現代フランスの哲学者ジャック・デリダ(Jacques Derrida)の仕事は、現在の哲学、文芸批評、文化批評の領域一般で広く受け入れられ、彼の提唱した「脱構築」という思考法は哲学的常識になっているにもかかわらず、そこにはいまだ大きな謎がある。彼は1960年代のパリで哲学的活動をはじめ、当初はフッサールの現象学、ソシュールの言語学(構造主義)への内在的批判によって高い評価を得た。しかしその後、1970年代初頭から1980年代にかけて、彼は哲学的とも文学的とも判断しがたい難解なテクストをいくつか公刊している(後期デリダ)。それらのテクストは現在まで、哲学者が行った一種の言語パフォーマンスとして安易に解釈され、そこに秘められた理論的意味を問うという態度で読まれたことがなかった。本論文はその読解を目的としている。 第一章では、本論文全体を導くフォーマットが用意された。私たちはそこではまず、(1)デリダの初めての著作『「幾何学の起源」序説』(1963)の再読を通し、「脱構築」と呼ばれる彼の哲学的方法論が、ヘーゲル的な直線的時間を批判するために、時間の条件法的位相、「……であったかもしれない」時制に注目していることを明らかにした。(2)つぎに、その位相が後期デリダによって「幽霊revenant」という隠喩で呼ばれていることを指摘し、「幽霊」についての記述を理論的に読解する道筋をつけた。(3)そのうえで『シボレート』(1986)の一節を手がかりに、「かもしれない」への注目がもつ倫理的射程、とりわけアウシュヴィッツ問題へのデリダの立場を明確化した。一般に哲学者は「アウシュヴィッツ」という名で示された虐殺の不可視性や記憶不可能性を強調するあまり、事件そのものを神秘化していると思われる。他方でデリダは、殺されたのが誰でもよかったこと、事件が起きなかったかもしれないこと、その不確実性のほうに悲劇性を見出し、その態度を批判する。(4)そして最後に私たちは、90年代のあるインタビューを取り上げ、「かもしれない」への彼の固執は理論的なものであると同時に、デリダ自身の深い実存的懐疑でもあり、後期のテクスト実践もそこに直結していることを示唆した。デリダはひとつのアイデンティティに安住することができず、つねに「ほかでもありえたかもしれない」に脅かされる。その躊躇が、テクストのうえでは「文学的な」実験として現れる。 後期デリダの中心的問題は、「幽霊」に集約される。この分析をより緻密にするため、第二章以下の三章では私たちは、デリダが用いた諸隠喩についての解釈学的注釈を積み重ねる方向ではなく、むしろそこに、ハイデガーやフロイトや他の思想家たちが別のかたちで提示していたものと同質の問題を読み込み、デリダの問題意識をより開かれた議論に差し出す試みを行った。 第二章では新たな観点が導入された。それはデリダが(1)『法の力』(1994)で明記した「脱構築の二つのスタイル」の区別、および(2)『葉書』(1980)で重視した「郵便poste」の隠喩への注目である。そこから二つの議論が導かれた。 (1)私たちは「脱構築」を二つに区別することを提案した。第一の脱構築は、主に前期デリダにより哲学的スタイルで試みられたもので、ひとつのシステムを批判するために、そのシステム内部では論理的に決定できない一点を探し出す形式的-論理的方法論を指示する。私たちはそれを、柄谷行人の示唆を受け「ゲーデル的脱構築」、あるいはデリダのある論文を参照し「否定神学的脱構築」と名付けた。第二の脱構築は、文学的スタイルで試みられたもので、あるシステムを批判するために、そのシステムの単一性そのものを解体し、「システム」としての問題設定自体を無化してしまう「系譜学的」方法論を指示する。私たちはそれを、後期デリダの核心として「デリダ的脱構築」と名付けた。(2)つぎに『葉書』に収められたラカン派精神分析への批判に注目し、さらに二つの結論を導いた。第一にラカンの方法とゲーデル的脱構築は近いこと、したがってラカンへのデリダの批判は、デリダ的脱構築によるゲーデル的脱構築の批判(否定神学批判)として読まれるべきだと思われること。ゲーデル的脱構築は、閉じたシステム(形而上学もしくは超越論的シニフィエの体制と呼ばれる)を解体するには有効である。しかしそれはしばしば、解体対象のシステムを、まさに解体することにおいてメタレヴェルで安定させ承認する危険(超越論的シニフィアンの効果)がある。デリダはそのトリックを厳しく批判した。第二にその批判がデリダにおいては、主に郵便系の隠喩で説かれていること。ゲーデル的脱構築においては「届かない手紙」(=システム内で処理できない事項がひとつだけ存在するが、デリダ的脱構築においては、手紙は細片化され、届かない手紙が無数に生じる。裏返せばデリダは「郵便」の話を通して、システムを解体する二つの異なった哲学的方法論を検討している。『葉書』をはじめとする後期テクストは、ここからかなりの程度解読されると思われる。 以上の分析をうけ第三章では、デリダが「届かない手紙」と呼んだものを、経験的手続きで到達不可能な対象=超越論的対象としてあらためて捉えなおし、後期デリダの試みを、超越論的対象が発生するメカニズムについての新しいタイプの議論として読む作業が展開された。 そこで注目されたのは、(1)『ユリシーズ・グラモフォン』(1987)の電話論、(2)『マルクスの亡霊たち』(1993)の幽霊論、さらに(3)『葉書』第一部で示唆されたメディア論であり、そこからはそれぞれ次の議論が導かれた。(1)後期デリダは、しばしば声の隠喩を主体を複数化し撹乱させるものとして用いていること。「声」は前期では現象学的主体性を示す隠喩であり、したがってこの移動は理論的に注目される。(2)主体を複数化するその新たな声は、デリダにより「幽霊の声」として捉られ、声の幽霊化はメディア(手紙、電話……)の介在で生じると論じられていること。ここで第一章で検討された「幽霊」の問題系は、第二章で導入された郵便的隠喩から捉え直された。(3)デリダが注目したメディア的条件とは、目や耳がそれぞれ別の「今ここ」を感じることで、単一的主体の現前性を担保する現象学的地平が分散され、フッサールの現象学(超越論的シニフィエの哲学)やハイデガーの現存在分析論(超越論的シニフィアンの哲学)が前提する条件そのものが成立しない位相を意味すること。これらの分析により私たちは、郵便的隠喩を用いる(届かない手紙の複数性に注目する)デリダの議論は、ただ新たな哲学的方法論として有効なだけではなく、より認識論的に、フッサールやハイデガーの主体理論を批判する新たな枠組みとしても解釈可能であることを確認した。そしてさらに、デリダのいくつかの発言を手がかりに、ゲーデル的(否定神学的)脱構築はハイデガーから、デリダ的(郵便的)脱構築はフロイトから継承されたことが示唆された。 以上二章の議論により私たちは、デリダの隠喩系のなかで、郵便的脱構築がいかに遂行されているかは十分に整理できた。しかし私たちは、なぜそれが「文学的」テクストで行われねばならなかったのか、二つの脱構築のテクスト上での現れがなぜ対照的なのか、その問いを残している。それを議論するため、第四章では、デリダの試みを今世紀の思想史的文脈に位置づけ、ハイデガー/フロイトの問題意識から何が継承されたかを明確にすることが試みられた。 まず私たちは、[A]哲学的主張(内容)のレヴェルで、(1)前期ハイデガーの現存在分析論が論理学を内在的に乗り越えるものであり、それゆえ否定神学的構造をもっていること、(2)後期ハイデガーの哲学はそれを存在論化したもので、「脱構築」が神秘主義と結合する可能性がすでにここに見られること、(3)フロイトのメタ心理学(精神分析の主体理論)にも同様に否定神学的構造が見られ、ラカンはそれを精緻化したこと、(4)しかしフロイトの精神分析にはそれとは別に、主体を郵便的に(=分散状態で)捉える萌芽もまた宿していたこと、(5)そしてデリダはそれを継承していることの五点を確認した。以上により私たちは、ハイデガー-ラカンの理論的継承線と、フロイト-デリダの理論的継承線の対置を明確にし、デリダの試みを広い思想的文脈で捉えることが可能となった。つぎに私たちは、[B]叙述スタイルのレヴェルで、(1)後期ハイデガーの存在論が、必然的に哲学的固有名と特定のキーワードの沈潜を要請すること、したがってそのテクストは秘教化すること、対照的に(2)デリダの郵便的脱構築は、固有名やキーワードをたえず幽霊化させるために、精神分析的な転移のメカニズムを利用すること、したがってそのテクストは批評対象に依存したきわめて難解かつ重層的なものとなること、の二点を指摘した。そして最後に、たえず「転移」に注目するデリダ的精神分析を私たちの論文そのものに向けた場合、本論文を支える制度的欲望にもまた自覚的であらねばならないことが指摘され、論文は終わりを告げた。 |