学位論文要旨



No 113918
著者(漢字) 安西(亀長),洋子
著者(英字)
著者(カナ) アンザイ(カメナガ),ヨウコ
標題(和) 中世ジェノヴァ商人の「家」
標題(洋)
報告番号 113918
報告番号 甲13918
学位授与日 1999.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第228号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高山,博
 東京大学 教授 樺山,紘一
 東京大学 助教授 甚野,尚志
 東京大学 教授 小松,久男
 東京大学 教授 村井,章介
内容要旨

 中世ジェノヴァ商人は、東西地中海世界、さらには北海・黒海沿岸にまで足をむけ華々しい活動を展開した。本博士論文は、そうしたジェノヴァ商人の活動を、商業活動と都市生活の両面から論じたものである。論じるにさいしては、商業活動と都市生活という二つの分野を結びつけうるものとしての「ひと」、中でも「家」を軸にした人的結合と「家」の発展、という視角から議論を展開した。

 博士論文は、序論、第一部、第二部、結論からなる。序論では、全体的な問題提起に続けて、商業活動と都市生活のそれぞれについて、研究動向や課題を論じた。

 第一部は中世盛期、第二部は中世後期を扱った。第一部、第二部とも、前述の商業活動と都市生活の二つについて、該当時期に「家」としての発展を見たひとつの「家」を対象とした。

 第一部では、主に公証人文書をもとにストレイアポルコ-ネピテッラ「家」という商人の「家」の構造を論じた。この「家」の最も顕著な特徴は、商業活動におけるこの「家」内部の結合力の強さである。コンメンダ等の投資活動を行うにあたっての事業相手の選択にさいし、「家」構成員を優先するかどうか、に関しては、この「家」の場合、商業活動において、「家」とは最優先される事業相手であった。さらに彼らは主に自分達の家の周辺で契約を行い、また多くの時間行動を共にし、お互いの活動内容を把握し監視していたのである。女性も、その投資活動に「家」の監視が働くものの、「家」中心に活動を行うこの「家」では自国に残る人ならではの役割を担っていた。こうした「家」内部の結合の強さに対し、この「家」と、姻族をも含む「家」外の人物との関係は、少数の特定個人とその小家族とは非常に緊密な関係を維持しているものの、一般的には希薄であった。

 こうした「家」内部の結合の強さは、この「家」の発展の上重要であった。12世紀には地区での政治力を有していなかったストレイアポルコ-ネピテッラ「家」は、12世紀末から13世紀初頭、投資階層が広がり、人々が多様な相手と一時的な契約に熱中している間も、「家」内部の人間を率先して活用し、「家」中心の活動を行い、「家」内での優劣を明確にしつつ「家」内部に富を蓄積した。その結果、13世紀中葉には、ストレイアポルコ-ネピテッラ「家」のうち、より多くの資本を形成したストレイアポルコ家は、地区の有力者にまで自分達の地位を上昇させたのである。中世盛期という時代背景のなか、「家」中心の動きのなかにも、その中での分化が同時に進行しており、人的結合のヨコのつながりが、一方の家門の地位の上昇という、通時的な発展へとつながった事例としてこの「家」はとらえられた。

 第二部では、14世紀中盤からその地位を向上させたロメッリーニ「家」の事例を通じて、さまざまな角度から人的結合と「家」の発展にまつわる諸問題を分析した。

 人的結合の最大の特徴は、この「家」の商業活動、および都市生活では、ナポレオーネ・ロメッリーニの子供達は、彼らの間での人的結合を最も重視していた点である。商業活動では、全体的傾向に加え、procuratorの任命や、コルシカやエルバでの特殊な事業は、その最たる事例である。また都市生活においても、利息の受取人や遺言の動向からその点が顕著になる。

 「ナポレオーネ・ロメッリーニの子孫」という結合が彼らの中軸にあるとして、その周辺にあって、彼らの結合を補完して人物としては、今回の分析では、何人か、特徴的な動きを示す人物がみられた。番頭的存在である人物、兄弟の事業全体を理解している書記ともいえる公証人、広域担当者、親密な事業相手であり姻族でもあった他家人物、植民先の有力な「家」で姻族でもあった人物、ライヴァル都市の有力な「家」などが確認された。

 こうした状況下、「ロメッリーニ「家」」という枠組みは、必ずしも重視されていたわけではなかった。ただし、全く「家」というまとまりがなかったわけではない。「家」が現れるのは、証人のように隣人としての機能にもとづくもの、コンメンダのような「家」内の有力者の子孫との提携、イベリア半島への進出のような一部の事業、そして、遺言や墓碑での指示にみられたような、「永遠」を求める行為を考えたときの、末端の単位としてである。ナポレオーネ・ロメッリーニとその子供達にとって、「家」というのは、上記のような場合にのみ見られるゆるやかな結合単位として存在していた。

 こうした結合状況は、「家」の発展上大きな影響を与えていた。ロメッリーニ「家」では14世紀後半から顕著になる有力貴族との婚姻を維持しその身分を洗練する一方、「家」内部の階層分化も進みつつあった。そうしたなか、富者である父をもったナポレオーネ・ロメッリーニの息子達は、兄弟中心で諸活動をすすめるうち、「家」内での地位も高め、さらにヴィスコンティとの出会いによりその政治的地位をも高めていった。こうした一連の動きのなか、彼らのなかには、ナポレオーネ・ロメッリーニの子孫、との意識が明確になり、新たな家門意識を次代に伝えていくことになる。

審査要旨

 北イタリアの都市ジェノヴァは、十一世紀以後中世地中海貿易の主導権を握り、ヴェネツィアと覇を競う強力な都市国家であった。そのため、ジェノヴァの商業史、経済史に関しては、長年にわたる厚い研究史が蓄積されている。しかし、商業を担う人々の相互関係や商業に果たす家の役割を明らかにするような実証的な研究はほとんどなされてこなかった。

 本論文は、そのようなジェノヴァ研究の欠落を補うべく、二つの家に焦点を当て、それぞれの構成員の結びつきの実態を明らかにしようとしたものである。第一部では、一二、三世紀に活躍するストレイアポルコ=ネピテッラ家の人々が、商業活動において強固な内的結合を維持し、他家の人々とあまり関係を持たなかったことを明らかにする。第二部では、一四、五世紀に全盛を誇るロメッリーニ家の人々が、その家という枠組みにあまり限定されず、事業によっては家の外の人々とも協力していたことを明らかにしている。

 以上の研究を行うために、本論文の著者は刊行史料に加え、ジェノヴァの文書館に保管されている大量のラテン語未刊行史料を利用している。それらの大部分は、中世後期に書かれた手書きの課税記録、議事録、公債購入者台帳、公証人文書である。著者は、これらの史料を詳細に検討し、そこから上記の二つの家に関する情報を抽出し、従来の研究では明らかにしえなかったそれぞれの家の構成員の結びつきの実像を具体的に描き出すことに成功している。

 本研究により、ジェノヴァでは、構成員の結びつきが時代によって変化する家があることが明らかとなり、従来考えられていたように、家をイタリア人の行動様式を規定する基本的な人的結合単位と無条件に捉えることはできなくなった。また、ロメッリーニ家の事例に見られる家構成員のゆるやかな結びつきは、強固な結束を持つ大規模な家の結合という従来のアルベルゴ像に対して、大きな疑問を提起することになった。

 このように、本論文は、これまでの通説に対して大幅な修正を加えるものだが、不注意な表現や表記法が見られると同時に、概念規定が必ずしも十分でないと判断される箇所がある。そのような欠点はあるが、基礎となる史料調査、史料批判は十分満足できる水準に達しており、歴史研究者として今後の実り多き研究生活を予期させるものである。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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