学位論文要旨



No 113920
著者(漢字) 李,星求
著者(英字)
著者(カナ) イ,ソング
標題(和) ライセンシングによる技術移転と政府規制
標題(洋)
報告番号 113920
報告番号 甲13920
学位授与日 1999.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第121号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 教授 岩田,一政
 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 助教授 中西,徹
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨

 この論文の研究課題は、技術ライセンス契約において技術的に優位に立つライセンサーからライセンシーに競争制限義務が賦課される原因と競争制限義務に対する政府規制の効果を分析することである。

 技術ライセンシングにおける競争制限に対する最初の理論的分析の試図はVaitsos(1971)の研究であるが、Vaitsosは技術移転過程をを商業的取引として見ながらも、ライセンシーを保護する為に政府の介入が必要であることだけを指摘し、技術料と制限条件の間系や規制によってライセンス自体が行われない問題については十分に考慮しなかった。

 Caves et al.(1983)は技術市場の不完全性や危険の回避のため、ライセンサーが技術料収入を犠牲してもライセンシーに販売地域制限、グラント・バックなど競争制限条件をつけることを説明しているが、競争制限条件と技術料水準の間でライセンサーとライセンシーがどのような選択をするのかに対しては言及していない。また、最近には、技術に対する情報の非対称性の仮定のもとに、ゲーム理論の観点から様々な研究が行われている。

 この論文は、競争制限義務と技術料の水準間の選択問題を明示的に取り入れ、技術に対する情報よりも技術を適用した後のライセンサーとライセンシーの競争力に対する互いの評価(予想)の違い(評価の非対称性)によって生じる問題を分析するとともに、政府が競争制限義務や技術料水準を規制する時の効果を分析する。

 この論文の内容を簡単に要約すると、まず第1章では技術移転の方法の選択、ライセンシングによる技術移転と知的所有権の保護及び企業間競争の問題を説明した。

 技術の利用を拡散させる経路(channel)は様々であるが、国際間で企業を通じて行われる商業的な技術利用の拡散の経路として代表的なものは輸出、ライセンシング、外国直接投資の三つである。輸出、ライセンシング、外国直接投資(合弁も含む)の中での選択の問題は多国籍企業理論の重要な主題でもあるが、多国籍企業だけでなく受入れる国の政府と企業もその選択に影響を与える。過去、日本と韓国の外資政策の歴史を見ると、直接投資に比べて技術ライセンシングのほうを好んできたことがわかる。

 ライセンシングは技術の商品化が前提となり、又、技術の商品化は知的財産権の保護によって活発になるが、ライセンシングによる技術移転は、知的財産権によって生じる商品市場での競争の制限問題を解決する一つの方法でもある。技術の所有企業が他の企業にその技術を利用する権利を与え、技術を利用する市場でも競争が可能になる。それで多くの場合、技術移転は競争を促進すると知られている。このような特徴は、同じ技術利用の拡散といえても、輸出や直接投資と技術ライセンシングの重要な差である。

 しかし、このような特徴によって、技術ライセンシングに伴い、様々な競争の制限が取組まれる場合が多い。例えば、技術移転契約に販売地域を制限したり、研究開発を制限したり、原料や設備の購入先を制限したり、代替技術の採用を制限したりする。ライセンサーとライセンシー、又はライセンシー同士の競争が生じると独占的利潤がなくなって収入や利潤が減る恐れがあるからである。このような様々な競争制限的約定は、大体、ライセンシーのライセンサーに対する義務の形態が多いが、場合によっては知的財産権に基づくカルテルになる可能性もある。

 そうなると技術移転が競争を制限する恐れもあるので、競争当局はライセンシングによる技術移転に伴う競争制限に対しては規制を行う。特に、主にライセンシーの立場にある発展途上国の場合、ライセンシングにおける競争制限的約定によって自国企業の輸出が妨げたり、自主的な研究開発が阻害されたり、設備や原料の購入先が制限され、外貨の支払が増加したりすることは耐えにくいことである。

 そこで第2章では、技術ライセンス規制に対する国際的論議の流れと各国の技術ライセンスに対する規制の枠組みについて説明したが、技術移転に対する法的規制の枠組みを経済的効果に基づいて分類してみると(1)知的財産権の活用を促進するための規制(2)競争の確保のための規制(3)ライセンシーの保護のための規制(4)国内産業の保護のための規制としても考えることができる。

 第3章では、ライセンシングにおける競争制限の原因、競争制限義務の水準と技術料水準間の関係について分析した。ここでは、ライセンシングにおける競争制限の原因の一つをライセンシング相手の競争力に対する評価の非対称性として説明し、競争制限義務と技術料水準の関係に評価の非対称性が及ぼす影響について分析した。

 例えば、ライセンサーとライセンシーが互いに相手の競争能力を過大評価する場合、ライセンサーは技術料を犠牲にしても、将来ライセンシーが競争相手にならないように競争制限義務を付けたくなるが、ライセンシーもライセンサーには競争しても勝てないと考えるので、技術料だけ安ければ競争制限義務にはあまり抵抗しない。従って、相手の競争能力に対する過大評価はライセンシング契約に競争制限条件を付ける一つの原因である。

 また、競争制限義務の水準と技術料水準の間には競争制限義務の水準が高くなると技術料水準が低くなり、競争制限義務の水準が低くなると技術料水準が高くなる関係が想定できる。ライセンサーはライセンシーの競争制限義務が多い場合、長期的に技術的優位を維持することができるので技術料水準が低くてもいいし、ライセンシーは競争制限義務が少ないと、輸出や技術改良によって利潤拡大の機会が増えるので技術料水準が高くてもいいからである。

 第4章では、ライセンシングにおける競争制限義務に対する政府規制の効果をライセンシーの保護と最適規制の間点から分析した。

 上述したように競争制限条件と技術料の間にトレード・オフ関係がある場合、政府の規制がライセンシーを保護するとは限らない。競争制限義務がなくなっても技術料水準が上がるとライセンシーの余剰は減少する可能性もあるからである。また、規制が一定水準以上に厳しくなるとライセンシングが行われない可能性もある。

 しかし、規制がライセンシーの利益にはならなくても経済的厚生の増加に寄与することは可能である。競争の促進によって消費者の余剰が増加するからである。但し、規制しすぎるとライセンシング自体が起らない恐れもあるので、どこまで規制すればいいのかという最適の規制水準の問題がある。

 一方、ライセンシングにおける技術料の水準と制限条件を同時に規制する方法も考えられる。通常、発展途上国の外資法上の技術ライセンシングに対する規制は技術料に対しても制限を設けている。但し、技術料の規制は現実的に難しい問題がある。

 第5章では、国境の概念を導入すると技術移転に対する規制の効果がどのように変わるのかを分析した。ライセンシングは国境を越えて行われる場合が多いが、政府の規制が実効性は国境によって制約されるので、規制の効果を考える時も国境の問題を考えなければならない。例えば、国Aのライセンサーは、どの国にライセンスするかを選択することによってどのような規制を受けるかが選択できる。従って、国家間技術導入の競争がある状況では、技術ライセンシングに対する規制はあまり効果を期待しにくい。技術移転の主な目的の一つは、ライセンシーの市場への接近であるので、その市場を放棄しても機会費用が大きくない(市場規模が小さい)国の場合、ライセンシング規制を厳しくするとその国ではライセンシングが行われない可能性もある。

 又、政府のライセンス規制の目的は、世界全体の厚生の極大化ではなく国民経済における厚生の極大化であるので他の国が負担する費用や享受する利益は配慮できなくなる。例えば、ライセンシング規制の利益の最終的受益者は消費者になるが、消費者の大部分が外国に存在する場合、技術ライセンスを規制すると、ライセンサーやライセンシーの負担で外国の消費者が利益を享受する可能性もある。

 第6章では、競争制限的約定が結ばれる交渉の過程、競争制限的約定の貿易と技術開発に対する影響、競争制限的約定に対する政府規制の効果等を事業者のアンケート(対象:ライセンサー(日本企業)43件ライセンシー(韓国企業)459件、)を通じて調査することによって理論的分析の妥当性を検証した。即ち、日本と韓国の企業間の技術移転において行われる競争制限的約定の特性と、そのような競争制限的約定が企業間の競争や貿易収支にどのような影響を与えているかを分析した。

 その結果を見ると、まず、競争制限条件が技術料の決定などに相当影響していること、大部分の技術ライセンス契約において輸出制限や技術改良の制限などの競争制限義務が含まれ、特に輸出制限の場合はライセンシーの輸出を相当制限していることが分る。また、日韓技術移転は日韓の貿易不均衡や韓国の貿易構造に大きく影響している。

審査要旨

 本論文は、ライセンシング形態による企業間での技術移転、とりわけ技術的優位にある先進工業国の企業から新興工業国の企業への技術移転において、様々な競争制限的な取り決め(競争制限約定)が行われていることに関して、その競争政策上の意味について分析を行っている。ライセンシングにおける競争制限約定とは、たとえばライセンシーの販売地域をあらかじめ制限する地域制限取り決めなどのようなもので、先進国と新興国の企業間のライセンシング契約においては様々な形の競争制限的約定が付加されている。本論文の主要部分はこうした問題についての理論的分析であるが、同時に、日韓のケースについて、ライセンシングにともなう競争制限的約定についての現実の実態調査も行っている。本論文の内容を簡単に紹介すれば、以下のようになる。

 第1章は全体の序章の役割を与えられており、ライセンシング取引に関してのこれまでの経済学の文献についてごく簡単な整理が行われ、その中で著者が取り上げた問題の位置付けが試みられている。ライセンシングにおける競争制限約定の問題は実務家からは大きな関心を持たれながらも、経済学ではあまり大きく取り上げられてこなかった。そうした意味では本論文に関する直接的な先行研究があるわけではないが、多国籍企業論におけるライセンシングの扱い、不完全情報という制約に縛られた技術取引の構造に関する一連の研究などについて、本研究の関係について言及されている。また、ライセンシングと深い関わりをもつ知的財産権の保護についての歴史的流れについても簡単な整理が行われている。

 第2章では、ライセンシングに対する規制の流れと現状について整理が行われている。知的財産権の保護とそれに対立するものとしてのその権利の濫用による競争制限の問題について、UNCTADやGATT=WTOなどの場でどのような議論が行われてきたか、また日米欧の先進国や、アジア各国やラテンアメリカ諸国などの新興国で、ライセンシング行為やライセンシングに関する競争制限に関してどのような規制や保護が行われてきたか整理されている。

 第3章から第5章までが、本論文の中核をなす理論部分である。第3章では、なぜライセンシング契約において競争制限が導入されるのかについての考察が行われている。基本となるモデルはライセンサーとライセンシーの間の双方独占的なモデルである。古典的な単純な双方独占モデルであれば、完全協調が可能であれば、二者間のライセンス料と、両者の供給量さえ調整できれば、ライセンス契約に競争制限条件を付ける必要はない。しかし、ライセンサーとライセンシーの間で相互の競争力に関する評価に違いが存在すると、技術制限条件が付けられる可能性が出てくる。ここでの評価の違いとは、ライセンシングの文献でよく取り上げられる技術内容に関する情報の非対称性ではなく、ライセンシングが適用された後での相手の市場での競争力に関する評価のことである。ライセンシングにおける競争制限条件の強さとライセンス料の間には負の相関関係があると考えられる。競争制限が強くなればライセンス料も引き下げざるをえない。もしライセンサーがライセンシーの競争力を過大に評価し、ライセンシーは自身の競争力をそれほど高く評価してなければ、ライセンサーの方はライセンス後の競争激化を恐れて競争制限を厳しくしてくるだろうし、ライセンシーの方はそれを受け入れてもライセンス料を低くしてもらおうとすると考えられる。こうした直感を、この章では簡単なモデルによって明らかにすることを試みている。

 第4章では、第3章の議論を受けて、そうした競争制限約定に対する政府の規制の経済的意味について考察する。技術受け入れ国による規制の動きを見ると、これらの国は競争制限約定について規制すること、すなわち競争制限的なライセンシングを規制することが、自国の経済利益にかなうと考えているようだ。しかし、この章の分析が明らかにしているように、こうした議論は必ずしも正しくない。第3章で分析したように、競争制限約定はライセンサーとライセンシーが相互の評価の違いの下で共同利益最大化した結果でてきた行為であり、それを規制で歪めることは、結果的に当事者間の望ましいライセンシングを歪める可能性があるからだ。さらに、そうした規制によってライセンスの件数が減少するという点もある。もちろん、競争政策的な意味から競争制限約定を規制して消費者の余剰を高めるルートもあるので、規制がつねに悪いというわけではない。

 第5章では、上の二つの章の議論を受けて、特に国境を超えたライセンシグ契約特有の問題に分析を拡大している。ここでは、上の二つの章のように二者間の問題としてではなく、複数の国の企業が技術のライセンシーの候補となりうる状況に話を変えている。そのような場合には、技術受け入れ国の間での競争が起こり、あまりに厳しい規制はその国の企業にライセンシングが行われない結果になりかねない。

 第6章は、日本と韓国の企業の間のライセンシングの競争制限約定の実態について、企業に対する質問票の集計結果を中心に分析が行われている。データの分析は、理論章(3-5章)の結果を検証するというレベルにまでは至ってないが、日韓のライセンシングやそこでの競争制限約定について詳細な内容にまで立ち入った興味深い分析結果となっている。

 冒頭にも述べたように、先進国と新興国の企業の間のライセンシング契約やそこでの競争制限約定の問題については、その重要性が認識されつつも、経済分析も実態分析もほとんど行われてこなかった。この論文の最大の貢献は、そうした問題について、標準的な双方独占モデルの枠組みで、なぜ競争制限約定がライセンシング契約に付加されるのか、それに対して政府が規制を加えることはどのような経済的効果を持つのかといった点について、きちっとした分析を提示したことだ。もちろん、こうした少数者間の取引の場合には、ゲーム理論のフレームワークでより厳密な分析を行うことが考え得るが、この論文の特徴がライセンサーとライセンシーの相互に対する競争力の評価の違いという、ゲーム理論では分析しにくいところにあることを考えれば、この論文のような伝統的なミクロ経済学的手法で分析することにも意味があろう。論文の議論の基本となっている相手の競争力に関する評価の違いは、確かに、現実の企業の意識の中では大きなものと考えられるし、第6章のアンケート調査の中でも、その点は強くサポートされている。そうしたユニークなしかし重要な切り口から現実的な問題を掘り下げていった点は高く評価したい。

 もとより、本論文は改善が望まれる点や問題点も抱えている。第一に指摘しておきたい点は、本論文のモデルが二企業間の取引関係を分析するための単純な部分均衡モデルであるため、経済厚生分析が必ずしも説得的ではない点である。著者の説明の中でもしばしば「競争政策」と「産業政策」のどちらを想定しているかわかりにくい部分がある。もちろん、そうしたモデルの限界を知っているので、著者は文章の説明によってそれを補完しようとしているが、この部分はモデルに依存していないのでいまひとつ説得性に欠ける。競争制限約定は、国内で販売される価格だけでなく、海外への輸出の可否、国内での技術革新の誘因など、様々なチャネルを通じて経済厚生に影響を及ぼしうる。そうした問題をすべてカバーできるような大きなモデルを創ることを期待しているわけではないが、著者のモデルは少し限定的すぎると思われる。第二に、第6章の日韓に関するアンケート調査は非常に興味深い分析ではあるものの、もう少しつっこんだ分析が行えたかもしれない。膨大な企業への質問状の送付を伴う作業であるため、それを整理するだけでも貴重な業績ではあるが、現状ではまだその集計結果を十分に分析しつくしていない。とりわけ、本論文の基本部分である理論の結果が、こうしたアンケート調査によってどの程度裏付けることができるのかという点について分析がほしかった。

 とはいえ、これまで経済学的な視点からあまり光が当てられることがなかったライセンシング契約の競争制限約定について、競争政策的観点からまとまった形で分析結果がまとめられたことは、高く評価できる。分析が理論だけでなく、実態の詳しい調査に裏付けされていることも、本論文の価値を高いものにしている。審査委員会は著者が博士(経済学)の学位を取得するに相応しいという結論に達した。

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