本論文「技官制度の研究-日英比較を中心に-」は、日本の国家公務員のうちのいわゆるキャリア技官に焦点を当て、技官集団を支える諸制度をフォーマル・インフォーマルの両面から考察し、かれらの自律性の程度とこれを左右する資源の獲得状況を解明して、従来の国家公務員制度研究では着目されることの少なかった側面を解明することを目的としたものである。その研究方法上の特徴は、第一に、日本の技官制度の特徴を鮮明にするために、今日では日本とは対照的な諸制度を有するに至っている英国との比較を終始一貫して試みていること、第二に、技官集団の官僚制組織における自律性の程度は官僚制組織の人事システムから得られる資源と社会における専門性の確立状況から得られる資源とに依存するとする明確かつオリジナルな方法論を提示していること、第三に、この方法論を一貫して用いて、日英両国の技官集団の人事システムの現状を明らかにするために、日英両国における近代公務員制を導入して以来の長い沿革史を技官の処遇改善を求める運動の側面も含めて丹念に追跡していること、そして第四に、専門性の側面について考察するにあたっては、社会学におけるプロフェッション研究の蓄積を踏まえ、それぞれの専門領域における資格制度や職能団体の形成など当該プロフェッションの社会における確立状況まで広く視野に入れて、技官集団の自律性を支える資源を多角的に考察していることにある。 本論文は序章と終章を含む5章からなるが、本研究の本体をなしているのは、日英における官僚制度の沿革と現行システムの概要を論じた第1章、日本の厚生省と英国の保健省の医系技官・薬系技官を比較して考察した第2章、日本の建設省の土木技官と英国の道路庁のシビル・エンジニアを比較して考察した第3章である。すなわち、第1章で日英両国の技官制度の沿革と全体状況を明らかにした上で、第2章と第3章では、多種多様な技官集団のなかからとくに医系技官・薬系技官・土木技官の三種の技官集団を選び、日英両国のそれぞれについて、その官僚制組織内の人数の規模、ポストの占有状況、上下の人事ラインの形成状況、キャリア・パターン、及びそのプロフェッショナル・アカウントの確立状況、プロフェッショナル・ネットワークの形成状況について詳細な考察を行っている。 まず序章「本研究の目的と視角」においては、本研究の主眼は技官の自律性の問題にあるとし、この自律性とは、技官集団が各省庁内の下位集団として独立性・完結性をもち、政策の決定と執行に影響力を保有していることを意味するとする。そしてこの技官集団の自律性の程度は、官僚制組織内での人事システムから得られる資源と専門性から得られる資源の程度に依存するとし、これら二つの資源の獲得状況を判定するメルクマールについて論じ、後者の専門性から得られる資源については、専門知識・専門技術とその倫理的信条に係る能力についての自己主張をプロフェッショナル・アカウントの概念でとらえ、プロフェッショナル・サービスの質の統制やこのサービスの担い手の利益擁護の機能の分担を通じて形成される各種のプロフェッションとその職能団体のネットワークをプロフェッショナル・ネットワークの概念でとらえるとする。 第1章「日英における官僚制度の沿革と現行システムの概要」では、まず公務員制度の類型は、キャリア・システムないしは閉鎖型任用制とポジション・システムないしは開放型任用制とに大別することができるが、日英両国とも当初はキャリア・システムの性格の強い公務員制度であって、技官は事務官に従属する立場や処遇格差を強いられていたとする。ところが、英国では1919年にスペシャリストの地位向上運動の基盤となる専門職公務員協会(IPCS,のちにIPMS)が設立され、1960年代末のフルトン報告に基づく改革、1980年代以降のサッチャー政権下での改革などにより、ポジション・システムの要素が順次導入され、現在ではスペシャリストの上級ポストへの昇進等も可能になっている。これに対して、日本の公務員制度はキャリア・システムの性格を一貫して維持し続けている。戦後の職階制導入の論議では、キャリア技官はキャリア事務官や下級職員の消極的態度とは対照的に職階制の導入を積極的に支持していたが、かれらの主眼は職種の縦割構造のなかで上級ポストを確保することにあり、ポジション・システムの要素を導入する方向を志向してはいなかったとする。また、戦前の技術官の運動を戦後に継承した全国官公庁技術者懇談会(全技懇)の運動は、職員団体の労働運動とは一線を画し、その受益者をいわゆるキャリア技官に限定していたのであり、英国のIPMSが労働組合として組織を発展させ、今日でも重要な政策提言機能を果たしているのとは対照的であるとする。 技官の自律性を左右する資源についてみれば、日本の戦前の技術官は上級の管理職ポストを事務官に独占されていたので、人事システムから資源を得る機会は限られていたが、専門性の資源を利用し得る場合には一定の自律性を発揮することができた。すなわち、鉄道技師、大規模直轄事業を担う土木技師、通信技術の革新をもたらした逓信技師などは、事務官に対して説得力のあるプロフェッショナル・アカウントを提示し、その後の技術官の地位向上運動にも寄与したのである。しかしながら、日本の技術者のネットワーク化は、官庁技術者の主導の下に官公庁技術者の地位向上のための一戦略として展開されていたという点こそ、英米系の官民横断的なプロフェッショナル・ネットワークの形成の沿革と決定的に異なるところであったとする。 日本の技官の処遇は戦後の官吏制度改革と行政機構改革によってある程度改善されたが、それは基本的にはキャリア・システムの枠内での改善であった。建設省では、内務省の土木技術官が中心になって組織し展開した戦前からの水平運動の成果として、事務官・技官の間での事務次官交代制、人事系統の分離、課長以上ポスト数の折半などの人事ルールが形成され、技官集団は人事システムから得られる資源をも獲得した。厚生省の機構改革でも医系技官による3つの局長ポストを含む上級ポストの獲得がみられたが、これはGHQの後ろ盾を得たことによるところが大きいとする。 現時点における日本の国の各省庁の人事システムは、いわゆるキャリアの事務官と技官の区分に着目した場合には、以下の四類型に分けられるという。すなわち、第一は、大蔵省(本省)、自治省、外務省、法務省、総務庁、経済企画庁などにみられる人事システムで、理工系ないし農学系区分の者を採用していないか、採用していてもこれがごく稀で採用後は事務官として扱われているため、事務官のみで構成されている類型である。第二は、国土庁と科学技術庁などにみられる人事システムで、事務官と技官の人事が分離されることなく一括して扱われている類型である。第三は、労働省、文部省、会計検査院、特許庁などにみられる人事システムで、事務官と技官の間でポストの棲み分けが行われ事務官と技官の人事が分離されているが、技官人事は採用試験区分に拘わらず一括して行われる類型である。第四は、建設省、農水省、運輸省、郵政省、厚生省、環境庁などにみられる人事システムで、事務官と技官の間でポストの棲み分けが行われ事務官と技官の人事が分離されているだけでなく、技官ポストとその人事がさらに各種の技官集団グループごとに分割されている類型である。なお、通商産業省(本省)の人事システムは、1987年度までは第四類型に属していたが、1988年度以降はまず課長補佐以下の技官人事を一括化し、続いて管理職の技官人事も一括化して、第三類型に移行した。そして1992年度頃から徐々に事務官と技官の間のポストの流動化が進められてきており、第二類型に移行しつつあるとする。 第2章「医系技官・薬系技官の日英比較-厚生省と保健省」では、日本の厚生省の医系技官の自律性を支える資源は英国の保健省のそれに比べ著しく脆弱であることが論じられる。厚生省における医系技官の最高ポストは健康政策局長であるが、これは英国の保健省の主席医務官や日本の建設省の技監のような「第二事務次官」的な位置づけではない。また省内の医系技官の総数が少ないことから衛生関係部局においてさえ医系技官による上下の人事ラインが有効に形成されず、権限や情報など組織の資源を十分に掌握できていない。そしてまた、入省時及び入省後もプロフェッションとしてのキャリアが重要視される英国の保健省の医師や、公務に就きながら専門技術性を高めることが可能な建設省の土木技官とは対照的に、医師の資格を有するだけでそれ以上に医師としてのキャリア・アップを要請されていない日本の医系技官は、プロフェッショナル・アカウントの確立度合いが低く、プロフェッショナル・ネットワークからの支援も得にくく、専門性から得られる資源が乏しいという。薬剤師の社会的地位が低く、薬務局長のポストも占有できないでいる薬系技官の自律性の程度はさらに一段と低いとする。 第3章「土木技官(シビル・エンジニア)の日英比較-建設省と道路庁」では、日本の建設省道路局の土木技官の自律性の程度の高さが論じられる。省内でのその総数の多さという優位性に加え、戦後に確立された人事慣行によって、事務次官の交代制、技監・道路局長を頂点とする上級ポストの占有、中央地方を結ぶ部局ごとに独立した上下の人事ラインの形成などが実現した結果、かれらは権限、予算、情報など組織のもつ強力な資源を掌握している。また、現場の工事事務所での勤務や試験研究機関である土木研究所での勤務などを含むそのキャリア・パターンは、行政官としての管理能力と専門技術能力の双方の向上に寄与し、プロフェッショナル・アカウントの確立に有効に機能している。そしてまた、日本の土木技術の領域では官公庁技術者を中心にした強固なプロフェッショナル・ネットワークが形成され、土木技官のトップはこの官民の職業の境界を越えたネットワークにおいてもリーダー的な存在になっている。日英両国における公共事業の比重とこれをめぐる政官業の関係構造の違いもあり、その政治的優位性の点では英国のシビル・エンジニアのそれを上回ってさえいるとする。 最後の終章「結論と展望」では、本研究の考察を通じて、日本の国家公務員制度に関するこれまでの議論は全技懇によるそれも含めそのほとんどがキャリア・システムを前提にしたものであったことが確認できたとする。しかし、今日では多くの国の公務員制度改革においてキャリア・システムとポジション・システムの要素を柔軟に組み合わせ、専門技術性の向上の要請に適応を図る動きを示している事態に鑑みれば、日本の公務員制度改革について考える場合にも、ポジション・システムの要素の一部導入や勤務形態の一部変更を試みることも真剣に検討すべき時期にきているのではないかとし、技官の一部を専門職化すること、中途採用された技官の行政能力を向上させるための研修体制の確立など、若干の提言を行っている。 以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。 本論文の長所としては、以下の諸点を上げることができる。まず第一に、公務員制度研究において研究蓄積の乏しい技官制度に着目し、技官集団の自律性の問題を主題に据えて、キャリア・システムを維持し続けている日本とキャリア・システムからポジション・システムへと移行してきた英国との比較を試み、日本の技官制度がもつ特徴を鮮明にしたという着眼点の良さである。第二に、日本の各省庁の人事システムを事務官と技官の区分けに着目した観点から四類型に分類した上で、事務官と技官の間のみならず各種の技官集団の間でもポストの棲み分けをし人事を各種の技官集団グループごとに分離している第四類型に属するもののなかから、医系技官・薬系技官・土木技官を選び、詳細な事例研究を行ったことである。そして第三に、技官の専門性と技官集団の自律性の関係を解明するために、社会学の領域におけるプロフェッション研究の蓄積を参照し、プロフェッショナル・アカウントの確立状況とプロフェッショナル・ネットワークの形成状況を自律性を支える資源ととらえ、官民の職業の境界を越えた幅広いパースペクティブから考察したことである。 もとより、本論文にも短所がないわけではない。第一に、戦前の日本の技術官による水平運動に関する論述が特定の先行研究の成果に大きく依存している点や日本の医系技官・薬系技官・土木技官のプロフェッショナル・アカウントの確立状況について考察するにあたって第二次資料を素材にしている箇所が少なくない点が惜しまれる。第二に、医系技官・薬系技官の日英比較をした第2章はきわめて示唆的な対比分析になっているのに比べ、道路に係る土木技官に関する日英比較を試みた第3章の方は対比分析として十分に成功しているとは言い難い。その一因は、政官業の関係構造に関する日英の対比分析が不十分であることにあったと思われる。第三に、終章において日本の公務員制度改革に向けて提言されているところの、ポジション・システムの要素の一部導入とか技官の一部の専門職化の意味するところにつき、やや不明瞭な点がないではない。 以上のように本論文にも若干の短所はあるものの、これらは先に述べた本論文の大きな価値を損なうほどのものではない。本論文は技官制度に関する体系的な研究の嚆矢をなすものであり、公務員制度研究に寄与するばかりでなく、行政の専門性をめぐる論議に一石を投じたものとして、行政学界に新鮮な刺激を与えるものと評価することができる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。 |