本論文「ネオ・コーポラティズムと所得政策-戦後オランダの政治構造-」は、戦後オランダの政治経済体制、なかんずくネオ・コーポラティズムとして知られる政労使協調体制の理論的位置づけをめざして、1945年から67年に至る期間の所得政策の展開を分析したものである。 本論文は、序章、第1章から終章までの8章、および「結び」とからなっている。 序章「「二つの統合」の狭間で」に続き、第1章「理論的前提-オランダ政治とネオ・コーポラティズム-」で分析枠組が提示され、第2章「第二次世界大戦期までのコーポラティズム構想の展開」が、本論で扱われる時期の前史にあてられる。第3章「終戦とネオ・コーポラティズムの成立」は、戦後初期のオランダの政治経済状況を検討し、第4章「プラニスムの試みと挫折」は、ネオ・コーポラティズムと並んで戦後に導入が試みられた経済計画化の挫折の経緯を扱う。第5章「戦後再建期の所得政策」、第6章「朝鮮戦争と第一次支出削減」、第7章「第二次支出削減問題」は、1950年代における所得政策の展開とネオ・コーポラティズム体制の形成・定着とを詳細に跡づける。終章「公式のネオ・コーポラティズム的所得政策の失敗」は、1960年代におけるネオ・コーポラティズム体制の動揺を扱う。「結び」では、本論文が現代ヨーロッパ政治の理解にいかなる寄与をなしうるか、が論じられている。 まず序章においては、20世紀前半のヨーロッパが国家間の紛争と国内の激しい政治的・社会的対立に彩られたのとは対照的に、第二次大戦後の西ヨーロッパでは諸国家間の協調・協力(とくに経済的統合)と国内における政治的・社会的対立の緩和という「二つの統合」が進んだことを前提に、オランダが、「小国」ながら、ヨーロッパ統合において重要な役割をはたした(また現在もはたしている)国であると同時に、国内の統合においても顕著な成功を収めており、その点で戦後の西ヨーロッパの一典型である、という認識が示される。 しかも、1970〜80年代に学界で一躍脚光を浴びた「ネオ・コーポラティズム」と呼ばれる協調的政治経済体制は、オランダにおいて、従来引照基準とされてきた国々(北欧諸国、オーストリアなど)に勝るとも劣らない早期の成熟ぶりを見せたのであり、オランダの事例の研究は戦後ヨーロッパ政治の理解にとってきわめて重要である、と著者は主張する。 第1章は、オランダ研究の政治学的意義と本論文の理論的視角を具体的に論じている。第1節では、オランダ史・オランダ政治がマクロ理論や比較理論に素材を提供した例が示されるとともに、オランダ研究において国際環境ファクターが重要であることが確認される。第2節では、本論文のキーワードである「ネオ・コーポラティズム」の概念が研究史的に検討された後で、政労使の協調の下での所得政策がその本質であることが示される。第3節では、戦後オランダでは通貨安定が政策の第一目標であり、雇用の確保を重視した平価切り下げ政策(北欧の社会民主主義政権はこの道をとった)をとらず、またヨーロッパ経済統合を指向する小国であるため貿易制限策(たとえばフランスはこの道をとった)もとれず、消費支出抑制による輸入削減と労働コスト抑制による輸出競争力の強化という道(この点ではイギリスも同じ)をとったこと、そしてオランダのネオ・コーポラティズムはそのために生じたものであることが論じられる。通貨安定が特に重視されたのは、「小国」ゆえの経済開放性に加えて、国内の産業投資よりも対外投資を優先する金融セクターの影響力が大きかったこと、正統的な金融政策を進める中央銀行が高い独立性をもっていたこと、景気と雇用を重視する社会民主主義政党が相対的に弱かったこと、などの理由による。第4節では、社会民主主義政党が強力でないオランダで、なぜネオ・コーポラティズムが高度に発達したのかが説明される。その鍵は、階級協調的なキリスト教民主主義政党の存在である。この点に付随して、社会民主主義政党が主張する経済計画・産業統制・ケインズ主義的政策はオランダではことごとく挫折し、戦後の政治経済体制は国家の選択的介入を特質とする半ば自由主義的なものになったこと、福祉国家の性質も、国家の積極的介入による平等を原理とするものではなく、家族・中間団体の役割を重視するカトリック思想の影響の強いものになったことが主張される。 以上の主張が、第2章以下で、時期を追って実証的に立論されていく。 第2章第1節では、戦間期にキリスト教民主主義政党(二つのプロテスタント政党と一つのカトリック政党)、特にオランダ全体のなかでは少数派にすぎないカトリック政党が優位なポジションを占め、これら宗派政党から様々なコーポラティズム構想が生み出されるとともに、政労使協議機関や労使交渉の枠組みづくりが進んでいたことが説明される。第2節では、戦争中のドイツ占領下に、賃金に対する国家介入が飛躍的に増大したこと、戦後に向けて労使頂上団体の指導者の間で新たな協議機関構想が育まれていたことが説明される。 第3章は、戦争直後の政治経済状況を扱う。第1節では、旧来のサブカルチャー集団(オランダでは「柱」と呼ばれる)の社会分断構造とそれに基づくキリスト教民主主義政党の優位を打破し、新たな左派政党を創ろうとする「オランダ人民運動」試みの経緯とその挫折が論述される。第2節では、一転して、終戦直後のオランダ経済が過剰流動性と国際収支赤字に悩み、1946年の通貨改革によって前者が解決した後は、後者が最大の問題となっていたことが述べられる。第3節では、労使頂上団体の新たな協議機関として設立された「労働協会」が政府の公的諮問機関として位置づけられ、またほぼ同時期に賃金決定への国家介入が法的に整備されたことによって、ネオ・コーポラティズム的所得政策の制度的枠組みが完成したことが述べられる。第4節では、物資不足のなかでの戦後再建、国際収支の慢性赤字のなかでの賃金抑制・平準化政策、共産党系労組の無力化が、上記の制度を通じて進展する方向性が定まったことが述べられる。 第4章は、戦後初期にネオ・コーポラティズムと並んで導入の試みられた「プラニスム」(経済計画による国家主導の経済運営)の挫折にいたる経緯を論ずる。第1節では、社会民主主義勢力が戦間期の「労働プラン」に由来する計画化路線(産業全体の組織化を通じた企業活動に対する政府介入の飛躍的増大、中央計画局を軸とする経済計画の導入)を指向したことが述べられる。第2節では、この路線が議会や労働協会でカトリック勢力をはじめとする他勢力の反対を受け、失敗に終わったことが述べられる。 第5章は、1940年代後半を対象に、ネオ・コーポラティズム的制度の作動が経済の諸問題の解決にどのように貢献していったか、またそのことがこの制度に関わる諸勢力の動向にどのような影響を及ぼしたかを論じている。第1節では、物価上昇のなかで労組が賃金抑制政策に協力したのは、ネオ・コーポラティズムの回路を通じて、労組側の要求が児童手当ての大幅上積みや賃金格差の是正といった形でかなりの程度政策に反映されていたためであることが示される。第2節と第3節では、マーシャル・プラン受け入れやベネルクス統合にともなう諸問題(補助金削減問題、平価切り下げ問題など)にも政労使協議がうまく作動し、労組は賃上げの見返りに生産性向上に協力する路線を取ったことが示される。 第6章と第7章は、1950年代に生じた二度の国際収支危機へのオランダの対処を論じている。両次とも労使協調を維持しながら支出削減をいかにして実現するかが課題となった。第6章では、戦後復興が完了し高度成長が始まろうとする時に襲った、朝鮮戦争を契機とする国際収支危機への対応が扱われる。このときオランダは、他のヨーロッパ諸国がとった競争的平価切り下げ策や輸入制限策のいずれもとらず、国内緊縮策で対応した。すなわち、財政・金融政策を動員する傍ら、労使協調関係を基にして実質賃金の切り下げを行い、民間消費支出の削減によって国際収支危機を乗り切ったのである。 第7章は、1956-58年の危機への対処を扱う。前回と同様に、キリスト教系労組が所得政策の遂行に積極的に協力し、社会民主主義系労組も結局これに追随した。この時には「社会経済協議会」(政労使三者を代表する専門家による経済政策全般に関わる委員会)が前回より大きな役割をはたし、ネオ・コーポラティズムが適用される政策領域が拡大したこと、政策実施期間が長期化したことが論じられている。 終章は、ネオ・コーポラティズムの枠組みが動揺しついには機能停止状態に陥る1960年代の展開を扱う。経済成長が進み国際収支が安定的に黒字になり、闇賃金が横行するなかで、労使組織から賃金決定への国家介入を疑問視する声があがってくる。また都市化などの社会変動のなかで「柱」の結束は弛み、新しい運動が続々と出現してくる。これまで協調路線の中核であったカトリック系労組も世俗化・急進化し、労使間の架橋は次第に困難になる。その結果ネオ・コーポラティズム的所得政策は、60年代末に中断されたことが述べられる。 結びでは、本論文の題材が現代ヨーロッパ政治の理解にも資することが示唆されている。1980年代以降、域内経済統合が進むなかで、ヨーロッパ各国は、一国単位の経済政策の選択肢(景気刺激策・平価切り下げ・貿易制限など)を失い、オランダやドイツに代表される通貨安定政策へと収斂しつつある。オランダはその「国内統合」を通じて、自ら推進する「国家間統合」の前提条件をも同時に提供してきたといえるのではないか、と著者は結んでいる。 以上が本論文の要旨である。 本論文の長所として次の点を挙げることができる。 第一は、多数の一次史料と研究文献を駆使して、オランダ現代政治史を実証的に分析した点である。そのようなものとして日本初であることは言うまでもなく、オランダ本国や諸外国にも類例のない業績となっている。しかも、その過程で「多極共存型民主政」論--これはオランダ政治の分析からはじまって世界的に流通するようになった理論モデルである--に重要な修正を加えてもいる。 第二に、キリスト教民主主義(特にカトリック政党)の重要性の論証が挙げられよう。本論文では政治ドクトリンに多くの筆が割かれているとは言えないが、これまでの「ネオ・コーポラティズム」論や「福祉国家」論が専ら社会民主主義勢力の強弱に即して理解されてきたことの片面性を批判する著者の立論は、実証に裏打ちされているだけにきわめて説得的であり、オランダ一国の研究にとどまらない射程をもつといえる。 第三に、「小国」を研究することの意味を考え抜いたうえで、国内経済と国際経済の結びつきの強さに着目し、それを通貨安定を目標とし所得政策を軸とするネオ・コーポラティズムの形成へとつなげていった論理構成は秀逸である。著者自身もオランダの政策が通貨統合中の現在のヨーロッパにとって持つ意味を論じているが、この事例は、およそ現代の国際政治経済において「小国」の繁栄はいかにして可能か、という一般理論上の問題にも示唆するところ大である。 本論文にも問題がないわけではない。 第一に、著者は様々な政治理論を駆使しつつ、英・仏・北欧諸国など他国と対照しながらオランダの政治経済体制と政策運営の特色を論じているが、比較の視座に一貫性・体系性を欠くうらみがある。とくに、ネオ・コーポラティズムを論じるにあたって、その典型国の一つであるオーストリアについてあまり言及されないのは問題であろう。 第二に、文章が平明である反面、困難に満ちた時代を扱う場合にも論述が坦々としており、対立・紛糾の局面の分析が弱い。とりわけ第二次大戦から1945/46年の時期、経営者・自由主義勢力とカトリック勢力の関係については、もう一歩踏み込んだ議論が必要であろう。 第三に、著者は既成の理論の弱点を衝くことにおいては巧みだが、新たな理論を提示することにももっと精力を傾けてほしいという印象を受ける。 こうした問題点や要望はあるが、これらは本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文が明らかにした諸論点は、ヨーロッパ政治史研究に大きく寄与するばかりでなく、比較政治学・国際政治学にも大きな刺激を与えるものと評価することができる。よって本論文は博士(法学)の学位に相応しい内容と認められる。 |