学位論文要旨



No 113912
著者(漢字) 渡辺,良久
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヨシヒサ
標題(和) ヒト性染色体のバンド境界とDNA複製タイミングならびに機能境界との関連
標題(洋)
報告番号 113912
報告番号 甲13912
学位授与日 1999.02.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第855号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨 【序論】

 染色体レベルと遺伝子レベルの研究は次元の異なる研究と考えられ、それぞれ独立に行われている傾向にあるが、今後両者をつないでいくことが重要な課題である。この点、染色体バンドの研究は光学顕微鏡レベルの構造と遺伝子塩基配列とを直接関係づけられると思われる。染色体バンド領域は、GC%分布、DNA複製、クロマチン構造および組み換え頻度などと密接に関連しており、そのバンドの境界はGC%およびDNA複製タイミングの変移点として定義できると予想される。しかし、現時点で分子レベルによる染色体バンドおよびその境界領域の解析はほとんど行われていない。

 哺乳類におけるX染色体の不活性化現象は、XIST遺伝子を含むX染色体不活性化センター(X-inactivation center;XIC)の存在が必須である。2本のX染色体のうち1本の特定の領域がDNAの凝縮によりヘテロクロマチン化され、S期の極端に遅い時期に複製されるが、偽常染色体部位(pseudoautosomal region;PAR)は不活性化を免れる。ヒトのXICのセントロメア側の境界は染色体バンドの境界付近に位置することが報告されている。そこで、XIC領域および偽常染色体部位境界(pseudoautosomal boundary;PAB)領域のDNA複製タイミングの解析は、染色体バンド構造、およびX染色体の不活性化現象の分子機構の解明につながると考えられる。

 本研究で、XIST遺伝子からXICのセントロメア側の境界付近に位置する逆位配列までの約1MbのS期後半に複製する領域を同定し、この領域が染色体バンドXq13.2に対応することを明らかにした。塩基配列が判明している領域において、DNA複製タイミングのS期前半から後半への変移点を初めて特定し、光学顕微鏡レベルの構造とDNA複製タイミング、ならびに遺伝子塩基配列とを直接的に関係づけた、世界で最初の研究である。

【S期DNA複製タイミングの測定法の確立】

 対数増殖期のヒト男性の血球系細胞THP-1(2n=46,XY)を60分間Bromodeoxyuridine(BrdU)で標識した後、EPICS ELITE cell sorterを用い、DNA含量を指標として細胞周期により6分画(G1,S1,S2,S3,S4,G2/M)した。一定の細胞数を含む各分画に対して、超音波処理し、免疫沈降法によりBrdUで標識された新生鎖DNAの精製を行った。次に、各分画の一定量の新生鎖DNAに対して、一定量のプラスミドDNAを加え、複製タイミングを測定したい部位でのPCR primerセットを用いてmultiplex PCRを行った。また、測定したい2つの部位の複製タイミングを直接に比較するため、2つの部位のmultiplex PCRも行った。次に、そのPCR産物に対して、ポリアクリルアミドゲル電気泳動、SYBR GREEN Iによるゲル染色、およびFluoro Imagerによるバンドの定量を行った。その際、各分画のバンドの強度はプラスミドDNAのバンドに対する割合で補正することにより比較した。

 この系が、DNA複製タイミングの測定法として適当であるのかを検討するため、S期前半に複製することの知られているPGK1遺伝子、およびS期後半に複製するF9遺伝子によるmultiplex PCRを行った。PGK1はS1にピークを示し、F9はS4にピークを示したことから、この系がDNA複製タイミングの測定法として適当であることが確認できた。

【ヒトX染色体不活性化センター(X-inactivation center;XIC)領域におけるS期後半に複製する領域の特定と染色体バンドXq13.2との対応】

 光学顕微鏡レベルの研究から、XICのセントロメア側の境界は染色体バンドXq13.1とXq13.2の境界付近に位置していることが報告されている。この領域をDNA複製タイミングの面から検討したところ、染色体バンドの境界付近に位置する約250kbの逆位配列をはさんだPHKA1とDXS227の間で、DNA複製タイミングがS期前半からS期後半に大きく変移していることが判明した。

 また、XIC内に位置するXIST遺伝子の3’下流領域においてはS期後半に複製していたのに対して、その5’上流領域においてはS期前半に複製しており、XIST遺伝子領域において複製タイミングが大きく変移していることもわかった。

 XIC内に位置するXIST遺伝子からXICのセントロメア側の境界付近に位置する逆位配列までの約1Mbが、S期後半に複製しており、GバンドXq13.2に対応していると結論した。

【ヒト偽常染色体部位境界(pseudoautosomal boundary;PAB)領域のDNA複製タイミングの解析】

 PABは性特異的部位と偽常染色体部位(pseudoautosomal region;PAR)との境界である。この領域のDNA複製タイミングをXY染色体について測定した結果、解析したすべての領域においてS期前半に複製していることがわかり、タイミングの変化は認められなかった。この結果から、PAB領域は染色体バンドの境界ではなく、PAR側のR-バンドに属していることが明らかとなり、その境界は性特異的部位領域に位置することが示された。

【染色体バンドの境界領域の解析】

 染色体バンドの境界領域の特徴を明らかにするため、本研究で解析したXIST領域、PAB領域、およびこれまでにDNA複製タイミングの変移が判明しているヒトMHC(HLA)のクラスIIとIIIの境界領域について比較検討した。染色体バンドの境界と考えられるXIST領域とMHCクラスII-III境界領域の間に、以下に示すいくつかの共通点が見い出された。(1)GC%の変移、(2)DNA複製タイミングの変移、(3)高頻度反復配列LINEとAluの別個の高密度クラスター、(4)中頻度反復配列MER41、MER57、MER58Bおよびpolypurine/polypirimidine連続配列などの特徴的塩基配列の局在、(5)noncoding RNAの発現領域の局在。

 これらの結果から、染色体バンドの境界領域は特徴的な構造をもっており、分子レベルでゲノム上において識別できることが示唆された。

【まとめと考察】

 本研究で塩基配列が判明している領域において、DNA複製タイミングのS期前半から後半への変移点を初めて特定し、その領域の構造解析を行った。

 1.ヒトX染色体不活性化センター(X-inactivation center;XIC)領域において、DNA複製タイミングがS期前半から後半に変移している領域を、2箇所見い出した。ひとつはXIC内のXIST遺伝子領域であり、もうひとつはXICのセントロメア側の境界付近に位置する約250kbの逆位配列の領域である。XIST遺伝子領域においてはDNA複製タイミングとGC%の相関も確認され、この領域は染色体バンドの境界と結論した。

 2.XIC領域において、XIST遺伝子から逆位配列までの約1MbのS期後半に複製する領域を特定し、この領域が染色体バンドXq13.2に対応することを明らかにした。光学顕微鏡レベルの構造とDNA複製タイミング、ならびに遺伝子塩基配列とを直接関係づけた、世界で最初の研究である。また、染色体バンドの境界領域は特徴的な構造をもっており、分子レベルでゲノム上において識別できることが示唆された。

 3.偽常染色体部位境界(pseudoautosomal boundary;PAB)は染色体バンドの境界ではなく、その境界は性特異的部位領域に位置することが示唆された。

 4.本研究において確立したS期DNA複製タイミングの測定法により、複製バンド領域を分子レベルで正確に定義できることが実証された。ゲノム計画の進展に伴い、今後この測定法をヒトゲノムの広範囲領域に適用することにより、ゲノム配列上に複製タイミングゾーンを特定することが可能であり、バンドとの一般的な関係も明らかにできることが示された。

審査要旨

 染色体バンド領域のバンドの境界はGC%およびDNA複製タイミングの変移点として定義できると予想される。しかし、現在まで分子レベルによる染色体バンド、およびその境界領域の解析はほとんど行われていない。渡辺は、バンドの境界付近に位置することが報告されているヒトX染色体不活性化センター(X-inactivation center;XIC)を中心に、ヒトの広範囲ゲノム領域のDNA複製タイミングを、塩基配列レベルで解析した。

 対数増殖期のヒト男性の血球系細胞THP(2n-46,XY)をブロモデオキシウリジン(BrdU)で標識した後、DNA含量を指標として細胞周期により6分画した。各分画に対して、免疫沈降法によりBrdUで標識された新生鎖DNAを精製した後、複製タイミングを測定したい部位のPCRプライマーセットを用いて、多重PCRを行った。そのPCR産物に対して、ポリアクリルアミドゲル電気泳動し、バンドを定量した。

 XIC領域をDNA複製タイミングの面から検討したところ、染色体バンドの境界付近に位置する約250kbの逆位配列、およびXIC内に位置するXIST遺伝子領域において、DNA複製タイミングがS期前半からS期後半に大きく変移していることが判明した。また、XIST遺伝子から逆位配列までの約1Mbが、S期後半に複製しており、GバンドXq13.2に対応していると結論した。

 ヒト偽常染色体部位境界(pseudoautosomal boundary;PAB)は性特異的部位と偽常染色体部位(pseudoautosomal regio;PAR)との境界である。この領域のDNA複製タイミングを測定した結果、解析した全ての領域においてS期前半に複製していることがわかり、タイミングの変化は認められなかった。この結果から、PAB領域は染色体バンドの境界ではなく、その境界は性特異的部位領域に位置することが示された。

 本研究で解析したXIST遺伝子領域、PAB領域、およびこれまでにDNA複製タイミングの変移が唯一判明しているヒトMHCのクラスIIとIIIの境界領域について、塩基配列レベルで比較解析した。染色体バンドの境界と考えられるXIST領域とMHCクラスII-III境界領域の間に、いくつかの共通点が見いだされた。PAB領域はMHC領域とも関連が少ない。この結果、XICで見いだされた変異点配列はMHC領域変異点とともに染色体バンドの境界領域は特徴的な構造である可能性が高く、分子レベルでゲノム上において識別でき、生物学的に重要な意義を持つと考えられる。

 以上、渡辺は染色体バンドの境界領域の特徴とみられる構造を見いだし塩基配列レベルで解析した。この結果はゲノム解析における意義に加え、生物学上の新しい展開をも秘めるものであり、薬学研究に大きな寄与があると判断され、博士(薬学)の学位にふさわしいものである。

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