審査要旨 | | 基礎法学専攻,ラテン・アメリカ法専攻分野,佐藤美由紀の課程内博士論文は,『ブラジルにおける法令の違憲審査制の展開』と題し,ワープロ1頁1200字219頁,200字に換算すると1314枚相当の論文である。 ブラジルは大陸法系の連邦制国家であるが,19世紀末,1891年憲法によりアメリカ型の違憲審査制を導入した後,1965年には一般的な抽象的審査をも加えて,付随的審査と抽象的審査との併存制を特色とする違憲審査制を行っている。その発展は何回かの独裁期における萎縮をはさんで跛行的ながら,大陸法系の基盤の上にアメリカ型の審査制を行う長い歴史を有する点で,著者は日本法との比較可能性が高いことを指摘し,しかしながら,資料収集上の様様な制約に加えて,ブラジルでの判例の軽視ゆえにその実情の解明が極度に困難であることを付言している。 著者は,「序説」において,研究の意義を以上のように提示し,更に前提的知識としての憲法史および裁判所制度の概略を説明し,連邦最高裁判所が現在では憲法問題の管轄に特化しつつある傾向に触れた後に,第1部「付随的審査」においては,その導入と定着,制度内容,およびこれに関連する特殊の制度-種種の簡易救済制度-を3つの章に分けて考察し,次いで,「抽象的審査」に関する第2部は同じく3章構成からなり,その導入と定着のプロセス,制度内容,および,付随的審査とのバランスの問題を扱っている。「結語」においては,ブラジルにおいて以上のような制度展開を可能にした諸要因を分析するとともに,比較法的な位置づけの試みをもって結んでいる。 付随的審査は,通常訴訟の前提問題として,第1審単独裁判官も含めすべての審級の裁判所において行われ得るが,その他に連邦最高裁に対する直接の訴えとして「特別上訴」がある。この特別上訴は,下級審が(事実審の)終審として下した判決を対象として憲法所定の場合になされ得る。違憲性の審理を担当するのは大法廷であり,違憲宣言には連邦最高裁の11名の裁判官中6名の絶対多数が必要である。 付随的審査の対象となるのは,法律(憲法改正,条約,条例もこれに準ずるが,規則は違法性の問題として原則として除外される)およびその他の非立法的規範定立行為(州税局通達,市の決議などに及ぶ)である。判例の傾向としては概して謙抑主義の傾向が見られるとしても,学説は違憲審査の手法に関して,憲法判断回避の理論や明白性の原則などアメリカやドイツにならった議論を紹介する程度で,一般に学説の関心は低いことを著者は指摘している。 独特なのは効果の点であり,違憲判決も一般の判決と同様に個別的効力しか認められなず,かつ先例拘束性もなく,違憲とされた法律は当然に廃止されるということもないので,1934年憲法以来,上院が当該法律の執行を停止する旨の決議を行う権限を与えられている。上院は,この決議を行うについて実質的審査権は持たないが,手続的形式的事項に関する限りは裁量の余地が認められているので,例えば執行停止を延期することは可能とされている。 運用の実態においては,憲法問題を扱う訴訟の数は多い。数量的には,連邦最高裁の1991年の統計では,特別上訴に基づく判決は9152件で,全裁判件数14982件中の61%を占めている。事項別では,州法による課税に関する規定が違憲とされる例が最も多く,著者によれば,一般的に言って,付随的審査については,第一に州に対する連邦の統制手段としての役割が顕著であり,第二に経済社会的な側面での憲法擁護,特に租税分野での個人の既得権擁護の機能が目立つのであって,自由権の関係の事件は相対的に少ないが,人権保障機能は,むしろ種種の簡易救済制度の枠組のなかで行われる付随審査のほうに一層多く見出される。 簡易救済制度は,一定の重要な,または明白・確実な権利に対する恣意的な国家行為による侵害の簡易迅速な保護を目的とするものであるが,しばしば憲法上の権利が問題となるため,違憲審査に結びついて人権救済の手段として機能することになる。 第一に,「人身保護令」は,1830年から既に英米法に倣って制度化されたもので,現在または切迫した暴力または強制に対して,移動の自由を制約する行為またはその根拠法律の違憲性を主張することを可能にする。第二に,「権利保障令」は,人身保護令が1926年憲法で範囲を縮減されたため,その欠落を補うために1934年憲法で導入されたもので,公権力による違憲または不法な侵害に対して個人の確実な権利を防衛すること(保全処分,侵害機関への通告など)を目的とするが,民事的権利だけでなく政治的な権利の防衛にも拡張されている。この関係では更に,政党や組合などの集団的権利自体について「集団的権利保障令」が現行1988年憲法で創設された。もう一つ,1988年創設の「憲法規定実施保障令」は,憲法上の権利自由の行使が,それを規律する下位規範の欠如により阻害される場合に(例えば議員数の人口比例の原則の違反の場合),この保障令により関係機関に対して規範制定が促される。 他方,論文第2部で扱われる抽象的審査は,まず,連邦への権力集中傾向を反映して,1934年憲法以来,一定の憲法上の連邦制原則の州法上の遵守を求めて連邦が州に対して行う連邦干渉の前提として連邦検事総長が提訴するものとして導入された違憲審査(「違憲提訴」)が原型であるが,その延長上に,1965年以降,州法だけでなく連邦法をも審査対象として,一般的な抽象的審査が設置されるに至ったものである。 「違憲性の直接訴訟」と呼ばれるこの一般的抽象的審査の場合には,連邦干渉型の場合と違って全憲法規定との適合性が問題となることのほか,現行憲法下では,提訴権者が拡張されており,一般利益の代表者(大統領,両院執行部,検事総長に加えて,少数派の代弁を可能とする政党および弁護士会),州利益の代表(州知事,州議会執行部),社会的職業的利益の代表(組合総連合,全国規模の階層団体)からの訴えが可能であり,政治的には大統領の優越に対する実効的な対抗手段となり得る。 現行憲法下では更に,自動執行的でない憲法規範に関する下位規範の不存在の場合を狙った「不作為による違憲性の直接訴訟」が設けられている。提訴権者は先の場合と同様広範であり,連邦最高裁の違憲判決には強制力はないものの,立法権の行為を促し,行政に対しては30日内の行為を命ずる。これは前述の憲法規定実施保障令に似るが,後者は権利救済手段であるのに対して,こちらは抽象審査に属し一般的政治的性格を呈する。現行憲法では更に,「基本的規定の不履行の争訟」という独創的な制度も規定されているが,その必要性には多くの疑義が呈され,具体化のための法律も制定されていない。 付随的審査による違憲判決には個別効しかなく上院による法律の執行停止が必要であるのに対して,抽象的審査の場合の違憲判断はそれ自体として対世効および遡及効を有し,判決公示とともに効力停止効果が生ずるとされている。更に,1977年以来承認されている仮処分は,議会や執行権の行為に迅速にブレーキをかける実効的な手段であり,連邦最高裁に特別の政治力を付与するものである。 抽象的審査の実際においては,1988年以前には1050件,以後1994年までの間には1149件の提起があり,後者のうち確定判決305件,認容117件であり,仮処分が認められたのは722件ある。抽象的審査の中心的な事項は,連邦憲法に照らした州憲法の違憲性の問題である。 以上のような抽象的審査の拡大傾向は付随的審査の範囲を縮減させ,連邦最高裁の下級裁判所に対する拘束性を高める性質のものであるところから,著者は,両者の間のバランスが問われていることに触れる。その問題を強く意識させるのが,1993年憲法改正で採用された「合憲性の確認訴訟」である。これは,憲法訴訟の「洪水状態」,同質的な問題に関する大量訴訟と下級レヴェルにおけるその結論の不一致,最高裁で解決済の問題に関する反復的異議申立,などの状況を緩和するためにドイツ法を着想源として考案されたもので,連邦法の合憲性の宣言を得ることを目的として,大統領,両院執行部,検事総長が提起権者となる。しかし,最高裁が政府・立法者の擁護機関化するとの批判が強く,違憲宣言が下されることも可能であるため,現実にはほぼ全く利用されていない。著者はその他のいろいろな司法改革案を紹介しているが,いずれにせよ,憲法裁判所の別途設立はブラジルでは望まれておらず,付随的審査と抽象的審査との併存制自体は動かないものと予測している。 「結語」において,著者は,一方でブラジルにおける以上のような違憲審査制の展開が可能になった所以として,連邦制維持の考慮,憲法における社会経済的規定の多さ・細かさに加えて,ヨーロッパにおけると異なり議会主義のイデオロギーも裁判官統治の忌避も強くないためにアメリカ的制度の模倣に抵抗がなく,反対にアメリカほど通常裁判所への信頼の土壌もないために体制維持強化の効率化の要請から抽象的審査の導入も比較的容易であったというイデオロギー的要因を挙げている。司法は脅威ではなく,強大な執行権の逸脱に対する歯止めの必要が切実であり,簡易救済制度の発達もそれ故なのである。 他方で比較法的脈絡においては,ブラジルでは制度の多様な仕組が立法により形成されてきたこと,違憲審査の研究層も厚くなく規準論への学問的関心も薄く,精神的自由をめぐる理論展開の機会にも乏しいこと,違憲審査の政治性は正面から肯定されるが特に司法権が政治に踏み込むこともない代わり政治問題でも基本権侵害があれば審査すること,が特徴的であるが,日本法との関係では特に最高裁の審理促進および活性化との二つの局面での比較の余地があろうとの指摘をもって著者は結んでいる。 本論文は,ブラジルの違憲審査制に関する本格的な全体像を描きだすことに成功した,この分野では先駆的かつ国際的にも稀な労作であり,その意義は以下の諸点において高く評価されなければならない。 第一に,西側主要諸国の違憲審査制の研究の豊富さ,レヴェルの高さとは対照的に,ブラジルの制度に関しては従来表面的または断片的な情報しかなかったのであり,ブラジル国内での研究自体が驚くほど稀薄であるとともに,少ない先行業績の大半を占めてきたのはアメリカ合衆国の研究者であるが,彼らの関心もまた主に人権保障の仕組とその成果に集中していたと言ってよい状況であった。更に,ブラジル法の文献資料の収集には種種の困難が伴うとともに,判例に対する学説の関心が低く判例集の整備も極めて不充分な状況において,短期間ながら現地でのインタヴィユや資料収集の努力を通じて不足を補いつつ,これだけの規模の包括的な研究成果をまとめあげた例は,諸外国は勿論ブラジル本国においても存在しなかったのではないかと思われる。 第二に,本論文が,実質的な結論として,ブラジルの違憲審査制が,憲法体制および特に連邦制の維持,および,強力な執行権(大統領)のイニシアティヴにかかる経済政策・租税政策に対する関係での個人の既得権の保護,という二つの主たる機能を有することを指摘し,これに対して,人権保障の主要な局面はむしろ,他の中南米諸国にも広く見出される簡易救済制度のきめ細かな運用のなかに見出されることを示唆した点は重要であり,諸外国の例と対比しつつブラジルの制度の比較法的な位置づけを試みる点で,違憲審査制研究に対して貴重な貢献を果たしている。 第三に,本論文の章節構成および文体は全体として平明であり,叙述は実証に徹し諸文献を正確に読みこなしていることが窺われ,なじみの少ない制度に関して読者にはわかりやすい記述となっている。 しかし,本論文にも,不充分ないし惜しまれる点がないわけではない。 第一に,一般にほとんど知られていない地域における一つの制度の全体像の研究であることの裏として,記述が網羅的,教科書的に平板に流れるうらみがあり,ときに見られる散漫ないし舌足らずな表現には改善の余地が残る。また,判例の事実関係の詳細がほとんどわからないということには,ブラジルにおける判例の扱われ方や資料的な制約を考慮すればやむを得ないとしても,読者に歯痒い印象を残すことは否めない。 第二に,著者が資料的な裏打ちのある叙述に謙抑的に徹していることの結果として,諸文献において必ずしも明示には語られていない様様なブラジル的法現象に関して,なぜそうなのかと徹底して問う姿勢に欠けるうらみがあり,また,人権保障を軸として違憲審査制にアプローチする西欧的発想とは異なる視点に立つことの必要性について説得的な論証がなされていない。従って,例えば司法制度の構造や連邦最高裁の権力基盤などに関して,政治社会構造との関係で一層立ち入った探求がなされ,また,制度の運用に見られるブラジル的個性の所以に関する比較法社会学的または比較法文化論的な仮説が試みられていたならば,一層重厚な問題提起になったのではないかと惜しまれる。 しかし,これらの課題は残るにせよ,本論文は,ブラジル法研究において国内外を通じて一つの画期をなす貴重な貢献であると認められる。 |