学位論文要旨



No 113943
著者(漢字) 鵜澤,和宏
著者(英字)
著者(カナ) ウザワ,カズヒロ
標題(和) 北海道噴火湾岸有珠地域における縄文時代からアイヌ文化期にいたる動物資源利用の変遷 : 遺跡出土動物骨のタフォノミー的分析
標題(洋)
報告番号 113943
報告番号 甲13943
学位授与日 1999.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3492号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 諏訪,元
 東京大学 教授 木村,賛
 国立歴史民俗博物館 教授 西本,豊弘
 東京大学 教授 青木,健一
 国際日本文化研究センター 教授 赤澤,威
内容要旨

 縄文時代の終焉とともに本州以南では稲作を基盤とする農耕経済に移行する.しかし北海道では明治時代にいたるまで本格的な農耕経済への転換はおこらず,基本的に狩猟・採集・漁労を主体とする生業が継続した.たとえば,噴火湾沿岸では冬期に回遊するオットセイを対象とした狩猟活動が縄文時代以来,近世アイヌ期まで連綿と維持されたとが出土遺物の構成から知られる.一方では,生業に占める狩猟活動の意味は本州和人との交易が開始される13世紀以降変化したのではないかとの指摘もなされている.本研究は,考古学上不明な点の残る北海道先史時代における動物資源の利用形態の時代変遷を遺跡から出土する動物骨の分析から明らかにしようとするものである.

 遺跡から出土する動物骨は先史時代の生業活動を復元するうえで最も基本的な資料である.ただし,資料生成のプロセスで生じる崩壊,変質を常に被っており,本来資料に反映された文化的情報量は減少し,かわって堆積過程でくわわる自然要因に置換されていくと考えられる.近年,こうした資料の形成過程が強く意識されるようになり,アフリカの初期人類遺跡における研究を筆頭に,遺跡に伴なう動物骨資料に対してタフォノミー的分析が盛んに推進されている.しかし,日本の先史時代遺跡から出土した動物骨資料についてはほとんど研究例をみない.これは,動物骨が遺跡に主体的に伴なうのは縄文時代以降であり,その出土状況から基本的にそれらを人類の食料残滓として扱うことが出来るとの前提がなされるからであろう.とはいえ埋蔵資料を扱う以上,資料には一定のバイアスがかかることを免れず,タフォノミー的分析の推進が必要である.

 本研究では,動物骨資料の部位別出現頻度を骨の大きさ,骨密度,イヌによる骨の消費など,骨の残存に影響すると考えられる要素との関係から検討することで,出土動物骨資料に影響を与えた自然要因を特定し,その影響度の評価を行った.これにより資料の生成過程に生じたバイアスが同一と仮定できない,異なる堆積環境下に形成され複数の遺跡間の比較が可能になる.

 資料としたのは,縄文時代前期(約5000年前)の北黄金貝塚遺跡,続縄文時代(約2000年前)の南有珠6遺跡,擦文時代(約800年前)の南有珠7遺跡,近世アイヌ文化期(約200年前)の有珠オヤコツ遺跡および向有珠2遺跡の,4期5遺跡から出土した動物骨資料5000点である.資料にしめる動物種の構成比は向有珠2遺跡を除きオットセイが一貫して約80%を占めた.

部位別出現頻度の分析

 図1は4遺跡で最優占種となったオットセイの,各遺跡資料における骨格部位別出現頻度を,現生骨格の計測から得られた各部位それぞれの最大長と骨密度に対して3次元に散布したものである.いずれの資料にも,出現頻度が極端に低い1群が存在する.4遺跡資料共通して,これらは脊椎骨,手根・足根骨以遠の骨格要素であった.サイズが小さく,骨密度の低い部位が一貫して低頻度であることから,骨格部位の出現頻度に骨の強度と大きさが強く影響を与えているることが示される.そこで出現頻度の高い群についても,一律に骨の強度と大きさが影響を与えているのかが問題となる.これを検討するために,出現頻度とサイズ,および骨密度との順位相関を調べた.その結果,すべての資料で,いずれの組み合わせにおいても有意な相関は得られなかった.このことから,相対的に出現頻度の高かった骨格要素,具体的には頭部と四肢骨の出現頻度における遺跡間のばらつきは当時の動物消費行動の相違を反映するものと考えられる.

図1骨格要素の最大長,骨密度と出現頻度MAU部位別出現頻度,SIZE最大長,BMD骨密度

 図2は主要部位の出現頻度を遺跡間で比較したものである.縄文時代の資料では極端な部位の偏りが認められないが,続縄文時代と擦文時代の資料では前肢の出現頻度が高くなる.部位別出現頻度の遺跡間の相違をカイ2乗検定によって検定した結果,続縄文時代と擦文時代の遺跡の組み合わせを除いて有意差が認められた.

図2オットセイの主要部位の出現頻度U縄文時代,MU6続縄文時代,MU7擦文時代,UOY近世アイヌ期SKU頭骨,MAN下顎骨,SCA肩甲骨,HUM上腕骨,RAD橈骨,ULN尺骨,OCX寛骨,FEM大腿骨,TIB脛骨,FIB腓骨

 特定の部位が頻出,もしくは欠損する場合,動物の身体が1ヶ所で解体・消費されず一部が運搬されたことを示唆する.民族調査から導かれたビンフォードのモデルにしたがって解釈すれば,続縄文時代および擦文時代の資料は,仕留めた獲物を現地でまず解体し,高価値な部位のみを選択的に持ち帰ったsettlement assemblageに対応する.縄文時代の資料は,高価な名部位が頻出する点でsettlement assemblage的特徴を示すが,部位間の出現頻度の偏りが小さい点を考慮すると,オットセイの水揚げから解体・消費までを行った,kill siteとsettlement siteの両方の性格を備えた遺跡に伴なう資料であったとみることが出来る.アイヌ期の資料に関しては,通常,解体時にひとつの単位として扱われる傾向が強い橈骨と尺骨の出現頻度に大きな差が見られるなど,一般化されたモデルでは説明が難しい傾向をしめしている.

骨損傷の分析

 動物の解体,消費のプロセスをより詳細に理解することで明らかにするため,骨の残存状態,骨表面に観察される解体痕の分布を調べた.その結果,以下の点が明らかになった.

 1.解体痕の種類,分布は,擦文時代を境に大きくかわる.損傷の形態から,この時機に石器にかわって鉄器が動物解体に本格的に導入された.

 2.体幹部,四肢骨の分断単位が続縄文時代以降,順じ細かくなっていく.

 3.擦文時代を境に完形で残存する骨の頻度が下がり,人為的な破砕の痕跡が明確になる.縄文時代には行われた痕跡のない骨油脂の利用が行われたと解釈できる.

 これらの知見を総合すると,獲物の全身を遺跡に持ち込み,解体から消費までを行っていた縄文時代のオットセイ利用が,続縄文時代以降,遺跡外で解体され,身体各部が分断されたうえで選択的に搬入されるようになったことが指摘できる.獲物の細分化は,捕獲するオットセイの個体数が減少するのにあわせ,1頭あたりの利用効率を増していく行為であったと考えられる.

審査要旨

 先史時代の生業活動の変遷を論ずるためには遺跡から出土する動物遺存体を分析する方法があり、従来より多くの成果が上げられてきた。一方、遺跡出土資料から過去の人間行動の一端を実証的に論ずる為には、堆積過程および堆積後に遺物が受ける保存・破壊による偏りを評価し、その影響を除去もしくは補正し、分析を進める必要がある。このためには骨部位の強度などの物理特性を考慮すること、ヒト、食肉獣など異なった生物要因が残す骨損傷様式の適切評価などが重要となる。こうした研究は初期人類遺跡の解釈を巡る方法論的必要性から近年特に発達してきたが、遺跡形成においてそもそも人為的要因が強く想定される我が国の縄文時代以後の遺跡資料への本格的な適用は見られていない。本論文は特定の地域資料を対象に、遺跡資料の生成過程を考慮した方法論を適用し、日本先史時代における生業活動の時代変化の一側面を新たな視点から論ずるものである。

 本論文は6章からなり、第1章は序論、第6章は結語である。第2章では本研究で使用した動物骨資料の出土状況と関連遺跡情報をまとめている。資料は遺跡の立地条件を可能な限り揃えることを念頭に、噴火湾沿岸の縄文時代、続縄文時代、擦文時代各1遺跡、近世アイヌ文化期2遺跡の合計5遺跡から選定されている。総標本数は約5000点である。第3章では方法論的枠組みを大きく2通りに別けて提示している。まずは主要出土動物種であるオットセイとシカの部位別出現頻度の評価が提示され、通常の集計方法の他、自然要因による保存率の偏りの考察がなされている。本研究では偏り要因として、骨の大きさ、骨密度、イヌによる損傷を検討している。骨の破砕・損傷様式の分析については包括的な18の骨損傷項目を約50の形式に細分し、データ化している。

 第4章は本論文の中核を成す部分であり、各遺跡資料の動物種構成を先ずはまとめている。各時代の遺跡ともオットセイの出土量が多く、噴火湾沿岸ではオットセイ猟が時代を通じて重要であったことが分かる。一方、アイヌ文化期の遺跡の一つはシカが優勢であったものの、以下の分析からもオットセイ猟に重点を置いた生業活動の中でシカは補助的な資源として扱われていた可能性が示された。このため、本論文の主要結論はオットセイ資料の分析から導出されている。本章に記載されている膨大な解析結果は、主として上記の2通りの方法論にそって提示されている。骨各部位別頻度の分析ではまずサイズが小さく骨密度が低い脊柱および手足の骨部位が特異的に低頻度で出土していることを示し、これらを保存要因の偏りによる消失と解釈し、以後の分析から除外した。次ぎに、残る主要骨部位ついて出現頻度とサイズ、骨密度、イヌによる損傷痕の相関を調べ、これらが保存の偏りに基く予測と異なることにより、部位別頻度様式が生業活動の解釈に値するものであると結論している。これにより、オットセイの解体・利用様式が縄文時代と続縄文時代以後とで異なり、後者におけるより選択的な利用が示唆された。最後に、骨損傷の定量的、定性的分析結果は丁寧に提示されており、膨大な一次情報として提供されている。骨損傷様式から見たオットセイの解体処理方法からは、部位別頻度の分析結果と整合する時代差が検出された。主たる質的時代差は縄文時代と続縄文時代との間に見られ、肩甲骨の破砕、肘関節の切り離し、肋骨の取り外しが後者にて出現し、後の時代に一般化する。一方、擦文時代における鉄器の利用の増大に伴い、骨損傷の頻度、強度が増すことも明らかにされた。

 第5章では以上の結果の意義を考察している。部位別出現頻度と骨損傷様式の分析結果を民族考古学による動物解体運搬モデルに照らして解釈すると、当縄文時代遺跡ではオットセイの解体から消費を遺跡内で行っていたが、続縄文時代以後は身体各部が分断された上で選択的に遺跡に搬入されるようになったと結論される。骨損傷様式により時代変化をさらに詳細に見ると、破砕程度が時代と共に激しくなるばかりでなく、鉄器を利用した骨破砕作業種が増し、擦文時代からアイヌ文化期にかけて鉄の供給量が増大し、資源の有効利用が加速化されたことが分かる。当地域においては従来、生業上の大きな変化期が続縄文時代の後半期にあったと指摘されている。しかし、本研究による動物資源利用の解析からは続縄文時代前期から既に資源利用様式に変化が生じていたことが判明した。即ち縄文時代に比し、動物資源のより効率的利用の必要は続縄文時代前期の社会・経済的状況において生じており、後の生業形態自体の変化の下地が既に準備されていたことが示唆される。

 以上の実証的研究の優れた成果により本研究は博士論文としての価値を十分に有すると判定された。従って、博士(理学)を授与することを認める。

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