学位論文要旨



No 113898
著者(漢字) 中嶋,孝之
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,タカユキ
標題(和) 弦理論に関する行列模型の数値的研究
標題(洋) The numerical study of matrix models for string theory
報告番号 113898
報告番号 甲13898
学位授与日 1998.12.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3486号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 助教授 加藤,光裕
内容要旨

 現在、素粒子理論物理学の方面において、弦理論の非摂動効果の研究は、最も重要かつ興味ある話題の一つである。最近、弦理論を非摂動論的な定式化の候補として、Type IIB行列模型と呼ばれる模型が提唱された。この模型は10次元の超対称性を持ったゲージ理論を1点に縮約したものであるが、double scaling limitという特殊な極限操作を行なうことにより、Type IIB弦理論との対応が示されている。さらに興味深いのは、時空間が行列の固有値として理論から生成されることも示唆されている。しかしながら、この模型を解析的に扱うことは非常に難しく、また、そのような方法で得られる情報はかなり限られていると思われる。そこで、計算機を用いてモンテカルロシミュレーションを行なうことが考えられるが、そのためにはいくつかの困難が存在する。その内の一つとして、double scaling limitを数値的に取り扱う方法が知られていないことがあげられる。

 本論文では、行列模型の非常に簡単な例として、2次元の江口・川合模型を用いて、そのdouble scaling limitについて数値的に議論を行なった。江口・川合模型はSU(N)格子ゲージ理論の空間方向の自由度を内部自由度に読み代えることにより、1×1の格子にまで縮約したものである。実際、N→∞の極限では、格子ゲージ理論と完全に一致することが知られており、実際、格子ゲージ理論との対応は1980年代初頭に盛んに研究されている。しかし、我々はこの理論において、結合定数と行列の大きさNを、/Nを一定に保ちながら無限大に近付けることによって、これまで知られていた極限とは異なった、新しい極限が得られることを示した。これは、江口・川合模型のdouble scaling limitであると考えられ、数値的にdouble scaling limitの存在が確かめられた初めての例である。

審査要旨

 自然界の統一理論の最有力候補である超弦理論は、ここ数年弦理論に特有な「双対性」の理解及びディリクレブレーンと呼ばれる拡がりを持った基本解を駆使した非摂動的な手法の開発により、めざましい発展を遂げてきた。その結果、10次元時空で定義される5種類の超弦理論が一つの理論の異なる現れ方として統一的に理解されるのみならず、11次元超重力理論をも包摂する「M理論」と呼ばれる新しい理論とも密接に関係することがわかってきた。さらに、これまで摂動的にしか定義されていなかった超弦理論をディリクレブレーンの力学を記述する超対称ヤンーミルズゲージ場理論を用いて非摂動的に定式化する幾つかの試みが提唱され、70年代からの懸案であったゲージ理論と弦理論の関係という重要な問題に対する新たな理解が得られつつある。

 本論文にまとめられた研究は、こうした発展の中で、特にタイプIIB超弦理論の非摂動的定式化を目指して考案された「IIB行列模型」の非摂動的性質を明らかにすることを動機として行われたものである。IIB行列模型は10次元U(N)超対称ヤンーミルズ理論を時空の1点に縮約して得られるN×N行列を力学変数とする模型であり、そこで定義されるWilson loopと呼ばれる量がタイプIIB型超弦を表すことを示唆する幾つかの事実がある。しかしこれを確証するには、まず行列要素の揺らぎを有限の範囲に制限して赤外発散を制御した後に、結合定数gおよび行列サイズNとうまく連動させ、物理量の有限性を保ちながら、赤外発散のcutoffをはずすといういわゆる「double scaling limit」をとる操作を行い、その極限をとった後のWilson loopが超弦の運動方程式を満たすことを言わねばならない。現在のところ、この重要な問題に対する明確な答えは解析的な方法では得られていない。行列模型であるので、原理的には数値シミュレーションを用いることが考えられるが、10次元であること及びフェルミオンの取り扱いの難しさから、現時点では著しく困難である。

 そこで学位申請者は、この問題に対する手がかりを得るため、まず第一段階として、この模型に類似した「江口-川合モデル」と呼ばれる模型に対するdouble scaling limitの存否を、2次元の場合に、数値シミュレーションの方法を用いて解析した。江口-川合モデルは、格子化した時空上で定義されたU(N)格子ゲージ理論をただ一つの格子に制限して得られる模型であり、上述のIIB行列模型はそもそもこの考えを応用して考案されたものである。江口-川合モデルの画期的な性質は、もとのU(N)格子ゲージ理論に比して著しく自由度が少ないにも拘わらず、それがU(N)格子ゲージ理論に対する’t Hooftのplanar極限、すなわちg2Nを保ちつつNを無限大に持っていく極限、を正確に再現するという性質である。

 本論文では、このモデルに対して次の様な解析を行い、これまでに知られていなかった興味深い結果を得た。はじめに、内部エネルギー及びWilson loopの期待値のplanar limitに関して知られている解析的な結果が、数値シミュレーションで再現できることをチェックした。数値シミュレーションでは、有限なNの値しか取り扱えないが、=1/g2Nを一定に保ちつつNを大きくしていくとどの様にplanar limitの結果に近づいていくかが示されている。次に、Nを止めてを大きくした場合を調べ、振る舞いがplanar limitから遠ざかっていくことを見た。この二つの結果から、/Nを一定に保って→∞、N→∞という、’t Hooft limitとは異なる全く新しいdouble scaling limitが存在することが示唆されることを指摘し、これを実際にWilson loopの1点、2点及び3点関数の振る舞いを数値的に調べることによって納得しうる精度で示した。

 Planar limit以外の非自明なscaling limitが弱結合領域で存在するというこの新しい結果は非常に興味深いが若干常識を越えるものであり、審査員より、少なくとも摂動論がg=0で特異な振る舞いを示す必要があるとの指摘がなされた。これに基づき学位申請者は江口-川合モデルの摂動論の研究をさらに行い、もとの格子ゲージ理論と異なり実際摂動論が破綻していることを具体的に示した。これを受けて行われた継続審査では、理論的に矛盾がないことを示した点で数値的結果を強化していること、また数値シミュレーションが様々なチェックを踏まえて慎重かつ的確に行われていること、結果が新しく将来的示唆に富んでいること、研究の水準が博士の学位基準を上回っていること、を確認し、審査員一同博士(理学)の学位を与えるに十分なものであると判断した。尚、本論文の一部は共同研究に基づくが、その部分に関しても論文提出者が十分な寄与をしたと判定した。

UTokyo Repositoryリンク