学位論文要旨



No 113891
著者(漢字) 柴山,真琴
著者(英字)
著者(カナ) シバヤマ,マコト
標題(和) 留学生家族と日本の保育園 : 中国人・韓国人親子の文化学習過程
標題(洋)
報告番号 113891
報告番号 甲13891
学位授与日 1998.12.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第62号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕浦,康子
 東京大学 教授 佐伯,胖
 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 助教授 志水,宏吉
 東京大学 講師 田中,千穂子
内容要旨

 本研究は、日本の保育園に転入した中国人・韓国人留学生の子どもを対象として取り上げ、日常生活の中で幼児がどのように育っているのかを明らかにすることを目的とする。幼児は、保育園生活に参加するために、日常生活のあらゆる場面を学習の場にして、保育園生活に必要な諸行為や発話を習得していく。本研究では、幼児の発達を「幼児が日常的に参加する社会集団での学習によって変化すること」と捉え、個体内で生起する内的変化とは見なさない。

 本研究では、文化的文脈の中で人間行動の意味を理解することを志向する<解釈的アプローチ>の立場をとった。データ収集法として<エスノグラフィの手法>を採用し、予備調査(T保育園:1993年8月から1995年3月までの1年8カ月間)と本調査(B保育園:1995年10月から1997年3月までの1年6カ月間)に分けて実施した。B保育園は、留学生の子どもが恒常的に在園する区立保育園で、ここで観察したのは、中国人幼児3人と韓国人幼児3人である。参与観察と並行して、保育園児を持つ留学生家族23家族(中国人家族10家族・韓国人家族13家族/対象児5人の親を含む)に対して面接調査も実施し、母国および日本での家庭生活についての情報を得た。

 従来の発達研究では、日常生活の中で幼児が諸行為(食事行為)やことばを習得していく過程は、行為発達過程あるいは言語獲得過程として、別々に検討されてきた。しかも、それらの研究では、幼児の行為的・言語的発達過程は母子二者関係において解明されることが多く、幼児が日常的に参加する社会集団の活動とその活動への参加過程に位置づけて検討されることはほとんどなかった。

 先行研究を検討した結果、本研究では、1)幼児の行為学習と発話学習は、どのような物理的・人的・意味的環境の中で、どのような活動の中で生起しているのか、2)幼児は、活動の中でどのような行為を学習し、何に媒介されて行為を変化させているのか、3)幼児は、活動の中でどのような発話に出会い、何に媒介されてそれらを習得しているのか、発話習得は行為学習とどのような関係にあるのか、を課題とした。集団保育経験を持たず日本語を話せない状態で保育園に転入した幼児を見るのは、保育園生活に伴う幼児の変化過程が捉えやすいからである。幼児が保母に水路づけられていく過程では、「行為規制システム」「行為促進システム」「対話的相互行為システム」の3つの下位システムを仮定し、これを幼児の学習過程を理解するための理論的枠組とした。この枠組では、日本語発話は、他者との対話手段および行為修正の言語的媒介とされている。

 以上のことを序章と第1章で述べた後に、5つの章にわけてデータの分析および考察を展開した。第2章では、保育園での幼児の学習を取り巻く社会的文脈を検討した。1990年前半に、中国人・韓国人留学生の子どもが日本の保育園に通うという現象は、中国人・韓国人が日本の大学に留学しやすくなったという歴史的文脈と、留学生家族も保育園を容易に利用できるという日本の制度的文脈に依存して生起した現象であることがわかった。保育園利用という親の行為は、子どもにとって、保育園が日本での第二の生活場所になるだけでなく、親とは文化的背景の異なる養育者を持ち、衣食の習慣や使用言語が二文化化するなど、発達環境が質的に変化することを意味していた。

 第3章と第4章では、B保育園2、3歳児クラスの日常活動(食事と自由遊び)の中で、幼児が学習によってどのように変化しているのかを"行為学習過程"に焦点を当てて叙述した。食事場面で幼児が保母に水路づけられていく過程を分析した結果(第3章)、1)保育園生活では、一つの活動が他の活動とは分断された活動として組織されており、食事に遊びが入り込むことはない。食事という活動は、食事場所・食事時間・食事形態・使用道具・共食者がほとんど変化することがなく、日々同じ活動として営まれている、2)園児は「食事開始の手続き(手洗い/挨拶)をした上で、着席し文化的道具(箸への移行道具としてのフォーク)を使い、一定のルール(落下物の処理/摂食順序/左手の作法)に従って一人で食べる」という理想的行為に向けて水路づけられている、3)保母が使用する行為修正の手段には、「発話」「発話と行為」「行為」の3種類があり、保母が重視する行為ほど行為を伴う手段や幼児の移動範囲を狭める「狭隘化方略」が使用されている、4)行為学習は、園児-保母の二者関係だけでなく、「他児の学習過程の観察」「保母と他児による共同支援」など、三者以上の関係でも成立していることが見出された。さらに食事の基本的行為を習得する背後で、「自分のもの/ひとのもの」を区別し、他者の領域を侵さないように行動する「自分の領域の学習」が進行していることが確認された。

 自由遊び場面での行為学習過程(第4章)については、1)自由遊びという活動は、遊び場所・遊び時間・使用道具・遊び相手が予め決められた状態で、幼児自身が自分の好きな遊びを選んで従事できる活動として営まれている、2)幼児は「交渉によって共用物(遊具・オモチャ)を他児と仲良く使う」という理想的行為に向けて水路づけられている、3)交渉の学習は、「第I段階:保母による代役交渉」→「第II段階:保母との共同交渉」→「第III段階:幼児同士の交渉」へと段階的に組織されており、保母との共同行為が有効な学習方法になっている、4)交渉で使用される決まり文句(「かーしーて」「いーいーよ」)は、単に交渉の進行を容易にするだけでなく、オモチャ使用をめぐる幼児同士のやりとりを「暴力的対決」から「対話による自他の要求の調整」へと質的に変化させていることが見出された。さらにオモチャ使用法やオモチャの交替の仕方を習得する背後で、共用物は「一時的所有権」を持つことで個人の専有物になることや対話によって他者と折り合いをつけることも学習していることが確認された。

 第5章では、幼児の変化過程を"日本語習得過程"に焦点を当てて叙述した。その結果、1)幼児が保育園生活の中で聞く日本語は、熟達した日本語話者(保母)と未熟な日本語話者(他児)が活動に従事しながら表出する発話である、2)幼児は、自分が接近できる日本語発話の中から、自分の状況に最も近い他者の発話を選び取り、行為や道具使用とセットにして借用し、自分の発話として表出している、3)他者の発話の借用は、まず発話形式の借用から開始され、使用するうちに徐々に発話形式に発話の意味を詰めている、4)幼児は、「場の適切性」「発話の有効性」「自分の内的状態」を考慮して母語発話/日本語発話を選択している。発話は、活動の状況や他者との関係に依存するだけでなく、幼児の心理に深く入り込んで形成されている、5)幼児は、保育園での呼び名で自分の領域を守り、発話で自分の状態を変えることを経験するうちに、発話の持ち主としての自分に気づき始めることが見出された。

 終章では、以上に示した知見を幼児の発達研究の流れに位置づけて理論的に考察した。まず、本研究で採用した研究方法論についての省察から、1)発達主体と環境の間に他者を位置づける概念枠組は、幼児の発達過程を見る上で適切であること、2)発達における二重の過程(「幼児が文化を内在化する個人的過程」かつ「他者との相互作用を通して文化を再生産する集合的過程」)への着目は、集団生活に参加する幼児の動態を捉える上で有効であること、が確認できた。その一方で、環境概念の精緻化が課題として残されていることがわかった。幼児がかかわりを持つ環境を分析的に捉えるためには、「社会・文化」「家族・保育制度」「家族・保育集団」「他者/文化的道具」の4つの次元を措定する必要があることを指摘し、「幼児の発達環境の諸次元を見るための枠組」として提示した。

 「日常生活における2、3歳児の発達過程」について滲み出てきた最も基本的な知見は、1)行為形成と発話形成は、相互に入り込んで進行する発達の基本的過程であること、2)その基本的過程から、幼児の自己についての理解が立ち上がっていること、の2つである。この基本的知見を中核にして本研究の知見を構造化し、理論的検討を加えて析出したのが、「2、3歳児の発達過程モデル」(柴山試案)である。従来、1歳児のことばの習得過程について、動作は言語発生に一方向的に寄与すると考えられていた。また、ことばの習得が幼児の自己形成につながっていくことだけがわかっていた。これに対して、本研究では、2歳で新しい集団の活動に単独で参加し、発話と行為をゼロから学習し始めた幼児は、発話を行為形成の媒介・要素とし行為を発話形成の文脈とするなど、一方を他方に利用して行為と発話を同時に形成しており、行為形成と発話形成は双方向的に寄与し合う関係にあることが見出せた。さらに幼児は、日常生活の「決まった行為」や「決まった言い方」に習熟する過程で、行為し発話する自分を活動で一定の役割を担う他者や道具と関係づけて理解し始め、「発話を持った行為者」として自己形成していることもわかった。つまり、2、3歳児の発達過程で、行為形成と発話形成は相互に本質的に関わりながら同時に進行していること、行為形成と発話形成の両方の過程が幼児の自己形成につながっていくことを、現実に生きる幼児の具体的データを入れながら示した点に、本研究の意義がある。

審査要旨

 本論文は、幼児が日常生活のなかでどのように育っていくのかを、親の留学にともない日本の保育園へ入園してきた外国人の2、3歳児に焦点をあてて、エスノグラフィの手法で探究したものである。発達を、日常的に参加する社会集団での学習によって変化することとみる観点から研究されている。

 本論文の第1の特色は、発達の場としての日常生活の重要性が指摘されながら、取り組む人が少なかった保育園の日常活動を、マイクロ・エスノグラフィの手法により、保母・他児らとの相互交渉プロセスで文化学習が生起する様として微細に記録していることにある。貴重なデータを提供していると認められた。養育者側の枠付けが相対的に強い食事場面の分析では、理想的行為に向けて幼児が保母に水路づけられる過程を分析するとともに、「自分の領域」についての学習が背後で進行していることを示し、自由遊び場面の分析では、保母の助けを受けながら、他児と遊具やオモチャの使用を交渉する学習プロセスとして描いている。本研究の方法論である、行為とその背景に埋め込まれた意味を読み解いていく解釈的アプローチは、今後の発達研究への方法論的示唆として意義がある。

 第2の特色は、日本の保育園に編入した2歳児の日常を、従来の多くの研究のように保母と園児との二者関係に還元することなく、保母・保育園仲間・玩具・家具や教具メディアなどの文化的道具などとの関わりにも広く目を配り丹念にデータをとることで、日常の行為習得が文脈となって発話ジャンルが形成され、発話を媒介として文化的行為の型が形成されていく相互循環を明かにしていることにある。また、そこから自分とモノとの関係、自分と他者との関係、自分自身についての理解を深め、発話を持った行為者としての自分が析出してくることを示した。これは、動作から発話形成へ、発話から自己形成へと一方向的に発達するという従来の考えに対して、新しい発達モデルを提案するもので、発達研究へのひとつの理論的貢献をなすものである。

 第3に、外国人2、3歳児が、自分の状態に近い他者の発話を選び取り、他者の音声・行為や使用道具も丸ごと借用し、発話を自分の声で再生し、それへの周りのフィードバックをみながら意味を確定していく日本語発話習得過程を明らかにしたことが評価された。日本語発話を持たない状態で保育園に入り、ゼロから発話を学習する外国人の事例研究は、言語の習得過程を浮き彫りにするのに戦略的によい研究法となっていた。

 以上より、本論文は、今後の幼児の発達研究の重要な礎石となりうるという点で、教育学への学術的貢献をなすものと判断された。よって、博士(教育学)の学位を授与することが適当と考える。

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