SiやGeなどの半導体清浄表面では内部の構造とは異なった表面に特有な再配列構造を形成する。これら再配列構造をとった半導体表面に異種原子を吸着させると原子の組み替えが起こり表面超構造が形成される。異種原子の吸着量や基板温度を変えると、これら超構造は複雑に変化する。表面再配列構造、超構造は多くの研究者の興味を集め、様々な構造解析手段を用いて解析が進められてきた結果、表面の静的な構造についての研究はおおいに進展し、かなりのことが判ってきた。ところで物質表面は液相、気相または他の固相と接触することから、結晶成長、あるいは原子・分子の吸着・脱離により表面との反応、分子反応の媒介などが行われる場と見ることができる。このような物質表面での原子の動的な振る舞いもおおいに興味の対象となっている。 例えばSiやGeの表面に金属を吸着させ成長させるとStranski-Krastanov(以後S-Kと呼ぶ)型と呼ばれる成長様式をとる。即ち2次元的な広がりを持った超構造形成の後、3次元的な固相の結晶微粒子が形成される。この間、吸着原子は基板原子との結合、2次元ガスとして基板表面の拡散、核形成、基板表面からの脱離を起こす。S-K型成長様式を行う代表的なものとしてAg/Si(111)があげられる。このAg/Si(111)を昇温した場合には、Ag原子が0次の脱離と呼ばれる特徴的な脱離を行う。吸着原子の等温熱脱離過程では、通常、吸着原子の存在数のn乗に依存した脱離速度が観察され、これをn次の脱離と呼んでいる。しかし、Ag/Si(111)においては、吸着原子Agの存在数には依存せず、一定の脱離速度を示す0次の脱離が観察される。 本研究では、このAg/Si(111)吸着系を基本として、1ML(原子層)以下のAuを不純物として吸着した場合にAuがAg/Si(111)に与える影響を調べることを目的とした。 AuとAgはバルクで容易に合金を形成することから、1ML以下での表面構造でも合金化が予想される。この合金化によってAgの脱離速度、脱離の活性化エネルギーが大きく変更を受けるものと考えられる。このためAuの吸着量を系統的に変化させてAgの脱離がうける影響を詳細に調べることで、何が脱離過程を支配しているかを明確にできると考えた。更に得られた結果を総括して、0次の脱離を説明する模型を構築することを目標とした。 はじめにAg/Si(111)系においてAgの等温熱脱離過程を観察した。次にこれに対比させ、1ML以下のAuを不純物として吸着させたAg/Si(111)-Au系においてAgの等温熱脱離過程を観察した。 これら複雑な現象はRHEED(Reflection High Energy Electron Diffraction)により表面構造の実時間での変化を観察し、実時間での元素分析はイオン励起-TRAXS(Total Reflection Angle X-ray Spectroscopy)により行った。また、動的変化が起こっている中間段階を一旦止めて、ラザフォード後方散乱分光法(RBS:Rutherford Backscattering Spectroscopy)や電子顕微鏡等で表面構造や微粒子構造の観察を行った。 実験では、最初に、Ag/Si(111)系のAgの熱脱離曲綿をイオン励起-TRAXSを用いて測定した。このとき、S-K状態からの速い脱離過程(以後、F過程と呼ぶ)、それに引き続き構造からの遅い脱離過程(以後、S過程と呼ぶ)が観察され、アレニウスの式[脱離速度]=A exp(-Ed/kB T)による解析を行った。その結果それぞれの脱離過程について脱離エネルギーEdが、51kcal/mol、58kcal/molと求められた。 次にAg/Si(111)-Au系のAgの熱脱離過程をRHEEDで観察した。AuはSiから脱離し始める温度がAgに比べて高く脱離エネルギーも高いために、500℃-600℃の間で基板温度を保持した場合、Auはそのまま残って最終的にSi(111)-Auになる。Ag/Si(111)---Au(1ML)が熱脱離した場合にも、最終的にはSi(111)---Au(1ML)のみが残るが、脱離過程途中に基板温度を室温に下げた場合、表面超構造は-構造ではなく構造が観察される。このことは、脱離過程の途中段階においてSi基板表面は1MLのAuに覆われているのではなく、AuとAgの合金で覆われていることを示している。 Auの吸着量を0,1/4,1/2,3/4,1MLと系統的に変化させた場合、Ag/Si(111)-Au系のAgの等温熱脱離曲線をイオン励起-TRAXSを用いて測定した。解析の結果、F過程からS過程への変化はAgがそれぞれ1.0,0.65,0.5,0.35,0.35MLで起こっていることを見出した。物理的な考察からAu+Ag=1MLとなる部分で脱離速度曲線が変化していると結論された。 Auの吸着量が1/2,1MLの場合には更にAg単独の場合と同様にアレニウス作図を行い脱離エネルギーEdを求めた。F過程ではそれぞれ57kcal/mol,58kcal/molとなり、S過程はAuの吸着量が1/2MLのときのみ観察され55kcal/molの値が求められた。Ag単独の場合と比較して、Auを吸着させた場合にはF過程、S過程ともに脱離速度の低下が観察された。アレニウス作図による解析の結果、F過程では脱離エネルギーEdが上昇したことが、またS過程ではプリファクターAの低下が脱離速度低下の主たる原因であった。 更に、RBSを用いて、Ag/Si(111)-Au(1ML)系のAgの熱脱離過程で観察される構造、および、3次元島の微粒子について詳細を調べた。 まず第1に、Auの散乱スペクトルのピーク強度を詳細に検討した。その結果、Ag熱脱離過程で観察される構造、および、3次元島微粒子において(Au,Ag)合金化の現象を初めて確認した。 すなわちRBSで測定するとAgの初期吸着量が2MLの場合には、Si基板表面第1層に存在するAuの量は、加熱直後に1MLから0.65MLに減少した。表面第1層が1MLで安定であること(Au+Ag=1MLで脱離過程が変化)は、先に行った実験の解析結果で述べた通り分かっている。従って0.35ML分だけAgがAuと置換したことになる。Si(111)---Au(1ML)にAgが付加的に吸着したためではなく、AgがAuと置換したために基板表面に(Au,Ag)の合金層が形成され、その結果、高温では構造を、室温では構造を形成することが判明した。 余った0.35ML分のAu原子は、基板表面に形成されたAgの微粒子に取り込まれる。ここで構造、および、3次元島において形成された(Au,Ag)合金は組成が均一ではない。また、Agの初期吸着量を変化させると、両者の組成は変化する。このとき構造と3次元島で形成されるそれぞれの合金相の組成は簡単な比例関係で結び付けられることを見出し、さらに簡単な模型を使えば、統計力学を用いて定量的に説明できることも判明した。 第2にAgからの散乱スペクトルを詳細に検討した。微粒子の高さhと基板水平方向の大きさwとの比率をh/wで定義して、イオンの入射角を変えた場合に得られる2つのイオン散乱スペクトルを使ってを求めた。ここで得たの値は、電子顕微鏡による微粒子の観察とも良く一致しており、解析方法、解析結果の妥当性が示された。 以上で実験観察した0次の脱離過程を説明するため、基板表面に一様に存在する2次元ガスの存在を想定したうえで、統計力学の手法を用いてこれを定式化し、0次の脱離過程の2次元ガス模型を確立した。このモデルと先に求めた脱離速度の温度依存性の実験結果から、Ag/Si(111)の系において基板表面に存在する2次元ガス密度を見積もり、10-3ML程度であることを明らかにした。 上記で述べてきたように、RHEED、イオン励起TRAXS、RBS、電子顕微鏡の測定手法の特徴を生かして以下の結果が得られた。Ag/Si(111)系では1.脱離エネルギーEd=51kcal/mol(F過程)及び58kcal/mol(S過程)を求めた。Ag/Si(111)-Au系では2.Au+Ag=1MLのときF過程からS過程へ変化が起きる。3.Auが1/2、1ML吸着したとき観察される脱離速度の低下は、F過程はEdの上昇(それぞれ57,58kcal/mol)に起因し、S過程はプリファクターAの低下による。4.AuとAgが置換することで表面構造が合金化し、基板表面の微粒子も合金化する。5.微粒子の高さhと基板水平方向の大きさwとの比率=h/wを測定・解析した。以上を総括して、6.Si(111)表面上の(Au,Ag)二元合金系において、0次の脱離過程の2次元ガス模型を確立した。加えて、7.表面構造と3次元島で形成された(Au,Ag)二元合金相の組成の違いを簡単な模型で定量的に説明した。 |