学位論文要旨



No 113938
著者(漢字) 樽本,英樹
著者(英字)
著者(カナ) タルモト,ヒデキ
標題(和) 戦後英国におけるエスニック階層の研究
標題(洋)
報告番号 113938
報告番号 甲13938
学位授与日 1999.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第238号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 東京大学 助教授 武川,正吾
 東京大学 助教授 石田,浩
内容要旨

 英国のネオ・リベラリズム的政策によって、デュアリズム的経済体制の構築はなされ、現在でも続いているのであろうか。本研究は、移民に関わるデュアリズム的経済体制の有無を、戦後英国という時期・地域を対象とし、エスニック階層という研究視角の下で明らかにする。

 戦後英国に入国した移民で重要なものには、カリブ系、インド系、東アフリカ・アジア系、パキスタン系、バングラデシュ系が存在する。彼らの階層的位置づけが本研究での焦点となる。

 続いて検討を行ったのが、市民権と移民との関連である。出自社会からホスト社会へと国際移動する移民たちにとって、ホスト社会内で様々な権利が行使できるかどうかは死活問題である。英国市民権制度の変遷からは、1962年以後は出入国の権利は制限されていく一方、英国内での移民の市民権を保護するような政策が実施されるようになってきた。既に英国に居住している移民には、法制度との関係においては市民権の確保はなされていると概ね判断できる。

 一般的なエスニック階層の理論には、2種類のものが区別された。

 1つは、移民が「下層滞留」するというエスニック・デュアリズム理論である。その中で、第1のタイプは人的資本によって移民の階層的位置が決定されるという市場均衡的な普遍性モデルである。第2のタイプは、「エスニックな文化」の解釈を基礎として成立する文化障壁的な個別性モデルである。

 もう1つの理論として、移民が階層上昇移動を果たすというエスニック・プルーラリズム理論があった。その中で、第1のモデルは、人的資本によって上昇移動が実現するという市場均衡的な普遍性モデルである。第2のモデルは、資源・機会構造・集団特性、エンクレイヴといった観点から、「エスニックな文化」のような個々の文化的特性を強調していく個別性モデルである。

 これらの理論的プロフィールが、戦後英国の移民たちに当てはまるのかどうかが分析の鍵になる。

 教育市場においては、80年代初頭までに行われた移民教育問題の定式化、それに続くカリブ系の「学業不振」および南アジア系の「学業高達成」が調査によって発見された。さらに90年代に入ると、カリブ系における「学業不振」の継続、および南アジア系の「学業分極化」が検出された。

 労働市場においては、70年代から80年代の動きでは、カリブ系は階層上昇移動を果たしながらも、白人系よりも低い位置にいた。それに対して南アジア系は、産業セクターを加味すると白人系ともカリブ系とも異なる独自の動きをしていた。

 さらに、90年代の移民の動きは職業レベル的な階層区分では、カリブ系の男性やパキスタン系の男性女性、バングラデシュ系の男性が下層停滞の傾向を見せている以外は、上昇移動の様相を見せていた。しかし産業セクターを見ると、「エスニックな場所」と言える特定の産業セクターへの集中という事態が発見された。そこで、エスニック・プルーラリズムと見えた移民たちの動きは、実は「新種」のエスニック・デュアリズムではないかという疑問が引き起こされる。

 住宅市場においてもカリブ系とバングラデシュ系は労働市場におけるエスニック階層的位置を反映しており、恵まれた住宅に居住してはいない。パキスタン系は住宅アメニティ的には「下層」よりも少々よい程度だったけれども、持ち家率の点では高かった。インド系や東アフリカ・アジア系については、労働市場における位置を反映した位置づけであった。

 職業移動を考察するために、職業選好に注目すると、2つの上昇移動の経路が移民たちに想定されていることがわかる。1つは、自営業であり、もう1つは人的資本を職業の獲得機会として追求するやり方である。両者の接点である自営の専門職が望ましい職業と位置づけられる。

 労働市場におけるエスニック階層を捉え直すと、南アジア系の自営業への集中は移民たちの選好に沿っていると判断したくなる。しかし、人的資本を生かした職業であるとは言えない。むしろ、人的資本志向がありながらも、「人種差別」や家庭環境等様々な障害ゆえに追求することができず、結果として自営業経路を選択せざるをえなかったという解釈が成立するのである。

 移民労働力というネオ・リベラリズム的政策は、一時期までエスニック・デュアリズムを英国内に形成していた。このように、単純マニュアル労働者に代表されるような古典的なエスニック・デュアリズムは1990年代の英国においては消失しつつある。しかし、教育市場と住宅市場におけるエスニック階層を見ると、まだデュアリズム的な要素は残存していると言わざるをえない。また、労働市場においてさえも詳細に見ていくと、巧妙な形でデュアリズムが存続しているのである。

審査要旨

 本論文は、戦後英国社会におけるエスニック階層の成立と変容を、デュアリズムからプルーラリズムへという変遷として捉え、そこに普遍主義的原理としての人的資本と個別主義的原理としてのエスニック文化とがどのような役割を果たしてきたかを、独自の統計データ分析とインタヴュー調査とに基づいて、解明したものである。

 全体は9章からなり、第1章の序論を受けて、第2章で著者は「英国」「エスニシティ」「階層」などの鍵概念を整序し、「エスニック階層」を階層的分化に対してエスニシティが関連している側面への研究視角を表現する概念として提示する。第3章では、戦後英国における移民流入過程と移民政策の変遷が検討される。第4章で既存研究におけるデュアリズム、ダイバーシティ、エスニック・エンクレイブなどの概念を詳細に検討しながら、「プルーラリズム」の概念を、個別主義的原理と普遍主義的原理との相互作用によって、白人に比しての移民の恵まれない状態を含意する「デュアリズム」から変動してきたものとして独自に定式化する。

 第5章から第7章にかけては、教育、職業および住宅に関して、エスニック・グループ間の階層格差の時代的変化が実証的に分析される。1980年代以降からしだいに教育達成や職業達成における白人系との平準化傾向が認められる中で、カリブ系移民と南アジア系移民との間、あるいはより細かなエスニック・グループ間での格差も生じており、人的資本が活用される一方で、文化要因の残存効果による下層への滞留現象も見いだされる。全体として1980年代の終わりから90年代の初めにかけてプルーラリズムへの転換が起こったとして理解できると論じられる。

 第8章はインタヴュー調査をもとに、エスニック・マイノリティが人的資本もしくは自営をステップとして、黒人仕事イメージやアジア系仕事イメージからの脱却を試みている様子を浮き彫りにしている。第9章は結論で、移民がエスニックな文化や人的資本を用いることで上昇移動し、エスニック・プルーラリズムが実現してきた、とまとめている。

 審査の過程では、本論文における独自のプルーラリズムの概念のより詳細な説明や、デュアリズムの解体の社会的背景についてより積極的な分析が望まれる、などの指摘があったが、諸概念の厳密な検討を経た上で、広範な統計データに基づく英国エスニック階層の変容を、独創的な枠組みで体系的に説明することに成功した論文として高く評価された。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論を得た。

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