本論は、詩や文学作品を教材とした授業(以下「詩や文学の授業」と略記)において、子どもや教師が作品を読み追求することにより、彼らの生が如何に変化するのか、また追求に応じて作品の世界が彼らに如何に開かれるのかを、授業での彼らの言葉をもとに、主としてハイデッガーの詩作的思索を導きとして記述し解明することを課題としている。 詩や文学の授業では、しばしば、子どもや教師の「イメージ」やイメージする「視点」、あるいは作者や登場人物の「体験」の理解が問題にされ、授業研究ではこうした主導的な概念に基づき彼らの生が考察される。しかし、こうした実践や研究は、直接依拠するか否かは別として、大正期から昭和初期にかけて垣内松三や西尾実により創設された「形象理論」の影響を強く受けている。そこで本論は、第I部で、形象理論を再検討し、子どもや教師の教材解釈や、授業を研究する我々自身を規定している先行的枠組みの一端を明確化し、我々が授業をより深く豊かに生き解明することを試みる。 従来の形象理論研究では、形象理論の中心概念である「形象」は、相互に矛盾した仕方で理解されてきた。すなわち、一方で形象は、作品のなかに客観的に存立するものとみなされ、形象をとらえようとする読み手の姿勢は、読み手の主体的な解釈の余地のない「正解到達方式」とみなされてきた。他方で形象は、読み手が想像する「イメージ」と同一視されてきた。本論はこうした先行研究の問題点を指摘し、読み手の生に即して垣内の論述を再検討する必要性を論じた。そして、垣内にとって形象は、彼以前の読み方教育を支配していた「語学主義」と「直覚主義」の根底にある「主観と客観の分裂」とよばれる問題を克服するための主導的な概念であり、形象は作品のなかに客観的に存立するものでも、また読み手が主観的に構築するものでもないことを指摘した。 垣内は、読み手による作品の理会に、「叙述的機構型理会」と「示現的機構型理会」と「象徴的機構型理会」という異なった在り方を指摘し、形象理論の中心に据えた。しかし、従来の形象理論研究では、こうした形象の理会は、単に作品の形式と内容との弁証法的止揚とみなされるにとどまる。そこで本論は、垣内が依拠したディルタイの、生や理会や表現についての思索にまで遡ることにより、理会の三つの在り方についての垣内の論述が、主観と客観が分裂する以前の、読み手と作者ないし登場人物との生の交渉の解明であり、読み手が己の生の狭隘さを如何に乗り越えるかを理論化するものであることを明らかにする。本論の考察によれば、「叙述的機構型理会」は、作品の言葉が「語るものそのもの」を読み手が認識することであり、語句の辞書的な意味の認識にはじまり、言葉の指示対象を表象したり、作品の所謂「主題」を理解することである。また、「示現的機構型理会」は、語り手が「語らんと欲せしもの」をとらえ、作品により明示的に表現された感情や体験をとらえることである。さらに、「象徴的機構型理会」は、語り手が「語らんと欲して語らざりしもの」へと向かい、語り手や登場人物の生の連関に読み手が引き込まれ、作品により明示的には表現されていない生の連関を、当の生を秩序づけ統一化する生そのものの形象化作用に沿って理会することである。 また、西尾は、垣内が主題的に解明することのなかった感情の働きに着目し、ヘルンに従って、形象の理会を、「感情即事実の融即関係」において事物の固有の「顔」を直観することとみなす。だが、西尾はさらに、彼が生涯携わった『徒然草』研究での各段の解釈のなかで、個々の事物の「顔」を直観せしめる感情ばかりでなく、各段全体ないしは作品全体を貫き響いている気分を指摘し、これを「韻律的感銘」や「もののあはれ」とよぶ。この気分は、ヘルンに依拠して解明された感情よりも深いものであったが、西尾により十分に解明されたわけではない。この点に関しては、本論第II部での解明の課題となる。 第II部では、斎藤喜博や武田常夫の授業をとりあげ、形象理論の不十分さを、ハイデッガーの記述に基づいて克服することを試みる。 まず、斎藤の授業記録をたどりつつ、形象理論に基づき事例研究を行う。形象理論に従えば、新美南吉の『島』を教材とした授業のなかで、子どもたちは、叙述的機構型理会から示現的機構型理会へといたり、さらには、詩で表現されている事物を喜ばしさの「顔」において直観したり、詩によって明示的には表現されていない登場人物の体験や出来事を登場人物と共に追憶しつつ語り出すにいたることが明らかになる。だが、授業での追求がさらに深まると、子どもたちには、ゆたかさとまずしさ、喜びと悲しみといった相互に対立する規定性が、因果関係によってではなく、また生の連関によってでもなく、同時に一体となって襲来するようになる。それゆえ、このときの子どもの呟きや、この呟きを聞く他の子どもたちの沈黙は、因果論的な思考や形象理論では十分に記述できず、記述のためには、形象理論とは異なった概念や枠組みが必要になる。 そこで、ハイデッガーの思索を導きとすることにより、まず、「主観と客観の分裂」は、決して「分裂」ではなく、主観が存在者を対象として前に立て表象することによって生じるものであり、表象することにおいて自ずから連関していることが明らかにされた。さらに、ハイデッガーによる存在者と存在との区別に着目することにより、単に特定の存在者を表象したり他者の体験を理会するときの生ばかりでなく、何ら特定の存在者に関わらず、いかなる存在者でもない存在の開けへと開放されるという人間すなわち現存在の固有の存在が記述される。こうした思索を導きとすることにより、『島』の授業での子どもの呟きや沈黙は、特定の出来事や体験を表象したり理会するときには塞がれてしまう現われの場へと己を開放するときの現存在の存在をあらわならしめるものとして記述される。また、こうした開けへと開放され滞留するならば、授業のなかでそれまでは個別に理会されてきたゆたかさや喜ばしさといった出来事や諸体験は、まずしさや悲しさと一体となったものとして子どもたちに現れてくることが解明される。 次に、ハイデッガーのいう「世界」、すなわち現存在が何らかの存在者に固有の仕方で態度をとることを可能にし指示しているところの「世界」に着目して、授業記録を追うことにより、子どもや教師が追求しとらえようとしていることは、登場人物の性格や特定の体験や生の連関にとどまらず、登場人物の「世界」であることが明らかになる。また、授業での追求を通して、この「世界」を生きるときの子どもや教師の生き方そのものが非主題的なレベルで変化し深められていく過程が、記述される。 また、第I部では十分に論述しきれなかった西尾の「韻律的感銘」を、「もののあはれ」についての和辻哲郎の思索と、相互対立的規定性についてのヘルトの思索とを導きとして考察することにより、この気分においては、確固とした同一性と統一性をもった対象や形象が現れるわけではなく、同一性が措定される以前の純粋な規定性の世界が開かれる、ということが解明される。このことに基づき、西尾のいう「韻律的感銘」を導きとして、斎藤の授業における子どもや教師の生の遂行を記述した。 最後に、詩作における詩人の経験についてのハイデッガーの詩作的思索から、詩人の言葉は、単に何らかの表象を伝達するだけでも、また体験を後から表現したり、諸体験を形象化し連関せしめ「象徴」するだけもでなく、存在者が現れるための現前の場を開示し授けてもいることが解明される。この解明に基づき、村野四郎の『鹿』を教材とした授業記録をたどることにより、この授業の後半での子どもや教師の言葉は、この言葉を聞く者をして、詩句の「問いかけ」に、単に肯定や否定といった論理学的な仕方で答えるのではなく、この「問いかけ」に訴えかけられるという仕方で、詩句が開くところへと己を放ち入れることを要求し、単なる「韻律」としては表象できない詩の固有の「リズム」に聞き従うことを促していることが明らかになる。また、この要求に従いながら詩の「リズム」を彼らと共に聞くことにより、詩の言葉や教師の語りは、子どもたちや我々を、何者にもとらわれることのない登場人物の独自の在り方へと開放し、登場人物にとっての見慣れた事物やかつての体験に対して自由に開かれうる可能性と、これらが固有の輝きをもって美しく現れうる可能性とを、子どもたちや我々に存在せしめ生きさせることが明らかになる。 以上の解明を介して、子どもや教師の言葉を聞く者の聞き方もまた、変化することになる。すなわち形象理論に従えば、授業での子どもや教師の言葉は、彼らにより既に生きられた体験を後から表現するものとして聞かれる。だが、詩作的思索に従えば、彼らの言葉は、当の言葉を語る以前には存在者を表象することにより塞がれていた存在の開けを、語る者自身に、また授業で当の語りを聞いている他の子どもたちに、さらには当の語りを聞く我々にも新たに開示するものとして聞かれることになる。以上のことから、授業研究においては、研究する我々自身の聞き方を振り返り、歴史的にも問い直しつつ、授業での子どもや教師の言葉や沈黙へと慎重に聞き入り、彼らの言葉や沈黙により開示されることを、当の事柄に即して言葉にしていくことが新たに求められることになる。 |