学位論文要旨



No 113945
著者(漢字) 潮海,久雄
著者(英字)
著者(カナ) シオミ,ヒサオ
標題(和) 職務著作制度の法構造とその射程 : 創作者主義の段階的規整
標題(洋)
報告番号 113945
報告番号 甲13945
学位授与日 1999.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第145号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,信弘
 東京大学 教授 落合,誠一
 東京大学 教授 石黒,一憲
 東京大学 教授 中里,実
 東京大学 教授 大村,敦志
内容要旨 序論 問題の所在

 現行の日本著作権法は、実際に創作行為をなした者を著作者とし(2条1項2号)、創作者主義を総則に規定する一方で、各論の「著作者」の節において、映画の著作物(16条)(映画型の規整)と法人等において創作される著作物(15条)(職務著作型の規整)について特別規定を置いている。そして、特に、後者の職務著作型の規整は、判例・学説上、創作者主義の例外規定であり限定解釈されるべきであるとされてきた。しかしながら、今日、法人内で創作される著作物は、コンピュータ・プログラム等の機能的な著作物も含めると、その数・経済的価値の点で著作物全体の半数を優に超えている。このような現状に鑑みると、職務著作規定を限定解釈したままでは、職務上作成される多くの著作物について権利の帰属とその権利処理が曖昧なまま放置されることになりかねない。そこで、職務著作規定の要件・効果を明確化し、その射程(委託関係において創作される著作物、コンピュータ創作物、デジタル化された著作物等への職務著作規定の適用の可否)を明らかにすることが必要となる。

第一部職務著作制度の法体系上の位置づけ

 日本の職務著作制度は、著作者が著作者人格権の帰属主体であるという前提を維持している点では、あくまで従来の大陸法的な法体系を維持しながら、労働関係において一定の要件の下で、著作者を創作者である従業者ではなく法人等とみなす点(したがって著作財産権を法人等に原始的に帰属させている点)では、英米法的な考え方にたっており、大陸法と英米法の折衷的な制度であると位置づけることができる。この点、確かに、日本の職務著作制度は、著作者人格権を使用者に帰属させている点では大陸法系の考え方からみると奇異にみえるが、著作物を法人であれ自然人であれ、その人格の流出物とみなし、あくまで著作者が著作者人格権の帰属主体であるという前提を貫いた点で、起草者は、大陸法の考え方を映画型・職務著作型の規整においても一貫させていたといえる。

 この創作者主義の例外として位置づけられる、日本の職務著作制度の主たる根拠は、創作者主義の法制を採用して創作者に権利が原始的に帰属した場合、(d)著作者人格権が多数の創作者によって行使されることにより、著作物の利用・取引に障害が生じるおそれがあるからであった。このように創作者主義を徹底した場合には、(a)著作物には創作者が誰であるかについて公示がないため、創作者の確定が困難であること、(b)契約によって創作者から承継した権原の有効性・範囲が不明確であること、(c)保護期間の確定が困難であること、(e)創作者から得たライセンスの第三者に対する効果が不明確であること等が、理論的検討課題として抽出される。これらの諸課題は、著作物のデジタル化に伴う諸現象(寄与者の法的地位の不明確、著作物の国際的な頒布、契約時未創作の著作物の増加、著作物の更新、著作物の断片化と再利用の増加、創作性の低いものも著作物として保護する傾向、集中管理される著作物の増加)により顕在化する。

第二部著作権法上の個別法理による解決

 そこで、創作者主義を貫徹するドイツ法が、これらの諸課題を、職務著作規定と同一の機能を有する他の著作権法上の個別法理に基づきどのように権利処理しようとしているかについて考察した。ドイツ法においては、著作物の利用者が創作者からその権原を承継するために、著作権法上の推定規定、個別の契約、労働協約等の多層的な規整がなされている(著作権契約法)。しかしながら、契約による事前規整には多数の限界があり、判例による事後的規整においても著作権法上の推定規定は有効に機能していない。特に、著作者人格権は、一般的人格権と異なり、著作物と創作者の人格の結びつきを保護するものであり、利用・流通の過程におかれる著作物に対して行使される権利でありながら、契約による制限・処分には限界がある。したがって、日本の職務著作制度のように、使用者を著作者とし、使用者に著作者人格権を帰属させる法制度にも一定の合理性があると考えられる。さらに、契約による著作者の地位の変更の可否とその時的限界という問題や、法人等の公表名義の要件の解釈問題等の理論的前提として、権利の帰属の基準時が問題となる。すなわち、公示のない著作物を利用する際権原の所在を可能な限り事前に明確にするという要請からすると、創作過程前の事情のみを考慮すべきであるが、著作物の個性や著作者の特定を権利の帰属の判断事情に取り込むならば、創作過程終了時までの事情を考慮すべきことになる。

第三部職務著作制度の再構成

 職務著作規定が適用される著作物には、人格的要素の強い著作物、機能的著作物、事実的著作物等多様なものが含まれる。権利の帰属を決定する際、日本の立法者やドイツの判例・学説は、著作者を特定できるかという事情や著作物が創作者の個性を反映しているかという事情を考慮している。そこで、これらの観点から著作物の権利の帰属について、著作物毎に類型化して考察した。著作物の個性の強弱を権利の帰属に反映する手法として、個別具体事例毎に著作者を決定する映画型の規整と、一律に使用者を著作者とする職務著作型の規整(法人等の公表名義の要件)、という両方の制度的手法の役割分担という観点から試論を示した。もっとも、映画型の規整には、著作者が不明確で法律関係が不安定となりうるという制約があり、他方、法人等の公表名義の要件が判例上実質的に機能する局面は、個性の強い著作物(新聞・雑誌の著作名義や書籍の奥付等)に関する、創作者-使用者間の著作者人格権侵害訴訟においてのみである。そこで、まず、職務著作規定の効果を否定する側が、著作者を特定し、自らの創作行為や著作物の個性の強さを主張・立証しえた場合には、法人等の公表名義の要件を充足しないという解釈論を示した。また、試論として、著作者を典型的に特定しうる著作物(レコード会社専属の作詞家等)については、原則として映画型の規整によるべきであるとした。他方、機能的著作物・事実的著作物については具体例を列挙して法人等の公表名義の要件を削除する、という立法論を提示した。さらに、コンピュータ・プログラムについて著作者人格権を否定する議論を、職務上作成される著作物一般に推し及ぼし、職務著作規定適用の効果として、使用者に著作者人格権が帰属しない、という立法論を示唆した。さらに、契約による著作者の地位の変更の可否の問題のうち、変更可能な時点、創作者と利用者間における変更の方向性、著作者の地位変更の主観的範囲(委託者を著作者となしうるか)について論じ、その背後には創作者保護の要請と、契約による著作者の地位の変更に伴う保護期間等の法効果の変動を防止する要請をいかに調和させるか、という政策判断があることを指摘した。

第四部職務著作制度の射程(著作物のデジタル化に伴う問題)

 近年、自然人が創作に関与しないコンピュータ創作物の出現(創作方法)や、デジタル化された著作物の利用(利用方法)により、第三部までのアナログの著作物について論じられた著作権法上の法理は修正を迫られている。もっとも、アナログの著作物も外観からはコンピュータ創作物とは区別がつかず、また、容易にデジタル化されるため、従来の著作権法上の規整との連続性を考慮する必要がある。

 コンピュータ創作物については、創作過程に自然人の創作が関与しないため著作者人格権を認めるべきではない。したがって、職務著作規定が適用される結果、使用者が著作者人格権なき著作者となる。但し、職務著作規定を適用する際の権原の基点となる著作者は、実質的に創作行為を行っていないとしても自然人であることが必要である。さらに、著作物がデジタル化された場合には、アナログの著作物と比較して、著作物に付着する権利が増加するとともに著作物の利用・流通が飛躍的に増大する結果、第一部で検討した創作者主義の諸課題が顕在化し、個別の契約による権利処理が困難となる。したがって、個別の著作物ごとにアド・ホックに著作者を決定する映画型の規整は有効性を失う。これに対して、職務著作型の規整が適用される局面と、著作物の権利が集中管理される局面が増加すると考えられる。

終章創作者主義の段階的規整

 本稿は、創作者主義という一見自明とされてきた著作権法上の原則を貫いた場合に生じる検討課題を抽出した上で、職務著作制度が創作者主義からいかなる点で、かつ技術的・経済的要因によりどの程度乖離し、その正当化根拠は何であるかを、各観点から考察した。その上で、職務著作型と映画型という現行法上の権利の帰属の規整が、多様な著作物、創作方法(著作物の創作過程の自動化等)、利用方法(デジタル化された著作物の利用等)等の各局面に応じて、段階的に修正されてなされていくべきである、という座標軸を提示した。この点は特に、職務著作制度を著作者人格権の帰属の観点から捉え直し、著作者人格権なき著作者の概念を、コンピュータ創作物、プログラム、機能的・事実的著作物、さらには職務上作成される著作物一般に認めうるとした立法論にあらわれている。

審査要旨

 本論文「職務著作制度の法構造とその射程-創作者主義の段階的規整」(ワープロ1頁1200字416枚)は,デジタル化等の今日的課題を踏まえ,主として職務著作制度という観点からの検討を加えるという手法で,わが国著作権法の基本的原理であるとされている創作者主義の意義を再検討し,著作権・著作者人格権の原始的帰属に関する問題につき新たな提言をなそうとするものである。本論文は,そのための作業として,イギリス,ドイツ,アメリカの比較法及び歴史的研究を中心としつつ,他方では著作物の諸類型,利用形態,流通形態等の現実問題を踏まえた検討を行っている。

 本論文は,『序論』と『終章』を除き,四部構成となっており,以下論文の概要を述べる。

 問題提起をしている『序論』に次いで,第一部『職務著作制度の法体系上の位置づけ』においては,イギリス,ドイツ,アメリカの比較法研究を通して,事実行為としての創作を行った者(創作者)を著作者として権利を原始的に帰属せしめるという創作者主義も一定不変の原理ではなく,歴史的変遷を遂げているということを論証している。特に職務著作制度をこの創作者主義の変遷の中で位置づけ,かつ創作者主義を貫徹した場合の問題点について検討を加えている。

 わが国現行法は,創作者主義を基本原理としているものの,現実には,著作者人格権と財産権のすべてを法人等の使用者に帰属せしめる職務著作の場合(15条)と,著作者人格権は創作者(映画監督等)に帰属せしめるが財産権については映画製作者に帰属せしめる映画の場合(著作権法16条)を例外的に扱い,特別な規定が設けられている。特に前者は,創作者ではない法人等の使用者に著作者人格権まで帰属するとされているため,学説によりこの規定は例外として狭く解釈されるべきものとされてきた。

 しかし昭和60年改正で、コンピュータ・プログラムのような機能的な作品であって本来著作者人格権を認めるべきではないものが著作物とされた。そして従来は,著作物が法人等の使用者の名義の下に公表されるものであることがすべての職務著作の成立要件であったが,著作権法15条2項が新設されて,コンピュータ・プログラムに限ってこの公表名義要件が削除されたため,事実上ほとんどの場合に職務著作とされるに至っている。このようなことを背景に,創作者主義の原則は大きく変容しつつあり,この原則自体の再検討を迫られている。そして筆者は,創作者主義の原則も,各国ごとに,また時代ごとに修正されており,決して自明の原則とはいえないということを論証している。

 比較法的にみると,この映画型と職務著作型という権利の帰属規整が,実は創作者主義の変遷という大きな枠組みの中で位置づけられる問題であることが判明する。つまり映画型と職務著作型という権利帰属規整を単に例外的措置として捉えるのではなく,創作者主義の貫徹により生ずる弊害を回避するための制度として位置づけることができる。本論文は,多種多様な著作物を総合的に考察し,かつ著作権法の他の諸制度も総合的に勘案した上で,著作物の類型ごとに権利の帰属に関する適切な座標軸の設定を主張している。

 第二部『検討課題の個別的解決と理論的前提』においては,この問題を各国はどのように解決しようとしているのか,そして解釈論の限界はどこにあるのか,ということを検討している。創作者主義の貫徹の度合いによって,著作物の伝達者(筆者は使用者等の創作者の直近の者と定義している)が利用権原を獲得する手段も異なってくる。

 ドイツ法のように創作者主義を徹底させている国においては,著作権契約と呼ばれる個別の契約や労働契約等の権利処理方法が発達している(筆者はこれを権利分割規整ないし連続的規整と呼んでいる)。これに対して,一定の種類の著作物(たとえば映画の著作物),あるい一定範囲の著作物(たとえば職務上なされた著作物)について類型化し,特定の主体に権利の帰属を認めるという方法もある(筆者はこれを段階的規整と呼んでいる)。

 筆者の主張によれば,著作物には多種多様な性質をもったものが存在していることや,特にこれからデジタル著作物が発達するであろうことを考慮にいれると,個別的な契約による処理には限界があり,段階的規整こそが今後の望ましい規整方法であるとされる。

 そこで筆者は,著作者人格権的要素の強い著作物の創作者については,著作者としての十分な保護を与える必要があるということを基本としつつ,その修正としての段階的規整を適用される場合について具体的な検討をしている。その際に最も重要なことは,著作物の個性の強さや著作者を特定できるかという点であるが,その判断に関しては,わが国現行法の中にすでに存在する映画型の規整と職務著作における公表名義の要件が参考になるとして,その要件の具体的分析を行っている。

 第三部『職務著作制度の再構成』においては,わが国現行法が権利の帰属に関してもっている制約を指摘した上で,特に職務の範囲内で創作される著作物の種類ごとに,どのような規整によるべきか,という点についての立法論的検討を行っている。

 わが国現行法は,筆者の主張によれば,本来,小説,音楽,絵画等のように創作者の強い個性を反映した著作物を保護対象とすべきものであり,創作性の低いものを保護すべきではなかったし,投下資本の保護という要請は,著作隣接権のように最低限必要のあるものに限定すべきである。権利の帰属に関する規整は,創作者主義を原則としつつ,その修正は,創作者が多数で不明な場合等に限定すべきであるということになる。

 しかしながら,創作性は低いものの経済的価値が高いという場合も多く,現実の事件において著作権法が不正競争防止法の代用物として機能している場合があることは否定できない。その上,昭和60年からコンピュータ・プログラム,昭和61年からデータ・ベースといった機能的な創作物が著作権法に取り込まれ,かつアナログ著作物もデシタル化されて利用されることが増加している現状を勘案すると,職務の範囲内で創作された著作物については,創作者主義を修正した映画型あるいは職務著作型の規整が適用される局面が広くなると予想される。

 本論文では,映画型あるいは職務著作型というわが国現行法の規整を踏まえ,著作物についての権利帰属をいかに割り振るか,いう試論を行っている。結論として,創作者の個性の強いすなわち創作性の高い著作物に関しては,著作者を典型的に決定しうるものについては映画型の規整をすべきであり,それ以外のものについては職務著作の公表名義の要件においてこれらの事情を実質的に考慮すべきものとする。

 わが国現行法の具体的な改正としては,公表名義については基本的には現行法の立場を維持しつつ,機能的・事実的著作物については人格権的要素が薄いために,公表名義要件は削除し,次いで職務著作の場合には著作者人格権は使用者に帰属させないとする法改正を提唱している。

 以上述べてきた諸問題は原則としてアナログ著作物を前提としているが,第四部『職務著作制度の射程(著作物のデジタル化に伴う問題)』においては,コンピュータ創作物やデジタル化された創作物においては,この原則がどのように修正されてゆくのか,ひいては創作者主義の原則をどのように修正してゆくべきか,という点について論じている。

 コンピュータ創作物については創作過程に自然人の創作行為が関与していないため,そもそもわが国現行著作権法が適用できるのかという根本問題もあるが,現行法と極端に異なる規整は好ましくないので,コンピュータ創作物についても著作物性を認めつつ,要件・効果を是正することにより対処すべきである。具体的には,法人等の使用者に著作者人格権を認める必要はなく,契約により法人等の使用者を著作者とする余地を認め,公表名義の要件も削除すべきである。

 また,デジタル化された著作物についての著作者人格権の処理についてもわが国現行法で処理することには限界があり,著作者人格権を制限する契約の第三者効の規定の創設や,同一性保持権により保護を受けるのものは『名誉声望』を害するものに限定する等の立法的措置が必要となる。

 結論として,『終章』において,権利の帰属については,個別契約により利用許諾を行う規整ではなく,著作物の種類,創作方法,利用方法等を総合的に考察した上で類型化し,各類型の性質に応じて創作者主義を段階的に修正してゆくべきことを提唱している。

 創作者主義も種々の変容を経ており,筆者の分類によれば,理念的には,(1)創作者を著作者とした上で個別の契約によって処理する段階,(2)著作物の全体的創作に関与した者を具体的事例ごとに著作者とする(映画型)段階,(3)法人等の使用者を著作者として,財産権と著作者人格権の双方を使用者に帰属させる(職務著作型)段階,(4)コンピュータ・プログラムのように著作者人格権なき著作権を認め,法人等の使用者を著作者と認める段階,(5)デジタル化現象に伴い権利の集中管理が必要となり,集中管理の結果,権利が実質的に公共財的な性格を帯びるにいたる段階が考えられる。

 そしてアナログとデジタルが併存する世界においては,これらの諸規整形態も併存することになり,著作物の種類(たとえば映画の著作物やコンピュータ・プログラムの場合),創作方法(たとえばコンピュータ創作物の特殊性),利用方法(たとえばデジタル化された著作物の特別な利用形態)に応じて,創作者主義を段階的に修正してゆくべきことを提唱している。

 以上が本論文の要旨であり,以下その評価に移る。

 本論文の長所としては,先ず第一に次のことが言えよう。本論文は日本の著作権法の論文の中で最も長く,かつ綿密な論文である。わが国における著作権法研究の蓄積は少なく,先行業績の乏しいところで,このように大きなかつ内容の充実した論文を執筆するということは困難な作業である。これからのこの分野の研究は本論文を出発点とせざるを得ず,今後の議論の基礎を作り上げたということは,大きな業績と評価できる。

 従来の学説は,創作者主義を不動の大原則として掲げ,映画や職務著作の規定を現実への不適合を取り除く為の極めて例外的な措置として理解し,それらの歴史的あるいは体系的な意味づけをしてこなかった。本論文においては,創作者主義を基軸としつつも,著作物の種類・性質,利用方法や流通形態の変質,デシタル化等の時代の推移を考慮した上で,内外の資料を豊富に用いて,例外と考えられていた規定にも必然性があり,創作者主義の貫徹から,権利の帰属が創作者の伝達者,さらには第三者へと段階的に移行することを,歴史的な検証に加え,著作権が現実社会で果たしている機能にも着目して論証している。

 コンピュータ・プログラム等のような特定の著作物に関する個別分野の研究であれば,従来から散見していたところであるが,本論文のような視点から,あらゆる著作物を視野に入れて検討を加えた論文は初めてである。本論文は,従来存在していなかった新種の著作物の出現や情報化に伴う社会の変化によって混迷の度を深めている著作権法学界に,新たな分析方法を提示したものとして高く評価しうる。

 第二に本論文は,その分析方法として,著作物のもっている個性の強さないし創作性の程度を,権利帰属を決定する際の類型化のメルクマールとして採用している点に特色がある。ただ,個性の強さというメルクマールだけでは余りに漠然としているが,個性の強さは,映画型の場合の創作者の決定及び職務著作型の公表名義の判断においても重要な意味をもっており,個性の強さという要件は,実は従来の映画型,職務著作型の判断においても用いられるべきものであるということを論証している。そうであるならば,個性の強さを要件とすることにも理論的な妥当性があり,権利の帰属に関する類型化に新たな方向性を示すものとして評価しうる。

 第三に,本論文は,ドイツ,イギリス,アメリカを中心に,極めて大量の文献・判例を丁寧に渉猟しており,少なくともわが国著作権法の論文においては,このように網羅的に海外の文献判例を収集し分析して執筆された論文は今まで存在しなかった。著作権法の分野において,このような本格的な論文が出現したということ自体,評価に値しよう。

 本論文にも短所は存在する。先ず第一に,著作権の帰属を,著作物の個性の強さ(換言すれば創作性の程度)というメルクマールを基軸に,通常型,映画型,職務著作型と分けて考えることは長所の箇所でのべた通り,理論的に斬新であり,かつある程度の説得力もあり評価できるとしても,現実の事例へのあてはめについては今後の課題を残している。つまり,このメルクマールはかなり抽象的なものであり,あいまいな点や例外が多く,現実の裁判規範としては未だ完成しているとは言い難い。今後,この点について更に研究を深める必要がある。

 第二に,長大な論文であるためか,論文の構成と文章が複雑で,繰り返しも多く,読み難くなっている所が多少ある。そして本論文は,立法論と解釈論の双方を扱っているが,その両者の区別が必ずしも判然としない箇所が若干みられる。また,独自に創作したと思われる専門用語のなかには,必ずしも適切とは思えないものもあり,それも読み難くしている一因のように思える。

 以上のような短所は存在するものの,わが国における著作権法分野での水準を勘案すると,現状では抜きんでた論文であると評価することができ,このような論文がこの分野で出現したということは,今後の著作権研究に重大な刺激と影響を与えるものと思われる。論文の短所も,今後の研究によって克服されるであろうと予測され,本論文の長所を否定するほどのものではない。したがって,本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。

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