学位論文要旨



No 113951
著者(漢字) 沼尻,晃伸
著者(英字)
著者(カナ) ヌマジリ,アキノブ
標題(和) 近現代日本の都市計画と工場立地 : 私的土地利用への公的統制に関する歴史的考察
標題(洋)
報告番号 113951
報告番号 甲13951
学位授与日 1999.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第127号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原,朗
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 加瀬,和俊
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 岡崎,哲二
内容要旨

 近代以降の資本主義国家における工業化の展開は、騒音問題・煙による大気汚染・廃水による水質汚濁など、さまざまな住環境上の問題を引き起こした。これに対しイギリスやドイツなどでは、19世紀後半において、都市における工場立地の規制が試みられ、都市計画が構想された。近代日本においても、第一次世界大戦期の急激な工業化・都市化に対して、1920年代以降、六大都市を始めとして中小都市に至るまで都市計画が実施された。それでは日本において、都市計画に基づいて工場立地を統制する試みは成功したのか否か。本稿は、近現代日本における都市計画--とりわけ土地利用計画の内容と統制の実態を、工場立地に対する統制を中心に検討することを課題とする。

 本稿において都市計画を検討する理由は、近代社会の一つの指標と考えられる私的土地所有を構成する一要素である私的土地利用に対して、都市計画のようにそれを公的に統制する制度の日本における生成過程を明らかにしたいからである。近代以降の都市における土地利用の変容は、自生的には市場原理に基づく土地商品の運動を媒介して実現される。都市計画による工場立地の統制を検討するには、法による工場立地への規制と同時に、市場原理に基づく土地商品の運動を前提とした用途地域指定上の工業地域に工場立地を誘導するための政策(産業基盤の整備など)や工場立地そのものの実態を分析する必要がある。しかし、近代日本の都市計画に関する研究は、多くが制度論・官僚論に傾斜しており、都市計画と経済的実態との関連を正面から扱った研究は少ない。近代日本経済史研究においても、資本主義経済による都市経済への規定性に注目した研究は存在するものの、都市公共団体など営利を目的としない団体が資本の行動を統制する側面については、あまり注目されてこなかった。そこで本稿では、1)都市計画によって定められる土地利用計画の分析、2)工場向け土地商品の分析、3)工場立地の実態に関する分析を中心に、急激な都市化が進む1910年代から高度経済成長の直前である1950年代半ばを対象として検討する。

 都市計画法制定以前の大都市では、用途地域制に類する制度・理念が萌芽的に存在したものの、産業基盤整備などを進めて工場を工業地域に誘導する手法はみられなかった。都市計画法・市街地建築物法が制定された当初の1920年代〜1930年代前半において、用途地域制は六大都市を皮切りに実施された。土地商品の造成については、農地転用を伴う民間レベルでの土地区画整理事業が、小作人との問題を伴いつつも1930年代に至るまで比較的スムーズに進んだ。しかし、用途地域指定上の工業地域に工場立地が集中したのではなかった。その理由として、工業地域以外への工場立地に対する規制力の弱さという制度的要因と、工業地域における産業基盤の未整備という経済的要因とが存在した。用途地域指定上の工業地域では、上下水道などの産業基盤整備が行われないケースも多かった。中小工業における原動機の使用の実態を把握しないままでの工場建築規制の問題や工業地域内の土地商品と都市計画区域外の土地商品とが競合関係に陥る問題、工場立地により工場周辺に商業者が増加し地価が商業地並みに高くなる問題なども生じた。当該期の都市計画においては、工業の規模・業種に応じた基盤整備や、工場用地に関する近隣地域との競合関係、地価上昇の問題などへの対策が行われなかったのである。

 しかし名古屋の事例のように、地主による土地区画整理と都市計画とが連携し、不十分ながらも工場用地の造成を進めるケースも存在した。単純な市場原理に基づく土地売買を媒介とした土地利用とは異なる別個の選択肢--都市計画行政が民間の開発者(この場合は地主)に対し土地利用計画に即した開発を指示し、結果として私的土地利用を地域ごとに統制する--が提示され、一部現実のものとなったことに注目する必要がある。

 日中戦争の開始以後、都市計画はその理念を変えた。生活環境を守ることと産業の能率を図ることの両立を目的とした用途地域制は、空襲による被害を防ぐための土地利用計画としての性格を強めた。全国レベルにおいても、国土計画として総力戦遂行上に必要な土地利用計画が立案され、工場立地の統制が実施された。

 しかし、戦時期の都市計画・国土計画に基づく工場立地の統制は実体化しなかった。その理由として、第一に、都市計画・国土計画に優越する中央政府による工場立地政策の存在が挙げられる。内務省は、軍需品生産の拡充のため、河水統制事業・臨海工業地帯造成事業を地方公共団体へ指示すると同時に、産業基盤整備に関する地方債の発行を許可する方針を取った。これを地域レベルで受け止めたのは、道府県などの地方公共団体と、それらと密接な関連をもつ地方上層資本家であった。地方公共団体の工場誘致は、基本的には都市計画・国土計画と結び付かずに行われた結果、用途地域指定に即した工場立地は進まず、工業化に追随した用途地域の変更が増加した。第二に、都市計画が抱えた内在的問題、すなわち工場向け土地商品の統制に関する問題が存在した。工場向け土地商品の造成に対しては中央政府から助成が行われたものの、当該期の工場立地に伴って生じる土地需要に見合うものではなく、土地利用計画との関連性も弱かった。むしろ資本が個別に地方公共団体の斡旋などを通じて農地を買収し工場用地を確保する事例が、多数を占めた。土地区画整理事業に基づく土地造成は周辺地域の地価上昇を促し、労働者の住宅問題(家賃の高騰)を生みだしたのである。しかし、戦時期の工場立地に必要な土地は、市場原理に基づく土地売買によって単純に供給されたのではない。地主が工場に土地を売却する意思がなくても、地元有力者などの人的関係による「説得」や軍部・警察の強権的圧力など、都市計画という法に基づく公的統制とは異質な原理に基づいて、土地買収が行われた。外見上は市場を介した売買契約が取り結ばれるものの、その内実は人的関係の圧力が加わるという戦前からの買収方式が、強権性を伴って戦時へと継承されたのである。

 1945年の敗戦を契機として、都市計画・国土計画共に、戦争を目的とした計画から旧植民地を対象から除外した民主主義国家建設のための計画へと理念を転換させた。しかし、敗戦後から高度経済成長が開始する1950年代半ばまでの間に、土地利用計画に基づく工場立地の統制が進捗したかといえば、決してそうではなかった。

 全国レベルの土地利用政策についてみると、国土計画構想の理念は、土地利用の統制から食糧増産・資源開発中心の理念に変容した。同時に、国土計画構想とはそもそも異なる、既存工場の立地地点の合理性を評価する通産省の産業補助施設整備政策も開始した。戦時期の全国レベルにおける工場立地の統制は戦後に継承されず、川崎で典型的に見られた臨海工業地帯の造成計画が、建設省・運輸省の関与も加わって全国各地で立案・実施された。

 都市レベルでの工場立地の統制も、順調に進まなかった。戦災都市においては、中央政府の方針変更(復興計画の規模縮小)や地価上昇による支出(移転補償費)の増加から、復興都市計画に基づく事業は停滞した。農地法によって耕作者の権利が強化され農地転用が規制されたため、土地区画整理の実施も困難になった。戦後改めて指定された用途地域上の工業地域への工場向け土地商品の造成は、戦後の新たな条件の下で準備が遅れていたのである。その結果、1950年代半ばまでの工場立地は戦時期までに宅地化された地域や工場跡地に集中した。工場の復興に追随して用途地域が変更される事態が戦後も生じ、住宅地と工場とが錯綜した都市形成が進んだ。他方、東北地方の非戦災都市では、経済は工業中心の発展ではなく周辺農村を消費地とした第三次産業中心の発展傾向を示しており、工場立地の統制を軸とした用途地域制は都市社会に受け入れられなかった。

 以上のように、日本の都市計画は1920年代から工場立地の統制を主要な課題としてきたものの、敗戦後に至るまで計画を実現することが困難であった。その理由として本稿が注目したことは、工業地域に工場立地を促す工場向け土地商品の統制内容についてであった。日本においても用途地域制は存在していたし、1920年代の名古屋のように、用途地域指定に即して民間レベルでの工場向け土地商品の造成が進められる場合もあった。土地市場に対して、都市計画が影響力を有していたのは事実である。しかし、近現代日本の都市計画は、土地利用計画に工場立地を従わせるために、土地市場そのものを統制することはなかった。土地市場によって規定される土地商品の交換価値の側面はそのまま認め、これを都市計画に基づく土地区画整理に利用する一方で、法的に土地商品の利用を統制する用途地域制が存在するという、二つの異質な原理(市場原理と土地商品の利用を統制する原理)が都市計画の手法の中に混在していたところに、日本の特質がある。用途地域指定は規制力を有するものの、用途地域指定と現実の工場立地とに"ずれ"が生じた場合、工場立地が優先されるケースが多く存在した。都市公共団体が土地市場の統制を通じて資本にとって経済合理的な土地商品を工業地域に準備し工場立地を誘導したのではなく、土地市場における土地商品の売買を媒介とした土地利用が正当性をもち、これに合わせて土地利用計画が修正されることが度々生じた点に、近現代日本の私的土地利用への公的統制の特質を見出すことができよう。

審査要旨

 沼尻晃伸氏の論文「近現代日本の都市計画と工場立地-私的土地所有への公的統制に関する歴史的考察-」は、都市計画に基づく工場立地規制の制度と機能を1910年代〜1950年代の日本の歴史過程に即して検討したものである。著者は、都市計画の役割を理解するためには、都市計画と土地利用規制それ自体だけでなく、工業用に指定された地域へ工場を誘導する産業政策、およびその結果としての工場立地の実態を研究対象に取り込む必要があることを強調する。このような観点に立って、(1)都市計画によって定められる土地利用計画の分析、(2)工場向け土地商品の分析、(3)工場立地の実態に関する分析、の三点が具体的な対象として設定されている。本論文の構成は次の通りである。

 序章

 第1章1910年代の工場立地と都市開発

 第1節工場立地の動向

 第2節地主・資本家による都市開発の開始

 第3節都市公共団体の工場立地・都市開発への対応

 第2章都市計画法の施行と1920年代の工場立地

 第1節農業的土地利用からの転換

 第2節都市計画と地主・資本家による都市開発

 第3節工場立地の実態と都市計画への批判

 第3章1930年代前半における都市計画の動揺

 第1節都市計画関連法規の改正と都市計画の変更

 第2節土地区画整理と都市計画との関連の変容

 第3節工場立地の実態

 第4節中小都市での工場立地と都市計画-静岡の事例-

 第4章戦時期における工場立地政策と土地利用計画

 第1節1930年代後半における都市計画と工場立地

 第2節用途地域制に優越する工場立地政策の登場

 第3節国土計画構想下の土地利用統制と工場立地

 第5章戦後国土開発と都市計画

 第1節占領下の国土開発構想と都市計画

 第2節「自立」期の工業開発と都市計画

 第3節戦後中小都市における都市計画と都市経済-鶴岡の事例-

 終章結語-近現代日本の私的土地利用への公的統制の特質

 第1章では、土地利用に対する公的規制が開始される以前の1910年代を対象として、工場立地の動向、およびそれに対する民間と地方公共団体の対応が東京と名古屋をケースとして論じられる。第一次世界大戦期には東京・名古屋ともに工場立地が急速に進み、対応して民間の都市開発が地主と資本家を主体として展開した。地主による都市開発は耕地整理法(1899年制定)に基く耕地整理事業という形で進められた。工業化と人口増加による地価の上昇のため農業経営より宅地として供給するほうが地主にとってより有利になったことによる。

 資本家による都市開発の動きはより限定的であったが、浅野系企業による京浜地域の埋め立てなどの大規模開発の例が見られた。一方都市公共団体は、工業化にともなう公害問題の所在を認識する一方、工場誘致の必要性を認めた。生活環境の保護と産業開発という二つの相反する要請を解決する手段として、名古屋・横浜等一部の都市では用途地域制が都市公共団体によって構想されるにいたった。しかし当時の都市公共団体には工場立地の実態をふまえた施策を行うという姿勢が希薄であっただけでなく、用途地域制を実施するための手段が用意されていなかった。

 第2章では、1919年に制定された都市計画法・市街地建築物法に基づく公的規制と工場立地の実態との関係が1920年代を対象として検討される。ケースとしては、民間による土地区画整理事業の実施面積が広かった東京・川崎・名古屋の3都市が選択されている。土地区画整理事業は、耕地整理法を読み替える形で都市計画法に規定された制度であった。公的な都市計画が民間の都市開発をどの程度まで統制できたかに検討の焦点が絞られている。

 都市計画法に基づく土地区画整理事業には小作人は関与することができず、そのために同事業はしばしば小作争議の原因となった。しかし東京の場合、慣行小作権が存在せず、また宅地へ随時転換することを条件に小作料が低減される場合が多かったため、大きな摩擦を生じることなく土地区画整理が進展した。名古屋の場合、「鍬先権」と呼ばれる慣行小作権が存在したことから、その補償を求める小作争議が頻発した。しかし、慣行小作権の存在は逆に地主の宅地化へのインセンティブを高める面があり、そのため高額の補償をともないつつ区画整理が進展した。

 都市計画法は、耕地整理事業のほかに用途地域制を規定していた。これは、市街地建築物法に基づく用途地域制を都市計画の一環として実施するものであり、用途地域は住居・商業・工業・未指定の4種とされた。用途地域の指定を通じて都市における土地利用の分化を進めることがこの制度のねらいであった。しかし、都市計画法にもとづく用途地域指定には、その決定が府県単位の都市計画地方委員会で行われて都市公共団体の自主性が認められない、指定が工業化に関する当時の実態を追認する形で行われたなどの限界があった。著者は都市公共団体の自主性の欠如を都市計画の「官治的」性格と見なしている。

 次に、都市計画法の制定に基づく都市計画事業および耕地整理事業と用途地域制との関係が、東京と名古屋の事例について検討される。東京では用途地域の指定にもかかわらず、それが耕地整理事業および都市計画事業に反映されることはなかった。他方名古屋では、行政当局の都市計画が地主による耕地整理事業を組み込み、用途地域制に適合した土地造成の誘導が図られた。しかし結果的にはいずれの都市においても1920年代に、工業地域以外における工場立地、工業地域の宅地化などが進展するなど、用途地域制の効果は小さかった。その基本的な理由を著者は、市場原理に基づく土地売買を統制する手法が行政当局によって開発されなかったことに求めている。名古屋においてさえ、都市公共団体のコントロールは土地商品の内容や価格に及んでいなかった。

 第3章では、1930年代における大きなマクロ経済の変動と急速な工業化が都市計画に与えた影響が検討される。昭和恐慌下で中小企業団体による地域指定の変更要求が活発に提起された。不適格工場の移転のための財政的な基盤が欠けていること、工業用地に指定された地域に適切な産業基盤が用意されていないことなどがその理由である。これに対して市街地建築物法施行令の改正による規制緩和・猶予期間延長と地域指定の変更が行われた。これは結果的に、土地利用計画が現実の工業開発を追認するという事態をもたらした。著者は上の経過を東京・川崎・名古屋・静岡について実証している。

 第4章では、日中・太平洋戦争期における民間軍需工場の立地と土地利用計画の関係が検討される。戦時期には都市計画の理念として防空が強調され、さらに1940年代に入ると土地利用計画に基づく産業配置という観点から全国レベルの国土計画が策定されるようになった。しかし著者は、こうした都市計画・国土計画が実体化しなかった点を強調する。戦時期には都市計画法に基づく公共団体施行の土地区画整理事業が増加し、民間の土地区画整理事業とともに工場用地を供給する役割を果たしたが、これら事業は必ずしも用途地域制にしたがっていなかった。また工場用地の選定にあたっては戦時期においても基本的に企業が主体となっていた。

 その理由として著者は、軍需生産を拡大するという要請が都市計画・国土計画に優越したこと、および計画にしたがって土地供給を誘導する手法が戦時期にも依然として未開発のままであったことを挙げている。工場立地のために必要な土地は、ナチス・ドイツで見られたような法に基づく計画によってではなく、地縁的な人間関係と軍部・警察の強権的圧力によって確保された。

 第5章では、戦後の国土計画の性格が、川崎と鶴岡の事例を通して戦時期との連続と断絶に注目する観点から検討される。戦後、国土計画の理念は防空から民主主義国家建設にふたたび転換した。他方で、戦争末期の国土計画で強調された食糧確保・資源開発という目的は戦後の国土計画に継承された。戦災復興都市計画、中小都市建設構想はこのような理念を具体化したものであった。しかしこれらの計画・構想にしたがって土地利用の統制が進展したわけではなかった。その理由は、第一に土地供給を誘導する手法が開発されていないという戦前以来の事情、第二に農地に対する耕作者の権利が強化されたという戦後あらたに生じた事情にあるとされる。

 以上の検討をふまえて終章では、近現代日本における私的土地利用の公的統制の特質が論じられる。著者は、市場原理と土地商品の利用を統制する原理という二つの異質な原理が都市計画の中に混在していることが日本の特質であったとし、そのため市場を媒介とした土地利用によって計画と用途地域指定が絶えず修正を余儀なくされたことを強調する。最後に著者は、この特質が戦後の高度成長の過程で進んだ工場立地と都市住環境の矛盾の原因であったことを指摘して本論文を結んでいる。

 本論文は、戦前から戦後に至る長い期間を対象として、都市計画と用途地域指定、民間・行政当局による土地造成、工場立地の実態の三点とこれらの相互関係を一貫した視点から実証的に追求した研究である。このように日本の都市計画と工場立地の関連に着目した包括的な研究が従来なかったことを考慮すると、本論文は研究史に新しい一頁を加えたものとして高く評価することができる。東京・名古屋・静岡・鶴岡等に関する事例研究は、土地利用計画(ゾーニング)と現実の地域開発の関係を、都市近郊の区画整理事業に関連づけながら、私的利害と公的利害の両面に注目して分析した実証研究としても貴重な成果である。多様な利害の分析については、なお検討の余地があるとはいえ、今後の研究に足がかりを与えた意味は大きい。

 ただし残された問題も少なくない。もっとも大きな問題点は、結論部分の日本における土地利用統制の特質に関する議論が説得力に欠ける点である。十分な国際比較を行うことなく日本の特質を論じることは、手続き的に見ても適切であるとはいえない。また、副題に含まれ、本論文のキーワードとなっている「統制」という概念の用い方が適切かどうかについても疑問の余地がある。さらに、関東大震災と第二次世界大戦期の戦災の位置づけが不明確な点は、先行研究との関係からも問題であろう。

 しかし、これらの問題点は上述した本論文の価値を打ち消すものではない。本論文は、著者が経済史の研究分野で自立した研究者として十分な研究能力を持っていることを示しており、本委員会は全員一致で沼尻晃伸氏が博士(経済学)の授与に値すると結論した。

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