第2次世界大戦後の日本においては、時間の推移とともに、小売業態の主役がめまぐるしく交代した。戦後復興期の百貨店、高度経済成長期のスーパーマーケット、安定成長期のコンビニエンス・ストアが、それである。本稿の課題は、この小売業態の主役交代にともなって生じた取引制度上の諸問題を実証的および理論的に分析することにある。本論文の構成は次の通りである。 第1章課題と視角 第2章戦後復興期の百貨店と委託仕入制度の導入 第3章高度経済成長期のスーパーマーケットと既存の問屋制度の活用 第4章安定成長期のコンビニエンス・ストアとフランチャイズ・システムの採用 第5章総括と展望 上で掲げた課題を達成するために、本論文は、以下の三つの分析視角を採用する。 第1の視角は、需要からの接近である。つまり、小売業態の主役交代の直接的な要因を、需要の内容の変化やそのあり方の変化に求めるということである。 第2の視角は、取引制度の視点の導入である。需要の変化に対応しようとする時小売企業は、それを可能にする経営資源をいかに調達するかという問題に直面する。そして、小売企業は、この問題を解決する過程で、最適な取引制度の構築に取り組むのである。 第3の視角は、関係経済主体の戦略的行動への注目である。小売業態の主役交代にともなう新しい取引制度の採用や既存の取引制度の活用は、それらの制度に関与する経済主体の戦略的行動の結果でもある。戦後日本流通史のダイナミズムに光を当てるためには、小売業態の主役交代にともなう新取引制度の採用や既存取引制度の活用に関与した、これらの経済主体の動向に目を向けることが重要なのである。 本論文の検討結果を要約すると以下のようになる。 第2章では、戦後復興期における百貨店と委託仕入制度の導入について検討した。 戦後復興期の日本では、「衣」の洋風化という需要の内容の変化が生じ、百貨店にとっての成長機会がもたらされた。しかし、当該期の百貨店には、この成長機会をとらえるために必要とされる資源が不足していた。結果的に洋服の品揃えという点で他の小売業態を圧倒する優位性を確立した百貨店は、1957年の第2次百貨店法による公的規制を喚起するほどの成長を実現したが、それは、不足する人的資源および資金を、納入業者との間に構築した委託仕入制度という垂直的な取引制度によって、補完することができたからである。戦前以来、百貨店と納入業者との間では返品制度が構築されていたが、戦後、「衣」の洋風化にともない商品所有リスクが増大したという事情は、この返品制度のもとで、商品所有リスクの分担をめぐって機会主義的行動を横行させることになった。これに対して、返品制度に代わって導入された委託仕入制度は、この機会主義的行動を抑制するための費用(ガバナンス費用)を削減したのであり、その経済合理性ゆえに長期にわたって定着することになった。 以上のような委託仕入制度の導入の経緯は、百貨店の事業行動のみに注目していては、その全容を理解することができない。ある制度が発生するためには、当事者双方にとっての合理性が必要であり、従ってこのケースにおいては、もう一方の当事者の経済主体である納入業者の動向にも目を向けることが必要になる。「衣」の洋風化という需要の内容変化を反映して百貨店納入業者会メンバーの中の洋服問屋の数は戦後復興期に増加したが、それらの中には、戦略的な行動をとる革新的な納入業者が含まれていた。樫山(株)に代表される革新的な納入業者は、百貨店との取引において、短期的には不利であるはずの委託仕入制度や派遣店員制度をむしろ積極的に受入れ、長期的な成果を目指した。従来、百貨店による押しつけだと解釈されてきた委託仕入と派遣店員の両制度の導入は、「衣」の洋風化という生活様式の変化を背景にした百貨店納入業者の戦略的行動の結果だったとみなすこともできる。 第3章では、高度経済成長期のスーパーマーケットと既存の問屋制度の活用について分析した。 高度経済成長期の日本で生じた「食」の洋風化という需要の内容の変化は、新業態であるスーパーマーケットにビジネスチャンスをもたらした。スーパーマーケットは、現出したビジネスチャンスを捉えるべく積極的に事業を展開したが、その過程で流通革命論者が示した予想とは異なる企業行動を選択した。つまり、流通革命論者がスーパーは中間段階である卸売商を排除して流通経路を短縮化すると見込んだにもかかわらず、その予想とは裏腹に、日本のスーパーは卸売業者の機能をむしろ積極的に活用したのである。 高度成長期のスーパーは、チェーン・オペレーションのメリットを最大化し、中小小売業者に対する優位性の源泉となる「低価格販売」を実施するために、急速な店舗展開の必要に迫られたが、そのために必要な資金を十分に持ち合わせてはいなかった。この資金不足を克服する上で重要な意味を持ったのは、支払勘定回転率と商品回転率の差から生じる「回転差資金」であり、その供給者は既存の問屋にほかならなかった。ここで注目すべき点は、日本にスーパーが登場した直後の時期には、スーパーにとって資源の補完相手となったのは、卸売業者の中でも主として二次問屋(地域問屋)だったことである。当時はまだ経営基盤が脆弱だったスーパーは、時には機会主義的行動をとることがあったが、一次問屋がそれを抑制する目的でモニタリングを自ら行なうことは、スーパーの経営規模が小さすぎたため、効率的ではなかった。これに対して、二次問屋の場合は、取引するスーパーの数が限られていたから、モニタリングコストが一次問屋よりも小さくてすんだし、また、一部の戦略的な二次問屋は、スーパーの将来性を見込んで貸し倒れリスクをあえて引き受けた。結果として、高度成長期にはスーパー・二次問屋間である程度継続的な取引関係が構築されたが、このことは、日本において卸売業の多段階性を継続させる一要因ともなった。 第4章では、安定成長期におけるコンビニエンス・ストアとフランチャイズ・システムの採用について検討した。 安定成長期の日本では、「時間価値の増大」を受けて「消費の即時化」という新しいニーズが高まったが、この需要のあり方の変化は、新業態であるコンビニエンス・ストアにビジネスチャンスをもたらした。当該期のコンビニエンス・ストア企業は、「消費の即時化」に対応して「立地」・「時間」・「品揃え」からなる「利便性」を実現するために、情報・物流システムを構築する必要に迫られたが、それを達成するには、地域集中的に、そして急速に店舗を展開することが不可欠であった。なぜなら、多額の固定費用を要する情報・物流システムを構築する上で規模の経済を作用させることは避けて通ることのできない課題であったし、物流システムの効率性を確保するためには一定地域に店舗が集中している必要があったからである。また、条件のよい「立地」をめぐって先行者利益が存在したことも、店舗展開のスピードを速める効果をもった。しかしながら、初期のコンビニエンス・ストア企業は、急速に店舗を展開するための必要資金を、十分には持ち合わせていなかった。結果的に、日本のコンビニエンス・ストア企業は、資源調達費用を節約するため、所有権移転費用の大きい中小小売業者の「立地」を買い取らずに利用する方式を選ばざるをえず、フランチャイズ・システムを採用することになった。このことは、販売額の低下等の要因により将来の不安にさらされていた既存の中小小売業者にとっても、小売ノウハウの獲得などの点で歓迎すべきことであった。つまり、両者の間で資源補完メカニズムが作用したわけである。 ところで、安定成長期日本のコンビニエンス・ストア企業は、成長するにしたがって資源制約から徐々に解放されたが、それにもかかわらず、中小小売業者との間のフランチャイズ・システムは、今日に至るまで定着し続けている。このことは、レギュラー・チェーン・システムに比べてフランチャイズ・チェーン・システムの方が、効率性が高いことを示唆している。この点については、資料上の制約が大きく確実なことは言えないが、フランチャイザーであるコンビニエンス・ストア企業とフランチャイジーである中小小売業者は、互いが最適なサービスを提供することによって関係全体のパフォーマンスを向上させるべく、契約等の面で試行錯誤を繰り返したのであり、その結果、フランチャイズ・チェーン・システムのシステムとしての効率性が上昇した可能性が高いと想定することができる。 以上のような本稿の各章の検討結果が示すとおり、第2次世界大戦後の日本においては、需要の内容や需要のあり方の変化に対応するために、主役として登場することになったそれぞれの小売業態がさまざまな取引制度を構築した。これらの取引制度は、取引に関与する経済主体の行動を制御するための費用(関係経済主体の機会主義的行動を抑制するためのガバナンス費用や、関係経済主体に望ましい行動をとらせるためのエージェンシー費用)や資源の調達費用など、さまざまな取引費用を削減する機能を果たした。戦後復興期の百貨店・納入業者間で導入された委託仕入制度、高度経済成長期のスーパー・問屋間で維持された商品掛売制度、安定成長期のコンビニエンス・ストア本部企業・中小小売業者間で採用されたフランチャイズ・システムは、各小売業態が需要に適切に対応することを可能としたのであり、その意味で、戦後日本における小売業態の主役交代を支える役割を担ったのである。 |