学位論文要旨



No 113937
著者(漢字) 秋吉,良人
著者(英字)
著者(カナ) アキヨシ,ヨシヒト
標題(和) サドにおける言葉と物
標題(洋)
報告番号 113937
報告番号 甲13937
学位授与日 1999.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第237号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,毅
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 慶応大学 教授 鷲見,洋一
内容要旨

 サドの作品においては、多くの場合、リベルタンによる長大な唯物論的「議論」とヒロインらが「語る」性的実践や出来事の物語りが交互に描かれている。本論はこのようにサドの作品において大きな比重を占める「言葉」の問題を取り上げ、それをサドの唯物論との関係で考察し、サドにおける「物」の世界とそれについて語る「言葉」の関係を明らかにする。

 各章の主な内容は以下の通りである。

第1章サド的世界の基本原理

 サドの描き出す「物」の世界は、一貫して「衝突」「火」「切断・細分」化といった原理によって統べられている。サドは、原子から太陽まで世界を律するメカニスムを「衝突」として、またその動力である生命原理として太陽に起源する「火」を措定する。さらに、その中に位置するサドのリベルタンたちは、自然の再生のために、幾層にもわたる関係の切断を実施して、人間を原子に至るまで「切断・細分」化していくのである。

第2章サド的世界における言葉と物

 前章で明らかにされた基本原理は、たんに物質的自然や身体的実践だけではなく、それについて語り、物語を展開していくサド(的リベルタン)の「言葉」そのものをも支配する原理である。サドの言葉の世界は、物の世界と同平面にあって、原子さながら相互に「衝突」し、不断に「ずれ」、異なった組み合わせの中に並べ換えられるさまざまな異質な語、言説から成り立っている。またサドは、身体の「切断-細分」化も、「語り」における「詳細さ」もともに「detailler」といった語によって指示し、また、身体の動力と言葉の力をともに「エネルギー・電気・火」とすることで、この二つの次元に見えるものが、同じ原理にしたがって動いている地続きの物であることを示している。

第3章サドにおける自然の声とその代弁者

 このような言葉と物の重なりは、サドの世界の要ともなるpassion、organeにも及んでいる。サドは、passionsに唯物論的意味を与えるだけでなく、それをまさに「言葉」の次元にあるものとして語るルソー的な議論を参照枠とし、善と悪の対立を「(良)心の声とpassionsの声」の対立としてとらえていた。また、サドはその「声」にあたる語としてorganeを用い、さらにサド的人間を自然の代弁者organeとするなど、このorganeをキリスト教的言説などに対抗する仕掛けとして多義的に用いていくのである。

終章言葉の病理と作品の言葉

 上述のような多義的で、常にずれゆくサドの作品の言葉は、牢獄におけるサドの不幸な言語体験を反映するものである。それはサドが彼を苦しめるために共謀しつねに曖昧なことを言うと妄想したところの他者の言葉と同一のものなのである。また、自然の延長物としてその意図するところを知り尽くした彼のリベルタンのあり方は、そのような他者の言葉の曖昧さに翻弄され、その真意を知ることができず、たえまない不確実さに悩むサドの姿の対極にあるものである。

審査要旨

 アンシアン・レジーム末期からフランス革命期にかけて活躍した作家サドは,サディズムという語に集約されるような暴力的かつ背徳的な性的実践の描写によって,長らく禁断の烙印を押され,アカデミズムからは無視されてきた.しかし第2次世界大戦以降,それまで自明のものとされてきた近代合理主義に疑いの目が向けられ,その担い手である主体的人間の観念も解体の危機にさらされるようになると,サドはフランスにおける文学・思想の表舞台に躍りでた.同時に,18世紀の啓蒙主義に関する研究の進展に伴って,サドの著作活動が当時の思想と文学の風土の中に深く根付いていることが次第に明らかになり始めた.このような状況の中で,1980年代後半から,サド研究は飛躍的に発展し,主要作品の批評校訂版,書簡集,資料集,それに基づく新たな評伝の出版が続出している.

 本論文はそのような成果を踏まえて,特に,サドにおいて決定的な重要性を持つ「言語」に着目する.実際サドの作品では,主人公のリベルタンたちの過激な性的実践が,きわめて微細また長大に叙述されるばかりでなく,彼ら自身,長広舌を振るい,自然の名において,殺人を含む彼らの行為を正当化する徹底的な唯物論を展開する.本論文の独自性は,作品の中で登場人物の行動を描く言葉と彼ら自身が行使する言語が,彼らの生きる唯物論的世界といかなる関連を有しているか,つまりそれが作品の中でいかなる位置を占めるか,またそれは物体=身体といかに関わるかという問題の解明を目指すところにある.

 全体は3章からなり,第1章では,原子論的唯物論に貫かれるサド的世界の基本的な原理と構造を,「衝突」,「火」,「切断=細分」という鍵概念の意味内容を吟味することを通じて描き出す.次いで第2章において,同じ鍵概念が,意味をずらしつつ,作品中の言語活動にも当てはまることを考察することによって,サド的世界の「物」の原理が,そのまま「言葉」の原理でもあるとする.サドの作品において,言葉と物は同一平面上にあって,一元的に連結しているという主張は,論者の創見である.第3章では,このような物と言葉の重なりがサド的世界の要ともいうべき観念と用語である「情欲=情念passion」と「器官=声=代弁者organe」にまで及んでおり,それがサド的リベルタンの倫理学の基礎付けとなっていることを浮き彫りにする.最後の「終章」では,本論で得られた成果を,サドの実体験と関連させて考察し,サド的言語の独自性とその意味を理解するための足がかりを築いている.

 本論文は,テクストの緻密で執拗な読解に加えて,その思想的・文学的背景を,当時の文献と辞書類に広く当たって探索し,サドの用いる言葉と観念の含意について少なからぬ創見を提示している.作品世界の内部に入り込むあまり,その創見が文学と思想の領域でいかなる意味と射程を有しているかが,必ずしも明らかにされないうらみはあるが,本論文のもたらした知見は,サド研究のみならず,広く18世紀思想・文学の研究に新鮮な寄与をなすものと考えられる.以上から,本審査委員会は,本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する.

UTokyo Repositoryリンク