学位論文要旨



No 113970
著者(漢字) 高岡,美佳
著者(英字)
著者(カナ) タカオカ,ミカ
標題(和) 戦後日本の小売業態と取引制度
標題(洋)
報告番号 113970
報告番号 甲13970
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第130号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 助教授 谷本,雅之
内容要旨

 第2次世界大戦後の日本においては、時間の推移とともに、小売業態の主役がめまぐるしく交代した。戦後復興期の百貨店、高度経済成長期のスーパーマーケット、安定成長期のコンビニエンス・ストアが、それである。本稿の課題は、この小売業態の主役交代にともなって生じた取引制度上の諸問題を実証的および理論的に分析することにある。本論文の構成は次の通りである。

 第1章課題と視角

 第2章戦後復興期の百貨店と委託仕入制度の導入

 第3章高度経済成長期のスーパーマーケットと既存の問屋制度の活用

 第4章安定成長期のコンビニエンス・ストアとフランチャイズ・システムの採用

 第5章総括と展望

 上で掲げた課題を達成するために、本論文は、以下の三つの分析視角を採用する。

 第1の視角は、需要からの接近である。つまり、小売業態の主役交代の直接的な要因を、需要の内容の変化やそのあり方の変化に求めるということである。

 第2の視角は、取引制度の視点の導入である。需要の変化に対応しようとする時小売企業は、それを可能にする経営資源をいかに調達するかという問題に直面する。そして、小売企業は、この問題を解決する過程で、最適な取引制度の構築に取り組むのである。

 第3の視角は、関係経済主体の戦略的行動への注目である。小売業態の主役交代にともなう新しい取引制度の採用や既存の取引制度の活用は、それらの制度に関与する経済主体の戦略的行動の結果でもある。戦後日本流通史のダイナミズムに光を当てるためには、小売業態の主役交代にともなう新取引制度の採用や既存取引制度の活用に関与した、これらの経済主体の動向に目を向けることが重要なのである。

 本論文の検討結果を要約すると以下のようになる。

 第2章では、戦後復興期における百貨店と委託仕入制度の導入について検討した。

 戦後復興期の日本では、「衣」の洋風化という需要の内容の変化が生じ、百貨店にとっての成長機会がもたらされた。しかし、当該期の百貨店には、この成長機会をとらえるために必要とされる資源が不足していた。結果的に洋服の品揃えという点で他の小売業態を圧倒する優位性を確立した百貨店は、1957年の第2次百貨店法による公的規制を喚起するほどの成長を実現したが、それは、不足する人的資源および資金を、納入業者との間に構築した委託仕入制度という垂直的な取引制度によって、補完することができたからである。戦前以来、百貨店と納入業者との間では返品制度が構築されていたが、戦後、「衣」の洋風化にともない商品所有リスクが増大したという事情は、この返品制度のもとで、商品所有リスクの分担をめぐって機会主義的行動を横行させることになった。これに対して、返品制度に代わって導入された委託仕入制度は、この機会主義的行動を抑制するための費用(ガバナンス費用)を削減したのであり、その経済合理性ゆえに長期にわたって定着することになった。

 以上のような委託仕入制度の導入の経緯は、百貨店の事業行動のみに注目していては、その全容を理解することができない。ある制度が発生するためには、当事者双方にとっての合理性が必要であり、従ってこのケースにおいては、もう一方の当事者の経済主体である納入業者の動向にも目を向けることが必要になる。「衣」の洋風化という需要の内容変化を反映して百貨店納入業者会メンバーの中の洋服問屋の数は戦後復興期に増加したが、それらの中には、戦略的な行動をとる革新的な納入業者が含まれていた。樫山(株)に代表される革新的な納入業者は、百貨店との取引において、短期的には不利であるはずの委託仕入制度や派遣店員制度をむしろ積極的に受入れ、長期的な成果を目指した。従来、百貨店による押しつけだと解釈されてきた委託仕入と派遣店員の両制度の導入は、「衣」の洋風化という生活様式の変化を背景にした百貨店納入業者の戦略的行動の結果だったとみなすこともできる。

 第3章では、高度経済成長期のスーパーマーケットと既存の問屋制度の活用について分析した。

 高度経済成長期の日本で生じた「食」の洋風化という需要の内容の変化は、新業態であるスーパーマーケットにビジネスチャンスをもたらした。スーパーマーケットは、現出したビジネスチャンスを捉えるべく積極的に事業を展開したが、その過程で流通革命論者が示した予想とは異なる企業行動を選択した。つまり、流通革命論者がスーパーは中間段階である卸売商を排除して流通経路を短縮化すると見込んだにもかかわらず、その予想とは裏腹に、日本のスーパーは卸売業者の機能をむしろ積極的に活用したのである。

 高度成長期のスーパーは、チェーン・オペレーションのメリットを最大化し、中小小売業者に対する優位性の源泉となる「低価格販売」を実施するために、急速な店舗展開の必要に迫られたが、そのために必要な資金を十分に持ち合わせてはいなかった。この資金不足を克服する上で重要な意味を持ったのは、支払勘定回転率と商品回転率の差から生じる「回転差資金」であり、その供給者は既存の問屋にほかならなかった。ここで注目すべき点は、日本にスーパーが登場した直後の時期には、スーパーにとって資源の補完相手となったのは、卸売業者の中でも主として二次問屋(地域問屋)だったことである。当時はまだ経営基盤が脆弱だったスーパーは、時には機会主義的行動をとることがあったが、一次問屋がそれを抑制する目的でモニタリングを自ら行なうことは、スーパーの経営規模が小さすぎたため、効率的ではなかった。これに対して、二次問屋の場合は、取引するスーパーの数が限られていたから、モニタリングコストが一次問屋よりも小さくてすんだし、また、一部の戦略的な二次問屋は、スーパーの将来性を見込んで貸し倒れリスクをあえて引き受けた。結果として、高度成長期にはスーパー・二次問屋間である程度継続的な取引関係が構築されたが、このことは、日本において卸売業の多段階性を継続させる一要因ともなった。

 第4章では、安定成長期におけるコンビニエンス・ストアとフランチャイズ・システムの採用について検討した。

 安定成長期の日本では、「時間価値の増大」を受けて「消費の即時化」という新しいニーズが高まったが、この需要のあり方の変化は、新業態であるコンビニエンス・ストアにビジネスチャンスをもたらした。当該期のコンビニエンス・ストア企業は、「消費の即時化」に対応して「立地」・「時間」・「品揃え」からなる「利便性」を実現するために、情報・物流システムを構築する必要に迫られたが、それを達成するには、地域集中的に、そして急速に店舗を展開することが不可欠であった。なぜなら、多額の固定費用を要する情報・物流システムを構築する上で規模の経済を作用させることは避けて通ることのできない課題であったし、物流システムの効率性を確保するためには一定地域に店舗が集中している必要があったからである。また、条件のよい「立地」をめぐって先行者利益が存在したことも、店舗展開のスピードを速める効果をもった。しかしながら、初期のコンビニエンス・ストア企業は、急速に店舗を展開するための必要資金を、十分には持ち合わせていなかった。結果的に、日本のコンビニエンス・ストア企業は、資源調達費用を節約するため、所有権移転費用の大きい中小小売業者の「立地」を買い取らずに利用する方式を選ばざるをえず、フランチャイズ・システムを採用することになった。このことは、販売額の低下等の要因により将来の不安にさらされていた既存の中小小売業者にとっても、小売ノウハウの獲得などの点で歓迎すべきことであった。つまり、両者の間で資源補完メカニズムが作用したわけである。

 ところで、安定成長期日本のコンビニエンス・ストア企業は、成長するにしたがって資源制約から徐々に解放されたが、それにもかかわらず、中小小売業者との間のフランチャイズ・システムは、今日に至るまで定着し続けている。このことは、レギュラー・チェーン・システムに比べてフランチャイズ・チェーン・システムの方が、効率性が高いことを示唆している。この点については、資料上の制約が大きく確実なことは言えないが、フランチャイザーであるコンビニエンス・ストア企業とフランチャイジーである中小小売業者は、互いが最適なサービスを提供することによって関係全体のパフォーマンスを向上させるべく、契約等の面で試行錯誤を繰り返したのであり、その結果、フランチャイズ・チェーン・システムのシステムとしての効率性が上昇した可能性が高いと想定することができる。

 以上のような本稿の各章の検討結果が示すとおり、第2次世界大戦後の日本においては、需要の内容や需要のあり方の変化に対応するために、主役として登場することになったそれぞれの小売業態がさまざまな取引制度を構築した。これらの取引制度は、取引に関与する経済主体の行動を制御するための費用(関係経済主体の機会主義的行動を抑制するためのガバナンス費用や、関係経済主体に望ましい行動をとらせるためのエージェンシー費用)や資源の調達費用など、さまざまな取引費用を削減する機能を果たした。戦後復興期の百貨店・納入業者間で導入された委託仕入制度、高度経済成長期のスーパー・問屋間で維持された商品掛売制度、安定成長期のコンビニエンス・ストア本部企業・中小小売業者間で採用されたフランチャイズ・システムは、各小売業態が需要に適切に対応することを可能としたのであり、その意味で、戦後日本における小売業態の主役交代を支える役割を担ったのである。

審査要旨 1

 本論文は、第2次世界大戦後の日本で生じた小売業態の主役交代に光を当て、それにともなって生じた取引制度上の諸問題について、実証的および理論的な分析を加えることを課題としている。この課題を達成するため、著者は、「需要からの接近」、「取引制度の視点の導入」、「関係経済主体の戦略的行動への注目」という三つの分析視角を採用している。このうち、第1の「需要からの接近」は、小売業態の主役交代の直接的な要因を、需要の内容の変化やそのあり方の変化に求めるということである。第2の「取引制度の視点の導入」とは、需要の変化に対応しようとする小売企業は、それを可能にする経営資源をいかに調達するかという問題に直面し、この問題を解決する過程で、最適な取引制度の構築に取り組むことに着目するものである。第3の「関係経済主体の戦略的行動への注目」とは、小売業態の主役交代を、それに関与した経済主体の戦略的行動の結果として捉え、新取引制度の採用や既存取引制度の活用に関与した経済主体の動向に目を向けることである。

 以上の視点にそって、本論文は、次のような構成で、百貨店、スーパーマーケット、コンビニエンス・ストアを順を追って分析する。

 第1章課題と視角

 第2章戦後復興期の百貨店と委託仕入制度の導入

 第3章高度経済成長期のスーパーマーケットと既存の問屋制度の活用

 第4章安定成長期のコンビニエンス・ストアとフランチャイズ・システムの採用

 第5章総括と展望

2

 本論文の検討結果を要約すると以下のようになる。

 まず、第1章では、論文全体の課題と分析視角が示されている。それらの意味を明確にするために著者は、戦後の日本における小売業態の主役交代の概要を鳥瞰し、経済史・経営史的アプローチ、商業論的アプローチ、応用ミクロ経済学的アプローチなどの先行研究を批判的に検討している。

 第2章では、日本の戦後復興期における百貨店を対象にして、委託仕入制度の導入が検討されている。すなわち、戦後復興期の日本では、「衣」の洋風化という需要の内容の変化が生じ、百貨店にとっての成長機会がもたらされたが、当該期の百貨店には、この成長機会をとらえるために必要とされる資源が不足していた。しかも、百貨店と納入業者との間で構築されていた戦前からの返品制度は、「衣」の洋風化にともなって増大した商品所有リスクの分担をめぐる機会主義的行動の横行によって動揺した。そうしたなかで、百貨店は、不足する人的資源および資金を、納入業者との間に構築した委託仕入制度という垂直的な取引制度によって補完し、この成長機会を捉えることに成功した。返品制度に代わって導入された委託仕入制度は、この機会主義的行動を抑制するための費用(ガバナンス費用)を削減し、その経済合理性ゆえに長期にわたって定着することになった。他方、委託仕入制度の導入に際して納入業者の側にも、同制度をむしろ積極的に受け入れ長期的な成果を追求した、樫山(株)に代表される革新的な納入業者が現れていた。こうした納入業者の戦略的な行動の結果もあって、百貨店との取引において、短期的には不利であるはずの委託仕入制度や派遣店員制度が定着した。

 第3章では、高度経済成長期日本のスーパーマーケットが、「食」の洋風化という需要の内容の変化に対応しするため、既存の問屋制度の活用によって成長機会をつかんだことが論じられる。著者によれば、スーパーマーケットは、現出したビジネスチャンスを捉えるべく積極的に事業を展開したが、その過程で流通革命論者が示した予想とは異なる企業行動を選択した。つまり、中間段階である卸売商を排除して流通経路を短縮化するとの予想とは裏腹に、日本のスーパーマーケットは卸売業者の機能をむしろ積極的に活用し、急速な店舗展開によって発生した資金不足を「回転差資金」により獲得した。このような制度が構築される基盤には、卸売業者の中でも主として二次問屋(地域問屋)のなかに、スーパーマーケットの将来性を見込んで、貸し倒れリスクをあえて引き受ける業者がいたことが重要であった。当時はまだ規模が小さく、経営基盤が脆弱だったスーパーマーケットは、時には機会主義的行動をとることがあったが、それを抑制する目的でモニタリングを行なうコストは一次問屋よりも二次問屋が小さかったからである。こうして高度成長期にはスーパーマーケット・二次問屋間である程度継続的な取引関係が構築されたが、このことは、日本において卸売業の多段階性を継続させる一要因ともなった。

 第4章では、安定成長期の日本におけるコンビニエンス・ストアを対象にして、フランチャイズ・システムの採用が分析されている。著者によれば、安定成長期の日本では、「時間価値の増大」を受けて「消費の即時化」という新しいニーズが高まり、新業態であるコンビニエンス・ストアにビジネスチャンスをもたらした。コンビニエンス・ストア企業は、このチャンスに対応するため、「立地」・「時間」・「品揃え」からなる「利便性」を実現する情報・物流システムを構築する必要に迫られたが、それを達成するには、地域集中的に、そして急速に店舗を展開することが不可欠であった。しかしながら、初期のコンビニエンス・ストア企業は、急速に店舗を展開するための必要資金を、十分には持ち合わせていなかった。そこで、コンビニエンス・ストア企業は、資源調達費用を節約するため、所有権移転費用の大きい中小小売業者の「立地」を買い取らずに利用する方式となるフランチャズ・システムを採用することになった。このことは、販売額の低下等の要因により将来の不安にさらされていた既存の中小小売業者にとっても、小売ノウハウの獲得などの点で歓迎すべきことであった。なお、コンビニエンス・ストア企業が成長するにしたがって資源制約から徐々に解放されたにもかかわらず、中小小売業者との間のフランチャイズ・システムが今日に至るまで定着し続けている理由は、レギュラー・チェーン・システムに比べてフランチャイズ・チェーン・システムの方が、効率性が高いからであろうと著者は推測している。

 第5章では、論文全体の結論がまとめられ、今後の研究の展望・課題が明らかにされる。特に強調されている点は、第1に、第2次は界大戦後の日本においては、需要の内容や需要のあり方の変化に対応するために、主役として登場することになったそれぞれの小売業態がさまざまな取引制度を構築した、第2に、これらの取引制度は、取引に関与する経済主体の行動を制御するための費用(関係経済主体の機会主義的行動を抑制するためのガバナンス費用や、関係経済主体に望ましい行動をとらせるためのエージェンシー費用)や資源の調達費用など、さまざまな取引費用を削減する機能を果たした、第3に、戦後復興期の百貨店・納入業者間で導入された委託仕入制度、高度経済成長期のスーパーマーケット・問屋間で維持された商品掛売制度、安定成長期のコンビニエンス・ストア本部企業・中小小売業者間で採用されたフランチャイズ・システムは、各小売業態が需要に適切に対応することを可能としたのであり、その意味で、戦後日本における小売業態の主役交代を支える役割を担った、などである。

3

 以上のような内容をもつ本論文について、まず第1に評価しなければならない特徴は、本論文の著者が、小売業態の主役交代を明らかにするという鮮明な問題意識に基づき、既存の研究史の批判的検討から導かれた「需要からの接近」、「取引制度の視点の導入」、「関係経済主体の戦略的行動への注目」という三つの分析視角に沿って、戦後の日本で次々と登場した小売業態の主役達が採用したユニークな取引制度を、取引主体間の資源補完メカニズムという切り口によって、一貫した論理で意味づけるようと試みている点である。これは、著者が実証研究と理論研究とを結合しようと意欲的に取り組んだ成果である。

 第2は、戦後日本の流通産業史について、独自の分析視角にもとづいて絞り込まれた研究対象について、委託仕入制度と派遣店員制度の導入、二次問屋とスーパーマーケットとの取引関係における問屋による与信とモニタリング、フランチャイズ制度採用の背景などに着目し、成長の基盤となっている取引制度の形成を明らかにしたことである。とくに、百貨店の成長の基盤となった委託仕入と派遣店員制度に対応した納入業者、新興スーパーマーケットのリスクを引き受けた二次問屋などの「戦略的な行動」に光を当てた点、さらに、スーパーマーケットの生鮮品販売におけるシステム革新に注目したことなどは、小売業史に関する水論文の実証的な貢献として指摘できよう。

 他方、本論文にもいくつかの問題点がある。

 第1に、論文全体の実証的な密度は章が改まるに従って低下しており、成長をもたらしたとされるそれぞれに特徴的な取引制度も、それが決定的に重要であったとするには分析の視野が限定されすぎている。例えば、スーパーマーケットに関しては、二次問屋・スーパーマーケット間でいかなる取引契約が実現されていたのか-引取量の保証はあったか、リベート制度はどのように設計されていたのか-は、二次問屋がなぜリスクの大きい取引に積極的になったかを説明する上で不可欠の論点であろう。また、フランチャイズ契約の内容は、中小小売店主をコンビニエンス・ストア経営に転換させる上でどのようなインセンティブを用意していたのかも、同様であろう。このほか、著者が着目する垂直的な取引関係では、百貨店・納入業者問の委託取引とアパレルの生産体制との関連、スーパーマーケット・食品問屋間の取引と加工食品メーカーとの関係、コンビニエンス・ストアをめぐる製販統合とフランチィズ・システムとの関わりなどについては、十分な分析が行われているとは言いがたい。これらの点について、資料上の限界があることは理解できるが、今後より立ち人った検討が必要であろう。

 第2に、分析枠組みとなっている資源補完メカニズムという論理は、論文に一貫した論理を与えているとはいえ、やや単純にすぎ、分析全体を平板なものとしている。例えば、著者はコンビニエンス・ストアの分析に関連して「資源制約説」と「インセンティブ説」とを対立する仮説として取り扱い、資源制約説の妥当性を、従ってまた資源補完メカニズムがフランチャイズ制度採用の説明としては妥当であることを主張している。しかし、この2つの仮説はもともと対立的に捉えうるものではない。資金、人材、土地などの資源の制約のあるなかで、企業家たちがどのようにこれを克服する制度を構想し、その実現のために関係する経済主体にどのようなインセンティブを与えようとしたのかが、実証的にも理論的にも再検討されなければならない。

 また、仮に形成期については著者の仮説に説明力があるとしても、著者自身が認めているように、この制度の継続にはインセンティブの設計の仕方が重要な意味を持ったとすれば、これと同様の取引制度にいつても、その形成と存続のメカニズムに異なる論理が内在されている可能性がある。そうした意味では、実証研究と理論研究との結合に未完成な点が残っているといわざるを得ない。

 第3に、本論文のキーワードのいくつかに曖昧さがあることを指摘しなければならない。例えば、主要な問題関心となっている「主役の交代」については、登場する主役たちがどのような市場でどのような小売業態と競争しているかという視点を明確にすべきであろう。スーパーマーケットは百貨店と、スーパーマーケットとコンビニエンス・ストアとはそれぞれ競争関係にあるのか、などの論点である。本論文で論じられているのは、小売業において、売上高や経常利益ではかった大企業がいかにして自らの業態を確立させ、大規模化を達成したかであるが、それは「主役」の「交代」を意味するのか。「主役」とは何であり、「交代」とはいかなる事態を表現するのか、改めて吟味する必要があろう。

 また、基本的な分析視角の1つとされる「需要からの接近」について著者は「『衣』の洋風化と『食』の洋風化は需要内容の変化に、『消費の即時化』は需要のあり方の変化に、それぞれ相当するもの」で、「需要内容の変化は需要のあり方の変化に帰結した」と書いているが、この表現の適切さを再吟味する必要があろう。著者の説明によれば、「需要のあり方」とは「小売業がどのようなサービスを提供しているか」という関心を表現しているもので、そうした問題関心から本論文では、百貨店における豊富な商品知識の必要性、スーパーマーケットにおける生鮮食料品の販売システムの構築、コンビニエンス・ストアにおける品揃えや営業時間などの面での「利便性」等が論じられているという。もしそうであるとすれば、これを「需要のあり方」とするのは適切とは思われない。著者の分析視角の有効性は、「衣の洋風化」や「食の洋風化」に代表される商品そのものの変化にではなく、これに触発された新しいサービス生産の形成過程に着目すること可能にした点に表れていると考えられるからである。

 以上のように、本論文は、理論的にも実証的にも問題点を残しているが、それは本論文の成果を否定するものではなく、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることは明らかである。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

UTokyo Repositoryリンク