本論文は7章からなり、第1章は宇宙マイクロ波背景放射の非等方性と宇宙の密度揺らぎ・構造形成との関係としてSachs-Wolfe効果、重力レンズ効果、Sunyaev-Zeldovich効果について簡潔にまとめられている。第2章では後の章の議論に必要な宇宙の大規模構造関や密度揺らぎに関係した様々な物理量がまとめられている。第3章では、宇宙マイクロ波背景放射の非等方性に関する統計量として、温度揺らぎの2点相関関数、非等方性の観測データのノイズに関する解説が述べられている。ここまでの1章から3章までが本論文の序章の役割を果たしている。 第4章では宇宙の構造に起因した重力レンズ効果による宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の非等方性の詳しい解説が述べられている。ここでは、過去に行われた重力レンズ効果による宇宙マイクロ波背景放射の温度の2点相関関数の計算が紹介され、重力レンズによって引き起こされる非等方性の大きさは歪曲角(単位球上に射影したCMB光子の位置のずれ)の二次の大きさ程度で極めて小さく、観測的にその効果を測定することが非常に困難であることが示されている。 第5章からが論文提出者のオリジナルな研究に基づいた結果が述べられている。まず5章では第4章で述べたように重力レンズによるCMBの統計への修正は通常、歪曲角の二次の大きさ程度だとが、宇宙の大規模構造の観測計画であるスローン・デジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)プロジェクトのような赤方偏移サーベイの観測結果を直接用いて、着目した視線方向での我々の近傍の銀河の個数分布から物質密度非一様性を推定し、CMB全天地図データの温度揺らぎとの相関を取れば、事情は大きく変わることに着目した。そのために、新しい相関関数を提案・定式化し、この相関が歪曲角の一次の効果として検出される事が導かれている。。また、相関関数のシグナル・ノイズ比は、S/N=15〜35となることを示されている。 続く第6章では第5章で提案したCMBの重力レンズを通じた相関について、その検出可能性と宇宙論的意義を裏付けるため、シミュレーションを用いたCMB温度揺らぎの模擬観測を行ない、観測のビーム幅の効果も正しく取り入た現実的なシグナル・ノイズ比の評価を行っている。ノイズ評価においてはCMB観測で生ずるcosmic variance起源のノイズと個々の観測の観測機器の精度によるinstrumental noiseを取り入れ、multipole moment lに対して累積的なシグナル・ノイズ比を計算し、シミュレーションから得られたシグナル・ノイズ比は、標準的なCDM宇宙モデルの場合、37程度で、第5章での解析的な評価と一致する結果が得られている。 第7章では、原始銀河で作られた炭素・窒素・酸素などの重元素の輝線放射によって生ずる強度揺らぎの大きさについて述べられている。原始銀河で形成されたO型、B型星が超新星爆発を起こした結果、相当量の炭素・窒素・酸素などの重元素がz=10〜20の時期に存在すると推定されている。これらの元素は静止系で50〜700mの波長帯に輝線スペクトルを持つ。赤方偏移z=10〜20の時期にこれらの輝線放射が発せられると、z=0ではミリ波・センチメートル波領域に入る。その結果、角度・振動数の両方において充分細かく分解すれば、強度の不規則な凹凸が観測されるはずである。特に、一価の炭素イオンからの158m輝線放射についてその強度揺らぎの大きさはCMBの2×10-6程度と評価されている。この観測が実現すれば高赤方偏移時期における空間的非一様性を直接検出できる事になる。またC、N、Oのイオン化の歴史、宇宙における再イオン化時刻などを観測的に知る手掛かりにもなるという点で重要である。 第8章はそれ以前の章の結論がまとめられている。 以上、本論文は、宇宙マイクロ波背景放射を宇宙の大規模構造に関する観測と結び付ける新しい相関関数を使うことによってCMB角度スペクトラムのみからでは観測困難な重力レンズ効果観測を測定できることを初めて示し、また、CMBをプローブとして高赤方偏移宇宙の大規模構造とその進化について解明する可能性をを議論したもので、その宇宙論における意義は高いものである。なお、本論文第5、6、7章は杉之原立史氏とDavid Spergel氏との共同研究に基づくものであるが、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、この論文で示された幾つかの具体例を通じて論文提出者の研究に関する資質は十分であるものと判断し、博士(理学)学位を受けるに値するものと考える。 |