学位論文要旨



No 113952
著者(漢字) 樋口,隆正
著者(英字)
著者(カナ) ヒグチ,タカマサ
標題(和) 日本における失業対策の展開 : 戦間期労働市場の分析と雇用・失業状況に関する一考察
標題(洋)
報告番号 113952
報告番号 甲13952
学位授与日 1999.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第128号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 原,朗
 東京大学 教授 加瀬,和俊
 東京大学 教授 西田,美昭
 東京大学 助教授 小野塚,知二
内容要旨

 本論文の課題は、日本資本主義の発展・変動の過程とその矛盾を、失業状況を取り上げて考察することにある。具体的には、都市労働市場の問題と、失業対策が必要とされるに至った経緯、および失業対策の展開と限界を考察することである。時期としては、1920-35年を取り扱う。

 失業対策の諸施策は、第一次大戦終結以降、ヨーロッパで先行する制度を移植したものである。本論文では、従来省みられることのなかった史実を取り上げながら、第一次大戦後・関東大震災・昭和恐慌の各時期を取り上げる。この三つの時期を取り上げて、都市労働市場の構造と失業対策の展開を考察するのが目標である。

 都市労働市場の構造を検討するのは、隅谷三喜男の提起した都市雑業層が、どのような条件の下で、賃労働の給源として機能するのかを解明することを通じて、労働力商品の持つ特殊性の問題を考察するためである。都市雑業層における労働面・生活面における労働者の営為を追究することで、賃労働⇔雑業という労働力の移動・職業転換の問題を、再検討する所以である。

 ここでは、労働力商品の持つ特殊性の問題として、労働者の行動様式・意識の問題、また労働力商品の性格に由来する階層性の問題を考究する。

 都市雑業層という規定は、資本蓄積に対応した労働力需要の構造を考察する際に、導き出される。隅谷によると、都市の労働市場は、大企業・中小企業および雑業の三つに区分される。

 都市雑業層が、賃労働のプールであるというのは、この都市階層が、景気変動に伴って、賃労働の量的調節機能を持つことを意味する。不況となり、賃労働需要が減少すると、一部の工場解雇者は農村に還流するものの、長期間農家に滞留することができず、大部分は、都市雑業層の中に再流出することとなる。したがって、工場解雇者が、どのような状況の下で工場に再雇用されるのか、またその失業期間中、どのような生活を営み、都市に滞留していたのかという問題を解明することは、都市労働市場における雑業層の持つ意義を考察する際に、不可欠な作業であるように思われる。

 工場解雇者が都市に滞留するのか、あるいは他の地域へ移動するのかは、他地域の臨時工労賃と、在住都市の雑業労賃の高低によって規定された。在住都市の雑業労賃が高ければ、工場解雇者は都市に滞留した。一方、他地域の臨時工労賃が高ければ、工場解雇者の移動が生じた。

 原蓄期の都市に形成された労働市場の重層的な構造が、階層間格差を拡大させながら存続していったというのは、諸説一致している。特に、第一次世界大戦後において、労賃が下方硬直性を示す中で、工場労働者は、生活水準を高めていく。戦間期において、失業の問題がクローズ・アップされるのは、相対的に高い生活水準を享受した工場労働者と、生活水準の構築に遅れを取った貧民層の狭間に、工場解雇者が、一つの層として位置付けられることを一因としている。戦間期における都市労働市場の構造を、三層構造として考察する所以である。

 第一次大戦後においては、解雇されたときの工場労働者の状況が、それ以前の時期と比較して、より危機的、深刻なものとなった。第一次大戦後には、労働者の流動性が著しく低下した。特定経営への定着性が高まるとともに、重工業大経営に勤務する労働者の収入は、相対的に高まった。このことは、生活水準の点で、「下層社会」との間の格差を押し広げたことを意味する。しかしながら、その反面、一旦上昇した生活水準が、解雇によって低下することになり、また再就職に関しても、以前の時期より困難となったから、工場解雇者を取り巻く状況は、より深刻なものであったと考えられる。

 失業対策とは、資本主義の下で発生した失業問題への対策のことを指す。事業の種類としては、職業紹介事業・失業救済事業・失業保険制度の三つが挙げられる。本論文では、労働市場の構造の問題を念頭におきながら、職業紹介事業と失業救済事業の問題を取り上げる。

 第一次大戦後、戦勝国・「一等国」として、社会政策の枠組みが採用され、失業対策として、まず職業紹介事業が開始された。救貧政策の段階から、失業政策へと転換していく一つの契機は、職業紹介事業が整備されたことにある。職業紹介事業の実施を通じて、貧困の原因に対する認識も変化せざるを得ない。工業労働者を取り巻く状況を勘案し、その失業状況に対応する政策が創始されたのである。

 職業紹介事業による雇用調整は、労働需要の減退とともに、1920年代中葉に問題を生ずることになるのだが、その問題は、同時に、工業失業者と貧民層の階層的な差異を露呈するものであった。都市に滞留する工場解雇者の救済を継続するため、1925年冬季から、失業救済事業が開始された。政府の資金援助の下に、地方公共団体が雇用を創出し、これを求職者に提供する制度である。

 本論文では、第一次大戦後・関東大震災・昭和恐慌の三つの時期を取り上げて、都市の労働市場にどのような問題があったのか、その問題に政策的にどのように対処したのか、そしてその政策の効果と問題点とは何であったのかを考察することを目標とする。

 第一章と第二章は、第一次大戦後・関東大震災における、職業紹介事業の活動に関する考察である。職業紹介事業とは、労働需要(工場・会社・商店・土木建築の求人)と労働供給(求職者)を結び付けることで、失業状況の軽減を図る事業である。従来の研究においては、この事業は、それ自体雇用を創出するものではなく、単なる需給調整機関に過ぎないという理由で、失業対策としては有効なものではなかったと評価されてきた。この点について、本論文では、雇用調整の果たした役割とその歴史的な意義を評価することになる。

 第三章は、昭和恐慌下における都市の失業状況、および失業救済事業に関する考究である。失業救済事業とは、政府・地方公共団本が日傭労働需要を創出し、これを失業者に提供することで、失業状況の軽減を図る事業である。これまでの研究では、失業救済事業は、戦前期日本には失業保険制度がなく、政府・支配層の反福祉的態度とも関連して、失業保険制度の代替策として起業された事業であると位置付けられた。それに対して本論文では、第一に失業統計、および救済事業の実施過程の検討を通じて、当時の失業状況に関して再検討する。続いて、この事業の就労者が、昭和恐慌からの景気回復過程の中で示した求職行動を考察する。

 以上の研究を通じて、戦前期日本における失業対策の展開に関して、都市労働市場・失業状況の分析を踏まえながら検討することが、本論文の課題なのである。

 なお、参考論文では、失業保険制度に関する検討を行った。ここでは、戦前期・戦時期における失業対策が、戦後の失業対策をどのように規定したのかという、政策論に関する検討を試みた。内容的に、博士論文・本論の副題には則していないという理由で、別冊の体裁を取ることにした次第である。本論における政策論の延長として、戦後への展望・分析視角を提示した。

審査要旨 1

 著者は、「日本資本主義の発展・変動の過程とその矛盾を、失業状況を取り上げて考察すること」を意図し、本論文の課題を、1920〜30年代における失業問題の実態と、それに対応した失業対策の論理を実証的に解明することに置き、都市労働市場における工場解雇者と日雇い労働者との階層的差異に着目するという新たな視点を提示している。具体的な分析は、第一次大戦後・関東大震災・昭和恐慌に区分して、以下のような構成で展開されている。

 序章 課題の設定

 第一章 第一次大戦後における職業紹介事業の展開

 はじめに

 第一節 都市失業問題と職業紹介事業

 第二節 普通職業紹介事業と工場解雇者

 第三節 第一次大戦後における労務管理の様態と都市化

 第四節 日傭労働紹介の進展

 むすび

 第二章 関東大震災における職業紹介事業の展開

 はじめに

 第一節 関東大震災前後をめぐる労働市場の状況

 第二節 職業紹介事業の全面的展開

 第三節 失業救済策の維持と震災調査

 第四節 職業紹介事業の限界と失業対策の再検討

 むすび

 第三章 昭和恐慌下都市失業問題と失業救済事業の展開

 はじめに

 第一節 調査対象の特定

 第二節 失業反対運動

 第三節 失業救済事業の起業

 第四節 東京における失業救済事業の実施状況

 第五節 景気回復過程における失業救済事業の問題

 むすび

 結語

2

 序章では、本論文の課題を明らかにするために、隅谷三喜男や氏原正治郎、加瀬和俊などの先行研究が検討され、その中から、都市雑業層には異なるタイプの失業者がふくまれていたことに留意して失業問題を分析すべきだとの視点--これを著者は「内部層別化」とよんでいる--にたち、失職した工場労働者の求職行動を解明するモデルが提示される。都市雑業層の中に流出した工場解雇者が、どのような状況の下で工場に再雇用されるのか、またその失業期間中、どのような生活を営み、都市に滞留していたのかという問題を解明することが必要だというわけである。

 第一章では、第一次大戦後に発生した集団的・組織的な解雇に対応した職業紹介事業の活動が具体的な事例に則して分析され、重工業大経営を解雇された労働者が、他地域の臨時工の求人があってもそれに就くことをせず、日雇ないしは雑多な自営業等に従事することを選好する傾向が強かったことが明らかにされる。その背景には、20年代の重工業大経営において本工と臨時工との重層的な労務管理方式が導入され、その結果として臨時工の採用条件が芳しくなく且つ不安定だったことが指摘される。その一方で、著者は、そうした労働市場の条件の下で、労働者自身が家族就業の状況などの理由もあって現住地の再就職を希望し、遠隔地の臨時工への斡旋に応募しなかったことを強調する。このような解雇労働者のビヘイビアは、都市労働市場において、日雇労働者とは異なる労働者群を雑業層に滞留させることになった。

 第二章では、1923年の関東大震災にともなう労働市場の混乱、大量失業の発生に際しての職業紹介事業の展開を、豊富な一次資料に基づいて政策立案者の判断過程に内在して分析する。そのなかで著者は、失業対策が失業救済事業の起業へと拡大されていく契機として、震災をきっかけとする失業問題の深刻化がとりわけ都市在住の解雇労働者に現れたことを強調する。「都市に滞留する工場解雇者の救済を継続するため、1925年冬季から、失業救済事業が開始された」というのがこの章での著者の主張である。

 第三章では、昭和恐慌下の失業状況を検討するとともに、失業救済事業の施行状況を、主として東京を事例として分析する。職業別・年令階層別など失業状況が明らかにされるとともに、労働者の「失業反対運動」の展開が失業政策の拡大を促したこと、特定の階層・職種で深刻化する失業状況に対応した施策が実施されたことを、著者は強調している。

3

 以上のような内容を持つ本論文についてとくに評価すべき点は、第一に、都市雑業層のなかに工場解雇者という、貧民層とは異なる階層が存在したことを、彼らの独特の求職行動に注目することを通して明確化したことであろう。こうした認識は、単に賃金水準の高低などの労働条件だけでなく、さまざまな社会的な条件を含めた複合的な要因が労働者の社会的移動には影響を与えるとした、著者の着想のユニークさに由来している。これに基づいて、著者は「戦間期において、失業の問題がクローズ・アップされるのは、相対的に高い生活水準を享受した工場労働者と、生活水準の構築に遅れを取った貧民層の狭間に、工場解雇者が、一つの層として位置付けられることを一因としている」と主張しているが、この点は今後労働市場のあり方を検討するうえで考慮すべき論点となろう。

 第二に、丹念な資料の渉猟と検討を通して、著者は、震災後の失業政策の展開過程や、昭和恐慌期の失業実態などについて、多くの事実を明らかにした。この実証面での貢献も本論文の貴重な成果として評価すべきであろう。

 第三は、これまで制度史的な検討に偏りがちであった失業政策史の研究のなかで、加瀬和俊の先行研究に学びながら、景気の循環過程への対応というよりは、労働市場の独特の構造との関連で失業政策の展開を検討するという分析枠組みを提示したことである。後述のようにこの試みは未完のままに終わっているが、著者の意欲的な取り組みは評価に値するものである。

 他方、本論文には多くの問題点が残っている。

 論文全体を通して論旨が不鮮明で表現が未熟な面が散見されることは別としても、第一に、労働市場のあり方と失業政策の展開とをどのようなかたちで関連づけるかという点について曖昧さが残っていることが問題であろう。仮に著者がいうように都市雑業層が異なる失業者群を含んでいたとして、政策立案・実施者はそれをどのように認識し、どのような対応を選択したのかが、著者の関心からすれば重要な論点となるであろうが、本論文では、この点について明確な論理が構成されているとは思われない。たとえば、職業紹介事業では普通職業紹介と日雇職業紹介とが分けられ、前者の不成績が問題となっていながら、なぜ失業救済事業は、日雇い職種への労働機会の提供に傾斜していくのかなどの問題を具体的に論じるべきであろう。

 第二に、これに関連して、第三章の失業実態の分析において、都市雑業層の二つの階層に即した分析が部分的にしか行われていないこと、また、失業反対運動についても、それが失業政策の展開に与えた影響という点での重要性は認めうるとしても、ここで論じられているのは失業問題一般ではないかとの疑問は拭い得ない。

 第三に、著者が強調する工場解雇者の特異な求職行動についての理解も、取り上げられている呉海軍工廠、三菱長崎造船所の事例から見て、どこまで一般化できるかには疑問がある。家族をかかえた工場解雇者にとって居住地を変更することは必ずしも容易ではなく、特に提示された新たな就業機会が臨時工など安定度の劣る場合には、その就業機会に応じることを見合わせて現住地において雑業的就業機会に甘んじるという行動をとることは十分に想定できるし、著者があげている職業紹介の結果についての記述もほぼそうした理解と見合っているが、より一層明確な実証的な根拠を示し、より説得的に論旨を展開することが求められよう。

 以上の諸点は、著者が本論文で示した実証的分析への真摯な取り組みが、結果的には、あれやこれやの史実に振りわされて論理的な詰めという点で再検討の余地を残したことを意味しており、今後の著者の課題として明記されるべきであろう。

 しかしながら、このような問題点も、本論文の成果を否定し尽くすものではない。本論文を通じて示された実証性、着眼点のユニークさなどからみて、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることは明らかである。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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