学位論文要旨



No 113933
著者(漢字) 大浦,誠士
著者(英字)
著者(カナ) オオウラ,セイジ
標題(和) 万葉和歌表現論 : 表現と「心」
標題(洋)
報告番号 113933
報告番号 甲13933
学位授与日 1999.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第233号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 助教授 安藤,宏
内容要旨

 万葉和歌の「心」は、強固な様式性に支えられた表現が生み出してくる「心」として、その古代性をおさえておくことができる。そうした歌の「心」を象徴的に見ることができるのが第一章「相聞歌・序歌論」に見る序歌のあり方である。万葉集の序歌は、天武朝を境として、歌謡的な質の転換の様式から、人麻呂歌集の序歌を経て、心物対応構造を鮮明にしてゆく。そこには、歌が文字を獲得することによって、歌そのものが一つの「心」を指向しようとするあり方を見ることができる。そうした序歌の様式の変化は、相聞の贈答歌のあり方にも影響し、応酬的贈答のあり方を大きく変容させてゆくのである。

 一方、歌謡の序歌は、歌の内部での統語意識の稀薄さ映像性の欠如の結果、歌そのものに現れる「心」も稀薄であり、そのためにかえって場に置かれることでその都度生々しい叙情性を獲得するのである。

 第二章「羇旅歌論」では、万葉集の羇旅歌の表現を支える様式の格となる「地名」に焦点を当て、それがどのような内実のもとに旅の「心」の表現を可能としているかを考察する。人麻呂歌集から人麻呂羇旅歌八首にかけて形成されてくる旅の歌の表現は、律令的統一国家による地方把握と王権による国魂再編の論理に重なる地名意識の変化がもたらすものと考えられ、そこに旅の歌における地名を読み込む様式の成立を見ることができる。そう考えたとき、旅の歌に見られる地名を読み込む型へと向かう型とが、律令官人の自己同一性の確認として、統一的に把握できるのである。

 第三章「七夕歌論」は、和歌世界に根付いてゆく推移を、歌ことばの成立と定着、七夕意識の変遷において追いかける。未だ七夕語彙の歌ことばとして定着を見ない人麻呂歌集七夕歌の営みは、和歌の虚構性において重要な意義を持ちつつも、和歌世界に根付いてはゆかない。七夕歌は、憶良の七夕歌に見られる宴席歌としての七夕歌の復活を経て、家持の七夕歌に象徴されるように、初秋を代表する景物となり得たときに、和歌世界の一つの伝統となり得たのである。

審査要旨

 本論文は、『万葉集』の序歌、羈旅歌、七夕歌の表現を詳しく分析することで、古代和歌の表現性の本質を明らかにしようとした論である。第一章「相聞歌・序歌論」では、初期万葉・天武朝の序歌と持統・文武朝の序歌との差異を論ずる。前者の物象が「指標性」をもつこと、後者の物象が描写性をつよめ、固有な景を形成していることを指摘する。歌謡の序歌との対比も的確であり、大いに説得性をもつ。さらに、初期万葉の贈答歌に見られる応酬関係の源流に歌垣を想定する従来の説を批判し、歌の本質が他者への働きかけにあることを論じて、そこに挑発的物言いの生み出される理由を見出している。まことに斬新であり、つよい説得性をもつ。第二章「羈旅歌論」では、羈旅歌に地名が歌われることの意味を、国魂の鎮めのためと見る従来の説を修正し、律令国家の地方支配を背景とする官人意識の現れと捉えたところに新鮮さがある。いわゆる「道行き」表現についても、「越え・渡り」系、「至り・着き」系、「過ぎ」系という精緻な区分を通じて、従来の理解を覆す見方を示し、『古事記』のイハノヒメの歌謡、影媛の歌謡に新たな解釈を与えている。第三章「七夕歌論」では、七夕語彙を中心に七夕歌の表現のありかたを丁寧に検証している。従来、地上的性格がつよいとされた人麻呂歌集七夕歌に、地上の恋とは異なる非現実の天上的な恋が示唆されていることを指摘し、その表現を通じて〈ひとり〉の抒情が描かれていると説いている。卓見といえる。

 口誦の歌から記載の歌へ、〈よむ歌〉から〈作る歌〉へ、という展開を論じたところに、図式的把握の窮屈さが見受けられるものの、表現の細部を徹底的に検証しつつ、しかも大局的な観点を保持するという本論文の論述の方法は正道を行くものであり、そこに導き出された多くの新見は、『万葉集』の表現論的研究を一歩進めるものとして高く評価しうる。

 よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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