学位論文要旨



No 113887
著者(漢字) 中村,秀明
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ヒデアキ
標題(和) バイオセンサーによる飲料水中のリン酸イオンの計測
標題(洋)
報告番号 113887
報告番号 甲13887
学位授与日 1998.12.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4268号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 本論文は飲料水を貯える湖沼、ダムおよび河川水に存在するリン酸イオンを測定するための実用型バイオセンサーの開発に関するものであり、6章より構成されている。

 水中に含まれるリン酸イオンの濃度が上昇すると富栄養化現象が誘発される。すなわち、リン酸イオンはプランクトンの異常発生や悪臭を引き起こす要因の一つであり、その濃度は水質の重要な指標として注目されている。特に飲料水として使用される湖沼およびダム等の貯水施設におけるリン酸イオン濃度の測定は、水質を監視する上で非常に重要である。しかし、従来のリン酸イオン測定法は煩雑な操作を要したり、連続的なモニタリングに大がかりな装置を必要とするなどの問題があり、普及への障害となっている。

 バイオセンサーは極めて選択的な測定を簡便かつ迅速に行える方法であり、さらに、オンライン計測機への応用も期待されている。これまで、ダム水中のリン酸イオン濃度を自動モニタリングすることを目的として、ピルビン酸オキシダーゼ(PyrOx,Pediococcus sp.由来)を使用したセンサーの開発が行われてきた。しかし、実際に応用するためにはまだ安定性や感度の上で問題がある。実用化を目指すためには、厳しい自然環境下での安定性の向上や妨害物質の影響、及び環境水の実試料測定についての検討を行う必要がある。

 そこで本研究では、実用化の条件として、1)環境計測に要求される感度(0.32Mリン酸イオン)を2週間以上維持できること、2)妨害物質の除去法が確立されていること、3)実試料液の測定が可能であること、4)以上の条件を満たしたシステムが自動化できること、を挙げ、これらの条件を満たす実用型リン酸イオンセンサーの開発を行った。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。

 第2章では、PyrOx以外の補酵素を必要としない新しい酵素反応系に着目してセンサーを構築し、従来のセンサーと比較した。

 ここでは酵素反応とルミノール化学発光法を組み合わたフローインジェクションシステムを開発した。本システムは2流路から構成される流路であり、1つはリン酸イオンの酵素反応部として移送ポンプとサンプルインジェクター、酵素固定化カラムで構成され、もう1つはその反応生成物である過酸化水素を検出するためのルミノール発光試薬液の流路である。そして、2流路の混合部直後に設置した発光検出器で発光を測定し、その信号を増幅回路を介して記録計で記録した。3種類の酵素反応系を検討した結果、リン酸イオンの酵素反応として、マルトースホスホリラーゼとムタロターゼ、グルコースオキシダーゼの組み合わせを最終的に用いた。これらの酵素を多糖類粒状ゲルであるキトパールにグルタルアルデヒドを用いて活性化法で固定化し、これをカラムに充填した。リン酸イオン反応カラムへの移送試薬液として、マルトースホスホリラーゼの基質である2Mマルトースを含む10mM2-(N-モルフォリノ)エタンスルホン酸(MES)緩衝液(pH6.5)を、発光試薬液として、7Mルミノール、1250units/Lペルオキシダーゼ(Arthromyces ramosus peroxidase;ARP)を含む0.8M炭酸緩衝液(pH10.0)を使用した。各流路の流速は0.6ml/minで、測定は室温で行った。

 測定の結果、本センサーはリン酸イオン濃度が10Mから10mMの範囲で直線的な応答を示し、検出下限は1.0Mであった。しかし、リン酸イオンの飲料用水の環境基準値が0.32Mであるため、本センサーの感度は不十分であった。

 第3章では、従来より開発が進められてきたPyrOxを用いるセンサーを、実用化のために改良した。

 従来のPyrOxを用いるセンサーを実用化するため、1)装置の小型化および自動化の検討、2)高感度化のための様々な測定条件の検討(発光試薬液、発光検出セルの構造、酵素固定化担体)、3)ルミノール発光を触媒するペルオキシダーゼの検討、を行った。その結果、このセンサーの最適条件は、発光試薬液成分として12.5Mルミノールと1250units/L ARPを含む0.2M炭酸緩衝液(pH9.0)、PyrOxの反応試薬液成分として基質0.4mMピルビン酸、補酵素40nMフラビンアデノシンジヌクレオチド(FAD)、0.24mMチアミンピロリン酸(TPP)、活性化剤20mMマグネシウムイオンを含む0.02M N-2-ヒドロキシエチルピペラジン-N’-2-エタンスルホン酸(HEPES)緩衝液(pH7.0)であった。このとき各流路の流速は1.0ml/minで、測定は室温で行った。この条件下でリン酸イオン濃度が0.16Mから32Mの範囲で直線的な応答が得られ、実試料液の測定に充分な感度が得られた。

 第4章では、最近精製されたAerococcus viridans由来のピルビン酸オキシダーゼ(PyrOxG)を用いるセンサーを開発した。この酵素はPyrOxと比較して、精製が容易で比活性が高く、安定であるという特徴があるので、実用化に適した固定化酵素としての期待が大きい。このセンサーを実用化するため、1)試作機の製作、2)高感度化のための様々な測定条件の検討(酵素固定化担体、発光試薬液と反応試薬液成分、流速と測定温度)、3)安定性向上のための検討、を行った。その結果、このセンサーの最適条件は、発光試薬液成分として70Mルミノールと6250 units/L ARPを含む0.8M炭酸緩衝液(pH10.0)、PyrOxGの反応試薬液成分として基質0.4mMピルビン酸、補酵素3nM FAD、30M TPP、活性化剤10mMマグネシウムイオンを含む0.02M HEPES緩衝液(pH7.0)、各流路の流速が1.0ml/min、測定温度が25±0.1℃であった。このセンサーシステムではリン酸イオン濃度が96nMから32Mの範囲で直線的な応答が得られた。この時のセンサー応答の相対標準偏差は2.3%(n=5)であった。安定性の検討では、PyrOxG固定化カラムの保存液組成を100nM FADを含む0.02M HEPES緩衝液(pH7.0)とした場合、4℃での保存でリン酸イオンを0.16Mから32Mの濃度範囲で2週間安定に測定できた。この時、検量線の相関係数の平均は1.00であった。

 以上より、第4章では実用化の第一条件を満たすことができた。

 第5章では、第4章で最適化したリン酸イオンセンサーを用いて実試料液の測定を行った。実試料液中に含まれるリン酸イオンの高感度測定を目的として、1)妨害物質の影響の検討、2)妨害物質の除去法の確立、3)実試料液の測定と従来法で得られた結果の比較、を行った。

 妨害物質の影響を検討するため、これまでに報告されたルミノールの化学発光とPyrOxG反応に影響を及ぼす化学物質と、環境水中に存在する化学物質の年間最高濃度について調べた。そのうち、4種類の金属イオン、5種類の重金属イオン、富栄養化現象の指標であるアンモニウム態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素を含む6種類の無機イオン、還元性物質や界面活性剤、難分解性物質を含む6種類の有機化合物の合計21種類の化学物質がルミノールの化学発光とPyrOxG反応に与える影響を調べた。その結果、ルミノールの化学発光では6種類、ピルビン酸オキシダーゼ反応ではルミノール発光に影響を与えた化学物質に加え12種類の化学物質が影響を与えることが明らかになった。しかし、PyrOxG活性に不可逆的な阻害を与える妨害物質はなかった。

 妨害物質の除去法としてキレート剤および活性炭の使用を検討したが、最終的に活性炭による処理法を採用した。まず活性炭の妨害物質の除去効果について、センサー応答に影響を与えた12種類の妨害物質で調べた。その結果、マンガンイオンと尿酸を除いて、センサー応答値への影響は減少した。そこで、活性炭処理後の実試料液の測定を検討した。実試料液の測定は利根川水系の7カ所で採取された環境水で行った。測定法は標準添加法を採用した。その結果、環境水の種類や状態に関係なくリン酸イオン濃度の測定ができた。さらに、これらの結果を市販の水質分析計(アスコルビン酸還元モリブデン青吸光光度法)で得られた結果と比較したところ、両者の間で良い相関関係(r0.940)が得られた。

 以上より、第5章では実用化の第2、3条件を満たすことができた。そして、実用化の最終条件について考察した。

 第6章は総括であり、本研究を要約し、得られた研究成果をまとめた。

審査要旨

 本論文は、飲料水を貯える湖沼、ダムおよび河川水に存在するリン酸イオンを測定するための実用型バイオセンサーの開発に関するものであり、6章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、補酵素の添加を必要としない単純な酵素反応系を利用し、これとルミノール化学発光法を組み合わたフローインジェクションシステムを開発している。このシステムは、リン酸イオンを基質とした酵素反応用流路と、その反応生成物である過酸化水素を検出するためのルミノール発光試薬液用流路で構成されている。リン酸イオン濃度の測定は2流路の混合部直後に設置した発光検出器によって行っている。検討の結果、マルトースホスホリラーゼとムタロターゼ、グルコースオキシダーゼの組み合わせがリン酸イオンの測定に最適であることを明らかにしている。これらの酵素を多糖類粒状ゲルに固定化し、カラムに充填して測定を行った結果、リン酸イオン濃度が10Mから10mMの範囲で直線的な応答を得たと述べている。検出下限は1.0Mであるが、飲料用水の環境基準値である0.32Mのリン酸イオンを検出するためには、感度が不十分だと述べている。

 第3章では、ピルビン酸オキシダーゼを用いたセンサーを、実用化のために改良している。すなわち、

 1)装置の小型化および自動化のための条件、2)高感度化のための様々な測定条件、3)ルミノール発光を触媒するペルオキシダーゼの検討、を行っている。その結果、このセンサーの最適条件下で、リン酸イオン濃度が0.16Mから32Mの範囲で直線的な応答を得ており、実試料液の測定に充分な感度が得られたと述べている。

 第4章では、最近精製されたAerococcus viridans由来のピルビン酸オキシダーゼを用いて、実用型センサーを構築している。この酵素は、従来市販されていたピルビン酸オキシダーゼと比較して精製が容易で比活性が高く、安定であるので、固定化酵素として有用である可能性が高いと述べている。この酵素を用いてセンサーを試作し、高感度化や安定性向上のための様々な条件を検討している。その結果、このセンサーの最適条件を明らかにし、この条件で、リン酸イオン濃度が96nMから32Mの範囲で直線的な応答を得たと述べている。センサー応答の相対標準偏差は2.3%(n=5)であり、再現性が良好であることを明らかにしている。また、酵素固定化カラムを4℃で保存することによって、リン酸イオンを0.16Mから32Mの範囲で、2週間再現性よく測定できたと述べている。

 第5章では、実試料液中に含まれるリン酸イオンの高感度測定を目的として、1)妨害物質の影響の検討、2)妨害物質の除去法の確立、3)実試料液の測定と従来法で得られた結果の比較、を行っている。

 まず、妨害物質のセンサー応答への影響の検討では、これまでに報告された、ルミノールの化学発光とピルビン酸オキシダーゼの反応に影響を及ぼす化学物質と、環境水中に存在する化学物質の年間最高濃度について調べている。そのなかで、金属イオンとして4種類、重金属イオンとして5種類、無機イオンとして6種類、有機化合物として6種類の合計21種類の化学物質を選び、これらの物質が第4章で開発したリン酸イオンセンサーに与える影響を調べている。その結果、12種類の化学物質がセンサー応答に影響することを明らかにしている。しかし、ピルビン酸オキシダーゼ活性に不可逆的な阻害を与える妨害物質はないと述べている。

 妨害物質の除去法として、キレート剤および活性炭の利用を検討し、活性炭による処理法が良いことを明らかにしている。また、センサー応答に影響を与えた妨害物質を含む試料液を活性炭処理し、センサー応答への影響を調べている。その結果、マンガンイオンと尿酸を除いて、センサー応答値への影響を低減できると述べている。

 そこで、利根川水系の7カ所で採取された環境水を活性炭処理して、試料液中のリン酸イオン濃度を測定し、環境水の種類や状態に関係なくリン酸イオン濃度の測定が可能だったと述べている。さらに、これらの結果を、リン酸イオン濃度測定の従来法であるアスコルビン酸還元モリブデン青吸光光度法による測定値と比較し、両者の間で良い相関関係を得ている。

 第6章は総括であり、本研究を要約して、得られた研究成果をまとめている。

 以上のように、本論文は、実用化可能なリン酸イオン濃度測定用バイオセンサーの構築を目的として、様々な検討を行い、妨害物質の除去法を考案し、実際に河川水中のリン酸イオン濃度を測定することに成功している。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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