本論文は3部からなり、第1部は分裂酵母トロポミオシンおよびArp3のアクチンとのin vitroでの相互作用、第2部は分裂酵母におけるF-アクチンの局在と機能、第3部では分裂酵母におけるアクチン調節タンパク質の局在と機能について述べられている。 動物細胞をはじめとする多くの真核生物の細胞質分裂の過程では、細胞の赤道部の細胞膜直下にF-アクチンを主成分とする収縮環が形成され、その収縮により分裂が進行する。また、多くの細胞で収縮環はアクチン細胞骨格の再編成によって形成される。しかし収縮環の形成過程、その微細構造およびアクチン以外の収縮環構成タンパク質とその存在様式については不明の点が多い。本論文は、遺伝学的にも扱いやすく細胞骨格も単純な分裂酵母を用いて、収縮環の形成に関わるアクチン細胞骨格の再編成についての研究を行っている。 第1部では分裂酵母のアクチン調節タンパク質のうちArp3およびCdc8トロポミオシンとアクチンとの相互作用を免疫沈降実験によって検討している。その結果、細胞抽出液中においてArp3およびCdc8トロポミオシンがそれぞれアクチンと結合していることが示された。さらに、Arp3は他の6種のタンパク質と複合体を形成することが分かった。その組成は他生物で報告されているARP複合体のものと類似していた。 分裂酵母におけるF-アクチンの挙動はローダミン-ファロイジン蛍光染色によって観察されており、間期には成長端にパッチ状に局在し、分裂期には細胞の赤道面にF-アクチンリング(収縮環)が形成され、その収縮に伴い隔壁が陥入すると隔壁付近にパッチ状に局在することが知られている。特定の時期にケーブル状構造も観察されている。第2部ではまずF-アクチンの分布をBodipy-ファラシジン染色によって観察したところ、既知の局在性に加えて、新たな知見が得られた。まず、染色体の分離の直前に細胞の赤道面に巾の広い染色が見られ、その後収縮環が観察された。また、複数のケーブルが細胞周期を通して伸長しており、収縮環やパッチと連結している様子が観察された。 次に核分裂前期で分裂周期を停止するnda3温度感受性(ts)変異株に対してBodipy-ファラシジン染色を行ったところ、制限温度下では細胞の分裂面に巾の広い染色が見られ、許容温度への移行により、直ちに巾が狭まり収縮環となることが分かった。さらに野生株においてSPB(spindle pole body)とF-アクチンの二重染色を行ったところ、核分裂前期にケーブルが分裂面付近に集合している様子が観察された。以上のことから、分裂酵母における収縮環形成初期にはまず細胞の赤道面表層においてF-アクチンの重合が起こる可能性が考えられた。また、ケーブルは収縮環形成過程において重要な役割を果たしていると予測された。 抗アクチン抗体を用いた免疫電顕法の結果、分裂溝の形質膜直下の平行に並ぶ繊維状構造がアクチンを含む収縮環であることが証明された。また、アクチンのパッチ状の分布も電顕下で観察された。通常の形態観察では毛鞠様構造が見られ、これらがパッチの正体である可能性が考えられた。これらの構造は成長端および隔壁付近に多く観察され、細胞壁および隔壁形成に必要な成分を形質膜外に分泌する役割を果たしている可能性が考えられた。さらに、F-アクチンケーブルと思われる繊維構造を初めて観察している。 第3部ではまず野生株における抗Cdc8トロポミオシン染色によりトロポミオシンは収縮環およびケーブルに局在することを明らかにした。さらに免疫電顕法により、収縮環構造上に局在することを証明した。一方Arp3は成長端および隔壁付近のパッチに局在した。また、Arp3は収縮環そのものには含まれないものの、収縮環形成の過程で細胞の赤道部付近に集積することが分かった。ラトランキュリンA処理により細胞内のF-アクチン構造を破壊した結果、上記の局在は失われたことから、両タンパク質の局在はF-アクチン依存的であることが分かった。cdc8ts株ではF-アクチンパッチは見られたが、ケーブルと収縮環は全く観察されなかった。また、この株の電子顕微鏡観察の結果、細胞質内に電子密度の高い物質の蓄積が観察され、野生株で見られるような細胞質の小胞の分布、形質膜付近での小胞の配列、形質膜と小胞様構造の融合などがほとんど見られなかった。arp3破壊株は細胞極性を失い、F-アクチンパッチは細胞内にランダムに分布した。以上のことからCdc8トロポミオシンは、パッチの形成には関与していないが、ケーブルおよび収縮環の形成、保持に必要であることが分かった。また、小胞輸送に関与している可能性が考えられた。Arp3は他の真核細胞と同様なARP複合体を形成して、細胞周期におけるパッチ形成部位を調節し、パッチの局在を通して細胞極性の決定に関与していると考えられた。 次いで細胞分裂変異株におけるF-アクチンの分布をBodipy-ファラシジン染色により観察したところ、cdc3ts株(プロフィリン変異株)およびcdc8ts株(前述)では収縮環およびF-アクチンケーブルが全く観察されなかった。cdc12ts株およびcdc15ts株においては収縮環が見られず、異常なケーブルが観察された。ケーブルの配向はランダムであった。その他の収縮環形成が可能な変異株においては分裂面方向へのケーブルの伸長が観察された。Cdc12 Diaphanousは分裂シグナル伝達に関わり、収縮環構成タンパク質でもあると考えられているため、このタンパク質の機能を探ることは、収縮環形成のメカニズムを理解する上で大変重要である。Diaphanousは動物細胞においても細胞質分裂に必要であることが報告されている。最近、分裂酵母のCdc12は過剰発現によりボール状構造を形成して細胞内を移動し、分裂期になると分裂面に到達し、そこからリング状構造を形成することが報告されている。またcdc3ts株およびcdc8ts株においてはCdc12ボールの分裂面への移動がおこらないという。前述のようにこれらの変異株にはF-アクチンケーブルが存在しないことから、ボールの移動にはケーブルが関与していると予想し、GFP(green fluorescent protein)-Cdc12発現株を用いてCdc12およびF-アクチンの局在について詳細に観察した。光顕観察の結果、GFP-Cdc12ボールはケーブル上に局在し、さらにボール周辺にはF-アクチンが蓄積し、ボールからケーブルが放射している様子も観察された。電顕観察では、電子密度の高い構造が観察され、その周辺には多数の小胞の蓄積が観察された。免疫電顕によりその電子密度の高い構造にCdc12が局在すると考えられた。またSPBとの二重染色により、Cdc12ボールは核分裂前期にはすでに分裂面に到達している傾向が見られた。以上のことから、Cdc12ボールの分裂面への移動にはケーブルが重要な役割を果たしていると考えられた。また、Cdc12はF-アクチンの重合核としての機能を持ち、野生株の核分裂前期において見られた分裂面へのF-アクチンのやケーブルの集合はCdc12の働きによるものではないかと考えられる。 この研究は分裂酵母のアクチン細胞骨格系の編成に関し重要な貢献をしたと評価される。よって論文提出者荒井律子は東京大学博士(学術)の学位を受けるに十分な資格があると認める。なお本論文の内容は既にEuropean Journal of Cell Biology誌に公表されている。これは共著論文であるが、論文提出者はそのすべてにおいて研究の主要部分に寄与したものであることを確認した。 |