学位論文要旨



No 113950
著者(漢字) 土居,丈朗
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,タケロウ
標題(和) 地方財政の政治経済学
標題(洋)
報告番号 113950
報告番号 甲13950
学位授与日 1999.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第126号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井堀,和宏
 東京大学 教授 藤原,正寛
 東京大学 教授 持田,信樹
 東京大学 教授 吉川,洋
 東京大学 教授 田渕,隆俊
内容要旨

 現在、わが国では地方財政制度のあり方が幅広く議論されている。現行制度に対して、今後の地方財政制度のあり方を検討する上で必要なことは、第一に現行制度の下で地方財政がどのように運営されているかを明らかにすることと、第二に地方財政制度の改革を行った結果具体的にどのような経済的効果がもたらされるのかを明らかにすることであると考える。さらに、現在の地方財政運営には、国政レベルや地方政治レベルでの政治的な影響が及んでいることは否めない。こうした現状を鑑み、本論文では、わが国の地方財政を政治経済学的に分析すること、すなわち、現行の地方財政制度の下でどのように地方財政が運営されているかを政治的な影響をも含めて実証的に分析することと、地方財政制度の改革(特に地方分権)を行った結果どのような経済的効果がもたらされるのかを規範的に分析することを目的とする。

 第1章では、日本の中央政府から地方政府への国庫支出金の分配額がどのように決定されるか、そして補助金分配が選挙結果にどのように影響を与えるかについて、諸仮説を設定して回帰分析により客観的に検証する。1956〜1993年度の国庫支出金データを基に分析した結果、全期間を通じて「(議員定数と無関係に)与党議員の数が多い県ほど補助金が多く分配されていた」、保革伯仲期には「野党との競争が激しい県ほど補助金が多く分配されていた」という仮説が支持された。「補助金の増加が与党議員の得票率に影響を与えた」、「投票者は補助金政策に基づいて投票した」という仮説を支持する証拠は得られなかった。

 第2章では、わが国の都市財政における「フライペーパー効果(flypaper effect)」に関して包括的な実証分析を行い、地方交付税(国から地方への一般定額補助金)交付と国税減税の政策的異同を明らかにする。中央政府の地方政府への一般定額補助金(使途を特定しない定額の補助金)は、国税・地方税の減税を通して同額の個人所得を増加させる効果を持たず、定額補助金の増加は個人所得の同額の増加よりも地方政府の財政支出への拡大効果の方が大きいという現象であるフライペーパー効果について、計量分析を試みている。1975〜1990年度のわが国全ての都市について計量分析した結果、不交付団体ではフライペーパー効果が認められないものの、交付団体、特に地方交付税が固定資産税収より多い交付団体ではフライペーパー効果が認められた。

 より詳述すれば、不交付団体や固定資産税収が地方交付税の交付額よりも多い交付団体のように交付額が相対的に少額ならば、地方税、特に固定資産税(の課税対象資産の評価率)を(意図するか否かを問わず)実質的に減税することで、地方交付税の効果を相殺できるためにフライペーパー効果が生じないと考えられる。一方、歳入全体に占める地方交付税の割合が高い交付団体では、地方税を減税しても地方交付税の額を相殺するには至らず、地方歳出が非効率に大きくなる。わが国でのフライペーパー効果の政策的含意は、国がフライペーパー効果を正しく認識せずに地方交付税を交付すると、フライペーパー効果が認められた都市では国が予定している以上に歳出を増やす可能性があるということである。さらに、今後進められる地方分権への政策的含意は、地方交付税を縮小して国税から地方税へ財源を移転して地方に課税自主権を与えたとき、フライペーパー効果を考慮しなければ予定したよりも地方歳出が小さくなる可能性があり、目指していた地方分権が達成できない可能性があると言える。

 第3章では、わが国の地方財政において中位投票者仮説が成り立つかを検証する。これを分析する意義は、地方財政は地方選挙の結果(特に中位投票者の選好)を反映するように(中央政府が指導して)運営されているか否かを検証するところにある。都道府県を対象とした計量分析の結果、中位投票者の選好が反映された財政規模になっていることが示され、しかも平均所得(を稼得している世帯の選好)よりも説明力が高いことが示された。このことから、日本の都道府県財政(歳出)において中位投票者仮説が成り立つことが認められた。

 この仮説が意味することをわが国の地方財政制度に即して解釈すると、次のように考えられる。この仮説は、都道府県知事が投票者、とりわけ中位投票者の選好を反映した財政運営を行っていることを示唆している。しかし、わが国の都道府県財政(特に歳入の決定)は、中央集権的である。したがって、知事は中位投票者の代理人として、国への要求を通じて地方選挙(特に知事選挙)の結果を反映した財政運営が行われていると考えられる。この解釈が妥当かを確かめるべく、中位投票者の選好が知事選挙に影響を与えたかをプロビットモデルで分析結果、実際の歳出規模が中位投票者の望む規模に近いほど、現職知事の再選確率が高まるという結果を得た。これにより、前述の、都道府県で中位投票者仮説が成り立つことの解釈が妥当であることが確かめられた。

 第4章では、地方政府の税源と地方公共財供給について、どの税目について分権化するのが効率的であるかを規範的に分析する。先行研究を踏まえつつ、様々な地方分権の措置(課税自主権の確立)を想定して、効率性の観点から地方公共財供給の理論を用いた厚生分析によって、以下のことを明らかにした。

 移住の反応を考慮する地方政府のもとで住民の地域間移住が完全なとき、一括固定税では地方公共財の最適供給条件(サミュエルソンの公式)は満たしても、必ずしも最適な人口分布になる保証はない。固定資産税のみの場合では分権的な移住均衡は最適となる。資本税では公共財供給が最適になる保証がない。

 住民の地域間移住が不完全なとき、一括固定税のみの場合では必ずしもサミュエルソンの公式は満たす保証はない。固定資産税のみの場合では、地方公共財のスピルオーバーがなければ分権的な移住均衡は最適となる。ただし、地方公共財のスピルオーバーがあれば分権的な移住均衡は必ずしも最適とならない。資本税では地方公共財供給が最適にならない。

 そしてこの展望を踏まえて、地方税の権限をいかに地方政府に委譲して地方分権を進めるかという議論に拡張した。分権促進を効率性の観点のみから言えば、地方政府が移住の反応を考慮に入れる場合には固定資産税の権限を完全に地方政府に委譲するのが社会的最適を実現でき、最も望ましい。さらに、地方公共財の便益がスピルオーバーするとき、地方政府の租税政策では公共財供給が効率的になりにくいため、地方公共財の便益ができるだけその地域内のみに及ぶような行政区画を再検討する必要がある。いわゆる「道州制」などの行政区画の再考に関しても、この観点から議論することができる、と結論づけた。

 本論文におけるこれらの分析対象とわが国の地方財政制度との関係は、以下の通りである。わが国の地方財政制度を簡単に表すと、次の図のようになる。

 各地方公共団体における歳入の主な項目には、地方税、地方譲与税(図では捨象している)、地方交付税、国庫支出金、地方債などがある。そのうち本論文で扱うのは、地方税、地方交付税、国庫支出金である。

 地方税は、地方公共団体にとっての税収で、最大の財源である。しかし、地方税の税目と税率を地方公共団体が自由に設定して課税することはできず、その税目と税率は国の法律である地方税法で定められ、地方公共団体の課税自主権は制限されている。第4章では、これら地方税の課税自主権を地方公共団体に移譲したときの経済的効果について、効率性の観点から規範的に分析する。

 地方交付税は、地方財源の均衡化を図りかつ地方行政の計画的な運営を保証するため、国が国税の一定割合を使途を特定しない財源として地方団体に移転するものである。第2章では、地方交付税交付と国税減税の政策的異同と、地方交付税が地方歳出に与える効果を、フライペーパー効果の観点から分析する。

 国庫支出金は、国が地方公共団体に対して使途を特定して支出する補助金等である。国庫支出金の使途について、地方公共団体の裁量の余地はほとんどない。そのため、各地方公共団体の首長や議員、そして各地方から選出された国会議員が、毎年度予算編成時に様々な国庫支出金の獲得を目指して活動する。第1章では、国庫支出金の各地域への分配に与党所属の国会議員がどれほど政治的影響力をもたらしたかを分析する。

 こうして得られた歳入は、社会資本建設、社会保障、教育などの目的に支出している。この地方歳出がどのように決定されているかについては、様々な仮説が存在するが、なかでも中位投票者仮説は、地方財政論、公共選択論では有力な仮説である。第3章では、わが国の都道府県の歳出において、中位投票者仮説が成り立つか否かを分析する。

図 本論文の分析対象本論文の分析対象青:第1章赤:第2章緑:第3章黄:第4章
審査要旨

 本論文は、わが国の地方財政を政治経済学的に分析するものである。とくに、(1)現行の地方財政制度の下でどのように地方財政が運営されているかを政治的な影響をも含めて実証的に分析することと、(2)地方財政制度の改革(特に地方分権)を行った結果どのような経済的効果がもたらされるのかを規範的に分析することを、主要な目的としている。現行制度の下で地方財政がどのように運営されているかを明らかにすることや、地方財政制度の改革を行った結果具体的にどのような経済的効果がもたらされるのかを明らかにすることは、今後の地方財政制度のあり方を検討する上でも、重要な研究課題である。本論文は、こうした問題意識による3つの実証分析(第1,2,3章)と1つの理論分析(第4章)からなっている。本論文の内容を簡単に紹介すれば、以下のようになる。

 第1章では、日本の中央政府から地方政府への国庫支出金の分配額がどのように決定されるか、そして補助金分配が選挙結果にどのように影響を与えるかについて、諸仮説を設定して計量分析により客観的に検証している。1956〜1993年度の国庫支出金データに基づく実証分析の結果、全期間を通じて「(議員定数と無関係に)与党議員の数が多い県ほど補助金が多く分配されていた」、保革伯仲期には「野党との競争が激しい県ほど補助金が多く分配されていた」という仮説が支持されている。しかし、「補助金の増加が与党議員の得票率に影響を与えた」、「投票者は補助金政策に基づいて投票した」という仮説を支持する証拠は得られていない。

 第2章では、わが国の都市財政における「フライペーパー効果(flypaper effect)」に関して包括的な実証分析を行い、地方交付税(国から地方への一般定額補助金)交付と国税減税の政策的異同を明らかにしている。フライペーパー効果とは、中央政府の地方政府への一般定額補助金(使途を特定しない定額の補助金)が、国税・地方税の減税を通して同額の個人所得を増加させる効果を持たず、一般定額補助金の増加は個人所得の同額の増加よりも地方政府の財政支出への拡大効果の方が大きいという現象をいう。1975〜1990年度のわが国全ての都市についての計量分析結果によると、不交付団体ではフライペーパー効果が認められないものの、交付団体、特に地方交付税が固定資産税収より多い交付団体ではフライペーパー効果が認められたとしている。

 その直感的な理由は以下の通りである。不交付団体や固定資産税収が地方交付税の交付額よりも多い交付団体のように交付額が相対的に少額の団体では、地方税、特に固定資産税(の課税対象資産の評価率)を(意図するか否かを問わず)実質的に減税することで、地方交付税の効果を相殺できるために、フライペーパー効果が生じないと考えられる。特に、固定資産税の負担を軽減しても結果的に不交付団体になるほど財源が充実している都市では、地方交付税額と租税負担の軽減が独立になり、フライペーパー効果が生じにくくなる。他方、歳入全体に占める地方交付税の割合が高い交付団体では、もし租税負担を軽減したならば、地方交付税の増額に結びつき、それが歳出抑制を相殺するため、フライペーパー効果が生じやすくなる。したがって、わが国の地方財政制度は、フライペーパー効果の有無を際立たせる方向に機能していると言える。その結果、国がフライペーパー効果を正しく認識せずに地方交付税を交付すると、フライペーパー効果が認められた都市では国が予定している以上に歳出を増やす可能性がある。

 第3章では、わが国の地方財政において中位投票者仮説が成り立つかをどうか検証している。いいかえると、地方財政が地方選挙の結果(特に中位投票者の選好)を反映するように(中央政府が指導して)運営されているか否かを検証している。都道府県を対象とした計量分析の結果、中位投票者の選好が反映された財政規模になっていることが示され、しかも平均所得(を稼得している世帯の選好)よりも説明力が高いことが示されている。このことから、日本の都道府県財政(歳出)において中位投票者仮説がある程度成り立つことが認められた。

 したがって、知事は中位投票者の代理人として、国への要求を通じて地方選挙(特に知事選挙)の結果を反映した財政運営が行われていると考えられる。この解釈が妥当かを確かめるべく、中位投票者の選好が知事選挙に影響を与えたかをプロビットモデルで分析した結果、実際の歳出規模が中位投票者の望む規模に近いほど、現職知事の再選確率が高まるという結果を得ている。

 第4章では、地方政府の税源と地方公共財供給を取り上げて、どの税目について分権化するのが効率的であるかに関する規範的分析をサーベイしている。とくに、移住の反応を考慮する地方政府のもとで住民の地域間移住が完全なとき、一括固定税では地方公共財の最適供給条件(サミュエルソンの公式)は満たしても、必ずしも最適な人口分布になる保証はないが、固定資産税のみの場合では分権的な移住均衡は最適となる点が強調されている。また、資本税では公共財供給が最適になる保証がない点にも留意している。

 そしてこの展望を踏まえて、地方税の権限をいかに地方政府に委譲して地方分権を進めるかという議論に拡張している。地方公共財の便益がスピルオーバーするとき、地方政府の租税政策では公共財供給が効率的になりにくいため、地方公共財の便益ができるだけその地域内のみに及ぶような行政区画を再検討する必要があるというのが、主要な政策的含意である。いわゆる「道州制」などの行政区画の再考に関しても、この観点から議論することができる、と結論づけている。

 冒頭にも述べたように、本論文はわが国の地方財政を政治経済学的に分析すること、すなわち、現行の地方財政制度の下でどのように地方財政が運営されているかを政治的な影響をも含めて実証的に分析することと、地方財政制度の改革(特に地方分権)を行った結果どのような経済的効果がもたらされるのかを規範的に分析することを目的としている。これらの問題は、最近になって多くの研究者の関心を集めている点ではあるが、わが国の地方財政制度が複雑であることやデータ面での制約が大きいことなどのために、理論的な枠組みを明示して、その理論的な仮説の是非を計量経済学の手法を適用して検討する定量分析は、十分とはいえない状況である。標準的な地方財政理論、政治の経済理論のわが国における妥当性に関しては、まだあまり十分な成果が得られていない分野である。その意味で、基礎的なデータの収集、理論的な仮説と整合的なデータの概念整理などをふまえて、本論文が定量的に明らかにした点は、この分野における貴重な貢献といえるだろう。特に、(1)補助金と投票行動、選挙結果との関係、(2)フライペーパー効果がどの程度どういう地域で観察できるか、(3)、わが国の都道府県の歳出において、中位投票者仮説が成り立つか否か、について興味深い結果が導出されている点は、高く評価される。

 もとより、本論文には改善が望まれる点や問題点も多く抱えている。まず、論文の叙述やモデルの展開、実証分析の結果の解釈において、適切な検討が不十分であるために、読者にとってわかりにくい箇所がかなりみられる。標準的な理論仮説がアメリカなどの地方財政制度、政府間財政関係を念頭に置いて展開されているため、これをわが国の地方財政に適用する際に、より周到な理論モデルの修正が求められるし、また、より慎重に結果を解釈することや政策的な含意を検討することも必要である。特に、第1章と第3章では、いくつかの仮説を実証分析しているが、それらを全体として包括的に説明する理論的なモデルが明示されていないために、議論の展開にやや恣意的な箇所も見受けられる。また、第2章においては、フライペーパー効果の理論的な定式化において、中央政府の予算制約式が明示されていないことによる問題も残されている。さらに、第4章では理論的な分析の結果をわが国における地方分権への動きと関連させる際に、その理論的な枠組みと政策的な含意がどう関連しているのか、いまひとつ明快ではない。

 とはいえ、これまで制度上の仕組みを当然と受け止めるか、あるいは、制約やデータ面での制約などから、あまり厳密な定量的な分析が行われてこなかった地方財政の政治経済学的な側面について、きちんとした計量経済学による手法を用いて、まとまった分析結果を得たことは、高く評価できる。審査委員会は、著者が博士(経済学)の学位を取得するにふさわしい水準にあるという結論に達した。

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