審査要旨 | | アンシアン・レジーム末期からフランス革命期にかけて活躍した作家サドは,サディズムという語に集約されるような暴力的かつ背徳的な性的実践の描写によって,長らく禁断の烙印を押され,アカデミズムからは無視されてきた.しかし第2次世界大戦以降,それまで自明のものとされてきた近代合理主義に疑いの目が向けられ,その担い手である主体的人間の観念も解体の危機にさらされるようになると,サドはフランスにおける文学・思想の表舞台に躍りでた.同時に,18世紀の啓蒙主義に関する研究の進展に伴って,サドの著作活動が当時の思想と文学の風土の中に深く根付いていることが次第に明らかになり始めた.このような状況の中で,1980年代後半から,サド研究は飛躍的に発展し,主要作品の批評校訂版,書簡集,資料集,それに基づく新たな評伝の出版が続出している. 本論文はそのような成果を踏まえて,特に,サドにおいて決定的な重要性を持つ「言語」に着目する.実際サドの作品では,主人公のリベルタンたちの過激な性的実践が,きわめて微細また長大に叙述されるばかりでなく,彼ら自身,長広舌を振るい,自然の名において,殺人を含む彼らの行為を正当化する徹底的な唯物論を展開する.本論文の独自性は,作品の中で登場人物の行動を描く言葉と彼ら自身が行使する言語が,彼らの生きる唯物論的世界といかなる関連を有しているか,つまりそれが作品の中でいかなる位置を占めるか,またそれは物体=身体といかに関わるかという問題の解明を目指すところにある. 全体は3章からなり,第1章では,原子論的唯物論に貫かれるサド的世界の基本的な原理と構造を,「衝突」,「火」,「切断=細分」という鍵概念の意味内容を吟味することを通じて描き出す.次いで第2章において,同じ鍵概念が,意味をずらしつつ,作品中の言語活動にも当てはまることを考察することによって,サド的世界の「物」の原理が,そのまま「言葉」の原理でもあるとする.サドの作品において,言葉と物は同一平面上にあって,一元的に連結しているという主張は,論者の創見である.第3章では,このような物と言葉の重なりがサド的世界の要ともいうべき観念と用語である「情欲=情念passion」と「器官=声=代弁者organe」にまで及んでおり,それがサド的リベルタンの倫理学の基礎付けとなっていることを浮き彫りにする.最後の「終章」では,本論で得られた成果を,サドの実体験と関連させて考察し,サド的言語の独自性とその意味を理解するための足がかりを築いている. 本論文は,テクストの緻密で執拗な読解に加えて,その思想的・文学的背景を,当時の文献と辞書類に広く当たって探索し,サドの用いる言葉と観念の含意について少なからぬ創見を提示している.作品世界の内部に入り込むあまり,その創見が文学と思想の領域でいかなる意味と射程を有しているかが,必ずしも明らかにされないうらみはあるが,本論文のもたらした知見は,サド研究のみならず,広く18世紀思想・文学の研究に新鮮な寄与をなすものと考えられる.以上から,本審査委員会は,本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する. |