学位論文要旨



No 113902
著者(漢字) 佐分,作久良
著者(英字)
著者(カナ) サブリ,サクラ
標題(和) マウス胚発生における生殖細胞ならびに体細胞系列決定機構に関する研究
標題(洋) Studies on the mechanisms underlying the determination of germ and somatic cell lineages during embryogenesis in the mouse
報告番号 113902
報告番号 甲13902
学位授与日 1999.01.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1961号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東北大学 教授 佐藤,英明
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨

 多細胞生物の体細胞は細分化された機能をもち個体の生存に不可欠な役割を担うが、最終的にはその個体の死と共に死滅する。一方、生殖細胞は世代を越えて遺伝情報を伝達する細胞であり、生命の連続性に中心的な役割を果たしている。この事実を考えれば、発生過程における生殖細胞決定のメカニズムが、ある程度、生物種間で保存されていても不思議ではない。

 個体発生における生殖細胞の分化機構に関して、従来、多くのモデルが提唱されているが、それらは3つの型に大別することができる。第1は「前成型(preformistic type)」(Weismann,1885)と呼ばれるものである。この型では、卵形成途上で発現される母性遺伝子の産物が、未受精卵の細胞質中にRNAもしくはタンパク質の形で極在化し、生殖細胞決定因子(GCDF)として機能することにより、卵割期に生殖細胞系列への割球分化が決定される。節足動物のショウジョウバエ(Drosophila)、袋形動物の線虫(Caenorhabditis)、また、脊椎動物では無尾両生類(アフリカツメガエルXenopus)が典型的な例である。第2は「後成型(epigenetic type)」(Bounoure,1939)と呼ばれ、先行して分化した体細胞組織から生殖細胞が分化することが認められる。刺胞動物のヒドラ(Hydra)をはじめ無性生殖を営む大半の動物種がこの型に属すると考えられる。

 一方、哺乳類および一部の有尾両生類(アカハライモリTriturus、アホロートルAmbystoma)における生殖細胞系列決定機構は、前成型、後成型でもなく、第3の「中間型(intermediate type)」(Nieuwkoop and Sutasurya,1981)であるとされている。たとえば、マウス(Mus)の始原生殖細胞(Primordial Germ Cell:PGC)は、胎齢6.5日の胚体外胚葉の上部1/5の領域に予定始原生殖細胞として分布しているが、この段階の細胞の発生運命はまだ決定的ではなく、多分化能を保持している。一方、マウスの始原生殖細胞や形成途上の卵細胞において、細胞質中にnuageと呼ばれる生殖顆粒に類似した細胞小器官が存在し、GCDFとして機能する可能性が推論されているが実験的に確認されているわけではない。

 本論文では、まず、第1章で原始外胚葉(epiblast)に由来すると考えられているES細胞を用い、単一のES細胞が全能性を維持し、生殖細胞系列と体細胞系列の双方に分化し得るか否かについての検討を行った。第2章では、マウス未受精卵細胞質RNAを用いて、Drosophilaの卵細胞質中に発現が確認されている生殖細胞決定遺伝子群転写産物のホモローグの探索を試みた過程で同定された新規cDNAについて記述する。この新規cDNAの構造について得られた知見を述べるとともに、その生成機構、ならびに、このcDNAにコードされる推定タンパク質の機能について推論を加える。第3章では、今回同定された新規転写産物の胎仔組織、および成体組織における発現部位を検討するため、cRNAプローブを用いて行ったin situ hybridizationの実験結果について記述する。

第一章Developmental fate of single ES cells microinjected into 8-cell-stage mouse embryo

 (マウス8細胞期胚に導入された単一のES細胞の発生運命)

 マウスの後期胚盤胞から直接単離されたES細胞は、初期胚に導入して発生させ、キメラ個体を得ることで、体細胞にも生殖細胞にも共に分化する能力をもつことが知られているが、従来の実験では複数個のES細胞を宿主胚盤胞に導入しているため、同一のコロニー内に、異なる分化を遂げたES細胞が存在している可能性を否定できない。そこで、単一のES細胞を8細胞期胚へ導入してキメラマウスを作出し、導入されたES細胞の分化能を解析する実験を行った。その結果、得られた生殖系列キメラ個体(germ line chimeras)において、生殖細胞と同時に、生殖道、腎臓、および背部骨格筋においてES細胞由来細胞の高い寄与が確認された。以上の結果から、(1)単一のES細胞が生殖細胞系列ならびに体細胞系列に分化し得ること、すなわち、全能性を維持していること、ならびに、(2)個体発生の比較的初期において生殖細胞系列、および、泌尿・生殖系体細胞系譜が、同一の未分化細胞のコンパートメントに属し、その後、後成的に分離し、それぞれ独立の系譜を確立して終末分化に至る可能性が推論された。

第二章Isolation of cDNA encoding a novel deduced protein ’Magphinin’ from mouse oocyte mRNA

 (新規推定タンパク質’Magphinin’をコードするマウス未受精卵由来cDNAの単離)

 先に述べたように、哺乳類における生殖細胞の分化決定機構は「中間型」と考えられ、第一章で示した「後成的」機構に加えて、未受精卵ないしは初期胚段階における「前成的」機構の関与が示唆されているが実験的根拠に乏しく、Drosophilaの卵細胞質において発現が確認されている多数の生殖細胞決定遺伝子群のホモローグを哺乳類において単離・同定する試みはこれまでほとんど成功していない。本論分では、Drosophilaの「前成的」機構も本質的に哺乳類の「中間的」機構と矛盾しないものとの見地から、マウス未受精卵細胞質中に、Drosophilaの生殖細胞決定遺伝子群の一つであるgcl(germ cell-less)のホモローグによる転写産物の探索を試みた。

 その結果、gclと一部類似した配列を含むcDNAとして、ヒトおよびマウスにおいて胚盤胞の栄養外胚葉細胞の膜タンパクとして知られているtrophininをコードするcDNAが得られ、さらに、trophinin cDNAの部分配列をもち、興味深い構造的特微を示す新規cDNAを同定した。このcDNAは、推定されるアミノ酸配列より、N末端側がMAGE super familyタンパクの間で共有されるコンセンサスをもつ新規の核タンパクをコードし、またC末側はtrophininの部分ペプチド(N末側7aaとC末側138aa)をコードしていることが明らかとなった。本論文では、このcDNAによりコードされている新規推定タンパク質を"Magphinin"と命名した。Magphinin cDNAの構造から、その生成機構として、2つの独立した発現単位(MAGE homology locusとtrophinin locus)間での複雑な発現制御機構が存在していることが示唆された。この2つの発現単位のゲノム上の構造はまだ同定するには至っていないが、生成機構の第一の可能性として、これらの発現単位が1つの遺伝子座上でタンデムに配列して、異なる2つのpromoter領域に支配され、さらにalternative splicingの制御を受けていることが推測された。第二の可能性として、この2つの発現単位はゲノム上にシス、あるいはトランス配位で離れて存在し、trans splicingにより1つの転写産物「magphinin」として形成されることが推論された。

 次に、マウス初期発生におけるmagphinin転写産物の発現様式の検討を行った。RT-PCR法により、マウス未受精卵から着床期胚にかけて、その発現が確認されたが、ES細胞においては発現が認められなかった。一方、成体組織においてはNorthern blot法により特に卵巣、精巣、および大脳、小脳において発現が確認された。

第三章Expression patterns of magphinin mRNA in adult tissues of mice as revealed by the in situ hybridization method.

 (in situ hybridization法によるmagphinin転写産物のマウス成体組識における発現様式)

 凍結切片を用いたin situ hybridizayion法により、卵巣では一次・二次卵胞の未分化顆粒膜細胞、および成熟卵胞の顆粒膜細胞に、また、精巣では精原細胞、精母細胞、およびセルトリ細胞においてmagphinin転写産物の発現が観察された。また、脳においては大半の神経細胞に発現が確認され、特に海馬、小脳のプルキンエ細胞、嗅球の僧帽細胞において強いシグナルが観察された。以上の事実から、magphininは初期発生過程のみならず、成体組織においても多様な機能を有することが示唆された。

 現在までにDrosophilaにおいて生殖細胞決定遺伝子群と総称される多数の遺伝子が同定され、その転写産物は生殖質の構成成分であるとされている。しかし、これらの遺伝子産物は生殖細胞の前駆細胞である極細胞の形成か、もしくは生殖細胞の形成に必要な「場」となる腹部の形成に関与し、直接、終末的な生殖細胞の形成に関与しているわけではない。極細胞は、全てが生殖細胞に至るのではなく、そのごく一部は内胚葉(中腸内壁)へと分化すると言う意味で、多能的である。極細胞が生殖細胞として「終末分化」を遂げる機構については今のところほとんど解明されていない。Xenopusの場合においても、生殖質を含むPGCを胚の生殖巣以外の領域に移植すると、その「場」の影響により体細胞として分化しなおすことが知られている。このように生殖質を含む細胞は必ずしも生殖細胞としての発生運命が十分に決定されているわけではないので、いわゆる生殖細胞決定遺伝子群は、実際には"潜在的"生殖系列細胞としての、割球の区画化を制御している可能性が考えられる。本論文では、生殖細胞は、"潜在的"生殖細胞としての割球の区画化を、繰り返し重ねた結果、形成されるという点で、いずれの動物種の生殖細胞分化機構も根本的には類似している可能性について、新たな視点から論議を加えた。

 したがって、初期発生における割球の「区画化支配遺伝子機構」の解明が、生殖細胞系列と体細胞系列の分化決定機構解明の重要な鍵となると考えられる。magphininが区画化支配遺伝子であるか否かについては、現在のところ、実験的証拠はないが、magphininと類似した構造的特徴をもつことが知られている他の遺伝子産物(例えばDrosophilaのNotch)の機能から推論して、充分、その可能性があるものと推測される。この点に関しては、今後さらに、研究の必要がある。

審査要旨

 個体発生における生殖細胞の分化機構に関しては3つの型に大別される。第1は「前成型」で、卵形成途上で発現される母性遺伝子の産物が、未受精卵の細胞質中にRNAもしくはタンパク質の形で極在化し、生殖細胞決定因子(GCDF)として機能することにより、卵割期に生殖細胞系列への割球分化が決定される。第2は「後成型」で、先行して分化した体細胞組織から生殖細胞が分化する。哺乳類および一部の有尾両生類における生殖細胞系列決定機構は、第3の「中間型」であるとされている。マウスの始原生殖細胞や形成途上の卵細胞においては、nuageと呼ばれる生殖顆粒に類似した小器官が細胞質中に存在し、GCDFとして機能することが推論されている。

 本論文は、哺乳類の初期発生における割球の区画化が、生殖細胞系列と体細胞系列の分化決定機構に重要な役割を果たしていることを示した。また、区画化支配遺伝子と考えられる新規の遺伝子を単離し、その発現様式の解析から、細胞系列の区画ならびに生殖細胞への分化に関与していることを示唆した。本論文は3章から構成され、各章の要約は以下の通りである。

 第1章では、始原生殖細胞由来の単一のES細胞が生殖細胞系列と体細胞系列の双方に分化し得るか否かについての検討を行っている。単一のES細胞を8細胞期胚へ導入してキメラマウスを作出し、導入されたES細胞の分化能を解析する実験を行い、得られた生殖系列キメラ個体において、生殖細胞と同時に、生殖道、腎臓、および背部骨格筋においてES細胞由来細胞が高度に寄与していることを確認し、以下のことを推論した。(1)単一のES細胞が生殖細胞系列ならびに体細胞系列に分化し得る。(2)個体発生の比較的初期において生殖細胞系列、および、泌尿・生殖系体細胞系譜が、同一の未分化細胞のコンパートメントに属し、後成的に分離し、それぞれ独立の系譜を確立して終末分化に至る。

 第2章では、マウス未受精卵細胞質RNAを用いて、Drosophilaの卵細胞質中に確認されている生殖細胞決定遺伝子群転写産物のホモローグの探索を試みている。その結果、ヒトおよびマウスにおいて胚盤胞の栄養外胚葉細胞の膜タンパクとして知られているtrophininをコードするcDNAを単離し、さらに、trophinin cDNAの部分配列をもち、興味深い構造的特徴を示す新規cDNAを同定している。このcDNAは、推定アミノ酸配列のN末端側がMAGE super familyタンパクの間で共有されるコンセンサスをもつ新規の核タンパクをコードし、C末側はtrophininの部分ペプチドをコードしていることからMagphininと命名した。その生成機構として、2つの独立した発現単位(MAGE homology locusとtrophinin locus)間での複雑な発現制御機構が存在していることを示唆した。生成機構の第一の可能性として、これらの発現単位が1つの遺伝子座上でタンデムに配列して、異なる2つのpromoter領域に支配され、さらにalternative splicingの制御を受けていることを推測した。第二の可能性として、この2つの発現単位はゲノム上にシス、あるいはトランス配位で離れて存在しtrans splicingにより1つの転写産物(magphinin)として形成されることを推論している。

 第3章では、マウス初期発生におけるmagphinin転写産物の発現様式の検討を行っている。RT-PCR法により、マウス未受精卵から着床期胚にかけて、その発現を確認した。一方、成体組織においては、特に卵巣、精巣、および大脳、小脳において発現を確認した。また、脳においては大半の神経細胞に発現を確認し、特に海馬、小脳のプルキンエ細胞、嗅球の僧帽細胞において強いシグナルを観察している。以上の事実から、magphininは初期発生過程のみならず、成体組織においても多様な機能を有することを示した。

 以上、本論文は哺乳額の初期発生における割球の区画化が、生殖細胞系列と体細胞系列の分化決定の重要な要素であることを示した。また、新規遺伝子として単離したmagphininが細胞系列の区画化を支配する遺伝子である可能性を強く示唆した。これらの知見は、今後の応用動物科学の進展に多いに貢献するものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク