学位論文要旨



No 113977
著者(漢字) 久保,聖子
著者(英字)
著者(カナ) クボ,キヨコ
標題(和) 構造モデル的アプローチとプロセス追跡的アプローチによる意思決定モデルの提案
標題(洋)
報告番号 113977
報告番号 甲13977
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第195号
研究科 総合文化研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 教授 松原,望
 東京大学 助教授 佐藤,俊樹
 東京大学 助教授 長谷川,寿一
 東京大学 助教授 丹野,義彦
内容要旨

 本研究では人間の意思決定は第1段階の情報の提示(入力)、第2段階の直感的評価段階、第3段階の合理的評価段階、第4段階の総合評価と最終決定段階、第5段階の行動(出力)の5段階のプロセスを経て行なわれるとした。本研究では各段階のそれぞれに焦点をあて、各段階のより詳細なプロセスの分析を行った。

 本研究において仮定した各段階の枠組みは以下の通りである。本研究ではこの枠組みに基づきモデルの定式化を試み、検証を行なった。

1.意思決定問題の提示(情報の提示)

 意思決定者に意思決定問題が提示される段階である。構造モデル的アプローチでは「入力」といわれている。

2.直感的評価段階

 代替案の直感的評価により代替案の評価を行なう段階である。

3.合理的評価段階

 本研究における合理的評価とは、意思決定者が合理的に評価することを試み、情報の吟味を行う評価であり、公理系を満たす規範モデルに従った評価のことではない。この段階は、代替案に関する情報を網羅的に検索し、評価する段階であるとする。

4.総合評価と最終決定段階

 本研究においては、最終決定とは行動に直結する決定、つまり、代替案の意思決定後に選択代替案を変更しない、又は総合評価の変更を行なわない、最終的な決定であるとする。

 この段階においては、合理的評価段階において評価された情報の統合による代替案の総合的な評価が行われる。また、総合評価が意思決定者が設定した決定の基準点に到達すれば、最終的な決定が行なわれ、この時点で代替案の総合評価プロセスは終了する。到達しなければ、合理的評価段階に戻り、情報の再評価が行なわれる。総合評価から情報の再評価の繰り返しプロセスは、基準点に到達するまで続けられる。

5.決定にもとづく行動段階

 最終決定段階で行った決定を行動として表す段階である。例えば、商品の選好順位を最終的に決定した後の最も順位の高い商品を実際に購買する行動を意味する。構造モデル的アプローチでは「出力」といわれている。

 上記で示した5段階の意思決定モデルの枠組みを主に1、2章で示した。

 3章では意思決定の重要な要素である主観確率評価について分析を行なった。

 このとき、事象の主観確率評価は、第1段階の事象の分類、第2段階の分類した各事象(分類事象)の主観確率評価、第3段階の分類事象の主観確率の統合という段階を経て行なわれ、代表性バイアスが規範からの逸脱現象を引き起こすとして、評価の認知プロセスを示したモデルの提案を行なった。

 まず、代表性が高い事象は客観確率の過大評価が行なわれ、代表性が低い事象は客観確率の過小評価が行なわれるとし、代表性が主観確率評価に影響を及ぼすと仮定した。

 更に、各事象の主観確率の統合プロセスにおいて、代表性が高い事象の主観確率は重要視されるが、代表性が低い事象の主観確率は軽視され、統合が行なわれるとした。

 従来の研究では、規範からの逸脱現象の記述モデルは提案されたが、規範から逸脱する認知的プロセスを示すモデルの提案は行なわれていない。しかし、本研究において、規範からの逸脱現象を引き起こす心的バイアスを代表性バイアスと明確化することにより、心的バイアスが評価プロセスに影響を及ぼす認知的プロセスを示すことを可能とした。実験による検証の結果、モデルの妥当性が確認された。

 4章から6章は意思決定プロセスのモデル提案を行なった。各章では、提案したプロセスの各段階ごとのプロセスの分析を行なった。

 4章では第2段階の直感的評価段階におけるモデルの提案を行なった。直感的評価段階による事象の評価は以下の性質を持つを仮定し、実験による検証を行なった。

 直感的評価段階における意思決定者は、代替案の全属性の評価を考慮し、各属性の評価の統合を行なうのではなく、全属性の中で最もメリットが高く、デメリットが低い属性のみに注目し、代替案の評価を行なう。また、各属性の評価については、意思決定者は属性間の差異を拡張し、属性間の差別化を行なう。この結果はSaito,Rumelhart,Shigemasu(1998)により示されている。

 検証の結果、モデルの妥当性が確認された。

 5章では第3段階の合理的評価段階における意思決定プロセスのモデルの提案を行なった。この段階のプロセスは以下のような性質を持つと仮定し、実験による検証を行なった。

 本研究では、合理的評価段階においては、属性の効用評価と属性の重要度評価が行なわれると仮定している。

 このとき、属性の効用評価は時間の経過には影響を受けず、意思決定者の性格に依存し、意思決定者固有の主観的尺度によって評価される単独評価である。また、悲観的決定者は楽観的決定者より、代替案間の属性効用の差別化行なわれにくい。

 属性の重要度は代替案間の属性効用の差によって規定される比較評価であるといえ、代替案間の属性効用の差が大きいほどその属性の重要度は高くなる。しかし、この関係は決定状況に依存し、決定状況が軽視される有利な状況においては、重要度の属性間の差別化は行なわれやすい。しかし、反対に、決定状況が重要視される不利な状況においては、重要度の属性間の差別化は行なわれにくい。

 検証の結果、モデルの妥当性が確認された。

 6章では第4段階の総合評価と最終決定段階における意思決定プロセスの分析を行なった。

 このとき、総合評価と最終決定段階における評価、決定プロセスの性質を以下のように仮定し、実験による検証を行なった。

 総合評価は代表的な属性の重要度を基に行なわれ、最終決定は総合評価を基に行なわれる。また、意思決定者により潜在的な閾値を設定が行なわれ、最終決定値に到達すると、意思決定者は代替案間の明確な差別化が行なわれた判断し、最も高い総合評価の代替案が選択される。代替案の総合評価は、最終決定値に到達するまでは、全属性を総合的に評価し、属性の重要度から総合評価を行なうが、反対に、潜在的な閾値である判別不可能値に到達すると、総合的な総合評価は放棄され、直感的な評価、決定が行われる。このとき、直感的な評価、決定とは、代替案の最大メリット値と最大デメリット値のみを考慮し、代替案の評価を決定することを意味する。つまり、合理的評価段階において属性間の差別化が促進されると、最終決定値に到達し、最終決定が速く行なわれると主張したモデルである。反対に、合理的評価段階において属性間の均一化が促進されると、最終決定値には到達せず、反対に、判別不可能値に到達し、直感的決定にスイッチする。

 検証の結果、モデルの妥当性が確認された。

 このような各段階の意思決定プロセスモデルからは、意思決定プロセスは合理的評価段階において差別化と均一化に行動が分岐したとしても、最終決定においては、結局、差別化が行なわれるという結論が得られる。つまり、意思決定プロセスの合理的評価段階において差別化が行なわれた場合、最終決定値への到達が速く行なわれ、結果的に時間的に速く最終決定が行なわれるが、合理的評価段階において均一化が行なわれた場合は、差別化がなかなか行なわれず、評価時間が長くなるが、最終的には直感的評価による差別化が行なわれるといえる。

 従来のプロセス追跡的アプローチによるモデルでは、代替案の差別化の現象は示されていたが、代替案間の差別化は同じプロセスを経て行なわれるとされてきた。しかし、本研究では最終決定においては同じ差別化の傾向がみられても、その傾向は属性の差別化と均一化による評価という全く異なった評価プロセスを経て引き起こされているという新しい知見が得られた。つまり、本研究で提案したモデルは、合理的評価段階における均一化プロセスが"迷う"行動の心的プロセスであり、差別化プロセスが"即決する"行動の心的プロセスであると考えることができる。

 意思決定のプロセスを追跡したモデルの提案は、従来の研究においても行なわれている。しかし、これらのモデルは定式化が行なわれていないため、再現性の確認が困難であり、机上の空論であるという批判を受けていた。しかし、本研究ではプロセスを追跡したモデルを定式化することにより、再現性を確認し、心的プロセスの明確化を可能とした。一方、定式化したモデルによる意思決定現象の検証は、従来の多くの研究において行なわれている。しかし、これらのモデルはプロセスの追跡や、心的プロセスの時間経過による変化を表現が行なわれていなかった。本研究では意思決定プロセスを時間継続的行動として捉え、プロセスを複数の段階に分類し、各段階におけるモデルの提案を行なった。このことにより、時間経過による心的プロセスの変化の表現を可能とした。

 本研究では二者択一問題における意思決定行動など、基本的な意思決定行動に焦点をあて、モデルの提案を行なった。基本的な意思決定行動の分析により、緻密な行動の分析が行なえたと考える。本モデルは各意思決定者に対応した行動の予測が可能であり、商品のマーケティングなどの領域への適用可能性も十分期待できる。

審査要旨

 本論文の目的は人間の意思決定プロセスの解明を行なうことである。意思決定に対するアプローチは大別すると、意思決定問題が提示されてから、その問題の認知を経て、最終決定に至るプロセスの過程を記述するアプローチ(プロセス追跡的アプローチと言われる)と、意思決定問題の入力変数(代替案の属性)と出力変数(代替案の決定)の間の関係を、数理モデルなどであらわすアプローチ(構造モデル的アプローチといわれる)という2つがある。前者は、人間の意思決定の実際を描画する力が強いが、定式化が不充分なために再現性の検討が困難であるという欠点がある。後者は、ベイズ理論などの規範モデルからの乖離などを調べることに長じているが、プロセスを記述する力は弱い。本論文のアプローチは、意思決定のプロセスを明確にいくつかの段階からなるものとして示し、各段階において、それぞれの段階の意思決定の過程を数理モデルとして表現し、実データによって確認していくことである。このことによって、2つのアプローチの長所を活かすことができる。

 1章と2章では上記のアプローチを取る理由と、意思決定の過程を次のように3段階に分ける根拠を説明している。本論文では、意思決定は直感的評価段階、合理的評価段階、総合評価(最終決定)段階という3段階の心的プロセスを経て行なわれるとしている。もちろん、ある種の決定は、直感的な決定のみで最終決定に至るが、十分に時間が与えられている意思決定問題の場合、典型的には上記の3段階を経るというように仮定されている。

 3章では意思決定の各段階に共通に現れる主観確率評価がベイズ的規範モデルに従わないことを示している。実際の意思決定が規範モデルに従わないということならばおびただしい数の研究があるが、本論文では、規範からの逸脱のメカニズムを説明するモデルを提案している。すなわち、事象の主観確率評価は、無意識的に評価対象の事象を分割し、分割された事象の主観的評価を行い、さらにその評価を統合して最終的な総合的主観評価にいたることを仮定している。この仮定はTverskyのサポート理論の仮定と同じである。本論文の説明モデルは、分割された事象の評価、および、それらの統合の両方において、代表性(分割された事象がどの程度元来の評価対象を代表しているかという指標)の影響を受けていることを示すというモデルである。本論文では、この仮定に基づき、数理モデルを特定し、実験によって上記の仮定の正しさを確認している。すなわち、実験では、被験者に評価事象と分類事象を提示し、各分類事象と統合した事象の主観確率と代表性度の評価を求めている。実験の結果、代表性が高い事象は外部的に与えられろ客観確率の過大評価が行なわれ、代表性が低い事象は客観確率の過小評価が行なわれる傾向がみられ、代表性が主観確率評価に影響を及ぼすことが示されている。さらに、各事象の主観確率の統合プロセスにおいて、代表性が高い事象の主観確率は重要視されるが、代表性が低い事象の主観確率は軽視され、統合が行なわれるという結果が得られている。

 4章では意思決定の心的プロセスの第1段階である直感的評価段階の評価プロセスの分析を行なっている。実験では、直感に依存する決定を強要するために、制限時間を設けた意思決定問題を被験者に課している。すなわち、時間的切迫下において、被験者に代替案を提示し、各属性の評価を求めた後、代替案の総合評価を求めている。実験の結果、直感的評価段階における意思決定者は、代替案の全属性の評価を考慮し、各属性の評価の統合を行なうのではなく、全属性の中で最もメリットが高く、デメリットが低い属性のみに注目し、代替案の評価を行なうことが示されている。

 5章では意思決定の心的プロセスの第2段階の合理的評価段階における意思決定プロセスの分析を行なっている。合理的評価段階においては、属性の効用評価と属性の重要度評価が行なわれると仮定している。実験では、代替案の評価は後日に変更が可能であり最終決定ではないことを教示した後、代替案を提示し、各代替案の効用評価と属性の重要度評価を求めている。時間による評価の変化の性質を観測するため、一週間後に同様の実験を行い、代替案の再評価を求めている。この段階の意思決定はある程度の時間経過を仮定することが普通であるが、時間的変化は時間の経過につれて属性の重要度の差別化が起こることが仮定されている。差別化とは、属性値の大きい効用は大きく、属性値の小さい効用は小さく変換するということである。また、効用値の代替案間の差が大きい属性は重要度は高く、小さい属性は低く評価するということである。本論文では、この仮定は単純に過ぎ、差別化が起こるかどうかは、意思決定者の性格(楽観的か悲観的か)と、意思決定状況の種類(意思決定者にとって有利か不利か)によるのではないかと考えている。実験の結果、属性の効用評価は、意思決定者の性格に依存し、悲観的決定者は楽観的決定者より代替案間の属性効用の差別化が行なわれにくい(すなわち均一化)傾向がみられた。また、決定状況がどの代替案をとっても意志決定者にとって都合のよい結果に終わる有利な状況においては、重要度の属性間の差別化は行なわれやすく、決定状況がいずれにしても意思決定者にとって不利になる状況においては、重要度の属性間の差別化は行なわれにくいという結果が得られている。

 6章では意思決定の心的プロセスの第3段階の総合評価(最終決定)段階における意思決定プロセスの分析を行なっている。実験では、決定後に被験者が求められる行動を示し、本実験による決定が最終決定であるため、決定はそのまま行動に移されることを現実的な状況で伝えた。(実際にはこの行動は現実化しないが、被験者はこの現実性を信じていたようである。)最終決定における総合評定への統合モデルとして、総合評価値がある閾値を上回る場合に最終決定に至るという数理モデルを提案し、実験によってこれを確かめている。

 実験の結果、総合評価値の代替案間の差が潜在的な閾値である最終決定値以上になると、意思決定者は代替案間の明確な差別化が行なわれたと判断し、最も高い総合評価の代替案を選択する行動がみられている。総合評価値の代替案間の差が、潜在的な閾値に達しない場合は、総合的な総合評価は放棄され、代替案の最大メリット値と最大デメリット値のみを考慮するという、直感的な評価が行なわれるという結果が得られている。

 本研究で提案したモデルは、合理的評価段階における均一化プロセスが"迷う"行動の心的プロセスであり、差別化プロセスが"決断する"行動の心的プロセスであると考えることができる。

 以上に示したような本論文の成果をまとめる。本論文ではプロセス追跡モデルを数理モデルとして定式化したため、実験データによってモデルが妥当であることを確認し、かつ、心的プロセスの明確化が可能となった。また、このアプローチによって、従来の意思決定のプロセスに関する知見をより精緻にしたものとして評価できる。たとえば、意思決定の時間経過に伴う、差別化の現象が被験者の性格と実験状況の種類によって異なること、最終決定に至る過程が総合評価によって行われる場合と直感的に行われる場合の心理メカニズムの違いについての知見を得ていることなど高く評価できる。よって、本論文は東京大学総合文化研究科課程博士(学術)の学位請求論文として合格であると認定された。

 なお、本論文の第3章、第4章の内容の一部は,それぞれ「心理学研究」「Proceedings of twentieth annual conference of the Cognitive Science 98」にすでに掲載されている。

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