分子の放出が起こり、オレフィン(R1HC=CHR1)および錯体[WX2(alkyne)2(PMe2Ph)2]が生成した。

 

 ジアゾアルカン-アルキン錯体のEHMO計算によれば、アルキン配位子のコンホメーション変化(タングステン-アルキン軸周りの回転)に伴い、ジアゾアルカン配位子の炭素上に負電荷を生じることが示されており、そのような状態からもう1分子のジアゾアルカン錯体への求核攻撃が進行し、続いて生成したビス(ジアゾ)アルカン配位子の分解でアルケンが放出されたものと考えられる。このような反応はジアゾアルカン錯体とアルケン類との反応では見られないが、このことは配位アルキンのコンホメーション変化がアルケン錯体よりも起こりやすいという計算結果に対応している。

 

審査要旨

 遷移金属錯体上における窒素分子からアンモニアなどの含窒素化合物への変換は、ニトロゲナーゼの機能の理解の上で、また新しい窒素固定プロセス開発の面からも重要な反応であるが、その詳細には未知な点も多い。従来より、配位窒素分子のプロトン化により生成するヒドラジド(2-)錯体は、そのような変換反応の中間体として指摘され、多くの研究がなされてきた。しかし、さらにプロトン化の進んだヒドラジジウム錯体などの化合物についてはその合成例も少なく、反応性もほとんど検討されていない。本論文は、このような背景から、ヒドラジジウム錯体をはじめとする窒素固定に関連した錯体を新規に合成し、その反応性についての知見を得ることを目的として行った研究に関するものである。

 第1章は序文であり、窒素固定の化学に関する概論と、本論文の研究の背景、目的について述べている。

 第2章では、新規なモリブデンヒドラジド(2-)錯体の合成法の開発とその反応について述べている。すなわち、2-アミノフェノール由来の三座配位子を有するモリブデンジオキソ錯体とヒドラジン類の反応を検討して一連のモリブデン(VI)ヒドラジド(2-)錯体が得られることを示し、それらの錯体の求電子試剤に対する反応性を明らかにした。特に、ジメチルヒドラジンから得られる錯体が、硫酸ジメチルとの反応により例の少ないトリメチルヒドラジジウム錯体へと誘導できることは興味深い。

 第3章では、チタン(1-ピリジニオ)イミド錯体の合成、反応性、およびオレフィン重合活性について述べている。まず、シクロペンタジエニルあるいはペンタメチルシクロペンタジエニル配位子を有するチタン(IV)錯体に対して、1-アミノピリジニウム塩を塩基存在下に反応させることにより、対応する(1-ピリジニオ)イミド錯体が合成できることを見出した。また、そこからモノカチオン性、ジカチオン性の錯体への誘導も行い、一連の錯体の分子構造を明らかにした。さらに、チタン(1-ピリジニオ)イミド錯体がナトリウムアマルガム還元、あるいはコバルトセン還元によってN-N結合の開裂を起こして対応するピリジンを与えることを示し、錯体の電荷が中心金属の還元電位、ひいてはN-N結合開裂の起こりやすさに影響していることを明らかにした。

 続いて、チタン(1-ピリジニオ)イミド錯体-メチルアルモキサン系のオレフィン重合活性についても検討を加え、いくつかの錯体がエチレンの重合においては分子量(Mw)485000程度までの高分子量のポリエチレンを与えること、スチレンの重合に対しても重合速度はやや遅いものの高分子量でシンジオタクチックのポリスチレンを与えることを見出した。これらの結果から、本研究で得られたチタン(1-ピリジニオ)イミド錯体はオレフィンの重合触媒としても利用できる可能性が示された。

 第4章ではロジウム、イリジウムのピリジンイミン錯体の合成と反応性が述べられている。従来、ヒドラジジウム錯体は高酸化状態の前周期遷移金属に対してその合成が試みられてきた。これに対し本研究では、後周期遷移金属であるロジウム(III)およびイリジウム(III)錯体と1-アミノピリジニウムとの反応についても検討を加えた。その結果、ロジウム錯体の場合には、4-メチル-1-アミノピリジニウムを用いると2つのピリジンイミン架橋を持った2核錯体が、一方2,6-ジメチル-1-アミノピリジニウムを用いると、メチル基の一方のC-H結合の切断とRh-C結合の生成を伴ってピリジンイミン配位子がキレート配位した2核錯体が、それぞれ生成することを見出した。さらにイリジウム錯体の反応においては、反応機構の詳細は明らかではないものの、N-N結合の切断が進行してピリジンが遊離することも示した。

 第5章ではタングステンジアゾアルカン-アルキン錯体におけるW-N結合の切断反応について述べている。ジメチルフェニルホスフィンを補助配位子として持つタングステンの窒素錯体は容易にジアゾアルカン錯体と呼ばれる一連のタングステン(IV)錯体へと誘導できるが、このジアゾアルカン錯体上へのアルキン配位子の導入を検討したところ、ジアゾアルカン配位子のカップリングによるオレフィンの生成を伴う新規な反応が進行することを見出した。さらに、ジアゾアルカン-アルキン錯体のEHMO計算に基づいてこの反応の機構を推定し、本反応がジアゾアルカン-アルキン錯体に特異的であることを説明した。

 以上のように、本論文では窒素固定に関連したヒドラジド、ヒドラジジウム、ピリジニオイミド、ピリジンイミン、ジアゾアルカンなどの配位子を有する各種遷移金属の新規錯体を多数合成し、それらの配位子におけるN-N結合切断を中心にした反応性を明らかにした。本研究で得られた成果は窒素固定の化学における重要な知見を与えるものであり、金属錯体化学、有機金属化学などの分野への貢献は極めて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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