学位論文要旨



No 113975
著者(漢字) 金,英男
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンナム
標題(和) 韓国無教会キリスト教思想の研究
標題(洋)
報告番号 113975
報告番号 甲13975
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第193号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 川中子,義勝
 東京大学 教授 塚本,明子
 東京大学 教授 大貫,隆
 東京大学 教授 金井,新二
内容要旨

 本研究は、キリスト教と状況との出会いという問題意識から、韓国無教会キリスト教の思想と運動について、いくつかの側面から分析を試みた。序論では理論的枠組として、キリスト教と文化の相互関係について四つのモデルを提示した。そして、韓国キリスト教史の状況変遷について、これにもとづき次のように解釈した。日本帝国主義時代の緊急な状況で韓国キリスト教は、極端保守的な路線をとる分離・対立的な傾向と妥協する二つの傾向を主におびる。日本帝国主義時代がすぎ、キリスト教と文化の緊張状況が弱くなってくると、キリスト教は、個人の変革を強調する個人変革的な流れと、60年代以後経済、社会、政治問題の中で社会の変革を追求する社会変革的な流れとが現れる。また、伝統文化を重視しながら伝統文化とキリスト教を結びつけようとする混合主義的傾向も現れる。韓国無教会は、分離・対立的傾向を帯びながらも個人変革的な側面ももった、混合主義と社会変革との間にあって勢力としては微弱なキリスト教派である。

 次いで、I部では韓国無教会の指導者だった三人の思想をそれぞれの時代状況と関連づけながら検討した。

 まず、金教臣は、韓国無教会の創始者として韓国無教会思想の基礎をおいた先駆者である。彼が生きていた時代は、キリスト教を迫害する緊張の時代であり、キリスト教の本質を守るためにはその時代の文化と対立せざるを得ない時期であった。また、当時の大部分の韓国キリスト教は、西欧宣教師たちの影響を受けたが、金教臣は独特に日本という支配国から無教会キリスト教を受け入れた。これは彼の思想が民族主義的立場を超えてキリスト教の本質を受け入れようとする傾向があったことと無教会キリスト教にはキリスト教の普遍性が働いていたことによる。彼は聖書の上に朝鮮を立て、危機の祖国朝鮮に福音を通した勝利を与えようとした。しかし金教臣は、韓国キリスト教界から異端として追い立てられる攻撃的状況と、聖書にもとづく朝鮮建設の主張を民族主義者の陰謀として日本帝国主義から疑われるという危機的状況下で、摂理史観と再臨史観をなによりも強く持つことになる。当時は、日本帝国主義による支配という危機的な状況を克服するために、西欧宣教師の力を借りるキリスト教界の流れと、日本帝国主義に妥協してしまう流れとがあったが、そのなかで金教臣は両者いずれにも属さない韓国無教会を成り立たせていく。つまり、金教臣は緊張した状況の中で、聖書の上に朝鮮を立てるという主張を通じて、西欧宣教師の影響下にある保守的キリスト教の流れにも、また日本帝国主義への妥協という状況にも共にくみしない立場を取った。この意味で彼は状況と分離・対立するように見えるが、しかし、1937年を前後して、状況参与的立場がもっと強く現れる。切迫した時代背景のなかで、彼の摂理史観と再臨信仰によって、終末的現在と究極的終末の間の緊張を生きるというはっきりした目標があったためである。これらを通して、彼は巨視的個人変革モデルに近いといえよう。

 宋斗用は、金教臣と同時代の人物として、近・現代韓国無教会の橋渡し役を果たした人である。宋斗用は、無教会思想の平信徒的実践信仰を最も強く表現した思想家と言える。彼も日本留学経験からエリート的要素を持ち得たが、むしろキリスト教信仰を生の中で実践するのに全力を尽くした。彼の思想の中には、体系的な聖書研究はあまり見られず、信仰の純粹性を守るのに自身の生を捧げる姿が彼には著しい。彼は時代の問題に深く介入しなかったゆえに、金教臣ほど時代的状況と対立してはいない。むしろ信仰の純粹性を維持し、信仰を実践するのに全力したのである。こうした彼の特性は、現代韓国無教会の純粹信仰を維持する傾向に、深い影響を与えている。このような意味で、宋斗用は微視的個人変革モデルに近いと言えよう。

 盧平久は、現在韓国無教会の代表的思想家として現代韓国無教会を実際的に導いている指導者である。彼は、金教臣との縁から無教会に接するようになる。彼は徹底した「道徳的自覚」から来る罪の問題の解決に焦点が合わせられている。当時の、解放と6・25動乱という混乱期と60年代以後の軍事独裁という状況の中で、盧平久は、個人と社会問題を、徹底した宗教的・道徳的自覚とキリストを通した新生によって解決しようとする。彼のこのような思想の中には、預言者的姿が現れている。彼は、時代的問題をむろん度外視してはいないが、しかし根本的な問題解決は結局、キリストを通した個人問題の解決による社会の発展にあると主張する。このような面で、個人変革モデルに近いが、既成教会に対する度の過ぎた分離主義は、彼を分離・対立モデルに近いといえよう。一方、彼は、韓国的状況を考慮する面では、西欧中心の現代韓国キリスト教とは流れを異にする。彼は東洋の精神主義の伝統を西洋の教派主義と対比させ、無教会の東洋キリスト教使命を展開している点で、一見混合主義モデルをおびているようにもみえる。しかし、彼の思想の根幹は、福音を通した個人の新生の自覚にあり、それは混合主義的神学とは区別されなければならない。むしろその主張には、西欧キリスト教の流れおよびその影響下にある東洋の現状に対する反発があり、それが東洋的思想の展開として表現されていると言えよう。いずれにせよ、これら韓国無教会思想家たちは、基本的にはキリスト教思想をそのまま保ちながら、韓国的な状況に応じてそれぞれの思想を主体的に展開しているのである。

 II部では、韓・日の現代無教会を比較分析することによって、韓日無教会の現状を確認するとともに、同じ東洋といっても土壌が違う両国の状況変化にともなう無教会思想の変化を検討した。設問分析により、韓・日の無教会キリスト教がそれぞれの文化や歴史に応じて、あるいは共通の、あるいは異なった状況化・主体化を行っている様子を種々の面から確認できる。この分析にもとづきつつ、より一般的な形で現代韓・日無教会思想のあり方を考察すると、両者には、まず、共通的特徴がやはり維持されている。宗教改革的傾向と生と信仰の一致、万人祭司主義を徹底的に実現しようとすることによる個人信仰中心傾向、そして個人の改革を通した社会の変革を追求する点などである。それは、無教会が持つ思想的性格またはキリスト教自体の普遍性のあらわれであると考えられる。無教会思想には、キリスト教の本質である信仰のみの信仰、聖書中心主義を回復しようというする宗教改革的傾向が働いている。キリスト教内部の純粹性と信仰それ自体を追求するその思想は、そのまま両国の無教会思想の中にも現れている。

 とはいえ、両国の状況差によって現れる思想の差も看過出来ない。神学に対する見解の差、既成教会に対する態度、集会をリードする指導者への姿勢、両国無教会の間の相互交流、文化・民族・キリスト教史的状況差などに違いがある。たとえば、歴史的状況差については、韓国無教会は、日本帝国主義という歴史的状況の中で日本キリスト教の流れである無教会思想を受け入れた点および韓国の一般キリスト教の強力な成長やその弊害ゆえに、既成韓国キリスト教からは分離する傾向が強い。これに対して、日本無教会は、当初あった一般社会との分離性は現代ではやや希薄化している。また、社会的にはわずかな勢力に過ぎないキリスト教界において無教会は、むしろ尊敬される位置をもっており、既成教会に対する分離的な傾向はそれほど見られない。韓国はキリスト教の本質と純料性を守るために、分離的な傾向が強く現れている。しかし、日本は、キリスト教界および社会においてある程度は自分たちの声を出せる位置を占めており、韓国無教会より分離・対立する傾向が弱い。

 序論で提示したモデルのなかで現代両国無教会を位置づけるなら、社会参与的立場では両国無教会とも個人の変革を通した社会変革を追求するために微視的個人変革モデルに近いと言えよう。しかし、既成教会という状況に対しては日本無教会より韓国無教会が分離・対立モデルに近いと言える。総合して見るとき、現代韓国無教会は、韓国キリスト教史という巨大な状況のなかで疎外されており、その結果自然に韓国無教会は既成教会に対してもっと分離的傾向をおびていると解釈できる。そこに、無教会の宗教改革的特性も働いているが、韓国キリスト教史的状況がもっと大きく働いているとも言えるのではないだろうか。他方、西欧キリスト教に対する拒否が一般的な日本という状況のなかに置かれた日本無教会は、日本におけるキリスト教全体の流れとはむしろ一致できた面で状況適合的であったと言えよう。

 キリスト教はその出会う文化の状況にしたがって異なって現れている。無教会思想は、キリスト教が、その普遍性をたもちながらも東洋あるいは韓国・日本という社会・文化・民族・歴史的に異なった状況のうちに展開した例として、たんに妥協的ではない状況化・主体化を試みた例として、特筆すべきものである。無教会思想の検討を通じてわかるのは、キリスト教の普遍性と文化の特殊性は、共に認めるられるべきだということである。無教会思想は、一方で、キリスト教思想の本質・普遍性を純化し徹底してとらえようとしながら、他方で、それを国・文化・歴史等の状況のうちに、そして個々人の具体的な生のうちに根付かせようとしている。無教会とは、その両面的な緊張とそれによる変容の体験であると言える。キリスト教が歴史と文化という状況に出会う時、本研究で考察したように、緊張関係が生まれるようになる。なぜなら、キリスト教自体は普遍性を持っているが、キリスト教が置かれる土地の状況は様々であるためである。このようなキリスト教と状況の間の緊張関係によって、西欧のキリスト教は西欧を除いた東洋及び第3世界国家らに普遍的宗教として受け入れられるより、文化侵奪の道具となったり、そう見られてしまった面が多い。筆者が序論で提示したモデルも、そうした流れの中で提示されたのである。

 キリスト教を状況にもたらされる時、結局ある特定な人がその媒介の役割をするようになっている。今までは、その役割を西欧の宣教師たちが主に担当したとも見ることができる。ところが、重要なのは伝達過程で西欧の宣教師たちが必ず純粋にキリスト教の普遍的福音のみを伝達するとは限らないという問題が発生する。I部でも言及したが、東洋に伝達されたキリスト教が西欧的になることが必然化されてしまう。キリスト教福音の伝達者がまさにキリスト教福音の伝達地である西欧文化の中で成長したため、これに対して、本研究で見てきた無教会は、西欧のキリスト教が東洋という状況に主体的に伝達されるモデルとして現れている。すなわち、韓国と日本の無教会は、西欧の宣教師たちが伝えてくれたキリスト教ではなく、むしろ東洋という状況の中に置かれた自分たち自身の手によって普遍的福音を消化しようとした例だということができる。

 民衆神学も西欧のキリスト教を韓国という状況に主体的に受け入れようとする良い例である。しかし、序論のモデルでも見たように、民衆神学と無教会運動の性格は主体的にキリスト教を受け入れようとしたという面では共通点があるが、変革の観点から見る時、全く違う姿をおびるようになる。民衆神学は、南米の解放神学のように問題解決の核心を社会全体の構造的悪におくが、無教会運動はキリスト教正統主義立場である個人の悪に置くという差を持っている。このような面から、韓国無教会運動には既存キリスト教における主体的受容とは異なる意義がある。貧困や身分差別のような社会、経済的問題解決のゆえに西欧のキリスト教を主体的に受け入れる努力らは様々あったが、キリスト教自体をその内面性や信仰的本質をどこまでも追求しながら、なおかつ自分の状況の中で主体的に受け入れようとする努力は多くなかった。

 本研究が韓国と日本の無教会を通じて確認できたのは、彼らが、状況や主体の差を認める中でキリスト教の本質を求めるという困難だが重要な道を歩んでいるということである。結局、キリスト教はその福音を保ちつつ、過去・現在・未来という歴史的状況の中で、文化の全体的脈絡を考慮して展開する時にこそ、正しく人の世に位置づくものであろう。韓国と日本の両国に展開されている無教会思想は、キリスト教と東アジアの状況との、緊張にみちた、しかし正当な出会いをよく認識させてくれる点で、きわめて貴重なものであるといえよう。

審査要旨

 本論文は、内村鑑三に学んだ金教臣に始まる韓国における無教会キリスト教について、第一部で、その戦前から現代に至る主要思想家(金教臣、宋斗用、盧平久の三人)の文献研究、第二部で、日韓の現代無教会信徒に対するアンケート・インタビューによる調査分析をおこない、その戦前から現代に至る思想内容を解明したものである。

 本論文の意義としては、次の点がある。第一は、従来、金教臣については若干研究されているが、韓国でもほとんど知られていなかった韓国無教会について、初めて全体的で立ち入った分析を試みた点。第二は、韓日無教会の現状を客観的に明るみに出した点。第三は、それらを通じて、韓国と日本の、無教会信仰のあり方の比較を初めて具体的におこなった点。これは日韓両地域におけるキリスト教信仰の比較論にもなっている。第四は、以上に際して、状況化と呼ばれる思想と主体の歴史的社会的状況との連関を分析する方法のもとで、思想信仰のあり方を一定の図式のもとに位置づけた点。第五は、対象史料のみならず、関連の研究とりわけ日本・韓国におけるキリスト教思想論をよく博捜している点。第六に、文献研究と調査とをふたつながら行ったその意欲的な努力。それらは、いずれも現代の東アジアのキリスト教思想研究に重要な光を投げかけるもので大きく評価できる。

 他面、問題点としては、次の点がある。第一に、方法論・接近法の面で、分析が図式の静的・個別的提示に留まる面があり、思想の内面的分析および歴史的状況との動的連関が不足する憾みがある。対象に対する主体的内在的な「理解」、また聖書テクスト等の参照等をより行う必要がある。第二に、日韓の比較や相互関係について、とくに第一部の思想家分析ではあまり追われていない点。これは、第一部と第二部との間に捩れを起こしている。第三に、論述が先走り気味で、じっくりした熟成や深みがもっと欲しい点。これらは、今後の課題として取り組まれることを期待する。

 以上、課題点は残るものの、総じて、意欲的で新しい解明が行われ、個々の内容にも興味深い発見を含んでおり、東アジア(韓国・日本)をめぐる地域文化研究に寄与するところが多い。博士の学位を与えるに十分な業績であると認められる。

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